日本に「性的同意」は広まるのか 刑法改正への期待と不安
テッサ・ウォン、白石早樹子、BBCニュース(シンガポール、東京)

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警告:この記事には性的暴行の描写や説明が含まれます




岡野めぐみさんは、レイプされた数日後にはすでに、相手の男が罰を受けないことを理解していた。
男は岡野さんの知り合いだったし、居場所も分かっていた。しかし岡野さんは、自分の身に起きたことを日本の当局が強制性交とみなさない可能性が高いことも知っていた。
トラウマを受ける過酷な裁判になる可能性を前に、岡野さんはこの件を警察に届け出ないことにした。
岡野さんはBBCに対し、「(法の裁きを)求められないので、(加害者は)のうのうと生きていくんだろうなと、つらい気持ちになった」と語った。
しかし、日本に変化が訪れるかもしれない。性犯罪を取り締まる法律の改正案が衆議院を通過し、現在は参議院の審議を待っている状態だ。可決されれば、過去110年でたった2度目の、2017年以来の性犯罪に関する刑法改正となる。
最も大きな改正点は、レイプの罪名が「強制性交」から「不同意性交」に変わることだ。性的同意の概念がまだあまり理解されていない日本社会で、法律に性的同意の概念が加わることになる。
日本の現在の法律では、「暴行又は脅迫を用い」たり、「心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせ」た状態で性交等やわいせつな行為におよんだ場合、罪に問われる。
これは、性犯罪を「同意のない」性交や性行為と広く定義し、「No means No」(「嫌だは嫌だの意味」)の概念が広まっている多くの先進国とは異なる。
活動家らは、これまでの法律上の狭い定義のせいで、検察や裁判官はさらに法律を狭く解釈し、その結果として、犯罪立証と正義実現のハードルが不可能なほど高くなったと指摘する。さらにその影響で、司法を疑う風潮が生まれ、被害を経験したサバイバーが被害届を出すのをためらう悪循環につながってきたと。
たとえば2014年に起きた事件では、男が15歳の少女を壁に押し付け、抵抗されているにもかかわらず性交におよんだ。しかし東京高等裁判所は、男の行動が被害者の「抵抗を著しく困難にする程度」ではなかったとして、無罪判決を言い渡した。
日本の性交同意年齢は13歳と、世界の最も豊かな民主主義国の中で最も低い。そのため、10代だったこの事件の被害者は成人として扱われたのだ。
性暴力被害当事者らの団体である一般社団法人Springの田所由羽さんは、「(裁判での)実際の判断には、事件によってばらつきがある。同意がなかったと認められても(中略)暴行や脅迫が認められなければ、無罪となることもあった」と話す。
岡野さんが2019年に同じ大学に通っていた男に性的暴行を加えられた後、警察に届け出なかった理由も同じだ。
岡野さんによると、岡野さんは男のアパートでテレビを観ていた時に性的関係を迫られた。岡野さんは「嫌だ」と伝えた。
その後、男は岡野さんに性的暴行を加えた。押さえつけようとする男に対し、岡野さんは「レスリング」をするように抵抗したが、体が動かなくなってしまい、抵抗を諦めたという。
その数日後、法学部生だった岡野さんは刑法や判例に当たった。そして、自分の身に起きたことが「暴行や脅迫」の要件に当たらないと知った。
岡野さんはまた、他の被害者が性犯罪捜査の中で経験したバッシングや「セカンドレイプ」の話を聞いていた。セカンドレイプとは、警察や病院のスタッフの無神経な対応によって、被害者が再びトラウマを抱えてしまう状態を指す言葉だ。
「わずかな希望のためにそこまでできないと思って、警察にも行かなかった。そもそも被害届を受理してもらえるかも分からなかった」と、岡野さんは語った。
岡野さんは代わりに、通っていた大学のハラスメント対策室に問い合わせた。対策室は調査を行い、男がレイプにおよんだと認めたと岡野さんは言う。
大学の対策室はBBCの取材に対し、守秘義務の観点からコメントに応じなかった。
調査が終わった段階で、男はすでに卒業していた。男は訓告を受けた以外、自分の行動による影響を受けなかったと、岡野さんは話した。
「刑事手続きを経て、その人にきちんと反省してもらうことができない。そのことにがっかりした」
改革要求の声高まる
こうした経験をした人は、岡野さんだけではない。日本では強制性交と認定された事件の起訴率はわずか3割程度と、一般的な刑事訴追率よりもわずかに低い。
しかし、変化を求める人々の声は高まっている。
日本では2019年、性犯罪で起訴された被告人に対する裁判所の無罪判決が1カ月で4件も相次ぎ、世間の怒りを買った。

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福岡地裁久留米支部が扱った事件では、男が泥酔した女性を相手に飲食店内で性交に及んだ。他の国なら性的暴行とされる可能性のある行為だ。裁判では、女性はこの飲み会に初めて参加したことが明らかになった。
報道によると、この集まりではわいせつな行為が度々行われており、男は「安易に性的な行動に及ぶことができると考えていた」。また、複数の目撃者がいたが、誰も行為を止めなかったという。男は裁判で、女性が行為中に目を開けたり声を発したりしたため同意していると思っていたと述べた。裁判所は男の主張を支持し、無罪とした。
名古屋地裁岡崎支部は、10代の娘に数年にわたり繰り返し性行為をはたらいていた父親に、無罪判決を言い渡した。裁判では、被害者の精神鑑定を行った医師が「心理的に抵抗できない状況」があったと証言した。しかし裁判官は、被害者が両親の反対を押し切って専門学校に進学していたことから、父親が娘の「人格を完全に支配し、強い従属関係にあったとまでは認めがたい」とした。
世論の大きな反発を受け、4件のうちほとんどが上訴され、逆転有罪が確定している。またこの時、性犯罪被害者への連帯を示すため、日本各地で「フラワーデモ」と呼ばれるキャンペーンが始まった。
活動家らはこのフラワーデモに加え、国内でのMeToo運動の高まりや、ジャーナリストの伊藤詩織さんが日本の著名なテレビ記者に強姦されたとして損害賠償を求め、画期的な勝訴判決を獲得したことなどが、性犯罪に対する正義を求める全国的な機運を高めたと評価している。

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そして日本政府は今、性犯罪に関する刑法改正に動いている。
改正案は、レイプの罪名変更に加え、被害者が「性行為に同意しない意思を持ったり意思を示したりすることなどが困難な状態」として、8項目の具体的な行為を明記する。これには、「暴行や脅迫」に加え、アルコールや薬物を摂取させること、恐怖・驚愕(きょうがく)させること、地位関係性による不利益を憂慮させることなどが含まれる。
性交同意年齢も16歳に引き上げられ、公訴時効も延長される見込みだ。
一方で、結局は検察の立証が難しくなるのではないか、要件の表現が曖昧になりすぎているのではないかと懸念し、さらに明確化が必要だと訴える活動団体もある。
控訴時効をさらに延長することや、未成年者の保護強化などを求める意見もある。
また、法改正には日本社会のより広い変化が伴わなければいけないと指摘する活動家もいる。
それでも可決されれば、法律の改正に向けたロビー活動を長年続けてきた活動家にとっては、勝利の瞬間だ。
認定NPO法人「ヒューマン・ライツ・ナウ」の伊藤和子弁護士は、これが日本社会へのシグナルになるだろうと語った。「この法律の罪名さえも変えようとしているという事実に、日本の人々が同意とは何か、同意しないとはどういうことかを話し始めると期待している」。
しかしタイムリミットが迫っている。法案はすでに衆議院を通過したものの、6月21日までに参議院で可決される必要がある。だが参議院は現在、入国管理法の改正法案をめぐって紛糾しており、刑法改正法案は審議入りしていない。
いわゆる「時間切れ廃案」となれば、性犯罪をめぐる法改正の行方は分からなくなる。活動団体や弁護士らは先週、時間切れによる廃案は「ありえない」として、すぐに行動を起こすよう政治家に呼びかけた。
「セックス」の再定義
しかし、この法改正は問題の一部にしか向き合っていないと、活動家たちは言う。改革を求める声は、司法の枠を超えて広がっている。
日本では、性犯罪の話題はなおタブーとされている。近年になってやっと、伊藤詩織さんの事件や、元自衛官の五丿井里奈さんによる性被害告発、ジャニー喜多川氏のスキャンダルなどが大きく取り上げられるようになった。
伊藤弁護士は、何世代もの日本人が「セックスや性的同意についてゆがんだ考え」で育ってきてしまったのが一因だと述べた。
日本の性教育では、性行為はベールに包まれた控えめな方法で教えられ、同意についてはほとんど触れられない。一方で、子どもたちがポルノにアクセスしやすい状況があるという。こうしたコンテンツでは、自分の意思に反するセックスを楽しむ女性の描写が常態化している。
性加害問題などに詳しい上谷さくら弁護士は、こうした側面の改善に加え、性暴力被害者への経済的・精神的な支援が必要だと話した。
上谷弁護士はまた、加害者更生にも力を入れるべきだと指摘。「性犯罪は再犯が多いので、防止に力を入れないと次々と被害者が生まれてしまう」と話した。
活動家らは、現時点で特に重要なのは、より多くの被害者が通報しやすくなるよう、法改正が実現し、公正な運用を確保することだと言う。
伊藤弁護士は「名前倒しで現場で救われる人が少ないとなれば、人々を絶望させることになる」と述べた。
岡野さんも、法改正後に警察に届け出るか考えているが、今すぐというわけではないという。
「自分の中で整理ができた状態なのを、わざわざ掘り起こしたくない。ファーストペンギン(最初にリスクを冒して未知の世界に飛び込む人)という重い役割を担うのは、今はハードだと感じる」
Xジェンダー/ジェンダーフルイドを自認する岡野さんはその代わりに、性犯罪サバイバーの支援や、LGBTQ(性的マイノリティー)の権利について活動を行っている。こうした人々を助けられる法律事務所を設立するのが夢だ。
「希望が見えてきて喜ばしいという気持ちがある(中略)今私たちが置かれている状況が歪んでいたりおかしいということに、みんなが気づき始めた」
「みんなで活動すれば、思っていたよりもずいぶん早く、大きく変わったりするかもしれない。『何かおかしいと思ったら、一緒に変えていこう』という気持ちでいる」

この記事の内容に影響を受けた方に、BBCはイギリス内での相談先を紹介しています(英語)。
また、日本の内閣府が、性犯罪・性暴力相談の相談先をこちらで紹介しています。
