障害者を「ネタ」にしたコメディアンが最高裁に行き着くまで カナダ

ジェシカ・マーフィー、BBCニュース(トロント)

Composite of Jeremy Gabriel and Mike Ward

画像提供, Marie-Josée Boisvert/Michel Grenier

画像説明, 歌手のジェレミー・ガブリエルさん(左)と、スタンダップ・コメディアンのマイク・ウォードさん

10年前、カナダのとあるコメディアンが身体障害者の歌手にまつわるジョークを披露した。これは、そのジョークが最高裁判所に行き着くまでの顛末(てんまつ)だ。

ケベック州出身のジェレミー・ガブリエルさんは生まれつき、顔面の骨が変形する遺伝子疾患、トリーチャーコリンズ症候群(下顎顔面異骨症)をわずらっている。ガブリエルさんはこの影響で深刻な難聴を抱えている。

それでもガブリエルさんは歌手になるという夢をかなえた。ティーンエイジャーになる前にセリーヌ・ディオンさんや前カトリック教皇のベネディクト16世の前などで歌い、地元ではちょっとした有名人となっていた。

一方、同州のコメディアンのマイク・ウォードさんは、ダークでキレのあるジョークで有名だ。問題となったのは、ウォードさんが2010年に行った90分のスタンダップ・コメディだった。

ウォードさんはこの公演で人種や宗教といった厄介な問題に加え、ケベック州の「神聖にして不可侵」なセレブ文化を「ネタ」にした。ウォードさんの視点では、この州の有名人はあまりに金持ちで、あまりに権力を持っているため、からかいの的にはならないとされているという。

しかしこの公演の悪影響はケベック州でその後10年続き、長期の法廷闘争にもなった。そして今月15日にはいよいよ、カナダの最高裁でウォードさんのガブリエルさんにまつわるジョークの内容が審理される予定だ。

問題となった公演でウォードさんは、同じくケベック州出身のセリーヌ・ディオンさんや、夫の故ルネ・アンジェリルさんについてジョークを飛ばした。

また、当時「プティ・ジェレミー」として知られていたガブリエルさんにも言及。この頃、ガブリエルさんはすでにアルバムや自伝を発表していた。

ウォードさんはジョークの中で、ガブリエルさんの症状が末期的だと間違えていたと語り、ガブリエルさんを溺死させようとしたと話した。また、ガブリエルさんの容姿をその障害に絡めてジョークにした。

Celine Dion and Rene Angelil arrive at the 2008

画像提供, Corbis via Getty Images

画像説明, ウォードさんは公演の中で、ケベック州出身の歌手セリーヌ・ディオンさんや、夫の故ルネ・アンジェリルさんもネタにした

ウォードさんのジョークを記録した裁判書類からは、なぜ観客がこのジョークに笑うのか測るのは難しいかもしれない。しかし実際、観客は大笑いしている。

ウォードさんは、「このジョークがどこまで行くのか分からなかった。ある一点でこれはやりすぎだ、観客も笑わなくなると思った。でもそうじゃなかった。みんな笑うのをやめなかった」と観客を批判している。

この公演は2010~2013年の間に200回以上、上演され、オンラインでも販売された。

ガブリエルさんは、ウォードさんが自分をジョークのネタにしていることを2010年に知った。当時ガブリエルさんは13歳で、中学校に通い始めたところだった。すでにいじめを受けていたガブリエルさんは、ウォードさんのこの公演でそれが悪化したと語っている。

現在24歳のガブリエルさんは、「ウォードのジョークを聞かせられない日は1日もなかった」と当時を振り返っている。

ガブリエルさんは障害を理由にいじめの標的にされたと感じ、社会から離れ、真剣に自殺を考えるようになった。しかしガブリエルさんの家族は一度も、この件についてウォードさんに直接連絡を取ったことはない。

ガブリエルさんは、「ジョークの性質や、何を言われたかを考えると、真剣に取り合ってもらえないと思った」と話している。

しかし2012年、ガブリエルさんたちはウォードさんがある人気ニュース番組でこのジョークについて話しているのを聞いた。

裁判書類によると、ウォードさんは「自分自身をコカイン中毒者と比較し、度が過ぎるジョークを作る必要があると話していた」という。

この時初めて、ガブリエルさんの家族は人権侵害の訴訟を起こした。

ケベック州には、州の権利憲章に基づいて差別やハラスメント訴訟を取り扱う人権裁判所がある。ウォードさんはこの裁判所での初審で敗訴した。

人権裁は、ウォードさんが「表現の自由の限度を超えた」と判断し、ガブリエルさんにまつわるジョークは障害差別に当たると述べた。

ウォードさんは控訴したが、2019年の控訴審は多数決による判決で、おおむね人権裁の判決を支持。さらに倫理的・懲罰的損害賠償金として3万5000カナダドル(約290万円)の支払いを命じた。

控訴院は判決文で、「創造性やアーティストの意見を検閲する意図はない」と前置きした上で、「一般市民と同様、コメディアンも一線を越えた場合はその発言の責任を負うことになる」と説明した。

ウォードさんはこの時すでに、控訴審で負けた場合は最高裁に持ち込むと決めていたという。

控訴院の判決後、ウォードさんは声明で、「コメディーは犯罪ではない」、「『自由』が認められている国では、舞台上で何がジョークに当たるかを裁判官が決めるようなことがあってはならない」と訴えた。

また、観客が自分のジョークに笑っていたことが「すでにこの疑問に答えている」と述べた。

さらに「自分のためではなく、若手のため、未来のコメディアンのために」賠償金を支払わないと話し、コメディアンがリスクを取るのは芸の根幹だと述べた。

ウォードさんは、ガブリエルさんは公人なので風刺の対象になると主張している。

これに対しガブリエルさんは、「公人だからといってあらゆる権利を失うわけはない」と反論している。

「この件は一線を越えていると、私は強く、かたくなに信じている」

ケベック州内外のコメディアンたちはウォードさんを支持している。モントリオールで毎年開かれるコメディーの祭典「ジャスト・フォー・ラフス」は数年前、ウォードさんの裁判費用をまかなうための公演を行った。

こうした中、スタンダップ・コメディ界ではポリティカル・コレクトネス(政治上の正しさ)や表現の自由、検閲、キャンセル・カルチャー(物事や人を何かと非難や否定し、糾弾してまわる風習)などに関する議論が盛んになっている。

そこには、コメディーに悪い影響が出るのではないかという恐怖がある。

A microphone on a stage waiting for a speaker, with audience in blurred background

画像提供, Getty Images

多発性・先天性の骨格筋異常をわずらっているマイケル・リフシッツさんは、障害について人々に知ってもらうためにスタンダップ・コメディアンとして活動している。

ガブリエルさんの訴訟が最初に話題になったた当時、リフシッツさんは「自分の障害にまつわるジョークで自分を訴えるつもりだ、私のジョークのいくつかは、政治的には正しくないから」とジョークを飛ばしていた。

リフシッツさんは、たとえ冗談の対象にされるのだとしても、自分の状態を理由に特別扱いはされたくないと語る。その上で、この訴訟で障害に対する社会の態度を変える機会が失われているとみているという。

「この訴訟が実際にどうやってインクルージョン(包摂性)の問題を前進させるのか、どうやっていじめの被害者を減らすのか、はっきりとは分からない」

あるいは、この件は危険な下り坂だとも。

「何が言えて何が言えないのかを裁判所が決めるのは危険な前例になる。そういうことは世論に残しておくべきだ」

15日の最高裁での審理を控え、ガブリエルさんは双方とも譲らない構えだと語った。

「大事なのは自分が信じていることのために立ち上がることだと思う。それは私がやってきたことであり、マイク・ウォードがしてきたことでもあると思う」

「私は今も、表現の自由が責任からの解放ではないという信念を持っている」

一方のウォードさんは、もし最高裁で敗訴が確定した場合には、「シリアかサウジアラビアか、カナダと同じくらい表現の自由が尊重されている国に引っ越すつもりだ」と冗談を飛ばした。

(英語記事 How a joke ended up before Canada’s top court)