音楽家・坂本龍一が旅立った。のこされた音には何が託されたのか。そこから何が芽吹いたのか。親交のあった人々が語る。

シンガーソングライター・槇原敬之さん

 小学生でシンセサイザーに興味を持つようになったら、いとこが「きっと好きだと思うよ」と、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)をすすめてくれたんです。

 「ライディーン」や「テクノポリス」から入ればよかったんでしょうけど、近所のレコード屋には「増殖」というアルバムが1枚あるだけ。それを買って聞いてみたら、音楽とコントが入り交じったようなアルバムで最初は混乱しました。

 でも、坂本さんと高橋幸宏さんが作った収録曲「ナイス・エイジ」を聴いて、いわゆる電気音楽っぽい感じで始まりつつ、ブリティッシュロックやニューウェーブのような雰囲気もあって、新鮮でかっこいいなと、衝撃を受けました。

 それまでの僕は、クラシックを入り口にピアノを習って、ザ・ベストテンで流れるようなアイドルとかの流行の曲を聞くことが多かった。だから「今まで聞いたどの曲とも一線を画す音楽だ」と感じましたね。

 僕はシンセサイザー1台しか持っていなかったので、「どうやったらYMOみたいな曲を作れるんだろう?」と疑問に思っていた。そんな時に、ラジオ「サウンドストリート」で、坂本さんが黙々と多重録音で曲を作っていく様子を放送する「電気的音楽講座」というコーナーを聞いた。そこで多重録音や打ち込みという方法を知ったんです。

インフルエンザで寝込んだ夜、ラジオをつけたら…

 そのうち、自分の音楽も大好きな坂本さんに評してほしいと思うようになった。16歳の時、そのとき一番出来がよかった「HALF」という曲を送りました。

 でも選ばれるとは思ってなかっ…

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