昨今のプロ野球で、乱闘劇をすっかり見なくなったな、とは思わないだろうか。かつては本気で選手同士、コーチ陣も巻き込んでの殴り合いを繰り広げ、球場全体がエキサイトすることは珍しくなかった。
今は国際大会、日本代表の試合で12球団をわたって結束することが多くなり、さらには他球団の選手との自主トレ実施などもあって、選手間に融和が生まれている。その結果、仲間意識が優先し、怒りをぶつけるなどということはほとんどなくなっているのである。
野球ファンの記憶に強く残っている大乱闘といえば、何だろうか。やはり「燃える男」星野仙一の「伝説の乱闘劇」だろう。
それは1987年6月11日、熊本・藤崎台球場で勃発した。きっかけは7回、中日の宮下昌己が巨人・クロマティの背中に死球を与えたことだった。クロマティが宮下に帽子を取って謝るよう要求したが、宮下はこれを拒否。怒ったクロマティがマウンドへ突進し、宮下の左顎へ痛烈な右パンチを放ったのだ。
両軍入り乱れてのもみくちゃ状態に、スタンドからは怒号が飛び交う。グラウンドは戦場と化したが、騒動はこれで収まることはなかった。
両軍選手がもみ合いを続ける中、中日監督の星野が巨人を率いる「世界の王」に詰め寄ったのだ。なだめる王監督に対し、星野はその手を払いのけて突き飛ばすと、鬼の形相に。ブン殴らんばかりの勢いで、王監督の顔に拳を突き出した。だが、すんでのところでパンチは「失速」。後日、星野はその時の様子を、
「クロマティが殴ったので『グーはいかんでしょ』と拳を出したんです」
と語っている。
乱闘後、怒りが収まらない星野はホテルでのミーティングで、クロマティを止めに入らなかった中村武志捕手をボコボコにしたと言われている。中村にしてみれば、いい迷惑だったことだろう。
星野は1968年のドラフトで中日から1位指名されたが、直前に巨人から「田淵幸一を指名できなければ1位でいく」と約束されており、本人も巨人入りを希望していた。ところがフタを開けてみれば、巨人は島野修を1位指名。怒った星野はそれ以降、「巨人に後悔させてやる」と、ライバル心をむき出しにするようになった。
近年はここまでド派手な乱闘劇はすっかり影を潜めてしまったが、それでも一触即発の場面がないわけではない。2023年5月20日のDeNA×ヤクルト戦では、6回に牧秀悟、7回に佐野恵太と宮崎敏郎の主力3選手が死球を受けた。宮崎が死球を受けた際には、両軍ベンチから選手が飛び出す事態に発展。球場全体ががピリピリする中、結局はそれ以上の乱闘に発展せず、ことなきを得ている。乱闘の変遷を象徴するシーンだった。
昭和時代の乱闘劇を知る古参ファンは、どうにも物足りなさを感じることだろうが、そもそもなにごとにおいても、暴力はご法度だ。今後も殴り合いが飛び出すような激しい乱闘劇は、なかなか出現しないのではないだろうか。
(ケン高田)