メレ山メレ子さんが旅と死について綴った『メメントモリ・ジャーニー』が刊行されて半年。旅先で浮かんだ思いを文章にすることで、自らの人生について思いを巡らせることになり、ついにはアフリカはガーナにわたってオリジナルの装飾棺桶をオーダーしたメレ山さん。メレ山さんのポテトチップス・コフィンも、新居のメレヤマンションにずいぶんと馴染んできたことでしょう。
昨年11月、京都の誠光社にて、メレ山さんが本の執筆時にその文章に大きな影響を受けたという社会学者・岸政彦さんをゲストにお迎えし、『メメントモリ・ジャーニー』(略して『メメモジャ』)のトークイベント「これが自由だ」を開催しました。
イベントタイトルの「これが自由だ」は、岸さんは『メメモジャ』の連載第1回を読まれてTwitterに書かれていたひとこと。岸さんとメレ山さんにとっての「自由」とは――この春から新たな生活をスタートさせた方もいらっしゃると思います。そんな方の背中をそっと押してくれるような、人生における自由についてのお二人のお話です。
【ゲスト・岸政彦さんプロフィール】
岸政彦(きし・まさひこ)
社会学者。1967年生まれ、大阪在住。沖縄社会論、生活史方法論などを研究。主な書著に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社・紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』(有斐閣・共著)、『ビニール傘』(新潮社・第156回芥川賞候補)など。
岸政彦(以下、岸) いきなり本題に入りますが、ぼくは旅がすごく嫌いなんです。
メレ山メレ子(以下、メレ山) えっ?
岸 そういう話を今日はしようと思っていたんです。もともとメレ山さんは「旅の人」ですよね。
メレ山 旅行記が多めのブログ(メレンゲが腐るほど恋したい)を書いていました。
岸 初期の頃からブログは拝見していたんですけど、メレ子さんが期せずして名付け親になった「わさお」も大ブレイクしてたし、ずっとプロの物書きの方だと思っていました。普段は会社にお勤めなんですよね。この『メメントモリ・ジャーニー』は、旅と死について書かれたエッセイ集ですが、メレ山さんはそもそも何が面白くて旅に出るのかをお聞きしたくて。ぼくは社会学者をしておりまして、調査地の沖縄には月1くらいのペースで通っていますが、未だに遠くに行くのが苦手なんですよ。
メレ山 そうだったんですか! 「沖縄行きたい」といつも仰ってるイメージがありました。
岸 まず、夜、眠れないんです。同じ宿の同じ部屋に泊まっていてもだめです。だから、メレ山さんはこの本の中でもあちこち遠いところへ出かけられていて行かれてすごいなと。
メレ山 ちょうど先週までウズベキスタンに行っていたところです。
岸 そうそう、ツイッターに「外国こわい…外国…(;´༎ຶД༎ຶ`)←外国行く前の発作」と書かれていたのが面白くって。たしかに、海外に出かけるときは不安になることはあると思うんですけど……ぼくのゼミの卒業生にも一人でよく海外に行くやつがいまして。「楽しいんか」と聞いたら「全然ですよ、行く前は緊張しすぎて吐きます」って言うんですよ。
メレ山 それ、分かります。今回も出発の1週間前くらいからすごいナーバスになってしまって。ウズベキスタンは旧ソ連地域だからポリスがすごく悪くて、駅に必ずいて、荷物をチェックするふりしてお金を抜くとか……調べれば調べるほどそういう悪い情報が出てくるじゃないですか。出発前は毎回「本当になんでこんなこと計画したんだろう」と思っています。楽しみだった気持ちをもはや思い出せない。計画してるときはすごく楽しいんですけど。
岸 そういうのを聞いちゃうと、じゃあなんで旅に出るの? って。
メレ山 たしかに、よく考えたら旅行中もだいたい辛いですしね。行くのに時間もお金もかかるし。
岸 『メメモジャ』にも現地のガイドとケンカをして、ごはんを食べる気力もないほど疲れ果てたというくだりもありましたね。ただ、求めているかは別として、旅先ではいろんな出会いがあるじゃないですか。本の中にも、奈良のモダン焼き屋のおばあさんの話が出てきます。店のおばあさんとメレ山さんがプライベートな会話を交わすのですが、これ、たとえば通勤電車の中で隣り合った人とこういう会話をするかというと、しないですよね。でも「店と客」とか「地元の人と観光客」という枠があると、初めて会った他人同士でもすっと会話ができてしまう。
メレ山 それは旅の効用かも。お互い役割があると、言葉が流れ出すことはあるって思います。
岸 意味わからんくらい親切な人がいますよね。そのあたりは、ウズベキスタンはどうでしたか。
メレ山 いちばん印象的だったのは……山奥の町で民芸品の集まる市が立つというので、タクシーで1時間ぐらいドライブをしながら向かうことにしたんです。ドライバーのおじさんは、自称「ウズベキスタンの大学で文化を教えている」人で、なんのことだろうと思ったら、「日本人の80%はグループ・セックスを体験したことがあるって本当か?」って聞かれて(笑)。
岸 あははは! その人は大学の先生なの?
メレ山 週2日大学で教えて、4日はタクシーの運転手をやっているそうです。「立ち入ったことを聞きたいわけじゃないんだ」と前置きしながら、性的なことから離れられないんですよ。もう、棒につながれた犬みたいに同じところをぐるぐると……最終的には自分のセックスレスの悩みを話しはじめました。「知らんがな!!!」って感じですが、「セックスレスの悩みをウズベキスタンの山中で聞くとは思わなかったなぁ……」とも思って。
岸 そのときは英語で会話をしているんですか? メレ山さんを口説いているのかな。
メレ山 さっきの役割じゃないですが、ムスリムじゃない女の人とならこういう話もできるかも、と期待しちゃう気持ちはあるかもしれませんね。英語だからつたない会話ですが、セクシャルな言葉は伝わりがいいんですよ。
岸 「伝わりがいい」、なるほど。でもウズベキスタンの大きな思い出のひとつがそれだと。
メレ山 そうなんですよ。ただ、もともと旅に何かを求めることが昔からすごく苦手です。若い頃は紀行文にはそういうことばっかり書いてあるんじゃないかと、それだけで毛嫌いしていたくらいです。
岸 本には屋久島で出会ったスピリチュアルな旅人たちの話が出てきますね。
メレ山 屋久島は、私に言わせれば「石を投げればスピリチュアルな人に当たる」みたいなところで、数が増えて人里まで下りて来ているヤクシカとヤクザルと、スピリチュアルな人が同じ密度でいるっていう。初めて見る世界でしたね。
岸 否定もしませんし、純粋に面白いなあと思って見ていますが、那覇の国際通りにもいますね。似顔絵を描く人と、オーラを見てポエムを書きますっていう人。楽器を持っていることが多くて、だいたいジャンベかディジュリドゥというオーストラリアのアボリジニのでっかい棒状の楽器ですけれども。ディジュリドゥをやってる子といっしょに飲んだことがあって、「岸さん、アボリジニは、ネアンデルタール人が持ってて現代人が失った能力を、まだ持ってるんですよ!」と語り出して「ちょっと待て!」と。
メレ山 「ここのオーラがすごい」「ここの気がヤバい」って言いながら、旅は道連れみたいな感じで勝手について来て、「おれ、仕事辞める!」と宣言するんですよ! 仕事を辞める決心する人には、3人会ったことがある。屋久島と与那国島と、あと広島の宮島で。
岸 まあ、人に聞いてほしいんでしょうね。ぼくも20代のころ沖縄にハマって、「沖縄病」という言葉があるくらいですが、ちょっとおかしいんちゃうかっていうくらい、お金を作っては通ってましたからね。だからそういう旅に何かを求めてしまう人のことも分からんでもないんです。
メレ山 岸さんも以前どこかで書かれていましたが、旅をすると何かを解決したような気持ちになるでしょ。でも実際は何も解決してないじゃないですか。できるだけ旅に「意味づけ」をしないという気持ちが強かったですね。
岸 見ている側の問題もあるかもしれませんね。若い女の子が1人で離島を旅していると、ハートブレイクなのかな、みたいに勝手に思ってしまう。余計なお世話や(笑)。
ぼくも沖縄には1人で通っていましたが、寂しいんです。若いときだったので、お金も、仕事も、将来も、何にもない状態で沖縄に行くわけで、向こうに友だちもいない。で、あるとき民宿に、若くて可愛い女の子のスタッフがいたんですよ。ぼくは「絶対に喋ってたまるか、目も合わさんぞ!」みたいに変な意地を張りまして。どこかで出会いを期待している、自分のキモさに気づいて耐えられなかったんでしょう。こんなところまで来て、おれはなんてキモいんだ、みたいな。でもそのせいで女の子の前では余計ギクシャクしちゃって、そっちのほうがよっぽどキモかったと思うんです。
だからメレ山さんといっしょで、何かを期待して旅に出ることへの嫌悪感はあったんでしょうね。
メレ山 でもじゃあなんで旅行に行くんですかね。私は単純に、外国でものを買う楽しさに目覚めてしまったのはあるかもしれません。ガーナから棺桶を運べたことで自信がついちゃったんですよ。持ち帰って飾る場所ができたのも大きいと思います。この『メメモジャ』には家を買う話も書いたんです。
岸 ぼくは旅というより、実は家について書かれている本だなって思いました。8年くらい前になりますけど、大阪に家を建てたんです。ちゃんとした設計図は設計士に頼んだんですけど、自分で大雑把な設計図を引いたんですよ。間取りなんかは本当にゼロから考えて。
メレ山 めちゃめちゃ楽しいですよね。
岸 そうなんですよ。だからその年は論文ひとつも書いてない(笑)。
メレ山 熱中しすぎて(笑)。
岸 そうそう。細長い土地に狭小住宅を建てたんですけど、船にそっくりなんです。それで、『メメモジャ』の後半はメレ山さんが買ったマンションの話になるでしょう。メレ山さんも家を船にたとえられていて、おっ! と思って。そして感銘を受けたのが、「この家は、人が集まれる場所であってほしい」というところ。ぼくは人の家に行くのも苦手で、自分の家に友だちを泊めるのも、実はあまり好きじゃない(笑)。だけど、人が遊びに来られるような間取りにしたんですよ。ぼくら夫婦には子どもができなかったので、もうこれは「ふたりで仕事をする人生だ!」ということもあって、リビングに8人がけのテーブルをぼん! と置いて、図書館や大学の共同研究室みたいな感じにしたんですね。
メレ山 数年前までは、自分がそういう研究室や部室みたいな場所を作ったときに果たして誰が来てくれるのかな、という感じでした。それが虫の本(『ときめき昆虫学』)を書いたことがきっかけで、自然科学系の生きものが好きな人のつながりができまして。「マイナーなジャンルで命を捧げている人って、めちゃくちゃ面白いじゃないか!」と感じたのが虫に興味を持つきっかけだったんですよね。恐る恐る入っていったら、知っていることを全部教えたい人たちがすごい勢いで押し寄せてきて。
岸 メレ山さんが女性だからっていうのもあるんじゃないですか。若い女の子が入ってきたら、みんなテンション上がるでしょ。
メレ山 それはあったと思います。年齢層も高めだし、男性が多い世界でもありますし。でも、生きもの界で最初に出会った人が「女だから」という感じではなくて。非常に真摯なんですけど、とにかく使命感に燃えていて、ちょっと中二病っぽいところがある(笑)。どこの組織にも属していなくて「一人で調査を続けている自分すごい」と、酔ってると言ったら悪いですけどそういうところがあって。その反骨精神がみんなに愛されてるんですよ。ご本人的には、自分は人嫌いだから人を寄せ付けないと思ってるみたいですけど、そういう熱量が高い人のまわりには、自然と人がいっぱい寄ってくる。砂鉄みたいに磁石に吸い寄せられて行ったら、同じような砂鉄がいっぱいいた! みたいな(笑)。学問をちゃんとやったことがないので想像なんですけど、自分が地理的に全然動いていなくても世界が広くなった気がするとか、昔の人や未来の人とつながってる気がするとか、そういう喜びがあるんじゃないかと。で、この方もやっぱそういうふうに世界とつながっているんだなと思ったんですよね。
あと、生きものが好きなんだけど、人間はそんなに好きじゃないっていう人が結構多いんですよ(笑)。でも、みんなで生きものの話をしているときはすごく楽しそう。あまりウェットな感じにもならない。とくに虫は心がないというか、心のあり方が人間とかけ離れていますよね。そういうやつらの変な習性とかを見ると、すごい心が安らぐ。
岸 心がないものと接しているほうが「心が安らぐ」ということですか?
メレ山 私たち、いまあまり体を使わないで生きているじゃないですか……ってスピリチュアルなことを言っているなと自分でも思ってますが(笑)。私はもともとスポーツも苦手で、体を使うのが上手じゃないなっていう気持ちがあるんです。そうすると、どうしても心のほうが体よりも比重が上になっちゃって、それがしんどいときがあります。でも、人間のような心がなくても、集団で統率のとれた動きをするアリの話を聞いたりすると「あっ! 心って必ずしもなくてもいいんだ!」とみたいに思うことがあります。
岸 ちょっと病んでいる子みたいですね(笑)。しかし、オーダーメイドで作った棺桶をテーブルにしてお茶を飲むっていうのは……なんていうんですかね。ものすごくオリジナルな人やなっていうのは感じましたね。「棺桶でお茶を飲もう」と思わないでしょ?! 社会的な関係性をゼロから作る人なんだなと。独特のスタンスですよ。
メレ山 家族をもたなくてもいいや、と思っているからかもしれないですけど、生まれたときからあるつながりよりも、自分で大人になってから作ったつながりを大事に思えるような生き方をしたいと思っています。
家族という、簡単に切れないつながりがあることのマイナス面を見ることも多かった気がするんです。うちのおばあちゃんは愚痴っぽい人で、「友だちが先に死んで辛い」「お母さんがこんな意地悪をする」とか幼い私にポテトチップスを与えながら延々吹き込んでいたんです。ちっちゃい時は何も感じなかったんですけど、大人になってくるとほんとに耐えられなくなってきて、晩年はあまり口をきいてないくらい。
岸 ポテトチップスは棺桶のモチーフにもなっていますけど、そのおばあちゃんからずっと与えられていたものですか。
メレ山 厳しかった母親にはナイショで与えられていて、バレたら大変なことになる。そういうちょっと歪んだ感じの、まあどこの家にもあるいびつさと言えばそうなんですけど。
岸 でも面白いのは、ポテトチップス自体は嫌いにはならずにずっと好きなままだったんですよね。なんていうのかな、耐えられない部分もあったけど、ポテトチップスの部分は受け継いだと。自分の中で大事なものになってるわけですね。
メレ山 なってると思いますね。
岸 ホロりときますね。
メレ山 おばあちゃんも、切れないつながりがある孫だから、延々愚痴を言っちゃったんだと思うんですよ。これが老人ホームで、そんなこと言ってる人はハブにされるみたいな世界なら、おばあちゃんだってもっと楽しい話をしたり、お花活けたりしてたはず。
岸 親子、まあ夫婦でもそうですね。
メレ山 つながりにものすごく甘えちゃうことがありますね。
岸 おいおい人前やで、とつい言いたくなってしまうぐらいの、感情むき出しの親子喧嘩を街で見かけることがあるじゃないですか。
メレ山 同じことでも母親に言われたらムカつくこともありますからね。私の母は厳しい人で、成績優秀で全員医者になるような男兄弟に囲まれて育ったんです。母も優秀な人だったと思うんですけど、女子大を出たあとは家事手伝いとして兄たちの世話をさせられていて。そうやって自分だけ一段低いところに置かれていたことへの怒りがあるんでしょうね、私は四姉妹ですけど、そのへんの男に負けないくらい成績良く育て上げて、男と肩を並べるような仕事をさせようという気持ちが強かったんだと思います。
ただ、そんな母に愛されてることはわかっているから、うちのお母さんにも家族だけじゃないつながりを持ってほしい気持ちもあるんですよ。いま、虫関係でつながりを増やしてるみたいですけど。
岸 お母さまも虫にハマったんですか。
メレ山 母は、私が書いてるものを読みたい一心で、インターネットにどんどん詳しくなっていって、いつの間にか虫の研究者の人たちともFacebookで友だちになってて。母は私たちには厳しいから里帰りしてもいちいち駅まで迎えに来てくれないんですけど、その研究者の人には「駅までお迎えに伺いますね」ってコメントをしていたり。
岸 娘としては納得できないと(笑)。
メレ山 もともと生きものは好きだったんだと思います。父親も鳥が好きで、姉たちと鳥を見せに父をタイに連れて行ったり。親子で話すときも、生きものを介したほうが話が弾むとこがあるんです。
岸 話がちょっとそれますけど、夫婦喧嘩を猫を媒介にしてやるときがありますね。「あいつひどいなー、洗濯すればいいのになー」って相手に言いたいことを猫に向かって話かけているときありますよ。しかしやっぱり、これからのぼくたちはそこが最大のテーマだと思いますね。どうやって「そこそこの付き合い」を広げていくか。どうしたらいいんかなって思いますけれども、ほんとに。
メレ山 私も、1人で働いて生きていて、子どもももう作らないとなったら、常にまわりの人と薄く広くつながっていて、そしてまわりの人にとって「付き合いたい」と思わせるような魅力のある人間でいないとだめなんだろうなって気持ちがすごくありますね。
岸 あるある! 面白くないと、友だちは減るんだろうなあっていう強迫観念はある。それはわかりますねえ。
メレ山 それに、自分にもそういうつながりができたなと思うことはあっても、その方法を人に伝えるのはやっぱり難しいです。
岸 半分仕事・半分友だちっていうのが、いちばん心地いいでしょうね。研究者仲間とか。本を書くようになって、中には友だちのような付き合いになっていく編集者の方もいるので、そういうのはすごく楽です。一方で「おれが書けなくなったら離れていくんだろうな…!」って、当たり前ですけど(笑)。どうしたらいいっていうのは全然わからないですね。大学で教えていても、「若い子はこうやってつながってるんだ」と学ばせてもらってる感じです。社会運動でもそうですしね。社会運動がある種の居場所になってたりしているのを間近で見てると「あっ、こうやって人はつながるのか」って。ぼくはゼミ生たちとは仲がいいんですけど、20人ぐらいのグループ、「ツネメン」「イツメン」というのがあって。
メレ山 「ツネメン」? ってなんですか?
岸 「つねにいっしょにいるメンバー」「いつものメンバー」のことらしいです。
メレ山 へぇー! 若者用語ですね。
岸 彼らは月2か月3ぐらいのペースで誰かの誕生会をやっているわけですよ。20人ぐらいいると、もう毎週のように誰かの誕生日がありますよね。必ずサプライズで祝うんですよ。もうサプライズでも何でもないんですけどね(笑)。
メレ山 私だったら「自分の誕生日だけ忘れられてたらどうしよう!」とか思っちゃう。
岸 それもあると思いますが、ちゃんと下宿を紙の輪っかで飾ってたりしてて。ようやってるわ、と思うんですけどね。
メレ山 週1で輪っかを作ってる計算になりますね(笑)。
岸 たとえばそういうのも「つながってる」って言うんですかね。ひとつ言うなら、初期投資が多い趣味のほうがのちのちつながりが生まれて楽しいとは思います。たとえば楽器なら、演奏できるようになるまで時間がかかるし、初期投資も必要なんですけど、うまくおしゃべりできなくたって、結果的に人といっしょに演奏できるようになるんです。かと言って、最初から「人とつながりたい!」「ジャムセッションしたい!」って楽器をはじめても、絶対に続かないんです。「大学教授になりたい!」と思っても研究ができないのと同じかな。研究したいなら、「どうせおれなんか……もう、人生終わりだ……」くらい思ってないとできないです。
この前、ゼミ生と王将で餃子を食べてて。サバサバしたざっくばらんな子なんですけど、「岸さんが教授になれるんやったら、あたしもなりたいわぁ!」って、ぼくがおごった餃子を食いながらそう言われて。だから……すみません全然関係ないです、いまの話は(笑)。えーと、とにかく、「何かになろう」「何かとつながろう」とか意識的にやってもだめでしょうね。意図的に無意識にならないと。好きでも虫好きでもいいですけど、どうやったらそういうふうにつながれるんだろうって考えますね。つながると同時に、嫌な人は離れていって……閉じているけど開いている、半解放状態の空間をどうつくるかですよね。
メレ山 教えられるようなものじゃないんでしょうね。
岸 もっと抽象的な話になりますけど、一回飼い猫のおはぎが行方不明なったことがありました。「おはぎー!」って叫びながら近所を探し回って、「おはぎ、おはぎ言うてる変な人いるけどなんやろ」みたいに思われる寸前の状態になったことがあるんですけど。普段なら、泥棒扱いされてもおかしくないような、絶対入らないような人の家の裏の敷地にも、ガンガン入って行けちゃうんですよ。そのとき、「これは一生忘れへんわ」って思ったんですけど、家と家の隙間の誰も入って来ないようなところに、猫のエサがたくさん置いてあるんです。それがもう、路地裏のそこらじゅうにあった。猫嫌いの人からすると迷惑な話ですけど、「こうやって猫は飯食ってるんや」と納得したというか。
餌をそこに置いた人は、きっと自分だけがこうして猫の餌をそっと置いていると思っているはずなんですけど、実際はあちこちに置いてある。猫はそれをつまみ食いして生きているんでしょうね。つながっていないけど、同じ共同作業をしていると言いますか。「なんかえらい断片的やな」と思いました。つながり方のひとつの一つの形を見た気がした。直接ではないけど、共同作業をしている。あれは感銘を受けましたね。
メレ山 私も人間的に好きではなくても、同じやりたいことや同じ好きなものを持っていて、お互いに信頼し合ってつながっている、みたいな関係が好きかもしれないです。
岸 人間関係同様、ぼくらは生きることとか死ぬことに対しても、関わり方が決められていますよね。あんまりロマンチックにとらえてもいかんけど、メレ山さんの棺桶を見たときはものすごい解放感がありました。こういう死者との関わり方もあるのかと。もう笑ってしまうわけですよね。死が明るいものであることを見てホッとする、この気持ちはなんだろうなと不思議に思います。
メレ山 ガーナに実際に行ってみて感じたのは、こういう明るい死のイメージが存在するのかという驚きもあったのですが、地域のコミュニティーが強いからこそこういったものが作られるのだろうとも感じました。故人のためというより、残ったまだ生きている人たちのためのものなんだなって。そっちの結びつきみたいなのをより強く感じちゃいましたね。
岸 なるほどね。真面目な話になっちゃいますが、ぼくらはきっと非常に閉塞感を抱えていて、死や聖なるものとか、スピリチュアルなものに憧れるのはその反動なんでしょうね。ぼくが沖縄にハマったときは、「ここじゃないどこかがあったんだ」みたいな感じでした。こんなところが日本にあるんだという、一種の解放感だったんでしょうね。
でも調べれば調べるほど、これはガーナもまったくいっしょだと思いますが、そういう土着の共同体が強い場所には様々な問題も内包されていますよね。わかりやすく例を挙げれば、女性に対する抑圧とか。沖縄にもそういう部分があります。沖縄だけじゃないですが。だから、あのガーナの棺桶をいまの日本人とは異なる死の関わりがあった、みたいにロマン化するのもあかんなと思うんです。
メレ山 そうですね。そういうロマンチシズムを感じたくなることもあるんですが、逆にそういうロマンに酔いたくないから自分で棺桶を作って持って帰ってきた、ところはあったと思います。
岸 いいですね。やっぱ旅を意味づけしてはいけないということは、この本に再三書かれていますから。この本をぼくが好きなのは、自由だからなんですよね、そのメレ山さんのスタンスが。自由はゼロから作るものですよ。
メレ山 わ、イベントタイトルとつながった! 今日はありがとうございました。
(了)
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