人口約26万人、年間観光客数約560万人の北海道函館市。

人口約48万人、年間観光客数約380万人の岡山県倉敷市。



距離にして1300キロメートル以上、本州を縦におよそ1本分隔てた函館と倉敷には共通点がいくつかあります。ひとつは市内に伝統的な建造物を含む保存地区があること、二つめは人口20万人以上の中核都市であること、三つ目は観光産業が地域を支えていること、四つめは大きな資本をもつ企業が近年次々に入り込んでいること。



今回は、函館の古い建物の活用を目指して活動する「箱バル不動産」が、地域と生きるゲストハウス開業合宿を開催し、倉敷をはじめ全国各地に人気ゲストハウスを数々輩出しているNPO法人アースキューブジャパンの中村功芳氏を迎え、函館、倉敷、この二つの町の草の根的な地域活動から浮かび上がって来た「小商い」「地域ブランディング」といったキーワードを中心に、自分の住まう町が生き生きとするために個々ができることは何かを考えていきます。



「20世紀型の経済的豊かさから21世紀型の心の豊かさへ」。アースキューブジャパンの事例から見えてくる、民間の手による町づくりの可能性や函館のような中核観光都市だからこそできることは──?『IN&OUT -ハコダテとヒト-』 代表の阿部光平がインタビュアーを務めたイベントを、今年春から函館にUターン移住した箱バル不動産の泉花奈がレポート。



※本記事は、2017年3月24日(金)に函館にて開催されたトークイベント「地域を繋ぐ小商いmeeting in 函館西部地区」の内容を基に構成しております。

【写真:函館にて開催されたトークイベント「地域を繋ぐ小商いmeeting in 函館西部地区」の会場となった「港の庵」。明治35年築のこの建物は、当時米穀店と海産商を営んでいた旧松橋商店。】

 

【写真: 右 NPO法人アースキューブジャパン 中村功芳】

 

先人はなぜ建物の”群れ”として残したかったのか

‐中村さんは、世界52カ国、3年間で12万人もの国内外の旅行者が訪れたゲストハウス「有鄰庵」を立ち上げ、その宿を中心に、”地域まるごとブランディング”の活動をされています。倉敷の観光資源というのはどんなものですか。

倉敷市は、古い家々が立ち並ぶ美観地区という有名なエリアがあります。また、約87年前、日本で初めて設立された西洋美術館である大原美術館があり、日本における西洋アート発祥の地でもあります。

日本には、ただ古民家を残しただけで殺風景な状態になっている場所が各地にあります。ただの商業地域になってしまっていたり、観光客が来ない場所になってしまっていたり。

倉敷の美観地区は500メートル四方という範囲を設定したことで日本の風情を醸し伝統的な建物を守ることができた珍しい地域です。

倉敷に美観地区があるように、函館には市の西部地区に国指定の伝統的建造物群保存地区というのがあります。

函館の先人はなぜここを伝統建造物群、つまり建物の”群れ”として残したかったのか。そこを深く考えていくことに、函館の町づくりの大きなヒントがあるような気がします。伝統的建造物や古い建物はバラバラになっていては壊してしまいかねないんです。

 

【写真:美観地区は、倉敷川沿いになまこ壁と漆喰塗り込めの商家が立ち並ぶ伝統的建造物群保存地区に指定されている。夕闇の風景も美しい】

 

‐函館の西部地区を歩いてみて気づいたことはどんなことですか。

華美な観光地としてというより、そこに暮らす人々の営み方がとても素晴らしいと感じました。建物に合った営み、小商いをしていく姿がそこここにあり、例えば伝統的建造物で薪ストーブのあるパン屋を営むご家族など、丁寧な暮らしをしている方がいる。

「函館のどこがいいの?」と聞かれたら、観光地でなくてもいいと思う、パン屋さん、カフェ、花屋さんなど、一つ、お気に入りのお店を伝えるだけでも、旅行者は結構喜ぶと感じました。

 

【写真:天然酵母パンの店「tombolo」。函館の西部地区、「日本の道百選」にも選ばれた大三坂にあり、建物は函館市の伝統的建造物に指定されている(tomboloHPより)】

 

‐倉敷では、いわゆる観光地でなく、ゲストハウスを中心に人の営みを見せることで地域ブランディングを進めていったんですよね。

倉敷が現在のように活性化する以前、町はどんな状況だったのでしょうか。

倉敷は実は15年ほど前、瀬戸大橋ができたことで観光客数が300万人から一気に700万人まで増え、その後、町が衰退したんです。観光客が多く入り込むと町が廃れることがあるというのがわかりました。

なぜ衰退したか。それは、倉敷に泊まる方が減ったんです。瀬戸大橋を利用して、道後温泉など四国の宿泊施設へ行ってしまう、いわゆるストロー効果です。

その結果、倉敷の旅館4件のうち2件が自主廃業し、1件が大手に身売り、1件しか残らなかった。民宿2件もゼロになりました。

素通り型の滞在時間はおよそ2時間程度と言われています。現地で使っていただけるお金も1,000〜1,500円くらいでしょうか。

一方、宿泊すると1万5,000円ほどは使っていただけることになり、その分、地元の商いが活性化します。

‐その後、倉敷はどうなったのですか。

先人や先輩の尽力もあり、二つのことが考えられます。

まず、一つめとして、住民や観光に携わる方々がネガティブな会話をしないように工夫されています。

どういうことかというと、宿泊客が減ったことで「倉敷にはどうせ2時間滞在だから……」というネガティブ発言が増えたんです。

そうなると、観光客にもその雰囲気が伝わってテンションが下がることがわかりました。自分たちがまずそういった言葉を使わないことを意識しました。

函館にも、「函館いいとこだけど、いまいち」と言う人、いません?(笑)

‐えぇ、いますね。

3年間くらいかかってやっとネガティブなことを言わなくなったころ、倉敷の良さをそれぞれが発見し始め、いろいろな観光装置が発動し始めました。

「マイナスのことを言う人がいないのが一番大事」と実感できるまでには、5年くらいかかったのです。

二つ目は、観光パンフレットなどで昼の写真を減らして、夜の写真を増やしたことが良かったのではないかと思います。このような住民の努力もあり、宿泊者が増えるようになったんです。

函館も夜に滞在する魅力をさらに明確に伝えれば、宿泊ニーズがより広がると思います。

あえて「地域のため」。ゲストハウスに込めた思い

(写真:ゲストハウスには国内外から旅人が集まる)

 

とある調査で、100人中100人が「宿泊先などで”支障がない対応”をしてその場では満足してもらっても、その後リピート利用はしない」という、興味深い結果が出ています。

‐何もひっかかるポイントがないから、特に印象にも残らず、結果的に「また来たい」と思ってもらえないということですよね。

ネットでも調べられるような”資料”的な対応ではなく、「あなたのために対応します。

そしてそれは地元の方の暮らしを体感してもらう」というような”情報”的な対応が重要だと思います。

情報は、”情けの報告”と書きます。情けを報告し合える対話を通して、その方の旅の目的、好み、状況などに耳をすまし、「それならこういうルートで行ってみたら?」と対応でき、町の全体とは言わずとも数カ所でその情けをパスし合えることがとても大事。

おじいちゃんおばあちゃんに言われたから次の祭りのは来なきゃ、とか、おでん屋さんに行ったらアートの見識の高い説明ができる大賞がいた、という体験は、他の人に函館を紹介してくれるきっかけになります。

‐中村さんはよく「地域のためのゲストハウス」という言い方をされていて、印象に残ります。

普通で考えたら、宿は旅行者のためのもの。でも、あえて「地域のため」というのにはゲストハウスにどんな気持ちが込められているのでしょうか。

宿のことだけを追求すると町は衰退するということに気づいたんです。例えば、大分県の別府と静岡県の熱海は15〜20年周期で失敗と成功を繰り返しています。

利便性が良く知名度があるので、プロモーションすると簡単に宿泊者は増えるんです。

でも、県外からホテルを誘致して町に公衆トイレや道路を整備しても、町全体として魅力が少ないからホテルはそのうち撤退して、廃墟のビルが残るということが実際に起こっていました。

ホテルに泊まって、夜飲んで朝ご飯食べてお土産買って、となると、例えば宿泊すると使っていただける15,000円のうち、14,000円がホテルだけに落ち、町には1,000円しか使われず、下手したら2時間滞在よりタチが悪い。

ホテルの経営が地元企業でない場合には、税金まで他に落ちているケースもある。

旅行者が増える時に気をつけたいのは、地元の小商いが育っているかという視点。外からのホテルができてもいいから、夜ご飯が食べられるお店は育ててね、と。

そうすると晩ご飯とお土産で5,000〜6,000円が町に落ち、お風呂も外に出してもられば銭湯が一つ復活します。

中村さんは、地域のためのゲストハウスを作りたい人を対象に「ゲストハウス開業合宿」を開講。志を持った人が全国各地から集結し、地域に求められているゲストハウスについて徹底的に考えていく

 

‐それにはここの小商いの努力だけでなく、街全体で協力し合う仕組みが必要だと感じるのですが、倉敷ではどんなふうに勧めていったのですか。

最初はやり方がわからなかったので、5〜6年は四苦八苦しました。いろいろやって辿り着いたのが、町づくりの先輩たちに話を聞き、理解してもらうことでした。

普通は「先輩、今度町でこういうことしようと思ったんです」と持ちかけると、「そんなことできるか」で終わってしまうのが相場です。それをこう伝えるんです。

「教えてください。10年前はどうやって町づくりをしていたんですか。先輩のやり方が素晴らしかったから函館ってこういう良さが残っているんですね。それを世界に発信したいのです」と。

すると、先輩はきっと「できるんか?」となります(笑)。そしたらつかさず「先輩に協力いただいたらできるかもしれません」とお願いします。

ドラゴンクエストでいったらパルプンテを覚えたくらい(笑)、感謝と配慮が必要だったのです。

そうしないと、町では出る杭打たれる状態になってしまうというのが、多くの地域で起こっていることだと思います。

‐配慮を覚えたわけですね。町づくりの先輩たちを大事にするのはどうしてですか。

おじいちゃんおばあちゃん、町づくりの先輩たちがしてきたことが今報われていることが地域のあるべき姿だと私は思っています。

大事なのは、観光客を数で呼ぶことではなく、元々の地域に根付いている暮らしの豊かさを維持することです。

それから、例えばおじいちゃんたちが「あの旅行者、面白かったわ。今度いつ来るん? 次は何食わせようか」と旅行者との再会を楽しみにしている。

これが豊かな状態でないかな、と。福祉とは年配者を施設に入れることではなく、楽しみを感じられる機会を提供することだと思います。

‐地域に根付いている豊かさをスタッフの働き方を通して復活させたとも聞きました。

僕の仕事を3年間手伝ってくれた女性スタッフがいます。ある時彼女に「ここまでものすごく頑張ったからこれからは好きなことをしていい」と伝えたら、「10日は仕事をして、残りの20日は機織りをする」となった。彼女の生き方や暮らし方を見に、国内外から人が集まるようになったんです。

次世代の子どもたちから見て、大人になったら大変と思われる働き方ではなく、自分でもやりたいと思ってもらったら成功じゃないか、と感じています。

私たちが生き生きと働いていることが大事ですし、それが結果として国内外からも注目してもらえる要素になっていると思います。

(写真:山田千裕さんは、日本の伝統文化体験ができる一棟貸しの宿「Barbizon」を立ち上げ、念願の夢であった『ものづくりのある暮らし』を実現)

 

お気に入りが増えると「この町は自分なんだ」と当事者になれる

‐創業したゲストハウス併設のカフェでは、朝食で食べられる「卵かけご飯」が今では行列ができるほどの看板メニューになっていますね。

カフェでどんなものを出そうかと考えた時に、倉敷の名産である下津井ダコ、サワラが思い浮かびましたが、タコは高い、サワラは味がいいものを出すのが難しいということがわかって。

いろいろ考え最後に1回転して、倉敷の材料を使った卵ご飯を出すことにしました。

美味しいものは作れないけどまずいものは抜く、そして、倉敷が見えるもの。この2点はこだわりました。

卵かけご飯の材料は米、卵、醤油の3つだけ。高梁川の水で育ったお米、高梁川の水で育った卵、高梁川の水を使った醤油。同じ川が由来のものにしたんです。

当初用意していたのは、限定50食。ところが最所は1日2食くらいしかでてなくて、本気でやめようかと何度思ったことか。

でも、本物には絶対人が来ると信じて、こだわりを捨てずに続けました。誰もができないことをやるという気持ちが徐々に伝わり、半年後には行列ができるようになりました。

私たちの宿にはアーティストやクリエーティブな人たちが集まって面白いことしてるということが、SNSのみならず市役所の観光課や商工会経由でも各メディアに伝わり、テレビなどの取材も増えていきました。地域貢献の経済効果を5億円と算出してくださった方もいます。

‐中村さんたちの動きは、ビジネスというより暮らしのアートとしてやっているように見えますね。

私自身の経験として、3日ほど泊まるはずの屋久島の宿に結句2週間に滞在したことがあります。

屋久島ではお墓に花が毎日供えてあり、「ああ、この島の人たちは先祖に花を供えるために働いているんだな」と強く感じました・と同時に「なんで僕は働いているんだろう」と呆然としたのを覚えています。

その経験は倉敷の町づくりやゲストハウス運営に役立っていると思います。いい暮らし=お金儲けの暮らしではなかった。

誰でもやりたいことなのに誰もがやれていないことをやったから注目してもらえたのかもしれません。

先祖を大切にする屋久島の日々の営みのように、倉敷や函館が”やりたいことがやれる地域”というように見えれば、自ずと移住者が増えるのではないか、そう思っています。

‐誰でもやりたいことなのに誰もがやれていないことでいうと、卵かけご飯以外にも、「しあわせプリン」なども大人気です。

カフェは、”おいしいものを作れないけどまずいものは出さないカフェ”です。最所はラムネを80円で仕入れて150円で販売してというのをやっていました。

1本売れて利益は70円、100本売れても7000円、月で21万円。家賃が20万円だったのでこれでは続けていけないですよね。

そんなころ、私の友人がニコニコマークがついたプリンを開発しました。

”食べてから2週間後に、撮影したしあわせプリンの顔を再び見ることで良いことが起こるプリン”ということで売り出したら、SNSにも積極的に投稿され、人が人を呼び、30分で売り切れるほどになりました。

その後、願いが叶ったり良いことがあったりしたことを報告するために、私たちのところにリピーターとしてまた来てくれた方々も1年間で800人ほどいたんです。

すると何が起こるかというと、スタッフが元気になる。スタッフが元気になると、問題や課題に向き合うことができるようになり、また新しいアイディアが生まれるという好循環になりました。

プリンをドリンクセットにして売り切れを回避したり、夏に売れないプリンの代わりにかき氷を始めてエアコンがないことを逆に楽しめるようにしたり。

‐好きなことをしながら、その中にも戦略があったということでしょうか。

そうですね。戦略ということを考えるとき、私は「みる」という言葉を意識することが多いですね。

「みる」には「目で見る」「映画を観る」「自分を省る」「看護で看る」などいろいろな漢字・意味がありますが、油断すると一つの「みる」でしかみていないことが多いんです。三つくらいの「みる」をその時々で意識して考えます。

‐そのような多眼的な視点は、単なるゲストハウス運営ということのみならず、町づくりの領域で本領を発揮するように思えます。

倉敷の町づくりでは、環境保全団体や子育て支援団体など多方面からの団体と共に町づくりネットワークを作ろうとなった時に、市の方が入ってくれて関係性が良くなりました。

市の人が入らなかったら、ただの宿だったかもしれない。多面的な協力が得られたからこそ、倉敷の魅力を世界に発信する装置ができ、本質的な小商いの成功事例を日本で作れたと思います。

地域が良くなる条件としては、町全体をよくしようという公共マインドを持つプレイヤーがいるってこと。自治体とプレイヤーが一緒になって、町についてああでもない、こうでもないって言ってると強い。

 

 

箱バル不動産は函館の古い建物の活用を目指して活動。建物をただの”標本”に終わらせず、人が集い使うことで呼吸を取り戻せ、誰かの”お気に入り”になれたら。「大三坂ビルヂング」で箱バル不動産は宿(ゲストハウス)のオープンを2017年に冬に予定している

 

函館には、箱バル不動産をはじめ、古い建物を生かしたいという思いのある人が多い気がします。

倉敷では月2件ペースで古い建物が壊されていますが、函館では建物を改修して戻している人たちがいるということ自体がすごい。

物は残すだけでは命が入りません。生かすプレイヤーを育てるために、中間支援の仕組みを構築し有用に機能させることは急務です。

箱バル不動産が運営を予定しているゲストハウスでは現在、函館市民や学生、学校・企業・団体の他、全国各地からDIYサポーターが参加し、オープンに向けて壁塗りや床貼りなどを共に行っている

 

‐今回は「小商い」「地域ブランディング」というキーワードを中心に、町づくりの先人たちや自治体などとの連携の仕方、倉敷の事例などを具体的に聞かせていただきました。

改めて、町を生き生きとさせるために、”個々ができること”とは何でしょうか。

倉敷のケースにもあるように、まずは個々が地元についてネガティブなことを言わない、ということは土台として大切だと思います。

次に、町の魅力を紡ぎ出す小商いについては、プレイヤーが覚悟をしてやりきる。PDCA(Plan/Do/Check/Action)って言いますよね。プランは大切なんだけど、やること、やりきることに尽きますね。

そうすると魅力的な小商いが増えたり進化したりし、地元にまた一つ、人に勧めたくなるお気に入りの場所が増えます。

お気に入りの場所が増えると、町に住む個人個人が「この町は自分なんだ」という当事者意識を持て、地域に合った暮らしのモデル=幸せの事例を自ら作っていこう、となる。

これは倉敷でやってきたことですし、函館のような中核観光都市をはじめ、どのエリアや町でもできることなのではないかと思います。


インタビュー:阿部光平(『IN&OUT -ハコダテとヒト-』 代表 http://www.inandout-hakodate.com)

文・構成: 泉 花奈