路上のパラソルからビッグ・ピクチャーへ
──タクティカル・アーバニズムによる都市の新たなビジョンとは?
──タクティカル・アーバニズムによる都市の新たなビジョンとは?
ストラテジック(戦略的)からタクティカル(戦術的)なプランニングへ
太田浩史──今日は、言葉の定義や背景があいまいなまま拡散されつつある「タクティカル・アーバニズム」の本来の用法やその都市論的な意義について、中島直人さんと一緒に考えてみたいと思います。この言葉はニューヨークをベースとする都市計画家マイク・ライドンが2010年頃から使っていたものですが、まずはこの言葉を構成している2つの語について整理しておきましょう。まず「タクティカル(戦術的)」という語は、これまでのストラテジック(戦略的)なプランニングに対するものとして名付けられています。長期的・全体的な都市計画ではなく、都市への小さなスケールの介入がより効果的であるという考え方です。それから、「アーバニズム」についてです。アメリカには歴史的にアーバニズム、もしくはアーバンプランニングに対するさまざまな批評があって、タクティカル・アーバニズムもそのなかから成立してきた経緯があります。しかし日本には、その批評の対象となるアーバニズムがそもそも存在したのかという疑義があり、タクティカル・アーバニズムが捉えようとしている領域が見えにくい。こうしたなかで、現在日本で展開しようとしているタクティカル・アーバニズムは、都市計画の概念やまちづくりの概念を多少とも変えるものなのか、それとも一過性の流行でしかないのか。中島さんはアーバニズムの研究を大学で行なっていらっしゃいますので、まずはその動機と内容から教えていただければと思います。
- fig.1──Everyday Urbanism,
Edited by John Chase, Margaret Crawford,
Kaliski John,Monacelli Press, 2008
「アーバニズム」の来歴
──1938-1996、そしてタクティカル・アーバニズムへ
中島──太田さんがおっしゃるように、まずはアーバニズムという語について確認しておく必要がありますね。アーバニズムという語が初めて明確な定義のもと使われたのは、アメリカのシカゴ学派都市社会学者を代表するルイス・ワース(1897-1952)による1938年の論文「都市における生活様式(Urbanism as a Way of Life)」においてです。ここで都市社会学的な現実をとらえる事実概念としてアーバニズムという言葉が出てきます。事実概念というのは、実際に社会で起きていること、つまり経験を説明するための概念としておきましょう。ここでのアーバニズムの語られ方は、急速に都市化していくシカゴにおいて、かつてあった共同体が解体して個人化が進むことへの問題意識が前提となっていました。その後、社会学では、たとえばクロード・S・フィッシャー(1948-)が下位文化論の側面からアーバニズムをとらえ、社会の解体ではなく、新たな連帯の登場に着目するなど、都市をさまざまな視角から分析を加えてきています。一方、現在、都市計画やアーバンデザインの文脈で使われるアーバニズムは、事実概念というよりも、理想的な都市のあり方や理想を目指す運動を含めた、つまり価値判断を前面に出した規範概念です。そのため社会学で生まれた事実概念としてのアーバニズムと、都市計画で使われる規範概念としてのアーバニズムは使われ方が異なります。まずここを押さえなければいけません。太田──中島さんはアーバンデザインの研究もされていますが、アーバンデザインとアーバニズムの出自は別なのでしょうか?
中島──アーバンデザインは、1950年代にランドスケープ、アーキテクチャー、そして都市計画の統合としてハーヴァードGSDから出てきた言葉で、やはりアーバニズムとは少し違います。近年ではアーバンデザインとアーバニズムの使い分けについての議論もあって、一例ですが、建築批評家ポール・ゴールドバーガー(1950-)は、アーバンデザインにはデザイナー=著者がいるけれど、アーバニズムには著者がいる必要がないと言っています。
先ほど述べた社会学のアーバニズムと都市計画のアーバニズムがどう違うのかという議論もあるし、いま太田さんがおっしゃったようなアーバンデザインとアーバニズムがどう違うのかという議論もある。しかしこうした使い分けは意識的にされてきたのではなく、結果的に使い分けが生じたというのが事実のようです。
太田──アメリカの文脈では、90年代の都市再生で注目された「ニュー・アーバニズム」が最初に頭に浮かびます。あれも車優先の都市計画に対する反旗を翻す運動でしたね。アメリカでは「アーバニズム」は批評的態度の表明として用いられると思ってよいのでしょうか?
中島──そうですね、市場経済のもとで自成的に生み出される都市形態、とりわけアメリカの場合は自動車に依存し極度に郊外化した都市形態に対する批評、批判がアーバニズムという言葉に仮託されるようになった原点はニュー・アーバニズムです。ニュー・アーバニズム以降、アーバニズムという言葉が都市計画、アーバンデザインにおいて復権してきます。ニュー・アーバニズムが果たした大きな役割は、このアーバニズムという言葉を新たに位置付けながら、事実概念から規範概念へと変えていったことです。たとえば1960年代には、ジェーン・ジェイコブズのように「既存の都市の複雑な状況のなかにこそ都市生活の原理が含まれている」という考え方が広まりました。当時はこれをアーバニズムと呼んではいませんでしたが、批評としてのアーバニズムの起点だと言ってよいでしょう。ただ、語として明確に「アーバニズム」を打ち出したのは、ニュー・アーバニズムの原点となっている1991年の「アワニー原則」、1993年のニュー・アーバニズム会議設立、そして1996年に採択された「ニュー・アーバニズム憲章」においてでした。それらにおいてアーバニズムとは何かが説明されているわけではありませんが、「過去および現在の最良の事例に依拠することによって、そのコミュニティのなかで生活し、 働く人びとのニーズに、より的確に対応するようなコミュニティをつくりだすことが可能である。」と始まる「アワニー原則」が最もわかりやすいように、自動車社会が席巻する以前の都市形態と関連するアーバニズムという語に「新しい」という接頭語を付けることで、過去と現在を接続しつつ、持続可能な未来に向けた規範という意味をアーバニズムに包含させたのです。
タクティカル・アーバニズム
──長期的な変化のための短期的なアクション
太田──では言葉の背景についてはその位にして、マイク・ライドンとアンソニー・ガルシアの著書『Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change』(Island Press, 2015)[fig.2]に話を移しましょう。この本にアンドレ・ドゥアニーが寄せた序文を読むと、レム・コールハースの『S,M,L,XL』(1995)を引き合いに出して、XLがあるのならXSサイズのプロジェクトもあるはずだということを言っています。ニュ-アーバニズムの立役者の一人であるドゥアニーですが、これはアメリカの状況を念頭においての文章でしょうか?- fig.2──Mike Lydon, Anthony Garcia
Tactical Urbanism: Short-term Action
for Long-term Change
Island Press, 2015
- 太田浩史氏
これらの動きは、何か個別の都市問題に焦点を当てたものではありません。でもその一方で、やはりアートを用いて、尖ったアプローチも随分とありました。たとえば2005年のトロントの「ゲリラ・バイク・レーン(Guerrilla Bike Lanes)」はまさに自転車レーンがないから自分たちでレーンを路面に塗ってしまおうという痛快なものでした。やはり2005年に始まり、パークレットを生んだ「Park(ing) Day」は芝を都市に持ち出すのが私たちと同じ手法だったので、メールで情報交換をしていました。パークレットが始まる随分前のことで、伊藤はサンフランシスコまで彼らに話を聞きに行っていました。
このように、タクティカル・アーバニズム的な試みは10年以上からあり、アメリカがそれを遅れて概念化したという感じもあるので、率直に言って、いまになって日本で注目を集めていることが私には不思議です。もちろん都市は依然として自由ではないし、若い建築家や学生も参加できそうなタクティカル・アーバニズムの敷居の低さが魅力的に映ることもよくわかります。しかし、実感としては10年以上やっていても都市はまだまだ変わらず、むしろさらに不自由になっているのではないかとも思っていますので、小さな取り組みを重ねることの限界も感じています。中島さんは、いま注目を集めるタクティカル・アーバニズムが本当に面白い都市の未来を形成しうるとお考えでしょうか。もしくは課題があるとしたら何に気をつけるべきだとお考えでしょうか。
- fig.3──ニューカッスルゲーツヘッドで行われた東京ピクニッククラブのピクノポリス[撮影=2008年8月、伊藤香織]
- 中島直人氏
なかでもニューヨーク市交通局長のジャネット・サディク=カーンがニューヨークで行なった実践は、好例だと言えるでしょう。最初は一晩だけ各地域の小さな道路を広場化する試みでしたが、だんだんと恒久化し、ついにはタイムズ・スクエアに歩行者専用空間ができるまでになりました[fig.4]。道路を広場化するアクションはひとつのタクティクスですが、じつはこうしたアクションがどこで行なわれるべきかというストラテジーをニューヨーク市は持っています。このストラテジーはかつてのマスタープランとは違って、あらかじめ特定のエリアが固定されているわけではありません。ニューヨーク市が用意しているのは、地区内での広場の有無、空地・空き家などの開発可能箇所の分布、エリアの平均所得といった政策目標を前提としたうえでの各エリアの特性を表すプライオリティマップです[fig.5]。実践を望んでいるエリアに手を挙げてもらい、それをニューヨーク市のプライオリティマップ、つまり事前に設定した採択基準をどの程度満たすのか、その充足順にプロジェクトサイトを選ぶことで柔軟に公共空間へ埋め込んでいくのです。つまり、大きな方向性を持ったストラテジーを持ちつつも、ボトムアップの動きを起点とし、それらを連ね、重ね合わせていくことで都市構造を変えていく。そういう意味では非常にわかりやすく「Long-term Change」を実現していると思います。
- fig.4──広場化されたタイムズ・スクエアのブロードウェイ[撮影=2016年9月、中島直人]
- fig.5──ブルックリン地区のプライオリティマップ[出典=「NYC Plaza Program Application Guidelines 2016」]
太田──日本での近い事例は、2003年に中谷ノボルさんが始めた「NPO水辺のまち再生プロジェクト」ですね。これも水上タクシーを勝手に始め、水際で弁当を食べるというような小さなアクションから始まって、そこに嘉名光市さん(大阪市立大学准教授)や忽那裕樹さん(立命館大学客員教授)、橋爪紳也さん(大阪府立大学特別教授)が参加して、だんだん政策と並走するようになっていきました。ひとつの小さなアクションで都市空間が変容した例です。行政側にとっても、仕掛け側にとっても理想的なかたちでしょう。こうした成功例を鑑みると、ストラテジーとタクティクスの両方を俯瞰できる立場の人が関わりながら、そのあいだを整合性をもって動けることが重要ですね。
中島──「ボトムアップのプロジェクトはもっとストラテジックになるべきだし、トップダウンのプロジェクトはもっとタクティカルになるべきだ」とマイク・ライドンも言っています。
ちなみに、アメリカのアーバニズムの多様性から見ると、タクティカル・アーバニズムもひとつの動きにすぎず、ほかにもいろんな考え方があります。たとえば先に挙げた「エブリデイ・アーバニズム」は行政との関係には関心を持たず、いまある都市空間の日常性そのものを再評価し、差異化させる、あるいは変化させないよう守っていくような考え方です。アクションという面で起きていることは似ているように見えますが、異なる考え方に基づいています。いま日本ではアメリカで同時に起きていることをすべてタクティカル・アーバニズムだと見てしまっているところがありますが、違いを捉えることも重要です。
- ストラテジック(戦略的)からタクティカル(戦術的)なプランニングへ/「アーバニズム」の来歴──1938—1996、そしてタクティカル・アーバニズムへ/タクティカル・アーバニズム——長期的な変化のための短期的なアクション
- タクティカル・アーバニズムを社会運動として語ること/タクティカル・アーバニズムが目指すべき風景──「マーケット・アーバニズム」に抗して
- “荒れ地”の現在──都市空間は表現の場だ/世界のShort-term Action for Long-term Changeたち/アーバニズムの醍醐味はビッグ・ピクチャーを構想すること