瀬戸内国際芸術祭2013「丹下健三生誕100周年プロジェクト」の来し方と行く末
建築家・丹下健三の生誕100年を迎える2013年、香川県立ミュージアムにて丹下の足跡を振り返る展覧会を開催する運びとなった。本稿では、この展覧会に至る経緯について簡単に振り返り、ここに込められた意味について触れてみたいと思う。
1. 東京展開催の模索と挫折
2006年2月、筆者は丹下研究室について博士論文を書こうと思い立ち、翌2007年2月の審査を経て、晴れて工学博士を取得した。その際に多くの丹下研究室OBの方々にお世話になったが、博士号取得後、OBたちとの会話のなかで、「これから君の研究はどこに向かうのか?」と聞かれることが間々あった。その際、筆者は「代々木体育館の世界遺産化と丹下生誕100周年に向けてなにか準備ができるといいですね」と答えることが多かった。
それからしばらくして、「丹下生誕100周年に東京のしかるべき美術館で回顧展を開くべきではないか」という機運が高まり、実行委員会が組織され、その準備に奔走することとなった。しかし、ここで多くの障害が発生し、東京で丹下100周年を開催することはほぼ不可能な状況に追い込まれていった。
2. 瀬戸内国際芸術祭でのイベント化の模索
筆者も「もはやこれまで」と思う日が続いたが、ある日、瀬戸内国際芸術祭2010が大盛況のうちに終わったという知らせが耳に入った。マスコミ各誌は安藤忠雄氏や西沢立衛氏らによる現代建築を大々的に取り上げていたが、そもそも瀬戸内に近代建築を根付かせたのは丹下であり、広島、倉敷、淡路島、高松、今治に建てられた公共建築はいまも使われている。しかも次回開催が2013年と聞いた瞬間に、「瀬戸内国際芸術祭の一部として丹下生誕イベントを組み込めば、起死回生の一手となるのではないか」と思い立ち、香川県庁の瀬戸内芸術祭スタッフに内々に打診したのが事の発端であった。一方で、まだ東京展の開催を模索していた当時、槇文彦先生や神谷宏治先生らからは「これまでの建築の展覧会は模型と図面と写真を並べるだけで、どうも面白いものが少ない。ここは丹下健三100年に相応しいアイデアを考え給え」とご指示を受けていた。
こうした点を踏まえて瀬戸内でのイベントの意味を考えると、いくつかのメリットとデメリットが思い浮かんだ。まずメリットのひとつ目として、実際の丹下作品が立っているので、お金が集まらなくとも、各施設の中でシンポジウムと短期間の簡単な写真展、施設ツアーが組めれば、「モダニズム建築巡礼」ができてしまうと考えた。瀬戸内全体を丹下建築のネットワークとして把握でき、美術館(=箱)の中に封じ込められた従来の建築展の概念を大きく刷新できる可能性が高い。さらに丹下建築の後にさまざまな建築家によって建てられた建築群もあわせて展示すれば、丹下の与えたインパクトを開示できるのではないか。
メリットの二つ目として、瀬戸内国際芸術祭に訪れる世界中の人々に丹下建築を知ってもらう機会になる。これにより、建築学生のみならず、美術関係者や建築に無縁な観光客にも戦後モダニズム建築の可能性に触れてもらえるのではないかと考えた。
メリットの三つ目として、瀬戸内の実作において、丹下はイサムノグチ、猪熊弦一郎、剣持勇といったアーティスト、デザイナーと共同しており、瀬戸内国際芸術祭とともに、芸術に関心を持つ人々も楽しめる展示ができるのではないか。
メリットの四つ目として、実物があるので、模型の準備が要らないのではないか(この淡い期待は結果的に打ち砕かれる)。
一方のデメリットのひとつ目としては、主催が香川県であり、フォーカスを高松にあてることで、丹下の足跡を客観的に伝えられないのではないかという危惧であった。つまり、展覧会の構成が香川中心主義に陥って、香川県庁舎以外の丹下建築の意義が適切に示されない問題である。
デメリットの二つ目として、会場を訪れる主たる人々が瀬戸内国際芸術祭2010と同様に首都圏からの10代〜30代の女性だとすれば 、展示内容をわかりやすく受け入れやすい内容で、現代美術風のもの(例えば大きな写真とインスタレーションの組み合わせ)にする必要があるのではないかという危惧である。というのも展覧会を事前にチェックするのは企画に協力いただくこととなる丹下研究室OBであることを踏まえれば、もっともハイエンドな展示(論理的で重厚なレイアウト)を考える必要があり、展示内容に矛盾が発生するのではないか。
こうしたメリット、デメリットを胸に秘めながら、2011年4月に槇事務所の会議室で北川フラム総合ディレクターに企画案を説明し、北川氏からはその場でご快諾いただいた。その後、実行委員長を誰にするかで七転八倒し、開催そのものが危ぶまれたが、ようやく2012年4月に実行委員名簿が作成され、香川県知事の浜田恵造(実行委員長)、神谷宏治(総括)、槇文彦、磯崎新、谷口吉生各先生が名を連ね、筆者も雑務全般担当として委員会の一員となった。
3. 特徴1──瀬戸内に照準をあわせた展覧会
今回の丹下生誕100年イベントの特徴は大きく分けて二つあり、ひとつは高松の香川県立ミュージアムでの展覧会、もうひとつは広島、倉敷、高松、今治の各地で行なわれるシンポジウムとツアーである。
まず、展覧会について、その準備でもっとも作業量を要したのが模型の準備であったが、今回の展覧会で新たに制作した模型と製作していただいた研究室名は以下のとおり。
いずれの模型も瀬戸内沿岸に建てられた丹下建築と、卒業設計、コンペ案、丹下自邸といった初期作品を選出したが、丹下に関係の深い大学研究室、模型製作に長けた研究室に製作をお願いした。それぞれがスケール、地形、材質、水平垂直の精度、シェル曲面の精度など模型制作上の多くの課題を抱えていたが、学生諸君の絶え間ない創意工夫と指導教官の熱意が相まって、各々の困難を乗り越え、すばらしい完成度の模型群が実現した。ここで関係各位にあらためて感謝の意を表したい。
今回の展覧会ではこれまで丹下作品を撮り続けてきた写真家・村井修氏の写真にとどまらず、ホンマタカシ氏が撮りおろした丹下作品が数多く用いられており、21世紀的な視点から丹下作品がいかに写し出されているかを確認する絶好の機会となっている。また丹下作品を扱った展示室の後には瀬戸内の現代建築、現代アートに関する模型や図面が展示されており、これらも見応えのあるものである。
- 1──全体会場風景
会場は「(1)建築家・丹下健三とその原点:時代とともに歩んだ建築家の姿」、「(2)伝統を創造する1946-58:広島から香川へ」、「(3)広がる丹下チームの活動 1958-67:都市・大空間への挑戦と慰霊への回帰」、「(4)瀬戸内建築の可能性:同時代の建築家のたどった道」という四つの大項目に分節されている。展覧会場入口付近には、代々木体育館(国立屋内総合競技場)や大阪万博の竣工写真が飾られている。会場内では特に香川県庁舎関連資料の展示にスペースが割かれ、また後半ではイサムノグチ、猪熊弦一郎の作品も展示されている。このため、瀬戸内におけるモダンアートの起源を知る絶好の機会となった反面、今治市庁舎、倉敷市庁舎といった同時代の丹下作品群が脇に追いやられる結果となった。
- 2──富士山を背景とした大東亜建設忠霊神域計画模型
大東亜建設忠霊神域計画はこれまで丹下の図面やパースを通じてのみ知られ、一昨年の「メタボリズム展」(森美術館)でCGとなったが、実際にどれほどのスケールを持っているのか体感しづらい状況にあった。本展覧会ではホンマタカシの富士山写真をバックとして模型が配され、高速道路と建築部分の関係性(高低差や敷地周辺との関係性)を理解できるようになっている。なお、ホンマタカシの写真がかけられている壁面は、香川県庁舎のRC壁をイメージさせるよう鉄筋を展示室内でくみ上げ、そこに半透明の板を張り付けている。
- 3──精巧に作られた成城の自邸模型
成城の自邸は戦後日本住宅史のなかで屈指の美しさを誇り、建築家ヴァルター・グロピウスに絶賛されたことでも知られる。また、自邸竣工後に取り組んだ倉吉市庁舎、香川県庁舎など、RCラーメン構造のプロポーションに大きな影響を与えたが、1970年代に取り壊された。本展覧会では成城の自邸の室内建具に至るまで精巧に復元し、庭とピロティの関係も体感できるようにしている。
- 4──厚み約1ミリのシェルを実現した広島子供の家模型
本展覧会で展示された模型群のなかでもっとも制作難易度の高かったのが、広島子供の家と愛媛県民館であった。これらはともに約60年前のRC薄膜シェルで、豊島美術館に比して遥かにシンプルかつ廉価でありながら、豊島と同等の美しさと現代性を兼ね合わせる点で高く評価できる作品群である。
これらの模型をいかに展示するかを考えた際、断面模型とするのが構造設計の意図をクリアに伝達できると考えたが、模型上のシェル厚みが約1ミリとなってしまう。そこで筆者は東京大学生産技術研究所の川口健一先生に相談したところ、金沢工大の西村督先生、竹内申一先生をご紹介いただいた。当初、1ミリ厚シェル用の型枠作りを真剣に検討していただいたが、シェルそのものの厚みが根元に向けて徐々に変化し、トップライトを正確にあけることを鑑み、杉の無垢材をNC加工機によって両面から正確に削りだすこととした。またその仕上げとして幾度となくシェル表面を磨き、塗装することで完成にこぎ着けた。
- 5──水平垂直と細部に拘った香川県庁舎模型
かつて丹下研究室の模型制作はもっぱら石黒建築模型が担当し、朴(ほう)の木が用いられたが、本展覧会でも石黒模型をコンペ時に制作した東京カテドラル、竣工時に制作した香川県立体育館の模型が当時の設計意図をそのまま伝えてくれる。朴の木は狂いの少ない木として知られ、水平垂直を出しやすい反面、非常に固く、加工しづらい。今回、本展覧会の中心を占める香川県庁舎模型でも朴の木を用い、水平垂直の精度を重視した。またこの模型は1/100なので、ピロティ部分の陶板壁画、階段、ガラス表現といった細部にまで気を配った結果、完成度の高い模型が実現した。
4. 特徴2──シンポジウムとツアー
展覧会と並んで今回のイベントの重要な点は、丹下作品のなかで、丹下作品の現代性について議論するという点である。これまですでに実行されたもの、これから実行されるものを含め、以下のようなメンバーでシンポジウムが計画された。
シンポジウム・メンバーの名前を挙げただけでも、丹下を議論するにあたってこれ以上の建築家を招聘することは困難なほど充実したプログラムと自負している。さらに改装された痕跡があるにせよ、竣工からすでに50年以上経った実物と対話することが、丹下建築の価値を一般市民や関係者に伝えていける最上の手法であると考えている。これらのシンポジウムは日をずらして設定しているため、その気になれば瀬戸内中の丹下建築をシンポジウム付きで探訪できる機会となっている。また、シンポジウムとは別に、瀬戸内の丹下建築をめぐるツアーが複数企画され、丹下建築をより深く知る機会が多く用意されていることも、これまでの建築展とは大幅に異なる点であろう。
すでに終了したシンポジウムが大半だが、そのなかで特に槇文彦先生が代々木体育館(国立屋内総合競技場)を世界遺産にする運動に言及されたのは印象的であった。さらに楽屋ネタを明かせば、シンポ前の下打ち合わせの席で、「丹下作品のうち、最高傑作はどれか?」という問いに対して、パネリスト全員が代々木体育館を挙げたため、藤森照信先生が「二番目の傑作を挙げよう」と提案された。その際、谷口吉生先生が「二番は槇先生ではないですか?」と指摘されると、松隈洋先生が間髪入れずに「三番は谷口先生ですね」と切り返していた。また、伊東豊雄先生がシンポジウムの席上で「代々木以上に香川県庁舎がすばらしい」と指摘し、会場を沸かせた。
5. 丹下生誕関連出版物について
今回の展覧会に附属する図録について、展覧会開始に間に合わないばかりか、8月中旬に市販される運びとなったことについては、実行委員会の管理不行き届きであり、実行委員の一人として深くお詫び申し上げたい。
しかし、展覧会と軌を一にして丹下関連本が各出版社から出たことは誠に喜ばしい。7月初頭には鹿島出版会より『丹下健三を語る』が、中旬にはオーム社より『丹下健三とKENZO TANGE』が出版され、下旬には『芸術新潮』(8月号)にて「磯崎新が読み解く知られざる丹下健三」が特集された。また今年に入って雑誌『新建築』では「丹下健三生誕100年のメッセージ」と称して、毎月過去の誌面と関連資料が掲載され、秋からは『季刊ディテール』でも丹下作品に関する連載がスタートする予定である。
筆者はこれらの企画すべてになんらかのかたちで関わってきた関係上、今後も丹下関連の出版、展覧会が続く予感を持っているが、20世紀日本が生んだ最高の建築家の残した足跡が21世紀に建築をめざす者の糧となるよう、今後とも工夫を凝らしたいと考えている。
- 『丹下健三を語る──初期から1970年代までの軌跡』(槇文彦+神谷宏治編著、鹿島出版会、2013)
豊川斎赫『丹下健三とKENZO TANGE』(オーム社、2013)
『芸術新潮』2013年8月号(特集=磯崎新が読み解く知られざる丹下健三、新潮社、2013)