大田区生まれのオレが写真でたどる『シン・ゴジラ』第一次上陸ルート(タバ作戦もあるよ)
2016年 08月 07日
皆さんシン・ゴジラは観ましたか? 観ましたね。
まだ観てない人のために関係ない画像を貼っておきますので、その隙に観に行ってくださいね。
■ゴジラはオレに「故郷」をプレゼントしてくれた
いいよね、みんなには帰省という概念があるよね。
自慢でもなんでもなく東京都大田区で二十ウン年間を過ごして東京に住んでいる俺からすると
「地元に帰る」みたいな意味での故郷という概念が希薄で、とにかく故郷コンプレックスというものがあるのよ。
しかしそんなカッコ悪い勘違いもおしまいにしようと思う。
なぜならゴジラが、アイツが、大田区をビシバシ破壊してくれたからなのだ。
俺の知っている、小さい時から馴染みのある風景が、ゴジラによって破壊される。
それを日本中の、世界中の人々が陶酔しながら観てくれる。なんてステキなんだろう。
ありがとう、ゴジラ。
■ゴジラの匂いを嗅ぎに、大田区へ。ルート解説。
※注・映画での状況説明とは食い違う部分が多数あります。あくまで「この景色が写った」というのを繋ぎ、私の妄想ででっち上げたルートです。
設定上の侵攻ルートとは異なることまちがいなしなので、この記事には資料性が一切ないことをお断りいたします。
まずこの地図ね。最初にバーンと海ほたるの横に現れてから泳いで羽田空港D滑走路の横まで来ましたよね。
そんで首都高多摩川トンネルぶっ壊すところは空撮でなんとなく示されました。
しかしそのあとゴジラ氏は呑川河口に来るわけであります。けっこうトリッキーな動きですね。
京急蒲田駅こと巨大な城壁がゴジラ氏の侵攻を防ぐのでは?という人もいましたので、そのへんも検証しましょう。
蒲田駅以降の足取りはよくわからない点もありますが、確実に池上通り(大森駅北)に出没しているカットがあるので
ここは蒲田駅をプチ破壊したあとマニアックな「大城通り」を通って池上通りに至ったという妄想で行きましょう。
池上通りをバリバリと進むゴジラ氏。その後どうやって八ツ山橋に出るのかは謎なのですが、
一応池上通りから青物横丁、そして京急高架をぶっ壊して海側を北進した……のかな?という感じです。
■ということで、写真でたどるゴジラの足取り
大田区民としてあまりにもありがたいゴジラ上陸を受け(54年にも一回やられてますが、具体的なルートの描写がないし……)、
劇中での第一次上陸ルートをワタシ的な妄想を交えながら辿ってみました。
以下は写真とその簡単な解説です。リンクからはGoogle Mapsに飛ぶのでインタラクティブにお楽しみください。
▲呑川河口はとても地味な場所です。池上自動車学校の先、森ヶ崎公園にはフツウの人も入れますが、右岸はちょっと入りづらいです。
▲奥に見えるのが羽田クロノゲート。ヤマトの巨大な物流センターです。オレたちの荷物はここで捌かれている!!
▲呑川河口には羽田可動橋という超イカす遺構があるので是非見学してほしい。低空を飛ぶチヌークが「防災〜!!」という感じでよろしい。
▲呑川の下流にはプレジャーボートとか漁船がいっぱい係留されていて、ごみごみした光景が好きな人にはたまりません。
▲ここをアイツが……と思うとただの川も意味ありげに見えてくるから映画はすばらしい。
▲川から溢れたボートがガッシャンガッシャン打ち上げられていたシーンはここ。じつは建物が立ち並んでいて劇中のようなことにはならなそう。CGってすごい!
▲遡って行くと、京急蒲田駅が見えてきました。要塞のようです。しかしまあ、まだ小さいゴジラ氏なので下をくぐるのは可能っぽいです。
▲京急蒲田駅を通り越すとゴジラ氏の遡上を阻む構造物が増えてきます。
▲JR蒲田駅の西側。日本工学院前のグチャグチャした交差点です。
大田区民にとって京浜東北線というのは東西を行き来しづらい構造物で、
駅南の高架か駅北の地下道を通るしかないのがなやみのタネなのですが、ゴジラ氏はどうやってこれをクリアしたんでしょうか。
まあ蒲田駅北端をプチ破壊しながらギャオギャオと駅西側に到達したことにして話を進めましょう。
▲上陸モードなので、ここは大城通りを北上したことにしたい(俺説)。細くて一方通行の商店街ですが、「大田区 対 ゴジラ」のノボリがたくさんあって嬉しい。
▲『シン・ゴジラ』を観てからこっち、こういうなんでもない「働く人」を見るだけでウルウルしちゃうんです。俺、チョロい。
▲大城通り、ゴジラ氏が通るには細すぎるのですが、両脇の古い建物や温泉を破壊しながら進むところを想像しながら通過します。
▲大城通りと池上通りがぶつかるところで呑川に再会。奥に見えるのは有名な池上本門寺の山であります。
▲池上通りを北東に進むと「大田文化の森」があります。こちらは旧区役所(現区役所は蒲田)。大田区は"大"森と蒲"田"が合併して大田区なので、"太田"と書くとパンチされます。
▲環状七号線と池上通りのぶつかる春日橋交差点。LEDの信号機はシャッタースピードの都合で光が写らない時があってドキッとしますね。防災対応型の表記もグッと来ます。
▲はい、モースですね。大森貝塚遺跡庭園にはこうして縄文人の暮らしぶりがナマで野ざらしになっており、スゴいです。
ちなみに大森貝塚というのは大田区にとって重要遺産なんですが、所在地は品川区。この辺が大田区民にとって悔しいポイントなのです。
とはいえ貝塚へのこだわりが半端ないのが大田区民。中馬込には「貝塚中学校」というのがあります。オレが中学受験しなかったら行くはずだった中学。
大森からはけっこう離れているしもうこの名称は未練でしかないな〜と小学生のときから思っていたのですが
『シン・ゴジラ』は点と線を繋いでくれました。ありがとうゴジラ。
そう、市川実日子さん(とその姉市川実和子さん)の母校なんですよ、貝塚中学校。
いまごろ在校生は「先輩がゴジラを倒した!」と大田区民根性丸出しで喜んでいるはずです。どうでしょうか。
▲もはや住所的には品川区ですが、この鹿島神社横をゴジラ氏が北に進む空撮シーンがあります。パンフレットを確認せよ!!
▲池上通りは跨線橋でJRを渡り、ふたたびゴジラ氏は東向きになる(はずです)
▲池上通りと国道15号(劇中でも言及されていた)が交わる青物横丁。ここで京急を破壊してさらに東進しないとその後のシーンと辻褄が合いません。
▲こちらは800年以上の歴史を誇る品川神社の富士塚(都内最大)頂上からの眺め。左が北、つまり八ツ山橋の方向です。ゴジラ氏は線路の向こうを歩いて行った、はず。
▲歴史ある神社だけあって、境内はなかなか荘厳かつ格調高い石碑がめちゃくちゃたくさんあります。
▲そして北品川駅(品川駅の南にあるのに!)と品川駅の間にある八ツ山橋です。「射撃中止!」のあそこですね。
▲ほぼ「開かずの踏切」で、ひっきりなしに京急車両が通ります。写真撮影スポットとして超優秀だし、ゴジラ氏もここで京急車両に見とれていましたね。
■ゴジラの足あとを歩いてみて分かったこと
出没した場所は点で描写されていますが、実際にそれを線で繋ぐとなると、そこにはウソや無理があるということがわかります。
劇中で確認できる具体的な場所に出没するには少なくとも京急とJRを二度またがなければいけませんが、
ゴジラといえどもそんなに軽やかに障害物を排除できるとは思えません。
今回の映画の興味深いところに「リアルである」ということへの賛辞が挙げられます。
リアルとリアリティを区別して考えるならば、やはりゴジラは「本当らしさ」をどう追求するか、という意味で「リアリティ」が高い。
つまり、呑川という生活河川を舞台にする意味、蒲田というところを上陸地点にする意味、
池上通りの空撮をする意味。そして八ツ山橋を最初の自衛隊との接触位置にする意味。
それらは臨場感を付与するとともに、ドラマをつくり上げるためのチョイスであり、徹底的な「リアル」とはまた違うのだなぁ、と。
これは『シン・ゴジラ』だけに言えることではなく、映画やドラマを作る上での基本なのかもしれませんが、具体的に感じることができて良かったです。
もうひとつは「CGによる現実世界の改竄」が思ったよりも大胆に行われている、ということです。
どこがどんなふうに「作られている」のかをここでひとつひとつ挙げることはしませんが、
みなさんがゴジラと同じルートを歩き、いろいろなシーンを思い出しながら現実の風景と重ねあわせてみてください。
そうすることで「ああ、あれは"特撮"だったのか!」というのがより具体的な意味を持って迫り、感動を呼び起こしてくれます。
▲機甲部隊が大々的に展開していた多摩川の丸子橋下。劇中シーンと現地の景色を見比べると、自然かつ大胆に風景を作り変えていることが実感できます。
▲多摩川浅間神社の階段。タバ作戦のために駆け上がる自衛隊員を思い出して興奮が止まらない!
▲階段の上にはタバ作戦の指揮所となったテラスが。社務所の屋上です。けっこう広くて見晴らしが良い。
▲そして指揮所からの眺めです。武蔵小杉のビル群のむこうに、やはりゴジラが見える。これはもう大脳を使ったARであり、リアルポケモンGO的な幻視なのです。
シン・ゴジラの素晴らしいところは(とくに東京の人にとっては、なのかもしれませんが)、
庵野秀明や樋口真嗣といった才能、しかもオタク的なディテールに異常なこだわりを持った人々が
特定の場所、交通機関、武器、建物を果てしなくフェティッシュに描くことで逆説的に現実の景色を描き替えてしまったことだと思います。
当然いままでのゴジラシリーズでも日本各地の都市(のようなもの)が破壊されてきたわけですが、
今回は「いま、ここ」が壊される可能性を「いま、ここにあるもの」を執拗に描きまくることで我々に示してみせた。
「ドラマ」に重きを置いて批評する人もいますが、オレ的には「モノ」をここまで偏執的に撮る人が実写映画界に現れ
全員が「このまま行くと、オレたちはどうなっちゃうんだろう」と思うようなビジョンを見せてくれただけで大満足なのです。
「虚構 対 現実」は徹底的に現実を写し取ろうとする試みの上に成り立ったんだなぁ、という。
ま、みなさんも同じようなことを思うかどうかわかりませんが、
ゴジラの足取りを辿って東京を、大田区を逍遥するのはとっても楽しいし、感慨深いものがあります。
ぜひこのエントリを参考にでかけてみてはいかがでしょうか。
●こちらもあわせてお読みください
※追記
こちらのエントリの画像はすべてSONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 IIIで撮影されています
※追記2
こちらのエントリでは1959年(初代ゴジラの5年後)の東京がどんなんだったかをフルカラーのハイビジョンで見られる方法が書いてあります。
めちゃくちゃ面白いので是非。
識者の皆様より「貝塚中学校の"貝塚"は大森貝塚ではなく馬込貝塚から取ったものだ」というご指摘を頂いたので勉強します。すません。
by kala-pattar
| 2016-08-07 17:57
| 町中での出来事