次世代中国 一歩先の大市場を読む
徹底的な隔離はなぜ実行できたのか
~中国の「大衆を動かす仕組み」の底力
Text:田中 信彦
中国に「居民委員会(居委会)」と呼ばれる組織がある。日本で言えば町内会とか、町の自治会みたいな位置づけの組織だが、もちろん社会主義体制なので、その性格は大いに異なる。いわば中国という国の政策を実行するための、住民の代表で組織された実働部隊である。今回の新型コロナウイルスに感染症の蔓延で、事実上の「全国民自宅軟禁」の政策を実行し、感染の拡大阻止を実現するうえで最も大きな役割を担ったのが、この「居委会」だと思う。
居委会は、中国という国の「いざ」という時の底力、権力体制のすさまじさを、まざまざと見せつけた。表舞台ではあまり目立たないが、この居委会を手がかりに、中国社会の仕組みについて今回は考えてみたい。
田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(⾮常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員 1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に⼤⼿企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
寝ないで待っていた居委会の人
中国国内の感染拡大が落ち着きを見せ、経済活動が動き始めたのとは逆に、日本では感染爆発の危機が叫ばれるようになって、日本にいたビジネスパーソン、大学が休みになった留学生などが中国に戻る例が私の周囲にも増えてきた。空港によって扱いは多少違うが、例えば上海の場合、それらの人たちは国籍を問わず、中国入国後は14日間の自宅もしくは指定ホテルでの隔離の対象となる(注:その後、上海では日本からの渡航者は14日間の隔離対象から除外された。他の主要感染国からの渡航者は同措置が継続中。3月26日現在)。
日本から上海の空港に到着すると、所定の手続きを経て、市内に自宅がある場合、市内各地域に設けられた「隔離対象者ステーション」行きのバスに誘導される。バスそのものが完全隔離状態で、パトカーに先導された友人もいた。各ステーションに着いたら、そこで小型の車に乗り換え、自宅マンションまで送り届けられる。もちろん運転手、関係者などすべて防護服で完全武装である。
そして、自宅マンションの入り口に着くと、そこに待っているのが、やはり防護服姿の、その地域の居委会(もしくは居委会がコーディネイトしたボランティア)の人である。日本から着いた人は、そこで居委会の人に引き渡される。
「14日間、決して部屋から出ません」という趣旨の誓約書に署名し、検温やら所定の手続きを終えると、居委会の人が部屋の前まで同行し、確実に入室したことを確認して帰っていく。かくして隔離生活がスタートする。
デリバリーの受け取りも、ごみ出しも
14日間、部屋からは一歩も出られないので、家の中で完結できないことは全てこの居委会の人たちがやってくれる。例えば、中国ではレストランやスーパーなどのデリバリーが盛んなので、隔離中でもスマホアプリを使って外から好きな食べ物やその他商品を届けてもらうことができる。ただし配達の人はマンションの敷地の外側までしか来られないので、品物は居委会の人が代わりに受け取って部屋まで届けてくれる。ごみ出しも自分では行かれないから、ドアの外に出しておくと居委会の人が捨ててくれる。1日2回の検温の結果を報告するのも、万一、隔離中に体調が悪くなった場合などに連絡するのも居委会の人である。
日本に留学中で、東京から江蘇省無錫市に戻った私の姪(義弟の娘)は、今回やはり14日間の隔離対象になった。午後2時すぎに上海の浦東空港に着陸したが、到着旅客の多さと不慣れな受け入れ態勢の影響で、空港を出るまでに10時間近くかかり、指定隔離先のホテルにたどり着いた時には翌日午前4時を回っていた。それでも居委会の人はホテルのロビーで寝ずに待っていて、笑顔で世話をしてくれたという。「疲れたけど、感動した」と言っていた。
こうした居委会のサポートは住民に対する公共サービスの位置づけなので、それ自体に費用はかからない。全国でのべ数十万人に達した感染者、感染の疑いのある人の自宅隔離措置に、こうした地域の人たちの果たした役割はとてつもなく大きい。
日本でも特定の国や地域から日本に入国した人は、14日間の自宅での隔離が「要請」されている。しかし、対象者を自宅やホテルなどに隔離状態を維持したまま送り届け、さらには隔離状態で生活できるようサポートする方法がないので、現実に実行するのは難しい。いくら政府が方針を決定しても、実現する方法論がないのではどうにもならない。
居委会とは何か
居委会とは、法的に言うと「居民委員会組織法」に基づいて設けられた都市住民の自治組織とされている。農村部には別途「村民委員会」があるが、説明が複雑になるので、ここでは居委会についてのみ書く。建前上は住民の自治組織であり、共産党や政府の機関ではないが、実際の業務をみると行政の下部組織的な色彩が濃い。
中国には現在、日本の47都道府県に相当する行政単位が33(台湾、香港を除く)ある。日本でもおなじみの北京市や上海市、四川省、広東省、内モンゴル自治区といった行政単位はこれにあたる。そして、上海市を例にとると、現在、17の区と1つの県(中国では市の下に県が置かれる)があり、区の傘下に「街道」という最基層の行政単位がある。
さらにその「街道」は、「社区」と呼ばれるいくつかのマンション群や住宅地のかたまりみたいなコミュニティで構成されている。大都市の場合、だいたい戸数にして1000~2000戸、人口数千人というイメージだろう。「社区」は正式な行政単位ではないが、都市部の住民サービスは基本的にこの「社区」をベースに行われている。居委会もこの社区ごとに設置されているのが普通だ。
居委会は、市や区、街道の政策に基づき、社区をベースに政策の実行を支援する。居委会の責任者である主任、副主任などは、住民の投票で選ばれ、そこの有権者で構成される会議に対して責任を負うという規定になっている。
私がかつて住んでいた上海市閔行区内のマンションは、高い塀で囲まれた数百メートル四方の敷地内に60棟以上の中層住宅が並び、総戸数は1000戸を超える大きな「社区」だった。戸数が多いので、この一角だけで単独の社区になっており、そこには共産党の基層組織である「○○花園(マンション名である)共産党委員会」が存在し、敷地内に居委会の事務所もあった。
地域住民の「よろず相談所」
1000戸もある社区に住んでいれば、そこにはさまざまな問題が起きる。上の階から水漏れがするとか、共用部分の電気が切れたとか、そういった施設面の話はマンションの管理会社(中国では「物業」と呼ぶ)のオフィスに言うが、「人」がからむ問題になると、そこは居委会の出番である。自分が借りている駐車区画に無断で車を停めている人がいて困るとか、あの家は四六時中、大音響の音楽でうるさいとか、どこかの部屋に最近、見慣れない人間がぞろぞろ出入りしているとか、そういう話はこの居委会に相談する。
居委会の人たちは、相談事や苦情が来ると、近隣住民などから情報を集め、どのように解決すべきか判断し、双方の当事者を訪ねて丹念に話をする。この人たちは役人ではないので、自身が何らかの権限を持っているわけではないが、党組織や地元政府との連携は強いから、いざとなれば力を使って解決もできる。しかしそれは最後の手段であって、要は同じ地域の住民として、ヒザ詰めで話をして、双方合意のもと「なんとかする」のが仕事である。
居委会の主な働き手は定年退職後の人たちだ。中国の法定退職年齢は、一部の高級幹部を除いて男性60歳、女性55歳で、今後、段階的に遅らせることが決まっているが、現時点ではまだまだ元気なうちに仕事を離れる人がたくさんいる。そうした人たちは、家にいてもすることがないので居委会の仕事に就く例が少なくない。住民間のさまざまな問題を「なんとかする」役割だから、社会経験の長い年長者のほうが都合のいい面も多い。
給与は専従の場合、地方都市で1500~2000元(1元は15円)、大都市で2000~3000元程度と聞く。高くはないが、半ば社会奉仕のつもりでやっているのだろう。その人の履歴にもよるが、例えば公務員や教員、国有企業の社員だった人の場合、毎月支給される年金がそれなりにあるので、居委会からの給与に頼らなくても大丈夫な人が多いようだ。最近では地域コミュニティの専従職員という仕事が若い人に人気を呼び、新卒学生がたくさんこの仕事を選ぶようになっているという。地域のリーダーの登竜門になるかもしれない。
「党の現場部門」としての意味も
このような地域住民に対するサポートや問題解決が居委会の一つの役割とすれば、もう一つの任務は「一党専制」の政権党である中国共産党の政策を住民に周知徹底し、それを実行させていくという、いわば「党の現場部門」としての役割だ。
中国共産党は現在、全国に約9500万人の党員を擁する。国民15人あたりに1人ぐらいの割合になる。日本ではしばしば共産党員はエリートという言い方をされることがある。確かにエリートも一部はいるが、かくも多くの党員がいることを考えれば、それ自体がエリート組織とは言えない。エリートはこんなに大勢いる必要はない。
ではこの人たちは何をやっているのか。それは「社区」において、住民に対して党の意図や政策の狙いを説明し、理解を得る任務を持っているのである。国民15人あたりに1人が党員だとすれば、単純な話、1人の党員が15人の人を説得すれば、党の政策は全国民に浸透することになる。それができれば国は動く。
テレビのニュースで指導者がどんなに高説をぶっても、SNSでいかに繰り返し党の方針を配信しても、そう簡単に人は信じないし、行動もしない。しかし、日頃、同じ地域で生活し、さまざまな日常的な問題を解決してくれている人から、「まあ、いろいろ不満もあると思うけど、ここはひとつ私の顔を立てて」と言われれば、そう無茶なことも言いにくいだろう。
それとは逆に、住民の思いを党の上層に伝える役割も、もちろんある。例えば、中央の幹部がテレビで行った演説が実はひどく評判が悪いとか、市政府が決めたゴミ分別の仕方に不満が多いとか、そういう住民のナマの声を、公私さまざまなルートを通じて上に伝える機能を基層組織の人たちは持っている。
中国語で「群衆工作」と呼ぶが、中国共産党とは「大衆を動かす」(もしくは「動かさない」)ことを常に重視している集団である。だから9500万人もの党員が全国、津々浦々に散らばっている。居委会のメンバーには党員も、そうでない人もいるが、社区の党委員会の指示を受け、緊密に連動して人々の生活圏を回り、地域の生活の潤滑剤として機能している。
「政治」と「生活」の接点にある居委会
このように居委会は、組織上は党でも政府の機関でもないが、いわば「党の意志を受けて住民の代表として政府の仕事を現場で実行する人たち」である。この点に居委会の最大の特徴がある。いわば「政治」と「生活」の接点にある。一党専制という体制をとる中国の、権力による統治の最も重要な基盤が、この居委会だと私は思う。
中国というと、全国に数億台といわれる街角の監視カメラや顔認識による行動の把握、スマホアプリと連動した個人信用情報の管理、ネット警察によるインターネットの監視など、ITの活用で徹底的な監視社会になっているイメージが強い。さらには国内治安維持の任務を持つ武装警察部隊は全国に120万人もいる。国内の治安維持予算は国防予算を上回るとも伝えられている。
それはその通りではあるが、こうしたハードな対応だけで国民を安定的、継続的に統治できるかといえば、それは無理である。力と威圧で短期間はしのげるかもしれないが、14億人もの人々が暮らす巨大な社会を、それだけで長期的な成長に導くのは不可能だ。
中国の政治が、いわば最後の手段としてハードな対応が可能な仕組みを用意していることは確かだが、それで脅かして国民を動かしているわけではない。権力者の意思を、もっとソフトに、庶民の実情をも理解しつつ、わかりやすく伝え、党にとって望ましい方向に誘導していく仕組みを中国の政治は持っている。その核心が居委会である。
まったく異なる原理で運営されている社会
そして、その役割が最大限に発揮されたのが今回の新型コロナウイルスの感染拡大だった。
SNSなどでデマや不正確な情報が飛び交う中、不安にかられてパニックに陥りかねない住民たちに直接話しかけ、党や政府から発信された「正しい」情報を自分の言葉で伝え、政策遂行への協力を求める。長い軟禁同様の生活で、不満を持ち、怒り出す人は当然いるから、そういう人たちと辛抱強く話を続け、なだめたり、すかしたりしながら「なんとかする」。
マンションの門に交代で立って、出入りする人の身分証を確認し、訪問者のスマホで最近2週間の行動履歴をチェックし、体温を測って、出入りの管理をする。冒頭に紹介したように、隔離の必要がある人が出れば、24時間体制で生活を支援する。こんなことが全国規模であっと言う間に実行できるのは中国だけだろう。
言うまでもなく、これは「一党専制」維持のための仕組みであり、権力の都合でやっていることである。こうしてくれと人々が望んだわけではない。この方法が「正しい」と主張するつもりもない。
ただ、日本の隣にある大国がこのような仕組みで国や社会を運営していて、それが今回のような感染症の大流行に対し、少なくとも現段階では社会の崩壊を一定限度でくい止め、収束の方向に導いたことは事実である。そして、そのことを、個人差はあれど多くの国民は肯定的に受け止めている。とにかく、いわゆる「民主主義」とはまったく異なる原理で運営されている社会がそこにはある。そのことは知っておく必要があると思うのである。
次世代中国