『きまぐれ博物誌』(星新一)を読了。
『きまぐれ博物誌』は『きまぐれ星のメモ』に続く2冊目のエッセイ集だそうです。
書かれた時期は『きまぐれ星のメモ』よりも少し新しくなり、1968年から1970年の3年間となっています。
今から30年以上も前に書かれたことになりますが、読んでみると古さは感じず、結構今と同じだなぁと思う部分が多いです。
■新装版(復刻版)は合本
自分が購入したのは文庫の新装版です。最近復刻されたので復刻版とも言えます。
いつもは和田誠か真鍋博の表紙が良いと言って古い版のものを買ってましたが、今回は合本ということで新装版の方を選びました。合本とは複数だったのが1つにまとめられているということです。
ここで少し厄介なのが電子書籍版。こちらは古い版を元に電子化されているため、合本ではなく分冊されています。「きまぐれ博物誌・続」と合わせて完全になります。
それと、Amazonのマケプレで買うときは注意が必要です。新装版と古い版はISBNが違うのでページが別個になっているものの、マケプレの出品者によっては、新装版のページの方に古い版の古本を出品している場合があります。つまり、新装版の古本を買うつもりが、古い版のものだったというケースがありえます。まあ新品を選べば良いことですが。
■ユーモアは故意に曲解できるもの
今と同じだなぁと思う部分として、これをあげておきます。
『ユーモアとは故意に曲解しようとすれば、どうにでもなる』というのはたしかにそうだなと思います。インターネットで誰もが発信できるようになった現代では、新聞記者に限らず誰しもが似たようなことをやるようになったのではないでしょうか。例えば、掲示板にスレを立てたりブログの記事を書くときに、わざと曲解したタイトルを見かけることがあります。
■ただしイケメンに限る
1ページ漫画も作ってみた。
元ネタはこの部分です。
この『ハンサムでなかったのが原因かもしれぬ』というのに、今のネットスラングで言うところの「※ただしイケメンに限る」に通じるものを感じます。
・※ただしイケメンに限るとは - ニコニコ大百科
・※ただしイケメンに限る - アンサイクロペディア
『きまぐれ博物誌』は『きまぐれ星のメモ』に続く2冊目のエッセイ集だそうです。
書かれた時期は『きまぐれ星のメモ』よりも少し新しくなり、1968年から1970年の3年間となっています。
今から30年以上も前に書かれたことになりますが、読んでみると古さは感じず、結構今と同じだなぁと思う部分が多いです。
■新装版(復刻版)は合本
自分が購入したのは文庫の新装版です。最近復刻されたので復刻版とも言えます。
いつもは和田誠か真鍋博の表紙が良いと言って古い版のものを買ってましたが、今回は合本ということで新装版の方を選びました。合本とは複数だったのが1つにまとめられているということです。
ここで少し厄介なのが電子書籍版。こちらは古い版を元に電子化されているため、合本ではなく分冊されています。「きまぐれ博物誌・続」と合わせて完全になります。
それと、Amazonのマケプレで買うときは注意が必要です。新装版と古い版はISBNが違うのでページが別個になっているものの、マケプレの出品者によっては、新装版のページの方に古い版の古本を出品している場合があります。つまり、新装版の古本を買うつもりが、古い版のものだったというケースがありえます。まあ新品を選べば良いことですが。
■ユーモアは故意に曲解できるもの
今と同じだなぁと思う部分として、これをあげておきます。
笑顔とうやむや
吉田茂がユーモラスな人物だったことは、死去の際の特集記事で、いまや世に広く知られている。「動物園へ行かなくてもサルは国会でたくさん見ることができる」などとの、ぬけぬけした発言があった。自分も議員であり、しかもその党首なのだから、あきらかにユーモアでありウィットである。
だが、この発言がなされた当時の新聞報道を私は覚えている。けっしてユーモアと扱っていなかった。不祥事扱いの記事で、野党幹部の反論がのっていた。おそらく記者が「首相が議員はサルだといっています。ご感想は」と持ちかけたにちがいない。その反論のほうは少しも覚えていない。面白くもおかしくもない公式的なものだったからだ。
そのころを境にしてのようだが、その後はどの大臣も、公式の席であまり面白い発言をしなくなった。新聞には時どき「日本の為政者は外国にくらべてユーモアがない」などとの主張がのるが、当然のことであろう。こんな状態にしておいて言えといっても、それは無理だ。ユーモアとは故意に曲解しようとすれば、どうにでもなるものなのだ。
『ユーモアとは故意に曲解しようとすれば、どうにでもなる』というのはたしかにそうだなと思います。インターネットで誰もが発信できるようになった現代では、新聞記者に限らず誰しもが似たようなことをやるようになったのではないでしょうか。例えば、掲示板にスレを立てたりブログの記事を書くときに、わざと曲解したタイトルを見かけることがあります。
■ただしイケメンに限る
1ページ漫画も作ってみた。
元ネタはこの部分です。
賭けごと
テレビや映画や物語でふしぎでならないのは、賭けの勝負がつごうよく展開することである。主人公のハンサムな青年は、西部劇であろうと、時代物であろうと、スパイ物であろうと、ここ一番という時には必ず勝つことになっている。野球物だと、三点リードされた九回裏の二死後、主人公は必ず満塁ホーマーを打つ。これがくりかえされると潜在意識のなかで型が形成され、おれは悪人じゃないから賭けに勝つはずだ、などと思い込んでしまう。そして負け、ハンサムでなかったのが原因かもしれぬと反省したりするのである。(以下略)
この『ハンサムでなかったのが原因かもしれぬ』というのに、今のネットスラングで言うところの「※ただしイケメンに限る」に通じるものを感じます。
・※ただしイケメンに限るとは - ニコニコ大百科
・※ただしイケメンに限る - アンサイクロペディア