僕は基本、ずっと音楽雑誌を編集したり、創刊したり、そこでインタヴューしたり原稿を書いたりしてきているんですが、テレビに出て音楽のことを語ったりもしています。
でも、テレビ出演のデビューは音楽じゃなかったんです。
「ご飯モノ」だったんです。
昔、ワンダフルって深夜番組があったでしょ? そこで食い物担当していたこともあって。ちなみに当時、番組に出演していた釈由美子さんを、ハリセンで思いっきりぶん殴ったり、口を無理やりこじ開けて食べ物を詰め込んだりしてました。
今、同じことをやったら間違いなく殺されますね、僕。
今はWEBでもこうやっていろいろ書いたりしていたりします。
しかし、ネット界で僕の原稿が広まったのは、残念ながら音楽モノじゃなかったんです。
これまた「食い物」だったんです。
「高菜、食べてしまったんですか!!??」
知ってる人いますか? このコピペが一時期かなり広まったらしいのですが、実はこれ、僕が5年以上前に書いたブログの一節なんです。
ある九州のラーメン屋へ入ったら、店の中がピリピリしていて、「拘って作るのはいいけど、それを拘って喰えっていうのは高慢なことだなあ。音楽家でそういう姿勢を持っていても、それをリスナーに強要することはなかなかないよなぁ」とか思いながら、ラーメンが出てくる前にテーブルに置いてあった高菜をつまんでたら、ラーメンを持ってきたおばちゃんが、前述した一言をカッと見開きながら、それでも怯えたような目つきで叫ぶように言ったんですね。
そこで僕は「サービス業をなんだと思ってるんだ!」とやり合いになって――。
みたいな話なんですが、自分の中では本気で頭に来た話をぶちまけたものが、その本気さ故に、こうやってエディットされて広まって行くのは面白いですよね。ほら、歌だってそうでしょ? 絞りに絞って出てきた4分間の曲だったりするけど、でも聴き手が口ずさむのはサビの8小節分だけだったりするじゃないですか。世の中に広まって行くのは、そういう「コピーライト感覚」で呵責されたものなんですよね。
しかも人というフィルターが通ると、大抵のことはギャグになる。僕は前述したラーメン屋では涙は流さなかったと思いますが、そのブログを書いている時に悔しくて悔しくて、泣きながら書いたのを覚えているんです。でも、というか、だからこそ、きっと読んでくれた人には面白くて、その面白いなぁという書いた僕には想像もできなかった感覚がミックスされて、ギャグとして広まったんですよね。
本気の怒りも、本気の斜め目線も、それが本気の中から生まれた感情ならば、誰かのリミックスやプロデュースを通して、何らかの形でエンターテイメントになったりする。それが今の世の中だと思うんです。
だけど昨日の夜、ツイッターで「鹿野さん! 鹿野さんの高菜の店で、AKBが高菜を喰ってテレビ出てますよ!!??」というタレこみを頂きました。
このツイットは――。
★俺の高菜じゃないし、俺の店じゃないし。
★AKBがテレビに出るの当たり前だし。
などとツッコミどころは満載でしたが、でも勿論、言いたいことは伝わり、僕はそれはそれはもう、大きくうろたえたわけです。
簡単に言えば、「ライバルよ、何故、突っ張らなかったんだ!」という、抗議に満ちた気持ちを覚えたわけですよ。
その後You Tubeを観まして、AKBと共にいたお笑い芸人の方が店の10年来の知り合いで、東京で成功して戻ってきたら――という契りがあったりという裏ストーリーがあったりもしたんですが、やはり僕の怒りはおさまらないわけです。
「しらねーよ、そんな背景なんて。大切なのは浪花節よりプライドだ」ってね。
あんな血走った眼で見つめながら「高菜、食べてしまったんですか!!??」とまで言って、作ったラーメンを一口も食わさずに僕を追い出すぐらいだったら、取材入れるな!だし、入れたとしてもAKBが高菜をまず喰ったら、その場で血走った眼で「高菜、食べてしまったんですか!!??」と叫び放ち、奴らを追い出すべきじゃないですか。
それが人が生きていることを示す=「人生という名の表現」だと思うし、そんなに堅苦しく考えずとも、むしろそこでキレたほうがエンターテイメントとしても正しかったと僕は思うんですよ。
でも、お店の人は、少なくともあのおばさんは、なーんもしなかったの。
凄く嫌な意味で、この国だなぁと思いました。いつもは突っ張っていても芸能やメディアにはめっぽう弱い。その弱さが歪んだ形になって、2ちゃんねるなどのネットに表出する。だからどんどん普通の人が弱者になって、メディアやメディアに取り上げられる人が強者になってしまう。自分がメディア人だからこそ、この風習こそが最低だといつも感じています。
実はあの店は家族経営で、その店主と奥さんの子供さんがあるバンドが大好きで、そのバンドが喰いに行った時に、それはもう大変なことになってサインはもらうわ、どんな喰い方でもニッコニコだったとかいうリアルな話を以前聞いて、とてもげんなりしたんだけど、でもその姿を自分で見たわけじゃないし、と思っていたけど……。
今回の映像を見て僕は、ライバルが消えたことを諭されました。
それは、ラーメン屋を追い出された時と同じぐらいの悔しさを感じる出来事でした。
また新しい、面倒な店や人を見つけなきゃ。
そうしないと、人生面白くないし、何より「腹が減りません」。
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