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2006年 12月 12日
2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。
私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。 あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、といった構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層(?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、橋爪大三郎、呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。 こうした全共闘系の書き手の中心的な論点は、大まかに言えば以下の主張だ。左翼や市民運動は、「ルサンチマン」「怨恨感情」によって動いているだけであって、「人権」「平和」「民主主義」といった主張は彼ら・彼女らの権力意志の発散でしかない。そこでは、彼ら・彼女らが攻撃対象とするものとの道義上の優劣などない、と。「プロ市民」という、まるで市民が市民運動をするのが異常だと言わんばかりの馬鹿げた言葉が発生したのもこうした文脈であろう。 私はこうした主張を、便宜上、「ちくま・イデオロギー」と呼びたい。これは、徐京植が「リベラルの自壊」と名づけた現象を推進したイデオロギーである。別に筑摩書房をことさらに批判したいわけではない。最近でも、他社に比べればいい本も出しているし、岩波書店、平凡社、晶文社といったところも傾向としては似たようなものだ。あくまでも人文系出版社の範囲でだが、市場ニーズの把握と商品生産力によって、筑摩書房が目立ってしまっただけの話である。
by kollwitz2000
| 2006-12-12 03:46
| 日本社会
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