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2016年 02月 20日
弓削達「新天皇は憲法を守れるのか」『マスコミ市民』1989年4月号(弓削達『平和の景色 私の原点』岩波書店、1995年所収)から引用する(前掲書、193~207頁)。こういう文章を読んでいると、天皇の「おことば」を持ち上げて安倍晋三ら右派政治家を批判する、といった類の言説が改めてアホらしく感じられる。現在の天皇が、弓削の言う意味で憲法を遵守する人物であるか、もしくは露骨な反動主義者であったならば、日本社会はここまで右傾化しなかっただろう。
<皇太子明仁が皇位を継承し、新しい天皇となってから、これを書いている今日まで約3週間が経った。この間に前の天皇の政治と人問をめぐって、何十年分のマスコミ紙の紙面に匹敵するほどの大量の情報が、われわれ国民のうえにあびせかけられた。いわく、平和主義者。いわく、戦争責任者。いわく、温和な人柄。いわく冷酷。両極端の間がすべて埋めつくされた。 この間にあって私の最大の関心事は、新天皇が、父親と比べて、同じ路線を行く天皇に結局はなってしまうのか、それとも、少しでも異なった色合いを出してくるのか、ということであった。というのは、これまでの皇太子時代の言行が、少なくとも表面上は父親とは遠ったニュアンスを帯びたものとして表出されていたからである。(中略) 天皇が憲法遵守を言うとき、問題の焦点は、天皇が象徴たるの地位をこえて政治的言行をおかしていないかということ、それと、皇室神道を国事行為のなかにもち込んで政教分離の原則を破っていないか、という点にある。いうまでもなく、憲法は象徴としての天皇が「内閣の助言と承認により」行なうべき国事行為を10項目あげ(第7条)、「この憲法の定める国事に関する行為のみを」行なうこと、ということは「国政に関する権能を有しない」(第4条)ということ、このことを明言している。 しかるに前の天皇は、第7条の定める10項目の国事行為以外に、じつに多種多様の行為を国費で行ない、政治的に重要な意味をもつ発言をくり返してきた。それらはすべて政権政党に有利にはたらく言行であったことは否定すべくもない。 こうした「象徴天皇」性からの逸脱はたえず批判されてきたが、それに対する政府の答弁は、天皇の行為には、憲法弟七条の定める国事行為と、純然たる私的行為の中間に、象徴としての地位を反映しての公的行為があるというもので、そのような公的行為が際限なく広がってくることにむしろ拍車をかけてきた。 このような「公的行為」の枠を、新天皇は皇太子時代に明言をもって肯定し、これを積極的に行なってゆくことを明言しているのである。 新天皇は皇太子時代、1987年10月3日から10日まで訪米した。それを前にして9月28日、彼はアメリカの新聞、通信、放送、雑誌等の支局長クラスを東宮御所に招いて、それら外国人記者団から文書(英文)で出されていた質問事項に文書(英文)で答えた。 そのなかで彼は、「天皇には、憲法で規定された国事行為以外にも、国家の象徴として行なうべき行為がある」旨、明言しているのである。まさに政権政党の解釈に従って「象徴としての公的行為」を堂々と前に押し出しているといわなければならない。この回答自体、きわめて政治的な憲法解釈の表明であり、これ自体が重大な政治的関与であることは明らかである。 ということは、「日本国憲法を守る」と「おことば」で明言されても、象徴の枠をどんどんこえて公的行為を増加する方向で「守る」と言っている疑いが濃厚であり、新天皇が真に「みなさんとともに」(「おことば」)あろうとするなら、象徴天皇としてのあり方について、政府の有権的憲法解釈から自由になり、象徴の意味を国民主権を基本原則とする日本国憲法の精神にふさわしく厳格に見直す努力をしなければならない。 即位後「朝見の儀」で話された天皇の「おことば」のなかで問題になるもう一つの点は、父天皇を平和主義者としてたたえている点である。(中略) 父親を平和主義者として敬うことは息子の自由な感情である。しかし、「おことば」のような国事行為のなかで、憲法遵守とのかかわりで強調されることは、それ自体きわめて政治的である。このような政治的発言なからしめるための監視者としては、「内閣の助言と承認」はそもそも不適格である。不断の国民の見張りが必要だが、それにもまして新天皇個人が、父親よりも多少は自由な批判力をもつべく教育されたのなら、天皇個人の努力にまつところが大きい。そのような努力が見られたとき、国民は真の意味で天皇を敬愛するであろう。 「朝見の儀」の「おことば」はつづけて、「今日、我が国は(中略)平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました」と述べる。この件りはことわるまでもなく、日本国憲法の前文に、「……国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と希望の形で記されていたものを、すでに「占めるに至りました」と完了形に直したものである。 このような重大なことを、小手先の小細工で人に納得させることはできないと知るべきである。さきの天皇の死と、近く行なわれる大喪の儀をめぐって、いかなる代表を送るべきかについて国論が沸き、二分している国はイギリスをはじめ一、二にとどまらない。決して日本は、国際社会において名誉ある尊敬される地位を占めてはいないのである。いかに国民生活が安定し繁栄していてもそうなのである。 その最大の原因は、まさに天皇問題、天皇制を中心としたモラルの問題にある。戦争の最高の責任者を平然として「平和主義者」に変装させ、謝るべき時に、謝るべき人に率直に謝れない性格。これは日本人全体の姿なのであるが、同時にこれは天皇と天皇制とを離れてはありえなかった日本人のモラルの姿なのである。(中略) 「朝見の儀」に語られた新天皇の「おことば」にみえる「皆さんとともに日本国憲法を守り……」のことばに偽りはないものと私は信じたい。私はそのことを疑っているのではない。憲法を守るといった時の憲法の内容について、反憲法的な理解を前提にしていることを恐れているのである。憲法の政権政党と政権による有権解釈は、それ自体政治的であり、それを基礎に「象徴」が語り行なうことも政治的であり、反憲法的である。 本稿ではそのことを象徴天皇の国事行為を中心に考えてきた。新天皇が一方では象徴としての枠を守ると言いながら、他方では「象徴としての地位を反映する公的行為」を憲法的とみなし、これを際限なく広げてゆくとき、憲法の生命たる国民主権はしだいに後退し、再び昭和の暗黒時代がひたひたと押しよせてくる。天皇が、憲法の定める国事行為のみを行ない(憲法第4条)、禁欲に徹底するとき、彼の憲法遵守の誓約は果たされることになる。(後略) ―1989・1・27―>
by kollwitz2000
| 2016-02-20 00:00
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