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2010年 02月 28日
1.
『世界』最新号(2010年3月号。2月8日発売)には、佐藤優が、歳川隆雄との対談相手として登場している。以前にも指摘したように、『世界』誌上での佐藤と大田昌秀との対談は長らく中断しており、最新号においても休載中のままだが(わざわざ「休載」と告知されている)、ついに約半年振りに、佐藤が誌面に復活したわけである。 「『世界』2010年1月号と<佐藤優現象>」で、私は、佐藤優の対談連載が中断されている原因は、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」が10月1日に出されたことの影響があるのではないか、と推測した。この推測自体は正しいと考えているが、いずれにせよ、『世界』は、(私とは違い)『世界』の執筆者や熱心な読者すら署名している「共同声明」を、一片の説明もすることなく、無視した、ということである。 これは、『世界』が新しい段階に入ったことを示唆しているように私は思う。要するに、小沢一郎の政治資金規制法違反関連の問題をめぐる、このところのジャーナリズム上の大騒ぎの中で、これまでの右傾化路線の延長上ではありつつも、『世界』がもう一段階上のフェーズに移行したのではないか、ということである。また後日指摘するが、これは、『金曜日』もそうであり、例えば最新号(2月26日号)では、「在日外国人参政権には反対です」という見出しで、前田日明へのインタビューが掲載されている。 私は、1月21日にアップした文章「陰謀論的ジャーナリズムの形成(1)」で、以下のように述べた。 「恐らく今後、一連の「小沢VS検察」をめぐる言説を通じて、『世界』や『金曜日』のようなリベラル・左派ジャーナリズムやその周辺の書き手たちは、この種の「国策捜査」論的陰謀論者たちと融合していくと思う。既にその傾向はあったし、人脈的にもかなり重なっているが、この件を通じて一体化が完了するのではないか。《THE JOURNAL》は、不偏不党な公正なジャーナリズムではなく、政治家や特定団体のプロパガンダ機関であろうが、リベラル・左派ジャーナリズムもそれと融合してブラック・ジャーナリズム化する、ということである(リベラル・左派ジャーナリズムのブラック・ジャーナリズム化については、以前にも触れた)。 また、小沢の影響力が低下すれば、割と早い時期に、民主党は社民党と国民新党を切って、公明党と連立を組むと思う。そうなれば、護憲派ジャーナリズムや市民団体は、民主党と対決するどころか、民主党の個々の政治家から捨てられないために、ますます小沢にすり寄っていくだろう。共産党系の憲法学者も、今回の件で検察を批判していたことから考えると、共産党系の書き手の一部(大部分?)もこういった流れに実質的に合流していくように思う。9・11陰謀論が一角にあっても、さして違和感を感じさせない構成になるだろう。 日本の大衆は、マスコミや知識人ほど政治的判断力が低くないから、民主党の小沢擁護論は完全に浮き上がっている。こうして形成される陰謀論的ジャーナリズムも、大衆から遊離していくだろう。」 『世界』最新号は、『世界』がこの方向を着実に進んでいることを示している。以下、その現れと思われる点を見ていこう。 2. ①法治主義の否定 今号の掲載の文章(「民主党の民主化を」)で、山口二郎は、以下のように述べている(強調は引用者、以下同じ)。 「検察が権力悪を追及する正義の味方というイメージは、もはや過去のものとなった。佐藤優が広めた「国策捜査」という言葉は、メディアに定着した。国策なるものの実体があるかどうかは別として、検察はしばしば自ら描いた筋書きに沿うよう、むりやり無実の人間に罪を着せることがありうることは、むしろ常識となった。」 何重にも馬鹿げた文章だが、まずは、ここで山口が、佐藤優の事例(の本人による宣伝)から、「 検察はしばしば自ら描いた筋書きに沿うよう、むりやり無実の人間に罪を着せることがありうることは、むしろ常識となった」としているのであるから、佐藤優が無実であり、検察によって罪を着せられた、と述べていることを指摘しておこう。 だが、周知のように佐藤の有罪は最高裁で確定している。山口がいかなる根拠で佐藤が無罪だと言うのかも謎なのだが、有罪が確定している以上、このような発言は司法の機能の否定ではないのか。「残念ながら司法は不当判決を行なったが、自分は佐藤の無実を確信している」という言い方ならば分かるが、そうではなく、確定した判決についてあたかも存在しないかのように扱った上で、「無実」という、判決と相反する主張を自明の前提とすることで、法治国家が当然有する司法の権威性を完全に否定している。 この姿勢は、山口の同じ文章の以下の一節にも貫徹している。 「 通常国会開幕直前に、石川知裕衆議院議員など小沢一郎幹事長の関係者が逮捕されたことで、政治論議は必然的に資金問題をめぐる小沢と検察の戦いに集中することとなった。政権交代による日本政治の変革、政策の転換に期待を託していた人々にとっては、これは困ったとしか言いようのない事態である。 今回の事件に対する当惑は、民主党を陰で支配している小沢幹事長の金権腐敗ぶりが明らかになって困ったというものではない。既に昨年春、西松建設による不正献金事件が立件され、小沢は代表を退いた。国民は小沢が違法かどうかはともかく、巨額の政治資金を集めてきたことを承知の上で、民主党に政権を託した。さらに言えば、自民党竹下派の嫡子であり、企業から巨額の政治献金をかき集めてきたという小沢の来歴を承知の上で、ひ弱な民主党を束ねる必要悪として、豪腕小沢の存在を許容してきた。今頃になって、今度は水谷建設の裏金が流れたということで検察が国会議員の逮捕を含む強制捜査に乗り出したことが、困った話なのである。」 これも何重にも馬鹿げた主張であるが、ここでの文脈の関係から一つだけ指摘しておくと、選挙結果が検察による捜査の正当性を妨げない(妨げるべきでない)のは自明である。中学生でも踏まえているであろう原則である。これも、司法の機能の否定という点で、その上で挙げた一節と共通している。 検察捜査の否定という点では、岡本厚『世界』編集長も同様の主張を行なっている。岡本編集長は、佐藤と歳川の対談で司会役を務めているが、その中で以下のように語っている。 「小沢氏が不透明な資金を得て、その政治力としていることは推定できる。しかし、民主党や政権首脳が小沢続投を支持、あるいは沈黙しているのは、メディアがいうように、単に小沢支配への恐怖があるというのみならず、検察の捜査(またそれと一体化したメディア)への不信があるからだろう。 」 民主党政権成立後、『世界』権力批判の立場と公正性を消失してしまっていると思われることは、既に指摘してきているが、ここでも同様の問題が指摘できるとともに、その深化を見ることができると思われる。なぜならば、岡本編集長は小沢が「不透明な資金を得て、その政治力としていること」自体は「推定」しているのだから、本来はその「推定」=嫌疑に基づいて、捜査の徹底を要求し、(『世界』をはじめとした)メディアによる小沢資金問題への取材・調査を行なうべきだろう。ところが、それとは180度逆に、岡本は、「民主党や政権首脳が小沢続投を支持、あるいは沈黙している」という事態を積極的に肯定しているのである。 このような、小沢が「不透明な資金を得て、その政治力としていること」を推定した上で、それ自体を容認・肯定する姿勢は、北村肇『金曜日』編集長の、最近の以下の発言も同じである。 「「正義」の定義は難しい。何しろ、米国にすればベトナム戦争もイラク戦争も正義となってしまう。だが、「不正義」はそれなりに言葉で表現できる気もする。「『力』によって他者を虐げ、あるいは私利私欲を図る行為」――。この解釈に従ったとき、小沢一郎氏をめぐる東京地検特捜部の捜査は「不正義」だろうか。 特捜部が「力」を持っているのは間違いない。仮に国策捜査の色合いが濃ければ「他者を虐げ」につながる。しかし「私利私欲」があるとは思えない。では小沢氏はどうか。ゼネコンに献金を強制していたことが明らかになれば不正義は避けられない。が、政治改革を目指しての集金なら「私利私欲」と言い切るのは無理がある。政治にはカネがかかる。その現実を捨象しての「正義」は表層的なお題目でしかないからだ。 小沢氏の師事した田中角栄氏が単なるカネの亡者でなかったことは、その後、さまざまな書籍で浮き彫りになりつつある。ロッキード事件当時、検察は「正義」だった。いきおい、田中氏には「不正義」のレッテルが張られた。だが、その見立てが正しかったのかどうか、まだまだ検証が必要だ。」 http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/articles/ippituhuran/20100205-78.html 北村編集長のこの超絶文章には突っ込む気力ももてないが、「政治改革を目指しての集金」ならば問題ないと北村編集長がしている点は、重要なものを示唆していると思う。山口・岡本編集長・北村編集長の上記言説について、「司法の機能の否定」だけを見るのは適切ではないのである。集金が「政治改革を目指して」のものなのか「私利私欲」のためなのかを判断するのは誰か?北村編集長らリベラル・左派メディアの編集者・言論人である。これらの人物の、「司法の機能の否定」「法治主義の否定」の背景にあるのは、「善悪を決定するのは自分たちだ」という独善そのものの世界観が控えているのだと思われる。 北村の上の一文のタイトルは、「小沢一郎氏と地検、どちらが「不正義」かを判断するのは、マスコミではなく市民」である。これらの人物は、自分たちの権益を主張する場合、「決めるのは市民だ」などといった仮面を使うのである。 ②世論からの乖離 陰謀論的ジャーナリズムの形成に応じて、大衆からの遊離が進行していくことを以前指摘した。『世界』の今号では、その遊離が早速現れている。 まず、上で引用した、山口の「困った話」云々という発言がそうである。各種の世論調査から明らかなように、大多数の「国民」は、「検察が国会議員の逮捕を含む強制捜査に乗り出したこと」に困っているどころか、むしろ支持している。困っているのは山口のような民主党政権応援団だ。 岡本編集長の、上記の対談での以下の発言も同様である。 「有権者は、いま迷っている。小沢氏も信じられないが、検察も信じられない。思考停止のような状態が沈黙の背景にあると思う。」 大多数の「有権者」は別に迷っていない。検察の捜査を支持している。岡本が、その愚民観から、「思考停止」していると描きたいだけだ。もちろん岡本はそのような現実に直面したところで、今号の「編集後記」などで「メディア検察」という造語までしてメディアと検察との一体化を批判しているところから推測すれば、有権者の検察捜査支持をメディアに流されたポピュリズムによるものだと主張するだろう。 前から書いてきているように、マスコミやアカデミズムの住人に比べて、一般の大衆の方がメディアに流されることなく、自らの政治的利害に沿った、合理的な行動をとる。その「合理的」な行動は、えてして権益確保のための侵略や対テロ戦争の擁護であったりもするが、自らの政治的利害には概ね合致している。メディア(「メディア批判」を行なうメディアも含む)に特に流されやすいのは、マスコミやアカデミズムの(半)住民、インテリや亜インテリといった層である。カルト宗教に高学歴出身者が多いのに似ている。そして、現在のリベラル・左派ジャーナリズムはカルト宗教化してしまっている。 ③馴れ合いの顕示 今号の特徴としては、執筆者による他の執筆者への賞賛が目につくことである。これは、単なる偶然ではなく、陰謀論的ジャーナリズムの形成を通じて、執筆陣が同質化・党派化しつつあることの徴候だと思う。 上で挙げた、山口による佐藤の無実を自明視する発言が典型であるが、その山口について、同号で、斎藤貴男は以下のように書いている。事業仕分けについてのルポの中の一節である。 「北海道大学の山口二郎教授(政治学)に会った。自他ともに認める民主党の有力なブレーンだ。」 「ブレーン」か?いや、民主党も、山口をブレーンにするほど馬鹿じゃないよ。山口は確かに民主党の政治家たちと懇意らしいが、民主党が山口に期待しているのは、山口の政治学者としての能力ではなく、山口の宣伝役としての能力である。山口はマスコミやアカデミズム、市民運動、連合など労働組合関係に広範な人脈を持っているから、山口を持ち上げておけば、山口は勝手に左派系を中心にして、民主党擁護の論陣を作ってくれるわけである。恐らく山口もそのことが分かっているからこそ、自分の(利用)価値を高めるために、人脈作りにより熱心になる、という構図になっている。 山口の見解を取り入れて民主党(議員)が主張を形成しているのではない。恐らく全く逆で、民主党議員や関係者がやりたい政策(といっても叩き台を作っているのは多分官僚)を水面下で直接聞くか間接的に耳にするかして、それを周辺の学者たちによって練り直し、観測気球的に主張するのが山口の役割なのだと思う。 そもそも山口は、ここ20年ほど研究している素振りが見えないし、むしろ、研究者としての道よりも、政治ブローカーとしての道(もちろんその担保は山口が著名な「政治学者」であることである)を意識的に選択しているようにすら見受けられる。 山口の政治評論の空疎さ、無内容さについては改めて言うまでもないが、私が不快に思うのは、編集者や学者といった、山口の周辺の人物も、山口は駄目だと思いながら起用したり、共同で活動したりしているのではないか、ということである。 昔、なぜ山口を使い続けるのか、と山口と昵懇の編集者二名に聞いたことがあるのだが、「なんだかんだいって正義感が強い」、「政治学者で時事的な問題をタイミングよく書いてくれるのは山口さんくらい」といった回答で、到底納得できるものではなかった。そして、山口の政治評論の内容それ自体に肯定的な人物を、編集者・学者の中で、私は見たことがない。 山口の政治評論の空疎さ、無内容さは周辺人物も共有しつつも、「政治学者としての第一人者」という共同幻想は存在する。山口に執筆させたり共同活動を行なわせることによってその共同幻想を増幅させ、そのことによって山口の政治的価値はより高まり、山口の人脈はより広がる。そして、山口を持ち上げる周辺人物たちは、山口を媒介として人脈や政治的影響力を広げられるという構図。山口がこの20年間、大して本も売れないのに、空疎かつ無内容な政治評論を書き続けてこられたのは、このような構図が回転しているからであるように思われる。 この構図は、<佐藤優現象>とほぼ同型である。実際に、山口を持ち上げる周辺人物は、見事なまでに、リベラル・左派内部で佐藤優を持ち上げる面々と重なる。その意味で、ここ20年ほどの<山口二郎現象>は、<佐藤優現象>の先行形態である。 多分、山口も上のような構図に内心気づいていて、その共同幻想を維持するために、あれほど文章を書き続けるのではないかと思う。その意味では(どうでもいいが)孤独な人物なのかもしれない。かつてあれほど山口を罵倒・嘲笑していた渡辺治が、現在は山口と同じようなことしか言っていないことからもわかるように、山口は、リベラル・左派内部の言説戦争に関して、その空疎さと無内容さによって勝利したのだが、上で一例を示したように、最近の山口の壊れっぷりは尋常ではない。一日で黙って意見を豹変させることすらしており、もはや言論人としての体面すら捨てて、なりふり構わず爆走しているように見える。どこに向かっているかは不明だが。周辺人物はこうした時にこそ、ちゃんと山口先生を心配してやるべきだと思う。かつて私が聞いた、「山口さんって、講演や打ち合わせの東京出張代を科研費で処理してるけど、あれ、ヤバイんじゃないの?」という心配ではなくて。 山口ネタで脱線してしまったが、かつて私がその文章の質の低さに驚いた神保太郎の連載について、岡本編集長は今号の「編集後記」で、「本誌に神保太郎氏の連載「メディア批評」が始まったのは、2008年1月号である。最近は講演の依頼なども時折編集部に舞いこむ神保氏だが、むろんペンネームであり、特派員経験もあるジャーナリストとしか、今は明かせない。/権力を市民に代わって監視し、真実を伝え、時代の課題を示すことがジャーナリズムの役割、任務なのに、それが放擲されているのではないか、というのが氏の一貫した問題意識である。」などと持ち上げている。そもそも、現役のジャーナリストに対して、大した内容でもないのに、ペンネームで書く場を提供してやる理由がどこにあるだろう(多分、有力者なのだろう)。これも内輪ぼめであり、馴れ合いである。 3. 前回論じたように、民主党政権内部で、4月からの「就学支援金」支給対象から朝鮮学校を外そうという動きが有力になりつつあるが、こうした動きが、『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムの、陰謀論的ジャーナリズムへの移行とほぼ同時期に起こっているのは興味深い現象である。民主党が排外主義的姿勢を鮮明にしつつあることと、『世界』その他リベラル・左派ジャーナリズムがよりファッショ的な形で、プロパガンダ機関化しつつあることは、恐らく同質のものである。『世界』その他が朝鮮学校への差別措置案を批判しようと、それは関係ない。 佐藤優は、今号の対談で、以下のように述べている。 「今の民主党の戦略は、まず左のウィングを伸ばせるだけ伸ばしていて、社民党を与党に入れているだけでなく、たとえば雨宮処凛氏と湯浅誠氏を内閣に入れた。雨宮氏が賛助会員であるフリーター全般労組関係者は、麻生邸見学ツアーで逮捕された。湯浅氏の派遣村も、連合系と共産党系と新左翼系の労組の連合という見方があった。さらにJR総連は参院週の組織内候補を民主党の二次公認で出馬させるという。 右ウィングはどうか。高野山での小沢氏のキリスト教批判発言は非常に重要だ。高野山は真言密教で、歴史的に神道と近い。私はあの発言のターゲットは、神道政治連盟、つまり神社本庁と見ている。伝統的宗教・非伝統的宗教という言い方をして、神道系の保守勢力の本丸にまでウィングを広げている。それによって、自民党は日本会議と統一教会と産経新聞に支持されるだけの極右勢力になる。 参院選では石井一氏が選対委員長に据えられた。彼は創価学会の施設を監視せよと主張する人だから、創価学会と選挙で組むつもりはないことがわかる。今ハードルを上げて、参院選後に公明党が接近するのを持っているのだ。現に、習近平氏の天皇会見に関しても、山ロ那津男公明党代表は、宮内庁長官の辞任に言及した小沢氏は「問違っていない」と言った。補正予算案にも賛成の立場で、もはや公明党は半分与党になっている。大政翼賛会体制下でも、非翼賛の議席は二割弱だった。公明勢力、そして左右に進出するこの勢いが続くならば、民主連立政権は大政翼賛会を超えている。」 「国会が大政翼賛会化してしまう一方、社会の要求が満たされないという不満が出てくると、弱い人は黙ってしまうが、中間層などがファシズム化する恐れがある。 いま、小沢・検察戦争に対して極端な政治的無関心が広がっている。新聞も、検察批判が検察のリークとともに記事として伝えられるような、まったく整合性のとれない紙面になっている。インターネットのニュースランキングでは、小沢氏のニュースと、和歌山の「たま駅長一カ月程度の休暇」が 並んでいる。こうした状況を構造的に見れば、我々はいまファシズムの前段階にいることがわかる。日常的な政治とのインタラクションのなかで、ファシズムをより強化するようなことを無意識のうちにやっている可能性もある。不気味なことが進行しているが、それに対抗していく力がどこにもない。」 形式的には、佐藤はこの「大政翼賛会」状態を危惧しているが、そうではなくて、これは、佐藤が現在の「大政翼賛会」状態を誇示している、と読むべきである。そして、例によって「ファシズムの前段階」論を主張しているが、前から指摘しているように、佐藤が言っているようなありもしないファシズムの脅威など問題ですらなく、<佐藤優現象>こそがファッショ的である。いまだに自民党や右派を叩いて満足している左派が存在するが、それは、佐藤が正しく指摘する「大政翼賛会」化を促進しているだけである。 自民党にせよ民主党にせよ、日本国家・日本社会の排外性・親ファッショ的な性格を問題にしていないのだから、両党の抗争がそれなりに互角の場合には、相手に攻撃材料を与えないためにそうした傾向の顕在化を自重するが、権力が集中すれば、排外的・ファッショ的に必然的になるのである。それは、民主党や社民党がどのような看板を掲げようが関係ない。したがって、人権と平和に関心がある人間がまず批判すべきは、もはや力を失っている自民党や右派ではなく、「大政翼賛会」化している民主党政権であり、それと癒着を深めるリベラル・左派ジャーナリズムである。
by kollwitz2000
| 2010-02-28 00:00
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