いのしし神社としても親しまれている護王神社。足腰の健康祈願に高齢者の方からスポーツ選手まで多くの方に人気があります。かわいいいのししの像たちのご紹介と共に、なぜいのししなのか?ご祭神は?という疑問にもせまってみたいと思います。
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境内にはいのししがいっぱい
護王神社の境内にはいのししがたくさんいます。まずは鳥居の脇に狛いのししが居て、参拝者をお出迎えしてくれます。通常狛犬がいるのが一般的ですが、こちらの神社は阿吽のいのししで、護王神社のシンボル的存在になっています。いのしし神社として親しまれている所以です。
正面には大きな絵馬に飾られた拝殿があり、こちらにもいのししが居ます。
手水鉢にいるのは躍動的な黒いいのししです。囲いの中には小さくてかわいいいのししがぎっしり詰まっていました。
拝殿の奥には本殿があり、脇には足腰の健康を願う御祈願場所があり、いのししの石像のまわりにたくさんの願かけ串がさしてあります。
反対側には「坐立いのしし」のペアがいました。こちらの像は、他の勇猛な感じとは違ってかわいらしいフォルムと表情でした。
しかしなぜ護王神社にはこんなにもいのししがいるのでしょうか。それはこの神社のご祭神に深く関係があります。
護王神社のご祭神は
護王神社のご祭神は「和気清麻呂(わけのきよまろ)」公です。歴史の教科書にも登場しているので聞いたことがある方も多いと思います。彼を有名にしたのは奈良時代に起こった宇佐八幡神託事件です。
当時の天皇である孝謙天皇は、独身女性で子供がいないため、跡継ぎ問題は重要課題でした。そんな折、宇佐八幡宮からご神託があったと報告を受けます。
それは天皇からの信頼も厚く当時絶対的な権力を持っていた僧「弓削道鏡」を跡継ぎにせよという内容のものでした。そこで孝謙天皇は和気清麻呂に命じて、宇佐八幡宮へ出向き、ご神託を確認してくるよう命じます。
しかし清麻呂がもたらしたのは、「天皇は皇族が継ぐべきで、その道理に外れているものは排除せよ」というものでした。怒った天皇と道教により、清麻呂は姉と共に九州へ流刑の身となります。これが宇佐八幡神託事件の概要です。
しかし一年後、天皇が崩御し道教が失脚した後、清麻呂は都に呼び戻されることになります。その後清麻呂は懸命に働き、朝廷や人々のために尽くしました。姉の和気広虫姫も孤児を引き取り我が子として育てるなど、その慈愛の満ちた働きにより子育ての神様として、清麻呂と共にご祭神になっています。
いのししの伝説
さて、いのししと神社の関係ですが、護王神社といのししのつながりはご祭神である和気清麻呂との逸話にあります。清麻呂が流刑にされる際、足の筋を切られまともに歩けない状態にされました。そんな状態でも清麻呂は宇佐八幡宮に信託のお礼を述べに立ち寄ろうとがんばります。
しかし暗殺者まで差し向けられ絶対のピンチに。その時、どこからともなく突如現れたのが300頭のいのしし!清麻呂の周りを取り囲みながら、宇佐八幡宮までの道のりを守り案内したのです。まるで神様のお使いのように。
いのししの道案内を受けてから、清麻呂の足は治り歩けるようになったといいます。その逸話から今も足腰の健康祈願として護王神社は人気です。高齢者の方はもちろんスポーツ選手にも参拝されているそうです。お守りも足腰の図柄のものや、もちろんいのししの柄もいろいあります。
勤王の忠臣
護王神社は京都御所のすぐ側にありますが、元は神護寺の境内にあった清麻呂の廟でした。それが明治天皇の勅命により現在の場所に神社として祀られることになったのです。伝説も入り混じった不思議な事件ですが、清麻呂の行動は結果的に皇位継承を守ったということになり、歴史上忠臣の人物としてその名を後世にとどめることになりました。
- 護王神社
- 今出川・北大路・北野 / 神社 / パワースポット
- 住所:京都府京都市 上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385地図で見る
- 電話:075-441-5458
- Web:http://www.gooujinja.or.jp/