Feuerwaffen der Samurai
ドイツ人「サムライって、銃撃戦できるの?」(ドイツの反応)
http://www.geschichtsforum.de/f25/feuerwaffen-der-samurai-6798/
質問
サムライの武器に詳しい人に質問なんだけど...
質問1 :サムライが銃使ってる絵か、写真ってあるのかな?
質問2: サムライも、手裏剣(とか何かしらの飛び道具)の訓練はしてたのかな?
質問3:天皇に仕えていた兵士たちってどんな格好してたの?
15世紀、16世紀あたりのサムライの話ね。よろしく!
回答
諸侯がそれぞれ私兵団を雇う事はあったけどそれは、それも全ての諸侯ってわけじゃなくて、欲しい人だけが雇ってただけ。
そういう意味で、もしかしたら天皇の中にも私兵団を持っていた人もいるんじゃあないかな?
鎌倉時代は天皇も軍隊を持っていたっていうぞ?
それで、この軍隊からサムライ軍団や武家貴族が出てきたんだって!
Bdaian
Mitglied
サムライは2つの種類の銃を使ってたよ。
1つは口径の小さい火縄付きマスケット銃(種子島とかで製造されてた鉄砲だね)、それから口径は大きいけど比較的短い銃。
これだけじゃ想像難しいから例を挙げれば、ヨーロッパのアークウィバス(旧式の長い砲身の火器)とマスケット銃(短いヤツ)の違いみたいなもんだよ。
銃火器は1543年からポルトガル人によってもたらされて、日本人はそれを模倣して作っていたんだ。
防護術は鉄砲術とか砲術という名の下に教えられていた。
銃火器が用いられた最初の戦争は1575年の長篠の戦いで、織田信長が武田軍を駆逐するのに投入したんだ。
その戦いでは既に1000丁もの銃が使われていたらしい。
長篠の戦いがあった場所は今でも銃火器の祭典が毎年催されているんだってな。
今でも「タネガシマ」って呼ばれる先込め規則があるんだけど、これは日本で始めてマスケット銃が製造された種子島が由来なんだ。
写真は、こんなもんでいい?
他の質問に関してだけど、
天皇は少なくとも15・16世紀は兵隊を持っていない。少人数のボディーガードを除いて。
手裏剣は戦争用の武器というよりは、暗殺者用の道具だったから、サムライがその訓練を受けていたかっていうとあまり可能性はないと思う。
記事:クニッゲ
長い間更新が滞ってしまいまして、真に申し訳ございません。テストが終わりましたので、再び稼動いたします。待っていてくださった方々(もしいたらですけど)大変お待たせしました。引き続き御愛顧頂ければ何よりです。寒いですが、お体にお気をつけください...ウィーンは先日初雪が降り、氷点下に突入しております...
Janiboy
Mitglied
質問1 :サムライが銃使ってる絵か、写真ってあるのかな?
質問2: サムライも、手裏剣(とか何かしらの飛び道具)の訓練はしてたのかな?
質問3:天皇に仕えていた兵士たちってどんな格好してたの?
15世紀、16世紀あたりのサムライの話ね。よろしく!
回答
manganite
Premiummitglied
俺の知ってる限りじゃあ、天皇の兵士っていうのはいない。諸侯がそれぞれ私兵団を雇う事はあったけどそれは、それも全ての諸侯ってわけじゃなくて、欲しい人だけが雇ってただけ。
そういう意味で、もしかしたら天皇の中にも私兵団を持っていた人もいるんじゃあないかな?
da Pery
Mitglied
鎌倉時代は天皇も軍隊を持っていたっていうぞ?
それで、この軍隊からサムライ軍団や武家貴族が出てきたんだって!
Tib. Gabinius
Mitglied
質問に答える前に...つまりこれ以上話し合いが持たれる前に...
サムライの銃ってのは良くも悪くもポルトガルの火縄銃やマスケット銃のパクリだよ!
はじめのうちは、正確に模倣し、徐々に改良していったんだ。
ウェブで調べれば、写真の1つや2つ、すぐ出てくるんじゃないか?
2つ目の質問だけど、サムライは手裏剣もマキビシも使えない。
こういう武器ってのは戦争用には教えられていなかったと思う。
普通のサムライは剣や槍、弓矢や馬の乗り方を教わって、戦争に出かけた。
それからもちろん、合気道やなんかの武器を使わない武芸にも秀でていた。
天皇の兵士がどんな格好だったかって?
幕府が成立して政治の負荷から解放されてから「聖人」になって国民には触れることすら叶わない存在になったから兵士なんて要らないんだよ。
質問に答える前に...つまりこれ以上話し合いが持たれる前に...
サムライの銃ってのは良くも悪くもポルトガルの火縄銃やマスケット銃のパクリだよ!
はじめのうちは、正確に模倣し、徐々に改良していったんだ。
ウェブで調べれば、写真の1つや2つ、すぐ出てくるんじゃないか?
2つ目の質問だけど、サムライは手裏剣もマキビシも使えない。
こういう武器ってのは戦争用には教えられていなかったと思う。
普通のサムライは剣や槍、弓矢や馬の乗り方を教わって、戦争に出かけた。
それからもちろん、合気道やなんかの武器を使わない武芸にも秀でていた。
天皇の兵士がどんな格好だったかって?
幕府が成立して政治の負荷から解放されてから「聖人」になって国民には触れることすら叶わない存在になったから兵士なんて要らないんだよ。
Bdaian
Mitglied
サムライは2つの種類の銃を使ってたよ。
1つは口径の小さい火縄付きマスケット銃(種子島とかで製造されてた鉄砲だね)、それから口径は大きいけど比較的短い銃。
これだけじゃ想像難しいから例を挙げれば、ヨーロッパのアークウィバス(旧式の長い砲身の火器)とマスケット銃(短いヤツ)の違いみたいなもんだよ。
銃火器は1543年からポルトガル人によってもたらされて、日本人はそれを模倣して作っていたんだ。
防護術は鉄砲術とか砲術という名の下に教えられていた。
銃火器が用いられた最初の戦争は1575年の長篠の戦いで、織田信長が武田軍を駆逐するのに投入したんだ。
その戦いでは既に1000丁もの銃が使われていたらしい。
長篠の戦いがあった場所は今でも銃火器の祭典が毎年催されているんだってな。
今でも「タネガシマ」って呼ばれる先込め規則があるんだけど、これは日本で始めてマスケット銃が製造された種子島が由来なんだ。
写真は、こんなもんでいい?
他の質問に関してだけど、
天皇は少なくとも15・16世紀は兵隊を持っていない。少人数のボディーガードを除いて。
手裏剣は戦争用の武器というよりは、暗殺者用の道具だったから、サムライがその訓練を受けていたかっていうとあまり可能性はないと思う。
Janiboy
Mitglied
回答ありがと!
天皇の兵士についてなんだけど、18世紀か19世紀の絵で天皇の兵士を見たことがあるんだ。
服装はアメリカの南北戦争のやつそっくりなんだけど...こういうのってあったかな?
で、もう1つ質問なんだけどさ、この絵を見て欲しいんだけど、サムライがめちゃくちゃでっかい斧を持ってるよね、こんなに大きな斧って存在したの?
Bdaian
Mitglied
Broken Arrowさん、合気道は確かに戦いを出来るだけ暴力に頼らず終わらせる武道かもしれない。
でも、これはサムライが習っていたとかじゃあなくて、植芝盛平が考案したもの。
あらゆる武術を極めた植芝センセイがそれぞれの武道を研究して作り上げたんだよ。
それから、大東流合気柔術のビデオとかようつべで見れば、合気道全てが非暴力的ってわけじゃあないってことも分かるよ、きっと。
回答ありがと!
天皇の兵士についてなんだけど、18世紀か19世紀の絵で天皇の兵士を見たことがあるんだ。
服装はアメリカの南北戦争のやつそっくりなんだけど...こういうのってあったかな?
で、もう1つ質問なんだけどさ、この絵を見て欲しいんだけど、サムライがめちゃくちゃでっかい斧を持ってるよね、こんなに大きな斧って存在したの?
Tib. Gabinius
Mitglied
映画「ラスト・サムライ」にもあるように、日本は外国から大量に武器や関連器具、それに知識なんかも輸入していて、アメリカからも輸入品はあったはず。
だから、兵士の服装が似ていてもおかしくない。
でも、これっていうのは19世紀の話だから、 18世紀だと分からない。
斧についてだけど、これはサムライの強さをアピールするための図像学といっていい。
参考:図像学は、絵画・彫刻等の美術表現の表す意味やその由来などについての研究。イコノグラフィー。icon はギリシャ語のエイコーンに由来する語。洋の東西を問わず、近代以前の美術作品は、今日の美術のように作家の個性や美そのものを目的とするというよりも、その作家の属する社会において、成員ならば了解可能なモチーフの組み合わせによって、社会的、宗教的などのメッセージを表出する性格が顕著であった。(Wiki)
本当に使われていた斧のサイズはこれ:
映画「ラスト・サムライ」にもあるように、日本は外国から大量に武器や関連器具、それに知識なんかも輸入していて、アメリカからも輸入品はあったはず。
だから、兵士の服装が似ていてもおかしくない。
でも、これっていうのは19世紀の話だから、 18世紀だと分からない。
斧についてだけど、これはサムライの強さをアピールするための図像学といっていい。
参考:図像学は、絵画・彫刻等の美術表現の表す意味やその由来などについての研究。イコノグラフィー。icon はギリシャ語のエイコーンに由来する語。洋の東西を問わず、近代以前の美術作品は、今日の美術のように作家の個性や美そのものを目的とするというよりも、その作家の属する社会において、成員ならば了解可能なモチーフの組み合わせによって、社会的、宗教的などのメッセージを表出する性格が顕著であった。(Wiki)
本当に使われていた斧のサイズはこれ:
Mariat_San
Mitglied
俺の知る限り、サムライは手裏剣なんてつかってない。
手裏剣は忍者でしょう。
手裏剣の特質は「静かに迅速に」人を殺せること、これって忍者の鉄則だからね。
2番目の質問についてだけど、Tib. Gabiniusさんと同意見かな。
合気道は、暴力なしに戦いを終わらせるために教えられていたと思う。
その他にも、木刀での稽古や、杖道、弓道なんてのが教えられていた。
参考:杖道は、古武道の神道夢想流杖術を起源とする現代武道である。(Wiki)
合気道については僕に直接聞いて欲しい、習ってるから!
俺の知る限り、サムライは手裏剣なんてつかってない。
手裏剣は忍者でしょう。
手裏剣の特質は「静かに迅速に」人を殺せること、これって忍者の鉄則だからね。
Broken Arrow
Mitglied
2番目の質問についてだけど、Tib. Gabiniusさんと同意見かな。
合気道は、暴力なしに戦いを終わらせるために教えられていたと思う。
その他にも、木刀での稽古や、杖道、弓道なんてのが教えられていた。
参考:杖道は、古武道の神道夢想流杖術を起源とする現代武道である。(Wiki)
合気道については僕に直接聞いて欲しい、習ってるから!
Bdaian
Mitglied
Broken Arrowさん、合気道は確かに戦いを出来るだけ暴力に頼らず終わらせる武道かもしれない。
でも、これはサムライが習っていたとかじゃあなくて、植芝盛平が考案したもの。
あらゆる武術を極めた植芝センセイがそれぞれの武道を研究して作り上げたんだよ。
それから、大東流合気柔術のビデオとかようつべで見れば、合気道全てが非暴力的ってわけじゃあないってことも分かるよ、きっと。
記事:クニッゲ
長い間更新が滞ってしまいまして、真に申し訳ございません。テストが終わりましたので、再び稼動いたします。待っていてくださった方々(もしいたらですけど)大変お待たせしました。引き続き御愛顧頂ければ何よりです。寒いですが、お体にお気をつけください...ウィーンは先日初雪が降り、氷点下に突入しております...
俺はドイツ史ぜんぜんしらないのに。
でも種子島で銃はつくってないよ。
日本も寒いぞ・・・
どこがだよw
突っ込みどころ満載じゃねえか
そもそも織田の弱兵の足軽>>伊賀忍者なのに。織田家は主体が百姓の馬上の上に徒歩で足軽しかおらん。ドイツ人にとってはファンタジーなんだろう。
北欧の人間やポーランド人は普通に知ってる事なのにな。
たしかに江戸時代は当て身の多用を嫌う風があったらしいけど、実際の技は急所への当て身だらけ。傷つけるどころか殺す気の技が多い。
特に戦国期、あるいはまだその空気が残っていた江戸初期に生まれた柔術は、甲冑の重さを利用して頸椎を砕くといったえげつない技が多い。
棒手裏剣みたいなのをなげてひるませるっての。
地味に必須技術。
実際はほとんどは
「えい!」ってなげて「うわ!」ってビックリしたときに
「にげろー!」だし
手裏剣に毒などぬって当たってその毒で重傷か死亡までって感じなのに。
投げる距離も4mとか近距離だぜーw
ナルトの影響がでかいのかな?w
火縄銃が一気に普及したのは
もっと簡素なものだろうけど既に火器が広まっていたためっていう説もあるね
元寇のときにてつはうもあったわけだし
でも、せいぜい10mぐらいしか有効じゃないしな
そして朝鮮出兵後は他家でも武士の習いとする傾向が広まる。
また国中に銃が氾濫したのにもかかわらずほぼ廃絶させたのも日本だけ
ノエル・ペリンの鉄砲を捨てた日本人
すごく面白いからおすすめ
日本ってのを勘違いしているよね?
そもそも、天皇が兵士を指揮しているとか考えたことが無かったわw
ちなみに、ラストサムライを外国人は、15、16世紀と思っているみたいだけど。
残念ながら、1800年代のお話。
そんな対して古くも無いけど?
それと、モンゴル帝国が銃を使っているから、銃の歴史は更に古い。
それこそ、マスケット銃の方がパクリなんじゃないのか?
ついでに、歌舞伎役者までサムライとか言わんで欲しい!
日本には、武士以外にも職業はありましたよw
サーカスじみた鉄鞭術や含針術とか知ったら驚くだろうな
欧州が植民地にやってきたことと同じく現物を売っただけ。
どうせ銃を作る技術は無いだろうとふんでね。
実際、これは大儲けできると見込んだ彼らは、本国に帰ってから大量の鉄砲を仕入れて日本に売りに来たんだから。
まさか極東の黄色人種が僅か数年でポルトガルより高性能な銃を大量生産するとは思ってなかったんだろうねw
源平とかさ
ポーランド人「腹筋割れたwどうしてくれるww」
イギリス人「知識ナチ以下かよ現代ジャーマン」
フランス人「これはひどい」
イタリア「え? サムライにも銃撃戦あったの?」
アメリカ人「イタリア、ちょっとこっちで勉強しようか…」
どうでもいいが黒船時代のアメリカ人は
次々と乗船して黒船の採寸やらデッサンを始めた
日本人の船大工達に鳥肌が立ってしまったらしい。
白井流や根岸流やら武士も手裏剣やってたし
手裏剣で暗殺とか冷静に考えれば難しいと解るだろうに
江戸時代でも幕臣で無い武士(公家や皇族に直接仕えていた武士)はいた。
武士としての最低給与である三石しか所得が無い者が多かったため、三石さんとからかわれたとか。
その公家侍が主人公の「公家侍秘録」という漫画もある。
※9
一人の意見を「外人が~」なんて全体に拡大するお前がスレのドイツ人より賢いとは到底思えないし、お前がスレのドイツ人の日本に対する知識よりドイツへの知識を持っているとはもっと思えん。
日本人がみんなお前みたいな馬鹿だと思われたらかなわんから二度とネットで書き込みすんな。
「この国じゃ銃が大金になるぞ!大急ぎで帰って大量にもって来ようw」
数年後 再びやってきたら持ってきた銃より高性能な銃がその国にあった
暗殺用に手裏剣とか、マンガを真に受けすぎ
まぁ、※欄の日本人も手裏剣は毒塗って相手に投げて逃げるものとか言っちゃってるから、外国の人がそこまで本格的な利用法知ってるはずはないが
具足や甲冑もそりゃ防いではくれるだろうけど
西洋騎士やヴァイキングが装備してる盾って
やっぱ生き残る可能性も増えると思うんだよね
足軽みたいな雑兵は槍一本で死んでこい扱いなのは分かるけど
いくつか変なところもあるけど。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314495623
身分にもよる。天皇家に何事かあると比叡山麓から出てくる八瀬童子なんかは普段は村人の格好。
それから100年もしないうちに超巨大戦艦を作っちゃうんだよなあ…。
日本の歴史は某国と違って実証主義で、コメで言っているのは殆どが事実ですけど。
※39
当時、ポルトガルから製法は教えられずに、推測で日本側が全て作ったからパクッたではなく模倣。引き金等の機構部も独自改良したし。
持ち込まれてすぐに種子島で複製が作られていたはず
分業による本格的な量産は堺で始まったが
種子島はもともと資源の関係で鉄を精製する技術があったため、わずか1年で発砲しても銃身が割れない銃を作り上げることに成功してしまった
その後、堺で分業による大量生産と技術革新があって、ポルトガルが貿易しようと船に大量の銃を積み戻ってきた頃には商売にならなかったという
後、坂本竜馬もよく拳銃を持っていてこれで襲撃者をビビらせた事もある。
サムライじゃなくて演技中の歌舞伎役者(海野小太郎役の市川團十郎)ですが
日本は昔から基礎になる技術がしっかりあったんだよな
理屈も解らずただパクってるのとはわけが違う