1: 日本@名無史さん 03/07/22 01:33
NHKアーカイブス「戒厳指令…交信ヲ傍受セヨ ~二・二六事件秘録~」
を観ていたうちの爺さん曰く。
死刑になったはずの将校が生きとったけどなあ…
実際、そういう噂はあるんでしょうか。
2: 日本@名無史さん 03/07/22 01:41
明日お爺さんを病院に連れていって精密検査を受けさせた方がいいです。
どのような結果であろうと決して動揺してはいけません。
5: 日本@名無史さん 03/07/22 02:19
>>2
ありがちな、昔の話は良く憶えてる爺さんなんですよ。
戦時中の話聞いたときもやたら具体的だったし。
通信隊所属で、色々噂が入ってきてたそうです。
6: 日本@名無史さん 03/07/22 07:09
他人から聞いた話が年月を経ると
自分の体験にすりかわるという例は意外と多い。
7: 日本@名無史さん 03/07/22 07:21
裁判から判決までの過程が非公開のため、
あるいは、判官贔屓の国民感情から
青年将校は実は生きていて、全員満州に送られたという噂も生れたらしい。
8: 日本@名無史さん 03/07/22 08:49
>>7
戦後の横浜のBC級裁判でも
戦犯の遺体を遺族に返さなかったので
「処刑された人を北海道で見かけた」とか「みんな、炭鉱で働いている」
と噂が絶えなかった。
そういうことって、くちコミでよくあったことだよ。
二二六将校は処刑されたと思うよ
遺族が遺体引渡しを受けているしね
顔にベッタリと銃殺された時の血のりがついていたそうだよ
詳しくは「妻たちの二二六」澤地久枝・・参照。
33: 日本@名無史さん 03/07/23 08:11
陸軍では死刑は銃殺刑。3回射手に「ウテ、ウテ、ウテ」を命ずる。
射手は目が眩み、目標を見失う。為に弾丸は外れる。彼等は放免となる。
マジ
9: 日本@名無史さん 03/07/22 09:22
起訴された将校19名のうち、
死刑は13名で禁固刑が6名だから生き残った人間もいるわけで。
ただ、死刑は関係者の証言から疑いの余地がない。
10: 日本@名無史さん 03/07/22 09:40
事件に連座したが起訴されずに軍務に復帰した将校もいたから、
そういう人たちを見た兵が実体を詳しく知らないまま
2.26の生き残りという噂を立てた?
11: 日本@名無史さん 03/07/22 21:20
可愛そうなのは兵達だよな。
全員逆賊のレッテル張られて激戦地に転属だもの。
13: 日本@名無史さん 03/07/22 21:30
彼等が決起した理由ってなんだったんだろう?
19: 日本@名無史さん 03/07/22 22:28
故柳家小さん師匠も、巻き添えにされそうになったんだっけ。
20: 日本@名無史さん 03/07/22 22:34
>>19
小さん師匠は入隊したての時にわけも分からず
命令だーーーー!と言われて参加したんだよね
歩三の新兵だったそうな。(東京出身者が配属された)
その後は満州に目隠し列車で送られ
弾除けにされながらも奇跡の帰還。
一般的に、二二六に関係した兵は、何度も死ぬまで召集されたって言うね
「今度こそ白骨になって帰れ!」って罵声を浴びたらしい
21: _ 03/07/22 22:55
軍板に書いてあったが、小さん師匠の部隊が(どこかは忘れた)施設占拠中、
上官が「気がふさぐから何かやれ」と言うので師匠は落語を一席ぶった。
しかし、状況が状況なので誰一人として全くうけなかったそうな。
ずっと後年、師匠は
「今までであれほどうけなかったことは無かった」
と述懐していたという。
22: 1 03/07/23 00:20
>>7-10
レスありがとう。
やっぱし、そういう類のことなんでしょうね。
当の爺さまも直接見たわけじゃないと言ってたし。
曰く、奉天の満軍に3人、2・26事件で
死刑になったはずの将校がいると聞いた、だそうです。
まあ、実際に見たとか言い出したら、それはそれで信じ難かったのだろうけど。
ちなみに爺さん、通信隊にいたおかげで、
早いうちから大本営発表の嘘もわかってて、
もうこの戦争は駄目だなと思ってたとか。
情報的には良い位置にいたんだな。
それだけに根拠の無い噂も入ってきたのかも。
34: 日本@名無史さん 03/07/23 08:11
>>23
うちの爺さんなんて悲惨だぜ
身長130cmで、5人兄妹の中では
一番長身だったけれど、徴兵されなかったのな。
ご近所を見渡すと、戦死者続出で、
親兄弟全員無事ってのは、逆に肩身が狭かったんだ。
終戦間際まで徴兵されなかったんだけど、直前で召集されて大喜び。
すでに村八分に近かったからな。
勤めていた某大手兵器工場の工員とご近所一同に、
涙の別れと激励で、万歳三唱されて送り出されたんだ。
皆とに向かう途中に、遺書をしたためたんだそうな。
行き先が南方だったからね。死ぬつもりで出てきたんだ。
涙で滲む視界を押さえつけて、やっと遺書を書き終えた頃、港についた。
員数合わせの為に並んで、検査の順番が来たので元気に返事をして、
検査官の前に進んだんだ。
そうしたら、小さくがりがりに痩せて眼鏡を掛けていた爺さんを見て
「おい、お前は今まで何をやってた?」と聞かれ、
○○の工場で銃身を削り出す職人をしておりました」といったら、
「馬鹿やろう、さっさと帰って、お国の為に鉄砲を作らんか!」
と、追い出されたんだそうな。
爺さんも必死で食い下がって、
出兵しないと家族全員で夜逃げしかないと
泣きながら頼んだんだそうな。
35: 日本@名無史さん 03/07/23 08:21
そうしたら、それを聞いた偉いさんが
「この者の技量は、国家の宝であるので、工場で更なる健さんを積ませる様に」
と書いてくれたんだ。
まあ結局は、あまりにもみずぼらしい兵士を見て、
さっさと追い返したかったんだろうけどな。
悲惨なのは、この後だ。
家に帰ったんだけれど、結局一家で引っ越さなきゃいけなくなってさ。
全員が働いていたから、他の家よりも金に余裕があったのが災いした。
金で逃げてきたとか、非国民呼ばわり。
警察は書状を認めて来なかったんだけれど、
ご近所は納得しなかったんだよ。
家族が3つに分れて、別の街に引っ越す事になったんだ。
ひと家族が広島へ、もう一つが名古屋、もう一つが東京。
結局生き残ったのは、東京にいた爺ちゃんとばあちゃんだけ。
36: 日本@名無史さん 03/07/23 10:17
>>34-35
。・゚・(ノД`)・゚・。
>親兄弟全員無事ってのは、逆に肩身が狭かった
>すでに村八分に近かった
>他の家よりも金に余裕があったのが災いした
このへんすごくリアリティがあって泣ける・・・蛍の墓みたい
48: 日本@名無史さん 03/07/23 15:03
決起将校の最先任で自決した野中四郎大尉の弟が
特攻兵器「桜花」の陸攻隊指揮官野中五郎少佐。
37: 日本@名無史さん 03/07/23 10:40
昭和17年、オランダのジャワ、バンドン要塞を750名の寡兵で攻撃。
陥落の端緒をつくった若松大隊の若松満則大隊長も
226事件で一時拘束されたが無罪となった。
彼は、熊本陸幼、陸士予科、本科、歩兵学校を全部ビリで通したという逸話の人。
敗戦時には間島(満鮮度国境)で自決したとか。
26: 日本@名無史さん 03/07/23 07:11
栗原安秀中尉は家庭を持つ身でありながら、
ひそかに愛人と密会を重ねて妻を裏切り続け、
蜂起直前に地方の同志と打ち合わせをするときでさえ
愛人を帯同していたという。昭和維新がきいてあきれる。
天保銭組に嫉妬するあまり一旗上げようとしただけの、ただの出世主義者だ。
30: 日本@名無史さん 03/07/23 07:43
>>26
栗原って「ヤルヤル中尉」だよね
突っ走った先頭
「狂うほどに国を愛せ」って遺書は栗原だっけ?
磯田だっけ?
28: 日本@名無史さん 03/07/23 07:22
仕事と女は別
天保銭組と無天組の対立なんて言われてるほどなかったんだよ
ましてまだ20代の尉官クラスにおいては…
31: 日本@名無史さん 03/07/23 07:44
で北を騙った偽電話って誰の差し金よ?
大川周明あたりの策動か?
32: 日本@名無史さん 03/07/23 07:52
>>31
「キタ、キタ、キタだ」「カネ、カネ、大丈夫か?」ってのが
今の”オレ・オレ詐欺”みたいで笑えたな
電話で人を騙す時は、ばれない様に
単語を乱発して口調を出さないようにするんだー
気をつけよう・藁
39: 日本@名無史さん 03/07/23 11:07
マレーの虎の山下大将が
軍零部と反乱軍との間で説得してたのが驚いた。
そのために左遷でインドシナへ
40: 日本@名無史さん 03/07/23 11:15
軍需部が何でここに出てくるの???
44: 日本@名無史さん 03/07/23 12:28
「軍令部」じゃないの?
>>39 軍"零"部?
>>40 軍"需"部?
タイプミスでせうか???
46: 日本@名無史さん 03/07/23 13:44
今度は海軍?軍令部
47: 日本@名無史さん 03/07/23 13:46
ネタ、釣りにいちいち反応するなよ!
51: 日本@名無史さん 03/07/23 15:51
山下奉文も、あん時検挙されるか退役してれば、敵軍の捕虜になり
絞首刑なんぞになることなかったろうに、本人も悔やんだろうな。
54: 日本@名無史さん 03/07/26 07:59
>>51
山下は、情勢がどっちに転んでもいいように狡猾に立ち回っていたからな。
途中までは叛乱軍にもかなりいい顔を見せていた。
しかしさすがは昭和帝、山下のずる賢い振舞いを見事に看破、
以後、陛下から徹底的に嫌われて干されまくり。
まあこのとき予備役に編入されてた方が山下にとってはよかったな。
小悪党にふさわしい末路をたどったというべきだろう。
55: 日本@名無史さん 03/07/26 08:16
いや、山下は皇道派としてかなり旗幟がハッキリしていた。
だから、自宅を盗聴されたわけで。
事件発生後に出した陸軍大臣告示はかなり決起将校に
肩入れした内容だが、山下の考えを入れたという。
二股膏薬だったのは石原莞爾で、それまで皇道派寄りだったが
昭和天皇の意図を知ると討伐を主張。
昭和天皇が怒り狂ったのも、秩父宮が絡んでおり
皇位簒奪を狙っていたと判断、厳しい措置を望んだため。
ああした家柄では、千年前も現代も同じ意識が続いていると聞く。
60: 日本@名無史さん 03/07/26 14:42
「陸軍大臣告示」をつくった(というか捏造した)のは
第一師団の参謀だったというのが、最近の研究じゃないの?
「陸軍大臣より」の原文をつくったのは山下と村上だけど。
59: 日本@名無史さん 03/07/26 10:26
先ごろ公表された迫水久常(当時岡田首相秘書官?)氏の肉声証言では
一番ケシカランのは山下少将だった、と言ってるね(2.26事件)。
69: 日本@名無史さん 03/07/26 17:52
鈴木侍従長を撃った同込曹長は裁判の時、
お前はなぜ中隊長の命令が出たとき間違っていると思わなかったのか、
思ったら意見具申しなかったのかとか、
中隊長が陛下を殺せと言ったら殺すのか、
など散々いたぶられたとか。
70: 日本@名無史さん 03/07/26 18:04
どっちかっつうと、堂込曹長より安藤大尉のほうが殺す気は薄かった。
24: 日本@名無史さん 03/07/23 04:42
事件の渦中、安藤大尉の処に、
秩父宮に可愛がられた歩三の森田利八という将校と
連隊長の渋谷三郎が何度も訪れ自決を勧めている。
この後、安藤は自殺未遂を起こしたが、これは、
秩父宮の言を受け入れたのではないか?と
保坂正康は言ってたが(昭和史の論点)。
29: 日本@名無史さん 03/07/23 07:41
>>24
226の最大のタブーが秩父宮の関係だよね
「迎えに来い」って言った・言わない・・から始まってさ
安藤は最後まで、決起に反対だったんだよね
誠実な人柄で人気があったらしいし、
NHKで見た未亡人もちゃんとした人ってのがにじみ出た人だった
81: 日本@名無史さん 03/09/13 22:24
2.26事件で何が許せないって宮城を占拠して
天皇の身柄を押さえなかった間抜けぶりが許せない。
82: 日本@名無史さん 03/09/14 08:31
>>81
宮城占拠、天皇の身柄拘束、
自ら政権の奪取という考えが彼らの頭のなかには
想像もできなかった点が、
世界で星の数ほど発生している
「クーデター」とは違うのではないか?
だから、2・26「クーデター」ではなく、
2・26「事件」であり、昭和「革命」ではなく、
昭和「維新」ではないかと思う。
たしかに間抜けかもしれないが、
それ以上に一度事を初めておいて3日4日で
兵を撤収しようとする方が私は許せない。
例外は安藤大尉ぐらいか?
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