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原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』

原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』_b0138838_21005137.jpeg アメリカの大統領選の結果が確定する直前に本書を読んだことは単なる偶然ではあるが、偶然と片づけることができないいくつもの暗合を知る。「これは『遠い昔』や『遠い場所』の話ではない」という帯に記された言葉が重い。

 優れた憲法を有し、民主的国家として知られたワイマール(本書ではワイマル)共和国がいかに暗転し、ナチス・ドイツという鬼子を産んだのか、私はこのブログでレヴューしたいくつかの研究を通してこの点を繰り返し考えてきたが、本書もその一環であると同時に、今日このような問いを質すべき切実さはかつてないほど高まっている。本書はきわめて堅実で実証的な歴史研究であり、決して読みやすい内容ではない、特に理論的枠組が論じられる序章と第一章を読み通すためにはある程度の忍耐が必要だ。しかしナチズムの台頭が詳細に論じられる第二章以降はもはや別の時代の記録とは感じられないほどに現代と直結している。それはおそらく今日、私たちはかつて経験したことがないほどにむき出しの暴力にさらされている思いがあるからであろう。

 序章で原田はナチス・ドイツが権力を握るにいたった過程の中で二つの暴力が存在したことを指摘する。一つはワイマール共和国体制に対して右翼と左翼の急進派からなされた体制転覆志向暴力であり、いずれも蜂起と鎮圧という回路を経る。ワイマール共和国前期に顕著であった暴力だ。これに対して、ワイマール共和国中期から後期にみられた、結果的にワイマール共和国を崩壊へと導いた暴力ははるかに複雑な力関係を伴う。そこには右翼と左翼だけではなく四つのモメントが加わる。すなわち右翼急進派たるナチス、左翼急進派である共産党、そしてワイマール共和国を擁護する共和国擁護派、鉄兜団などの共和国に否定的な保守派であり、原田はこれを党派対立型暴力と呼ぶ。ワイマール共和国の崩壊はこれら四者の力関係の推移によってもたらされたことが本書の中で縷述されるわけであるが、最初の暴力が体制と反体制という「縦」の比較的単純な力学の中に了解されるのに対して、二番目の暴力は党派相互のさらに複雑な「横」の力学において確認される。

 「暴力で始まった共和国」と題された第一章においてはワイマール共和国成立直後のドイツの状況が粗描される。私はこれまでワイマール共和国を戦間期に奇跡のように生じた自由のユートピアのごとくみなしていたが、実際には多くの当事者たちの妥協の産物であり、まさに累卵の危うさの上に成立していたことを知った。選挙や闘争、そしてヴェルサイユ条約という重い枷、それぞれの党派は自らの利害に応じて行動を起こす。1919年、ワイマールに召集された議会がヴェルサイユ条約を締結し、憲法を制定することによってドイツはようやく国家としての結構を整える。しかし左右両派からの間断なき攻撃は続き、ゼネストと暗殺、騒擾が続発する。本書を通読するならばこの時期のドイツの歴史があたかも革命直後のような暴力の連鎖によって成り立っていることが理解される。ワイマール文化にどこか牧歌的な憧憬を感じていた私にとってここで開陳される事実は意外なものであった。しかもかかる暴力は右翼と左翼、両方によって繰り返された。20年の右派によるカップ=リュトヴィッツ一揆、ルール赤軍、ユダヤ人で外務大臣を務めるヴァルター・ラーテナウの暗殺と続く暴力の応酬は23年、ヒトラーによるクーデター未遂、いわゆるミュンヘン一揆まで続く。この後、急進派の勢力が衰え、経済的な回復と比較的安定した国際情勢の中で1920年代中盤のワイマール共和国は相対的安定期を迎える。ワイマール文化が花開いたのはこの時期である。しかし各派の連立による政権は安定せず、共和国とドイツ帝国の国旗のいずれを公認するかという「国旗闘争」にみられるとおり、国家の象徴的基盤さえも脆弱であったのだ。そこに進出してきたのがナチズムである。ヒトラーはミュンヘン一揆によって収監されるものの、すぐに釈放され、ナチ党の基礎を固める。ヒトラーはナチ党を自身の「個人商店」とするだけでなく、「ヒトラー・ユーゲント」「ナチス学生同盟」さらには職業別に「ナチス教員同盟」といった組織を固めてゆく。その中に武装集団としての悪名高きSA(突撃隊)が含まれていたことはいうまでもない。

 ナチズムが力を得るうえで原田が注目するのは「街頭政治」と呼ばれる機制だ。ベルリンに赴任したゲッペルスはナチ党の権威を高めるために街頭で示威的な行動を繰り返す。第一にナチの制服を着た党員による街頭行進であり、それに引き続く集会である。しばしば大ホールがこの目的のために使用され、人々にナチ党の結束と統制を印象づけた。さらに党員を乗せたトラックがシュプレヒコールとともに街路を走行する「プロパガンダ走行」と早朝にビラを配布する「早朝プロパガンダ」などが頻繁に実施された。当時は辺鄙な土地でさえ、ナチスの集会が行われなかった日はほとんどなかったという報告が残されている。街頭における政治の可視化こそがゲッペルス=ナチズムの手法であったことがよくわかるエピソードが次々につづられる。しかしこの時期、必ずしもナチ党が圧倒的に優勢であった訳ではない。「市中化する政治的暴力」と題された第三章においては私的武装勢力同士の闘争が粗描される。この時期、各勢力は政治活動に軸足を置いたパラミリタリー組織を編成する。SAがその代表格であることはいうまでもないが、右翼勢力としては鉄兜団、青年ドイツ騎士団、共和国を擁護する国旗団、そして共産党の武装組織であるRFBが代表的な組織であり、複数の準軍事組織が互いに闘争を繰り広げるという、体制転覆志向暴力から党派対立暴力への移行が認められる。さらにこれら全てに対して治安を維持するために警察が敵対する訳であり、彼らの力関係はきわめて複雑である。興味深い点はこの過程でナチ党は労働者階級への浸透を図っていることだ。当時の労働者をめぐる環境が劣悪であったことは本書の中でも触れられているが、そこへ触手を伸ばしたのが共産党とともにナチ党であった点は現在のアメリカにおけるラストベルトの状況を連想させる。共産党とナチ党の衝突は1927年のリヒターフェルデ東駅での乱闘で一つの頂点を形作り、SAの凶暴さを人々に印象付けたという。しかしこの時点ではSAは公認されておらず、逆に警察によってベルリンでの活動禁止が命じられている。この時期の政治的暴力は必ずしも相手の殲滅を目指すものではなく「ささやかな暴力(クライネ・ゲヴァルト)」と呼ばれている。しかしこれはささやかであっても、暴力が政治にとって一定の効果を有していることを認識させる意味があり、そこから人類史上まれにみる暴力の高まりまではさほど時間がかからなかった。

「頻発化する政治的暴力」「日常化する政治的暴力」と題された第四章と第五章は本書の読みどころであり、マクロとミクロの二つの視点からワイマールにおける政治的暴力の特性を分析している。1929年の大恐慌の発生以来、ドイツの政治は混迷をきわめる。ヒンデンブルク大統領のもと、ブリューニング、パーペン、シュライヤーという三つの内閣はナチ党と微妙な距離を保ちながら綱渡りのような政権運営を続ける。これに関して興味深い指摘がある。すなわち党勢を拡大するこの時期のナチ党の支持基盤を子細に分析するならば、ナチ党はあらゆる社会階層、集団から万遍なく支持を集めており、他の政党よりもむしろバランスのとれた社会的支持を得ていたという事実である。近年の研究では定説となっているということであるが、この意味においてナチ党はドイツ史上初の「国民政党」であったという。しかしその理念たるや反ユダヤ主義、反ヴェルサイユ条約、反マルクス主義、反共産主義、反資本主義、反議会主義、反民主主義といったひたすらネガティヴな主張を繰り返すものであり、この結果、現状に不満を持つ人々を糾合することができたと原田は説く。これもまた現在のアメリカ、そして日本の窮状を想起させる事実ではないだろうか。かかる状況で共産党とナチ党の暴力はエスカレートする。ベルリンSAのホルスト・ヴェッセルが共産党員に襲撃されて死亡するや、ゲッペルスはヴェッセルを偶像化し、市中における政治的暴力は激化する。これに関して原田は銃器を含む無数の武器が市中に出回っていた点についても注意を促している。実際にそのような暴力はどのような場所で発生したのか。ここで原田は劣悪な衛生環境のもとに暮らすことを余儀なくされたベルリンの労働者たちが居住する貧困地区、キーツとよばれる個々の区画に着目する。当然このような地域は共産党の勢力が強かったが、縄張り意識の強い一種の無法地帯であったという。そこにナチ党員が入った場合、制服や徽章によって身元を確認され、直ちに襲撃を受けたという。しかし先に述べたとおりナチスは次第にこの地域でも勢力を拡大し、キーツは街頭闘争の最前線となった。その際に重要な役割を果たしたのは町中に存在する酒場であった。この時期、市中に酒場が急増し、政治的党派がたむろする政治的酒場も多く店を開き、それらの酒場は政治的集会、ビラの印刷や保管、党派的新聞の閲覧、さらには先に触れた早朝プロパガンダの基地として機能した。かくして酒場は一種の要塞と化し、党派を同じくする者たちがそこから出撃し、時に他党派からの攻撃の対象となり、さらには警察の取り締まりの対象となった訳である。本書においてはそのようなキーツの一つ、ノスティツキースという労働者地区を一つのケーススタディとして、そこに点在した酒場とその性格、そして1930年から32年の間にこの地区で発生した政治的暴力が列挙されている。リスト化されて列挙される暴力から、私はかつてこのブログで論じたボラーニョの『2666』の中で羅列されたメキシコにおける連続女性殺人事件の詳細に関する延々とした記述を連想した。首都の街区でこれほど多くの暴力事件が発生し、それらが政治と結びついていたとはにわかには信じがたいが、これがワイマール共和国末期の状況だった訳である。

「ワイマール共和国の終焉」と題された第六章では、1930年代に入り、いよいよナチスが地歩を固め、ヒトラーの独裁にいたる道筋が論じられる。共和国の終焉から第三帝国の勃興、そこには明らかな連続がある。市中での暴力はSAが主体となってさらに激しさを増し、この時、酒場は時にSAによる拘禁施設として用いられたという。逆にこのような暴力や拷問、拘束を市中で行うことによってナチスはそれらを可視化し、市民たちを恐怖によって支配した。一方で自分たちが抑圧されていると感じた者たちは「補助警察」としてナチスの走狗となってこのような暴力に手を貸してゆく。これもまた今や見慣れた風景だ。1933年にヒトラーが首相に任命されるや、同年の国会議事堂放火事件と授権法の成立によってナチスは独裁体制を敷く。「ナチズム前夜」である本書にはワイマール共和国が崩壊したこれ以後の経緯については十分な記述がない。しかしここにいたって「党派対立型暴力」は「国家テロ型暴力」へと変貌を遂げたという。もはやナチス以外に暴力装置は存在せず、警察もその中に組み込まれていく。それを補完したのは最初市中の酒場がその役目を担い、最終的には恐るべき殺人機械と化した強制収容所という施設であった。かかる暴力の帰結を私たちは知っている。翌34年には「長いナイフの夜」によるレーム粛清、1938年のオーストリア併合、いわゆるアンシュルスと「水晶の夜」、メルクマールとなる事件が続き、39年のポーランド侵攻によって遂に第二次大戦の火蓋が切られることとなったのだ。

「ワイマール共和国を考える」という最終章で原田は興味深いモデルを提案する。「体制転覆志向型」から「党派対立型」、そして「国家テロ型」へといたる暴力の連鎖を原田は扇状地というモデルによって説明する。つまり川が山地から平地に流れるがごとく、最初は暗殺や蜂起といった衝撃的なかたちで可視化された暴力はいったん伏流水となって地下に潜む。しかしそれは暴力が消え去ったのではなく日常化したにすぎない。一度地表から消えた暴力は最後の段階で激しい湧水となって社会を覆い尽くすというものであり、本書で確認されるワイマール共和国における暴力の発現形態はこれを証明している。そしてもう一つ重要な点は「体制転覆志向型」では国家的な事件として登録された暴力が、「国家テロ型」においては近隣社会、日常社会の中で繰り返されることである。暴力は次第に私たちに接近する。二番目の段階、つまり「党派対立型」の暴力が両者を媒介し、本書で詳述されるとおり、露骨な街頭でのデモンストレーションと市中化する政治暴力はその指標といえるかもしれない。一見、平穏化した社会において実は暴力が日常化、内面化され、最後の破滅的な暴力としてほとばしるという発想は示唆に富む。

本書を通読してあらためて様々なことを考えた。ナチス・ドイツがむしろ大衆の支持を得て勢力を拡大した点はこれまでも指摘されてきたし、食文化や身体管理、娯楽やファッションといった分野においてきわめて巧妙に大衆を操作してきた点についても多くの研究がある。本書を通して私は制服や行進といった規律を可視化することによって、一種の理想的な国家像、国民像を提示する「ナチスのやり口を学んだ」(日本の愚かな政治家が口にした言葉だ)実際に私自身もかつてナチスの党大会を記録したレニ・リーフェンシュタールの「意志の勝利」を見て、それがプロパガンダといった言葉によっては形容できないほどにみごとなフィルムとして実現されている点に驚いたことがある。さらに原田が提出する「扇状地モデル」が日本の戦時体制にも当てはまるかという問題も興味深いが、さすがに私にはそれを判断するだけの知識がない。

本書はまさに「遠い昔」の話ではない。さすがに現在の日本において夜ごと酒場で発砲事件、政治的な暴力が発生するといった状況はありえない。しかし私たちは現実の暴力に劣らぬ激しい暴力が言葉を媒介として吹き荒れている時代を生きている。インターネットを介した言葉の暴力だ。この点を原田は序章の中で次のように述べている。帯にも印刷されている箇所である。


自らの正当性を声高に主張し、相手の声には耳を貸さず、それどころか政治的に敵対する者を「悪」といして徹底的に攻撃する、たとえ身体的な暴力ではないにしても、言語的な暴力で相手を叩いて追い詰めていく、そうした現実がわれわれの「現在」であるとすれば、ワイマール民主主義が陥った状況を「現在」に重ねわせ、「現在」を考える材料とすることは、あながち的外れとは言えないのではないだろうか。


 今やガザやウクライナにおいて一片の正義もない暴力が吹き荒れている。私たちの世界はここまで劣化してしまったのだ。少なくとも私のこれまでの人生でかくもあからさまな暴力が同時に進行する時代を私は経験したことがない。そして原田が主張するとおり、インターネットという新しいテクノロジーは人々を融和するどころか、もはや修復不可能なまでに私たちを分断している。日本に目を向ければ、前世紀末以来、私たちは相次ぐ震災、テロ、疫病の流行といった閉塞と暴力の時代を生きてきた。現在の私たちを取り巻く奇妙な弛緩は原田が党派対立型暴力の時代と呼んだ相対的安定期に近いのではないか。「扇状地モデル」に基づくならば、ドイツにおいて、日常化された暴力は最終的に国家テロ型暴力として国家と民族を破滅に追い込んだ。酒場での発砲に代わって私たちはインターネットにおける攻撃と炎上を日常的に目撃している。果たして私たちはナチ前夜を繰り返すことなく生き延びることができるだろうか。同じ問いは今まさに現在開票が進むアメリカという国家の帰趨とも関わっている。なぜトランプという社会病質者を支持する者がいるのかと問うことはたやすい。しかしそれはなぜヒトラーを大衆が受け容れたかという問いの裏返しである。原田は本書の中でワイマール時代を生きた外交官で著述家でもあったハリー・ケスラーの日記をしばしば引用する。今後、このブログも新しい暴力の時代の一つの記録とならなければよいと切に願いながら、大統領選の帰趨を見届けることとする。


by gravity97 | 2024-11-05 21:02 | 思想・社会 | Comments(0)