381系
381系
~ Comment ~
Re: 381系の終焉
トレインマニア2さん、ありがとうございます。
犀川橋梁、鉄橋の手前で上下線の間隔が広くなるんですが、その中は川中島側も長野側も立ち入り禁止です。
線路の外側は撮影可能です。
現在は撮り鉄が社会問題化してしまい、有名撮影地も立ち入り禁止になった所もあるみたいですね。
なかなか難しい時代になってしまいましたね。
鉄道で関西から長野へスキーに来るのはなかなか大変なんですね。
昔は大阪、神戸から長野へ583系使用の「シュプール妙高・志賀」やキハ181系が北陸、糸魚川経由白馬行きの「シュプール栂池」など、現在では考えられないような設定の列車もありましたね。
381系、伯備線にもう一度撮影に行きたかったのですが、行けそうにありませんので昔の懐かしい写真を見返していました。
犀川橋梁、鉄橋の手前で上下線の間隔が広くなるんですが、その中は川中島側も長野側も立ち入り禁止です。
線路の外側は撮影可能です。
現在は撮り鉄が社会問題化してしまい、有名撮影地も立ち入り禁止になった所もあるみたいですね。
なかなか難しい時代になってしまいましたね。
鉄道で関西から長野へスキーに来るのはなかなか大変なんですね。
昔は大阪、神戸から長野へ583系使用の「シュプール妙高・志賀」やキハ181系が北陸、糸魚川経由白馬行きの「シュプール栂池」など、現在では考えられないような設定の列車もありましたね。
381系、伯備線にもう一度撮影に行きたかったのですが、行けそうにありませんので昔の懐かしい写真を見返していました。
- #795 KashimayariEX
- URL
- 2024.04/02 12:39
- ▲EntryTop
スキー列車
KashimayariEXさん、こんにちは、返信ありがとうございます。
筆者が、スキーに通っていたのは、昭和44年からで、その頃は、北陸系は急行きたぐに、普通列車新潟行夜行が2本有りました。中央西線は、名古屋からの夜行は、準急きそ、大糸線系統へはDC急行あずみが有りました。
大阪からは、DC急行ちくまが唯一でした。その後、スキーが徐々にブームになり、夜行ちくまも、客車と、中央西線電化後に165系電車が増発されました。
昭和50年頃から、高速道路の延長整備に伴い、スキーツアーバスが台頭してきて、それらに対抗するため、国鉄時代に企画切符として、シュプール号が、各方面に運転されました。
貴兄も記述されていますが、関西でも姫路発や和歌山発迄設定されました。大糸線は非電化なので、181系DCと65系DCエーデル、14系客車と改造14系客車が使用されました。信越線系統も北陸線経由で、黒姫迄、485系、583系、14系客車が使用されました。昼間は、直江津や糸魚川へ引き上げていました。
夏には583系を使用したシャレー軽井沢が運転されていました。夏の軽井沢便は10年程度で廃止されました。
最も遠距離は、シュプール蔵王が有り、北陸・信越・羽越線経由で鶴岡まで、週末に24系寝台車6両で運転されていました。
懐かしく思い出しました。長々といつもすいません。
筆者が、スキーに通っていたのは、昭和44年からで、その頃は、北陸系は急行きたぐに、普通列車新潟行夜行が2本有りました。中央西線は、名古屋からの夜行は、準急きそ、大糸線系統へはDC急行あずみが有りました。
大阪からは、DC急行ちくまが唯一でした。その後、スキーが徐々にブームになり、夜行ちくまも、客車と、中央西線電化後に165系電車が増発されました。
昭和50年頃から、高速道路の延長整備に伴い、スキーツアーバスが台頭してきて、それらに対抗するため、国鉄時代に企画切符として、シュプール号が、各方面に運転されました。
貴兄も記述されていますが、関西でも姫路発や和歌山発迄設定されました。大糸線は非電化なので、181系DCと65系DCエーデル、14系客車と改造14系客車が使用されました。信越線系統も北陸線経由で、黒姫迄、485系、583系、14系客車が使用されました。昼間は、直江津や糸魚川へ引き上げていました。
夏には583系を使用したシャレー軽井沢が運転されていました。夏の軽井沢便は10年程度で廃止されました。
最も遠距離は、シュプール蔵王が有り、北陸・信越・羽越線経由で鶴岡まで、週末に24系寝台車6両で運転されていました。
懐かしく思い出しました。長々といつもすいません。
Re: スキー列車
トレインマニア2さん、ありがとうございます。
関西から長野、新潟方面へ直通する列車は昔は沢山あったのですね。
現在では北陸新幹線が開業し長野、新潟、北陸から鉄道一本で行けなってしまいましたね。
長野県は山に囲まれていますので信越線は碓氷峠、中央線は狭いトンネルの影響で関東方面から来る車両は限られていました。
電気機関車も長野県内ではEF62とEF64の2種類しか見ることは出来ませんでしたので、寝台特急ブルートレインを牽引するEF65、EF66、EF81なんて憧れでした。
シュプール号が運転されるようになりそれまではあまり長野県内では見れなかった車両が使用されるようになって、583系を長野駅で見たときは感動しました。
関西から長野、新潟方面へ直通する列車は昔は沢山あったのですね。
現在では北陸新幹線が開業し長野、新潟、北陸から鉄道一本で行けなってしまいましたね。
長野県は山に囲まれていますので信越線は碓氷峠、中央線は狭いトンネルの影響で関東方面から来る車両は限られていました。
電気機関車も長野県内ではEF62とEF64の2種類しか見ることは出来ませんでしたので、寝台特急ブルートレインを牽引するEF65、EF66、EF81なんて憧れでした。
シュプール号が運転されるようになりそれまではあまり長野県内では見れなかった車両が使用されるようになって、583系を長野駅で見たときは感動しました。
- #797 KashimayariEX
- URL
- 2024.04/04 18:11
- ▲EntryTop
381系の終焉
いよいよ381系も本年6月で、終焉ですね!貴兄も全ての使用線区を撮影されたのですね。お疲れ様でした。
犀川橋梁は、筆者も撮影に出掛けますが、ゴルフ場の裏側で、撮影でしたが、そこも撮影禁止になったのでしょうか?
特に初代しなのは、スキーの帰路に、いつも利用していました。長野18:55発で、16時までスキー場で滑っていて、長電の路線バスと飯山線の普通列車で長野駅へ、20分程度の接続であったと思います。名古屋が22:20頃到着で、22:30頃のひかりに乗り継ぎでした。夜遅いので、名古屋駅の地下通路をスキーを担ぎリュックを背負って、よく走りました。
これで、京都駅へ23:20頃に到着、23:30の神戸行普通に乗り、高槻駅へ23:55頃着で、日付の変わった頃に帰宅でした。
381系のしなのができて、長野・名古屋間3時間20分運転になり、本数も181系DC時代より大幅に増えて便利になりました。難点は、長野駅の駅弁が売り切れで、空腹で乗車すると、よく酔いました。
懐かしい思い出です。紀勢線や、伯備線では、職場旅行などで、乗車していますが、福知山線と山陰線では、485系改造183系ばかりで、381系には、乗車できていません。
懐かしく思い、昔話を長く記述してしまい、すいません。