2024年10月23日、2024 DORA Accelerate State of DevOps Report、通称DORA Reportが公開されました。
このレポートは、ソフトウェア開発における運用と実践について、科学的な手法で調査・分析した結果をまとめたものです。 私は毎年このレポートを楽しみにしています。今年は10回目10年目の節目ということで、いつもより丁寧に読みました。
詳しい人でしたら、10年よりもっと長くないだろうか?と不思議がる方もおられるでしょう。
その辺の複雑な事情を含め、DORA Report 10年間の軌跡とその上に成り立つ最新レポートを解説したいと思います。全4回の予定です。
DORA Reportのライセンスは次の通りです。
“Accelerate State of DevOps 2024” by Google LLC is licensed under [CC BY-NC-SA 4.0](https://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/4.0/)
なお、DORA Report原文はGoogle Cloudのこちらのページからダウンロードできるので、ぜひ一次情報に触れてみてください。
DORAの知見を「実践」に活かすために
私の35年のエンジニア人生を振り返ると、かなりの時間「意味のない計測データ」の収集と加工に時間を費やしたと思います。なぜなら、(その時の)品質保証部門がプロダクトの「出荷」をなかなか認めてくれないからです。
いま思い出すと、私は被告側の弁護士のようであり、品質保証部門はまるで検察側のようでした。
裁判長は、事業部のトップです。
私はプロジェクトを終わらせるために、ありとあらゆるデータを集めて「そのプロダクトは動く。(きっと)問題ないはずだ!」を弁護する必要がありました。
DFD(data flow diagram)の生みの親であり、「ピープルウェア」「デッドライン」等の名著で有名なTom DeMarco(トム・デマルコ)というエンジニアの巨匠がいます。
彼は、若かりし頃(1982年)の論文で次のような言葉を発しました。
「計測できないものは制御できない」 “You can’t control what you can’t measure.”
これは、私のような古いエンジニアにとっては、しばらくのあいだ呪言となりました。
しかし、2009年7月、IEEE Software誌7月8月合併号*1に、Tom DeMarco は衝撃的な記事を寄稿します。
タイトルは ”Software Engineering: An Idea Whose Time Has Come and Gone?(ソフトウェアエンジニアリング:その考えは、もう終わったことなのか?)”
“You can’t control what you can’t measure.”(計測できないものは制御できない) このセリフには本当の真実が含まれているのですが、私はこのセリフを使うことに違和感を覚えるようになりました。 (中略)例えば、過去40年間、私たちはソフトウェアプロジェクトを時間通り、予算通りに終わらせることができないことで自らを苦しめてきました。
この文章は当時、Tom DeMarco 自身が「測定できないものは制御できない」は誤りだったと認めた!ということで業界に衝撃が走りました。しかし、Tom DeMarco が本当に言いたかったことは、次の文章に含まれます。
しかし、先ほども申し上げたように、これは決して至上命題ではありませんでした。 もっと重要なのは、世界を変えるような、あるいは企業やビジネスのあり方を変えるようなソフトウェアを作るという「変革」です。
Tom DeMarcoが指摘したように、時代はさきほどのような「裁判ごっこ」よりも、もっと顧客との関係性を重視する方向に確実に変化してきました。それが、リーンであり、アジャイルでありDevOpsなのだと思います。
そんな中で登場してきたFour Keysですが、出会ったときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。その指標があまりにもシンプルで、なおかつ説得力に満ちていたからです。
DORAの研究成果は決して一時的なトレンドではありません。Four Keysを単なる「流行り」と捉えるのは誤りです。しかし、その一方で、すべてを鵜呑みにする必要もありません。
2024年で10周年を迎えたDORA Reportには、この取り組みが成熟してきたことを示す重要なメッセージが随所に見られます。その代表例が"Applying insights from DORA"(DORAの知見を実践に活かすために)という章です。
一部を訳します。
私たちの調査結果は、皆様が独自の実験や仮説を立てる際の参考にしていただけます。チームや組織に最適なアプローチを見出すために、変更による影響を測定しながら実験を重ねることが重要です。それにより、私たちの調査結果の検証にもつながります。結果は組織によって異なることが想定されますので、ぜひ皆様の取り組みを共有していただき、その経験から互いに学び合えればと思います。
これは、DORAの取り組みが科学的だからこそ言えることであり、数々の困難があったなかで10年間継続してこれた理由でもあると思うのです。
科学とは何か?
DORA Reportから少し脱線するのですが、とても大事なことなので説明させてください。
書籍「LeanとDevOpsの科学[Accelerate] テクノロジーの戦略的活用が組織変革を加速する」(原題"Accelerate: The Science of Lean Software and DevOps: Building and Scaling High Performing Technology Organizations") が、DORAの研究ベースに書かれていることは広く知られているところです。
ところで、このタイトルの「科学」は何を指しているのでしょうか。
科学とは「なぜだろう?」という疑問に対して、実験と観察を重ねながら、誰でも同じ結果を得られる答えを見つけ出す取り組み、と言えます。天文学者であり小説家でもあった、20世紀屈指の科学者カール・セーガンは科学について次のような表現をしていました。
"Science is a way of thinking much more than it is a body of knowledge." Carl Sagan
科学は、思考の方法であり、知識の集積ではない。 カール・セーガン
例えば、あるカレー店の人気の秘密を科学的に考えてみましょう。
「このカレーが美味しいのはなぜか?」という問いに対して、「シェフの腕が良いから」という個人的な感想や、「創業100年の伝統の味だから」という言い伝えだけでは、科学的な説明とはいえません。
科学的なアプローチでは、次のような調査と実験を行います。
- 100人のお客さんに同じ条件で食べてもらい、評価を集める
- スパイスの配合を少しずつ変えて、味の変化を測定する
- 調理時間や火加減を細かく記録し、最適な条件を探る
- 異なる調理人が同じレシピで作っても、同じ味になるか確認する
このような過程を経て、「このスパイスの配合で、この温度で30分煮込むと、8割以上のお客さんが美味しいと感じるカレーができる」と言った、誰でも確認できる答えにたどり着けるのです。
開発の現場でも同じです。
「このやり方は効果的だ」という個人の経験や、「有名な企業がやっているから」という理由だけでは、本当にそれが正しいのかわかりません。
DORAの研究では、これらを科学的アプローチによってDevOpsの成功要因を明らかにしました。個人の経験や直感を超えて、数多くの組織のデータを分析し、客観的な証拠に基づいて「何が効果的なのか」を示したのです。これは単なる成功事例の集積ではなく、科学的リサーチによって検証された信頼性の高い知見なのです。
「科学的リサーチ」方法とは
科学的リサーチとは、現象を体系的に調査し、新しい発見や理論を導き出す手法です。観察から始まり、概念化、測定可能な変数への置き換え、モデル化という段階を経て、客観的なデータに基づいた結論を導きます。
研究の流れは次の通りです。研究プロセスは次の4段階で進みます:
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現象の観察
例えば、「なぜある開発チームは他のチームより高い成果を上げているのか」という問いからDORA(DevOps Research and Assessment)チームの研究が始まりました。 -
概念の特定
DORAの研究では、継続的デリバリー、継続的インテグレーション、自動化テストの実施などを成功要因として特定しました。 -
変数への変換
概念を測定可能な形に変換します。例えば、デプロイ頻度、変更リードタイム、障害復旧時間、変更失敗率などの具体的指標として定義します。 -
モデルの構築
収集したデータを統計的に分析し、因果関係を明らかにします。DORAの研究では、自動化テストの実施が変更リードタイムを短縮することや、チームの独立性がサービスの信頼性向上につながることを実証しました。
この一連のプロセスを通じて、科学的リサーチは客観的な検証可能性、再現性、そしてデータに基づく実証性という特徴を持ちます。これらの特徴により、DORA Reportは他の研究者が検証・発展させられる形でDevOpsの成功要因を明らかにできました。
定量的データと統計分析がもたらす信頼性
DORA Reportで用いられる科学的アプローチに対して、「都合の良いデータ解釈をしているのではないか」という批判を目にすることがあります。
しかし、この批判は科学的リサーチの本質を十分に理解していないことから生じている可能性があります。科学的リサーチとは、単にデータを収集し結果を得ることではなく、現象を客観的に理解し、実証可能な方法で結果を導き出す「方法論」そのものです。
この考え方は、DORAの研究において次のように具体化されています:
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思考の方法の適用
DORAの研究では、特定の仮説(例えば「継続的デリバリーはパフォーマンス向上に寄与する」)を立て、それを証明または反証するために厳密な手法でデータを収集・分析しています。これは、科学的な「疑う」姿勢と「検証する」姿勢の両立です。 -
透明性と再現性
測定方法や分析手順を厳密に文書化し、他の研究者が追試可能な形で公開しています。これは、科学が単なる知識の蓄積ではなく、「共有されるべきプロセス」であることを象徴しています。 -
実践への応用
科学の思考方法をもとに導き出された成果が、現場での実践を通じて再び検証されています。たとえば、継続的デリバリーやテストの自動化が現実の組織で具体的な効果をもたらすことが示されています。
DORAの研究は10年にわたり、理論と実践の両面で成果を示してきました。カール・セーガンが述べたように、科学とは「知識の集積」ではなく「より良い問いを立て、より深く理解するための思考の道具」です。
DORAはこの科学的アプローチを用いて、LeanやDevOpsの成功要因を信頼性の高い方法論として確立し、現場の改善や組織変革に直接応用できる形で提供しています。毎年のクラスター分析結果の微細な変化も、このような継続的なデータ分析の重要性を示しているのです。
DORA Report 10年の変遷
今回の2024 DORA Reportでは、 "A decade with DORA"(DORAと共に過ごした10年)という章があります。DevOpsの起源から、State of DevOps Report誕生の背景、今日に至るまでの歴史が書かれています。
私は、その説明内容からこれまでの変遷を1枚の画にまとめてみました。
この画から分かるように「DORA Report 10年」とは 2014年版State of DevOps Reportから2024年版State of DevOps Reportまでを指します。2020年版はCOVID-19の影響で発行されていませんので、時間の経過を指す10年ではなく、この10冊が10年というわけです。
ですが、2013年版のState of DevOps Reportは10年の10冊には含まれていません。それはなぜなのか? 順を追って解説します。
State of DevOps Report のはじまり
2011年、Puppet Labsで働いていたAlanna BrownはDevOpsについてより深く理解するための調査を開始しました。この調査は、「'DevOps'的な働き方がITにおける新しいビジネスの方法として台頭している」ということを裏付ける助けとなりました。
この調査の成功をベースに、2012年に新たな調査を開始、2013年 Puppet LabsとGene Kim氏が率いるIT Revolution Pressが共同で、最初のState of DevOps Reportを発行しました。
書籍「LeanとDevOpsの科学[Accelerate] *2」には、次のような記載があります。
「State of DevOps Report』の初回は2014年版だが、研究自体はそれ以前に始まっていたという点に留意されたい。Puppet社のチームは、DevOpsという(まだそれほど知られていなかった)概念をより良く理解し、それが現場でどう採用されつつあるか、組織パフォーマンスの改善を組織がどう実感しているかを把握するための研究を始めており、2012年にこの研究への参画をGene Kimに求めた。
Gene KimはTripwire, Inc.の創業者兼CTOとして13年間務めたあと、IT Revolutionを創業し出版活動、DevOpsコミュニティへの貢献に尽力する人物でした。
さらに、優秀なキーマンが巻き込まれることになります。
そしてGene Kimがその後、Jez Humbleにも応援を仰ぎ、ともに調査に加わって全世界の組織から4,000件の回答を集め、分析した。この種の調査では最大規模である。
Jez Humble は、カルフォルニア大学バークレー校で教鞭も執っているDevOpsの研究者でした。
このような経緯を経て、2013 State of DevOps Reportはリリースされたのです。
なぜ2013年版はカウントされないのか?
一言で言えば「調査方法が違う」からです。
現在の統計的アプローチが取られたのは2014年以降となります。2013年当時のPuppet社は、ITインフラストラクチャの自動化を支援するソフトウェアを開発・提供している会社でした。
その中心的なプロダクトは Puppet Enterpriseであり、これはサーバーやクラウド環境、ネットワークデバイスなどの管理を効率化し、DevOpsやインフラ管理の自動化を推進するツールでした。
2013 State of Devops Report は、当時あまり知られていなかったDevOpsという概念を広め、Puppet Enterpriseの市場を開拓することが主な目的だったと思われます。実際、2013年版の調査による【主要な発見】は、やや意図的な印象を受けます。
また、このレポートでは、後のDORAメトリクスの基礎となる4つの主要指標、デプロイ頻度・変更のリードタイム・変更の失敗率・復旧までの平均時間、いわゆるFour Keysが登場します。
しかし、現在の観点とは異なる分析結果でした。下記に、2013 State of DevOps Reportのパフォーマンス指標の解説と、グラフを転載します。
DevOpsの成熟度(未導入から12ヶ月以上前に導入)に基づいて、デプロイ頻度、変更のリードタイム、変更の失敗率、復旧までの平均時間という4つの主要なDevOpsパフォーマンス指標を分析しました。DevOpsの導入が成熟している組織は、まだDevOpsを導入していない組織と比較して、すべての指標において著しく高いパフォーマンスを示しました。
ご覧の通り、4つの指標はそれぞれ、「DevOpsを導入しているか否か」で期間分類されているのです。
- Not Implemented(未導入)
- Currently Implementing(導入中)
- Implemented <12 Months(導入後12ヶ月未満)
- Implemented >12 Months(導入後12ヶ月以上)
そして、このレポートは回答者の多くがDevOpsに関心の高い層に偏っている可能性を検証しておらず、バイアスの制御が十分でないという問題も抱えていました。
Dr. Nicole Forsgren の参画
2014年、State of Devops Report に大きな転機が訪れます。
それが、当時ユタ州立大学ハンツマンビジネススクールの教授であったDr. Nicole Forsgren(ニコール・フォースグレン博士)の参画です。
彼女は、ITインパクト、ナレッジマネジメント、ユーザー体験の専門家でした。
「LeanとDevOpsの科学[Accelerate] 」に書かれた「謝辞」には、Nicole Forsgrenの次のようなコメントがあります。
私が初めて皆さんのところへお邪魔して、「ここは違っています」などと指摘させていただいたとき(そのときの私の口調、失礼じゃなかったですよね、ハンブルさん?)、皆さんは私を部屋から蹴り出したりしなかった。 おかげで私はその後、忍耐力と共感力を養い、冷めかけていたテクノロジーへの愛を再燃させることができた。また、「あともう1回だけ、分析やってみて!」が口癖であるキム氏の無尽蔵の熱意と気合いは、我々の仕事を堅牢で大変興味深いものにしてくれている。
この謝辞から読み取れるように、Dr. Nicole Forsgren は2014年以降のState of Devops Reportに科学的厳密性をもたらした重要な人物です。それまでの調査手法に対して建設的なフィードバックをし、その結果、2014年のレポートから、より体系的で科学的なリサーチがもたらされます。
そして、2014年から2017年までの間、State of Devops Report は次のメンバーによって調査・研究がなされました。
- Nicole Forsgren Velasquez(ニコール・フォースグレン・ベラスケス)
- Gene Kim(ジーン・キム)
- Jez Humble(ジェズ・ハンブル)
- Nigel Kersten(ナイジェル・カーステン)
- Puppet LabsのCIO
- Alanna Brown(アラナ・ブラウン)
- 2012年からState of Devops Report を担当する発案者
最初はFour Keysじゃなかったし、Eliteも居なかった
Dr. Nicole Forsgrenの参加は、リサーチプログラムに科学的な厳密さをもたらしました。
このことで、最初のFour Keysは統計学的有意(=確率的に偶然とは考えにくく、意味があると考えられる)が検証されるようになります。
このことで、Change Failure Rate(変更失敗率)は、他の3つの指標とは有意な相関が見られなかったため、ITパフォーマンスの定義から除外されています。
とはいえ、2014 State of DevOpsレポートは、ソフトウェアデリバリーのパフォーマンスと組織のパフォーマンスの関連性を明らかにし、
「高パフォーマンスのITチームを持つ上場企業は、低パフォーマンスのIT組織を持つ企業と比較して、3年間で市場価値の成長率が50%高かった」
ということが発見されています。(2014 Accelerate State of Devops Report)
2014 State of Devops Reportは、Nicole Forsgrenの「科学的リサーチ」によって次第にデータは説得力のあるものに変わっていきました。 ところが、ここにきて大きな壁が立ちふさがります。
それが、ソフトウェア界の巨匠Martin Fowler(マーティン・ファウラー)でした。
次回に続きます。
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*1:https://www.cs.uni.edu/~wallingf/teaching/172/resources/demarco-on-se.pdf
*2:Forsgren, N., Humble, J., & Kim, G. (2018). LeanとDevOpsの科学 [Accelerate]: テクノロジーの戦略的活用が組織変革を加速する. インプレス.