記憶はどの程度の時間、どれほどの精度で持続するものだろうか。 一般に、人間には言葉を使うようになる過程で記憶を消去するシステムがあり、その断層以前の2〜3歳あたりまでの具体的な記憶は、脳の発展上大半がデリートされるという。一部残存しているものもあるが、多くは親戚や両親など周囲の大人の再刷り込みによって増強され、エピソード記憶域に断片的に残るものらしい。逆に乳幼児時の記憶を過剰に保持していることは成長過程において何らかの阻害要因になるとかならないとか。 ところが、ふと自分が子供の頃のことを思い出そうとしてみると、それらの「失われるべき時代」以降の記憶にしても、意外なほど残っていない。主観的には、物心がついていた、と自覚する10歳あたりでも、類型化された行動パターンの記憶は多々あれど、個別具体のエピソードに関する再現性の高い記憶は、驚くほど少ない。 幼少時の記憶の維持率は、重要度・脈絡・似たような事例の反復・周囲の人間による記憶の強化、などの要因に左右されるので、記憶力よりは環境に依存しがちだが、SFやミステリーの場合、記憶の欠落は十中八九「隠された過去」と「上書きされた人工的な記憶」に関する伏線である。突如、身に覚えのない遺産の相続を巡って命を狙われたり、謎の飛行物体が迎えに来ないとも限らない。 かくいう私自身、どういうわけか、若干8歳にして超人的な活躍をして未曾有の危機から全人類を救った事件をはじめとして、輝かしい栄光の記憶の数々が、あたかもそんなものは最初からまるっきり存在しなかったかのように、完膚なきまでに欠落している。 昔のことを思い出せないという方は、何らかの巨悪と関わりがあるかも知れない。くれぐれも気をつけていただきたいものだと思う。 #
by tatsuki-s
| 2005-05-02 01:23
| Talking(よもやまばなし)
気がつくと、目の前には、本来なら今日で私からほぼ一年遅れの誕生日を迎えるはずの男がいた。
引き払ったあとのオフィスのようにがらんとしたリノリウム張りの部屋、その窓際にあるガラステーブルを挟むようにぽつんと置かれた一対の白いソファに、我々は半ば寝そべるように座り、差し向かいで煙草を吸っていた。仄暗い室内には午前中の薄い陽が差し込んでいた。 私がそれと気づいたときには、我々はすでに互いに何事かを話していたようだった。その場には、とりわけ親しい人間との間にのみ存在しうる特別な気配があった。そして、その気配の質は、紛れもなくその男と私が言葉を交わす際に特有のものだった。失われたはずのそれに触れて、私は激しく心が満たされてゆくのを感じていた。 同時に、私はなぜ彼がそこにいるのかと思った。しかし、彼はこともなげに、そこにいることがさも当然であるかのように煙草をふかしていたので、私はそれを訊くことを思いとどまった。もしかしたら、彼自身がその違和感に気づいていないのかもしれなかった。私はむしろ、それを訊くことで彼が苦しんだり姿を消してしまうことを恐れた。 いつのまにか、私は昼食のために食堂に向かっていた。午後にふたたびその男と落ち合う約束をしていたらしいが、一体どういうわけでこの短い時間にわざわざ一旦別れて、再度会うことになったのかはわからなかった。 食堂には、私のことをあまり快く思っていない人々がいた。ずいぶん長いこと会っていない人ばかりだった。私は緊張しながらも懐かしさからそのうちの数人に声をかけてみたが、彼らはまるで私の声など聞こえなかったか、せいぜいが不愉快な空耳でもあったかのように、少し姿勢を変えたり、眉を顰めて新聞に目を落としたりするだけだった。 約束していた座席に男はいなかったので、私は著しい不安に苛まれて彼に電話をかけた。いまだに男の番号はメモリに残っていた。呼び出すこと数回、突然電話は切れた。そして次の瞬間、携帯がコールを着信した。ディスプレイに表示されるその名前に驚きと違和感と激しい安堵を覚えて電話を取った。 通話はひどいノイズ混じりだった。むしろ、ノイズの合間に男の声が混じっていた。途切れ途切れではあったが「ごめん、そっちには行けなくなった」と言っていた。私は、向こうに聞こえているかどうかわからないまま「大丈夫、わかっている、わかっている」とひたすら大声で繰り返した。そのまま通話は切れて、私は絶望して大声で泣き叫んだ気がした。 自分の大声で目が覚めたとき、私は別に涙を流していたわけではないことに気がついた。 それから、私は、悲しいような、満たされたような気持ちになった。 #
by tatsuki-s
| 2005-04-10 04:45
| Anecdote/Pun(小噺・ネタ)
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