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飲酒日記

スキー&スノーボード2004-2005

箱庭と空

 いつの頃からか忘れてしまいましたが、私はこの場所に立っていました。

 そこはちょっと素敵なマンションに四方を囲まれたパティオ風の庭なのですが、いつでも少しひんやりとしていて、秋の朝のように静かです。

 頭上には四角く切り取られた空があって、いつでも、夕暮れと朝焼けのどちらともいえない、薄紫と橙の混じったような不思議な色をしています。その色をじっと見ていると、遠くに行きたいような懐かしいような、なんともいえない気持ちにぎゅっと胸がしめつけられます。

 私は、気が遠くなるほど長い間、飽きもせずその四角い空を見上げては、ほうっとため息をついて毎日を過ごしていました。

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 ある日のこと、私はいつものように空を見上げていました。

 すると、それまでまったく気づかなかったのですが、空の一角に少しかげったようなむらがあることに気がつきました。最初は目の錯覚かと思いましたが、目をこらしてよく見れば見るほど、その一部分だけがかすかにまわりより暗い色をしているのです。

 少し歩いて立ち位置を変えてもういちど見上げてみました。すると、それまでかげっていたように見えたところは、他と同じ色にもどっていました。そして、かげは別のところに移っていました。さっきまでとは違って、はっきりと、やわらかい桃についたあざのように黒ずんでいるのがわかりました。

 今度は空を見上げながら歩いてみました。すると四角い空にうかぶ黒いあざは、四角い庭を歩く私の足の動きにあわせて転々と移動し、順番にもとの色に戻ってゆきます。私はすっかり愉快な気分になって、その日は一日じゅう空を見上げながら庭を歩きまわっていました。

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 そのうちにもっといろいろ試したくなってきました。庭の真ん中で大の字に寝転がって空を見上げて、空の中央に同じ大の字の影をつくってみたり、足をぎゅっと強く踏みつけて、一瞬、真っ黒な足跡を空に浮かび上がらせてみたり。

 いつのまにか、私は、庭の一部を手で掘り返してみたらどうだろうと考えるようになっていました。踏んだだけなら、空はすぐにもとの色に戻るのですが、掘ってみたらどうなるのか。

 どういうわけかそのことを考えるたびに胸がひどく高鳴るのでしたが、どうしても思い切ってする気になれず、そうこうしているうちに数日が過ぎました。

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 とうとう私は、庭のはじっこのほうを、ほんの少しだけ掘りかえしてみることにしました。

 爪を立てて芝生を掘りかえすと、綺麗なじゅうたんのように刈り込まれた芝生がむしられて、そこだけ穴があいたように土が現れました。おそるおそる空を見上げてみました。空の片隅には小さな黒い穴がぽっかりと空いて、そのまわりには、かすかに波紋のような色がにじんでいました。

 じっと見つめれば見つめるほど、その波紋は不思議な色合いを放つような気がしました。いつも見ている空も不思議な色をしていますが、その黒くなった穴の周りは、それよりもはるかに強く、ゆらめく深紅のさざなみのようです。

 ひどくどきどきしながら、すぐそばをもう一カ所掘りかえしてみました。空では、さっきの波紋と、新しい穴から湧き出た波紋が重なり合って、とらえどころなく、見ているだけで引き込まれそうな素敵な模様を作り出していました。

 私は、少しずつ庭に穴を増やしてゆきました。近くに新しい穴を掘るたびに、空の色はどんどん重なり合って、重なり合う波紋と波紋の描く模様は、ますます複雑さをまして魅力的になってゆきます。

 いつしか私の指はすりむけ、爪には土がつまって剥がれかかっていましたが、私は痛みも忘れて一心不乱に庭を掘り続けました。

 気がついたときには、空はもう無数の真っ黒い穴からいちめんに血を流したようなおぞましい色に染まっていました。


 それを見た私は、切り裂くような悲鳴をあげた。
by tatsuki-s | 2004-07-01 09:11 | Anecdote/Pun(小噺・ネタ)
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