一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
◯昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。
二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
◯三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」
三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
◯マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。
四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
なまぬよになりば
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
◯アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。
【歌碑にある琉歌より】
アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
◯アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。
五、 琴や三味線に 弦合わち今日や 踊いはにしちょてぃ御祝えあしば
くとぅやさんしんに ちるあわちきゆや うどぅいはにしちょーてぃ うゆえあしば
kutu ya saNshin ni chiruu ‘awachi kiyu ya udui hani shichooti ‘uyuwee’ashiba
◯お琴や三線を弦の高さを合わせて今日は踊ったり跳ねたりしていてお祝いし遊びましょう
語句・うどぅいはに踊ったり、跳ねたり。「踊り羽」と当て字がしてある。
「我した島唄~大城志津子決定盤~」に収録。
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]]>あ行沖縄本島たる一2020-05-10T12:56:37+09:00親心
https://taru.ti-da.net/e11433434.html
親心
うやぐくる
‘uya gukuru
◯親心
作詞・作曲 普久原朝喜
歌三線 山里ユキ
一、銭やこの世の廻りもの 難儀辛苦や世の習ひ 産子育てや世間の人並 育てる産子や万貫の宝
じんやくぬゆぬまわりむん なんじしんくやゆぬならゐ なしぐゎすだてぃやしきんぬちゅなみ すだてぃるなしぐゎやまんぐゎんぬたから
jiN ya kunuyu nu mawarimuN naNji shiNku ya yuu nu narai nashigwaa sudati ya shikiN nu chunami sudatiru nashigwaa ya maNgwaN nu takara
◯お金はこの世の廻りもの 苦労は世の中では当たり前だ 子育ては世間の人並み 育てる子どもは万貫(当時200円ほど。高額だった)に匹敵する宝
語句・じん 銭。・なしぐゎ自分が産んだ子ども。・まんぐゎん万貫。一貫は二銭だったから二百円になる。
二、產子育てることやれば 一時の苦労や塵どやる 産子育てや楽しみものさみ 産子育てやお国の為にも
なしぐゎすでぃるくとぅやりば いちじぬくろーやちりどぅやる なしぐゎすだてぃやたぬしみむんさみ なしぐゎすだてぃやうくにぬたみにん
nashigwa sudatiru kutu yariba ‘ichiji nu kuroo ya chiri du yaru nashigwa sudati ya tanushimimuNsami nashigwa sudati ya ‘ukuni nu taminiN
◯子どもを育てることであれば一時の苦労など塵ほどのものに過ぎない 子どもの成長は楽しみであろう 子育てはお国の為にも
語句・やりば 〜であるなら。・どぅやる 〜である。
三、何時が産子も物思て 親の苦労もわかて呉て 親に孝行もお国の為にも 尽ちょて呉ゆる宝の産子
いちがなしぐゎんむぬうむてぃ うやぬくろーんわかてぃくぃてぃ うやにこーこーんうくにぬたみにん ちくちょてぃくぃゆるたからぬなしぐゎ
‘ichi ga nashigwaN munu ‘umuti ‘uya nu kurooN wakati kwiti ‘uya ni kookooN ‘ukuni nu taminiN chikuchooti kwiyuru takara nu nashigwa
◯いつか子どもは考えるようになり 親の苦労が分かってくれて 親に孝行することをお国のためにも 尽くしてくれる宝の我が子
語句・いちが いつか。<いち。いつ。+が。疑問の助詞。
四、男の産子や墨習らち 女の産子や夫持たち 産子多さやお国の為にも お国の栄や臣下ど宝
ゐきがぬなしぐゎやしみならち ゐなぐぬなしぐゎやうとぅむたち なしぐゎうふさやうくにぬたみにん うくにぬさけーやしんかどぅたから
wikiga nu nashigwa ya shimi narachi winagu nu nashigwa ya utu mutachi nashigwa ‘uhusa ya ‘ukuni nu taminiN ‘ukuni nu sakee ya shiNka du takara
◯男の子は学問を習わせ、女の子には結婚させ 子どもの多さはお国のためにも お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある
語句・しみ 学問。<しみなれー。学問。・うとぅ夫。「音」も「うとぅ」だが、こちらは声門破裂音がある。・しんか仲間。「部下;〔転じて〕家族、仲間。」【琉球語辞典(半田一郎)】
(コメント)
三線教室の生徒の一人がこれをやりたい、と言ってきたので持っていたCD「山里ユキ特集」を改めて聴き、工工四も見つけた。
久しぶりの当ブログである。実は、これまでは電車通勤の時間などを活用して書いてきたが電車通勤もなくなり、「たるーの三線 ゆがふ家」という三線屋と「しまうた酒菜 ゆがふ家」という居酒屋を昨年立ち上げたのでブログにかける時間も取れず忙殺されていた。
それでも、このブログを読んでくださる方々が多いことを痛感することが最近よくあり、店の仕込みなどの休み時間を見つけて書いてみた。だがそれは所詮私ごとにすぎない話なので本題に入ろう。
作詞作曲は普久原朝喜(1903-1981)氏である。
ご存知のように朝喜氏は戦前戦中そして戦後の沖縄民謡を自分の作品と古典や民謡唄者の演奏を録音しレコード化することによって大きな貢献をされた方である。
作品には「入営出船の港」「浦波節」(「物知り節」ともいう)「移民小唄」「恨みの唄」「世宝節」「布哇節」「無情の唄」などがある。そしてこの「親心」である。
ウタの時代背景を色濃く反映したウタである。もちろん時代背景を反映しないウタなどないと思うが、特に戦時中は検閲という国家権力によるウタへの統制があったために、検閲をかなり意識したとみられるウタは多い。朝喜氏のこの「親心」もその一つだろう。そしてそれを軍国主義への協力と見ることは十分可能である。
「親心」は子育てをテーマに、子どもは宝である、だから親の苦労など大したことはない。子どもも成長すれば親に孝行する。国のためにも。男の子には勉強をさせ、女の子には良い結婚をさせることが国の為にもなる、何故ならば子どもたちが幸せになることが国の繁栄になるのだから。とうたう。
現在の目線で見れば明らかな男女差別、性差別を含んでいる。朝喜氏が戦後の沖縄民謡の復興にも大きな役割を果たされたことを踏まえても、このウタに含まれる軍国主義的、性差別的部分を看過することはできない。
それでもこの朝喜氏が検閲をも通過できるように歌詞を作った中に、ある工夫があると思うのは考えすぎだろうか。
それは二度も繰り返される「お国のためにも」の「も」である。おそらく激戦時期より前に作られたのではないか、と思えるほど「国の為に命を捧げよ!」的な表現はなく、男尊女卑的ではあるが子どもたちを大切にしよう、子育ては自分のためでもある、が「国のためでも」あるというロジックが許された時期のウタなのであろう。
最後の「お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある」。このような思想は「国の為に命を捧げよ」とした軍国主義の色濃い時代には決して許されなかったはずだ。
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<![CDATA[親心
うやぐくる
‘uya gukuru
◯親心
作詞・作曲 普久原朝喜
歌三線 山里ユキ
一、銭やこの世の廻りもの 難儀辛苦や世の習ひ 産子育てや世間の人並 育てる産子や万貫の宝
じんやくぬゆぬまわりむん なんじしんくやゆぬならゐ なしぐゎすだてぃやしきんぬちゅなみ すだてぃるなしぐゎやまんぐゎんぬたから
jiN ya kunuyu nu mawarimuN naNji shiNku ya yuu nu narai nashigwaa sudati ya shikiN nu chunami sudatiru nashigwaa ya maNgwaN nu takara
◯お金はこの世の廻りもの 苦労は世の中では当たり前だ 子育ては世間の人並み 育てる子どもは万貫(当時200円ほど。高額だった)に匹敵する宝
語句・じん 銭。・なしぐゎ自分が産んだ子ども。・まんぐゎん万貫。一貫は二銭だったから二百円になる。
二、產子育てることやれば 一時の苦労や塵どやる 産子育てや楽しみものさみ 産子育てやお国の為にも
なしぐゎすでぃるくとぅやりば いちじぬくろーやちりどぅやる なしぐゎすだてぃやたぬしみむんさみ なしぐゎすだてぃやうくにぬたみにん
nashigwa sudatiru kutu yariba ‘ichiji nu kuroo ya chiri du yaru nashigwa sudati ya tanushimimuNsami nashigwa sudati ya ‘ukuni nu taminiN
◯子どもを育てることであれば一時の苦労など塵ほどのものに過ぎない 子どもの成長は楽しみであろう 子育てはお国の為にも
語句・やりば 〜であるなら。・どぅやる 〜である。
三、何時が産子も物思て 親の苦労もわかて呉て 親に孝行もお国の為にも 尽ちょて呉ゆる宝の産子
いちがなしぐゎんむぬうむてぃ うやぬくろーんわかてぃくぃてぃ うやにこーこーんうくにぬたみにん ちくちょてぃくぃゆるたからぬなしぐゎ
‘ichi ga nashigwaN munu ‘umuti ‘uya nu kurooN wakati kwiti ‘uya ni kookooN ‘ukuni nu taminiN chikuchooti kwiyuru takara nu nashigwa
◯いつか子どもは考えるようになり 親の苦労が分かってくれて 親に孝行することをお国のためにも 尽くしてくれる宝の我が子
語句・いちが いつか。<いち。いつ。+が。疑問の助詞。
四、男の産子や墨習らち 女の産子や夫持たち 産子多さやお国の為にも お国の栄や臣下ど宝
ゐきがぬなしぐゎやしみならち ゐなぐぬなしぐゎやうとぅむたち なしぐゎうふさやうくにぬたみにん うくにぬさけーやしんかどぅたから
wikiga nu nashigwa ya shimi narachi winagu nu nashigwa ya utu mutachi nashigwa ‘uhusa ya ‘ukuni nu taminiN ‘ukuni nu sakee ya shiNka du takara
◯男の子は学問を習わせ、女の子には結婚させ 子どもの多さはお国のためにも お国の栄えは家族や仲間を宝とすることにある
語句・しみ 学問。<しみなれー。学問。・うとぅ夫。「音」も「うとぅ」だが、こちらは声門破裂音がある。・しんか仲間。「部下;〔転じて〕家族、仲間。」【琉球語辞典(半田一郎)】
(ツラネ)恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍ぶ迄の禁止や無さみ
うんなまちしたに ちじぬふぇぬたちゅし くいしぬぶまでぃぬ ちじや ねさみ
'uNna machi shita ni chiji nu hwee nu tachushi kui shinubu madi nu chiji ya neesami
◯恩納村の松の木の下に何かを禁止する御触書が立っている まさか恋の逢引までも禁止するお触れではないだろうね
語句・ちじ 禁止。・ふぇー 御触書。・ねさみないだろうか。
四、情ねん役人ぬ 恋ぬみち禁止てい山原ぬ花や何時が咲ちゅら我が思い自由ならん
なさきねん かみぬくいぬみちちじてぃ やんばるぬはなや いちがさちゅら わがうむいじゆならん
nasaki neeN Kami nu kui nu michi chijiti yaNbaru nu hana ya 'ichi ga sachura waga 'umui jiyu naraN
◯情けない役人が恋の道を禁止して山原の花は何時咲くだろうか 私の愛は自由にならない
語句・かみ いわゆる「お上」。
十三、人ぬ温和赤嶺や 互に栄えや道一ち 結び固みどぅ栄えさみ
ひとぅぬうとぅなさあかんみや たげにさけーやみちてぃーち むしびかたみどぅさかいさみ
hitu nu 'utunasa 'akaNmi ya tagee ni sakee ya michi tiichi musibi katami du sakaisami
◯人がおとなしいのは赤嶺。互いに栄えるのは道を一つに結んで固めているからこそ栄えるのである。
語句・うとぅなさ <うとぅなしゃん。「おとなしい」【沖辞】。
十四、遊び清らしゃぬ安次嶺や 神に奉献真心に 子孫牛馬ん道広く
あしびじゅらしゃやあしんみや かみにほーけんまぐくるに なしぐゎんぎゅーばんみちひるく
'Ashibi jurashanu 'ashiNmi ya kami ni hookeN magukuru ni nashigwaaN gyuubaN michi hiruku
◯神遊び(かみあしゃぎ)も盛んな安次嶺は 神に真心を献上し 子ども牛馬も前途洋々だ
語句・あしび ここでは祭事、神事を指す。
十五、大根豊作す鏡水や 日々ぬ励みんたゆみなく 行末広くたのもしや
でーくにーゆからすかがんじやひびぬはぎみんたゆみなく ゆくしーひるくたぬむしや
deekunii yukarasu kagaNji ya hibi nu hagimiN tayuminaku yukushii hiruku tanumushiya
◯大根(鏡水大根)を多く稔らせる鏡水は日々の農作業にもたゆみなく励み 村の行く末も広く頼もしい事だ
語句・デークニー 大根。かつては大根に加え多くの農産物を国頭方面や近郊都市に送り出す都市近郊型の経済があった。
十六、巡り廻やい当間村 手墨学問道広く 花ぬ遊びん程々に
みぐりみぐやいとーまむら てぃしみがくむんみちひるく はなぬあしびんふどぅふどぅに
miguri miguyai tooma mura tishimi gakumun michi hiruku hana nu ashibiN huduhudu ni
◯巡りめぐって当間村 勉学に励んで道は広く (でも)華やかな遊びはほどほどに
語句・てぃしみ 学問。勉学。・はなぬあしび 華やかな遊び。こちらの「遊び」は遊郭や毛遊びなどの交遊を表す。
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]]>あ行さ行たる一2018-04-12T07:07:00+09:00アカバンタ
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あかばんた
あかばんた
'akabaNta
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。
【作詞宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4は筆者CDから聴き取り)
一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
◯昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。
二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
◯三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」
三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
◯マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。
四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
(「マガイ小ぬあとぅん」の所は「マガイ小ぬ原(はる)ん」とした「松田弘一作品集もある。」)
あかばんたひらん まがいぐぁーぬあとぅん もーあしびぬ はなや まちんかりはてぃてぃ みるかたやねさみ
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
◯アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。
【歌碑にある琉歌より】
アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
◯アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。
(解説)
「アカバンタ」は手登根出身の宮城鷹夫さんが作詞され民謡歌手の上原正吉さんが歌っている。
明治末期まで続いたモーアシビは地元の青年たちの文化活動と自由な恋愛を支えた。そのモーアシビが行われた記憶を残そうと地元の有志の方々が中心となって、2017年にアカバンタの歌碑を完成させた。
▲手登根にあるアカバンタの歌碑。
モーアシビは「毛遊び」とか「野遊び」と当て字がされるが、「もー」というのは耕作地ではない草むらのこと。本ブログにおいて、本部ミャークニーや今帰仁ミャークニーの解説で繰り返し書いたように、明治末期までは続いた村の青年たちの異性交遊の場であり、ウタが生まれた「文化の揺りかご」のような場所だったと言える。
▲歌碑の周りは、草が刈られ、今にでもモーアシビのウタが聞こえてきそうだった。
多くはハンタと呼ばれる村の高台、崖の上などのような場所で、集落から少し離れていた。
月夜の晩に、草むらを踏みつけて場所を作り、酒や料理を持ち寄り、三線や太鼓があればそれを弾き叩き、歌い、踊ったという。ウタは交互に唄って、即興で歌詞をつける。上の句をあるものが歌えば、下の句を別のものが唄う。気に入ったもの同士で気持ちを確かめたりもしたと古老から聞いた。
アカバンタの歌詞では一番から三番にかけて、その様子がうたいこまれている。
そして現在はもうみられなくなったモーアシビへの郷愁感、惜別の想いが「今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て」という繰り返されるサビによって引き立っている。
四番は歌碑にはなく、上原正吉さんが唄うものからの採譜だが、その寂寞の想いを改めて歌い上げている。
現在はアカバンタは生い茂った木々を整理して広場のようになっている。
地域のイベントとして「モーアシビ」を再現するようなものも行われているようである。
「マガイ小ぬ遊び」がわからず南城市の教育委員会からアカバンタ有志の会の方にお電話をさせていただいた。上にあるようにアカバンタ以外のモーアシビの場所だということだった。
実際にアカバンタの歌碑がある場所に皆さんも足を伸ばして欲しい。この歌碑と見える景色とで、そこで繰り広げられたモーアシビの昔の姿が見えてくるかもしれない。
▲Google mapに大まかな場所を書き込んだ。アカバンタの歌碑は見つかりにくい。「カフェくるくま」の看板の近くにチェーンが張られた場所があり、そこから入っていく。地元の方に聞くのが一番なので手登根公民館や教育委員会に尋ねると良い。
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あかばんた
'akabaNta
語句・あかばんた 沖縄県南城市佐敷手登根にある丘の上にある広場の名前。「はんた」は「端。はしっこ」「崖のふち。また崖」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。崖に面した場所を指す。昔は「毛遊び(もーあしび)」という青年男女の交遊が行われた。
【作詞宮城鷹夫 作曲松田弘一】
(歌詞は1〜3は佐敷手登根の歌碑から、4は筆者CDから聴き取り)
一、 むかし名にたちゅる 野遊のハンタ 佐敷手登根のアカバンタやしが 云語れやあても (今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て)
んかしなーにたちゃる もーあしびぬはんた さしちてぃどぅくんぬ あかばんたやしが いかたれやあてぃん (なまぬゆーになりば くいぬかりくさに うたぐぃだきぬくてぃ)
Nkashi naa ni tachuru mooashibi nu haNta sashichitidukuN nu 'akabaNta yashiga 'ikataree ya 'atiN (nama nu yuu ni nariba kui nu karikusa ni 'utagwi daki nukuti)
【括弧は繰り返しなので以下省略する】
◯昔有名だった毛遊びをした崖のふち 佐敷手登根のアカバンタであるが 男女の契りはあっても今の世になれば 恋の(終わったかのような)枯れ草に歌声だけが残っている
語句・なーにたちゅる 有名な。・いかたれー 「男女の契り。男女の語らい。」【沖辞】。「い」は「云」の当て字がされるが「美称の接頭辞。名詞に付き、意味に特別な価値を添える」【沖辞】とある。「かた」は「語らい」の意味だけでなく「仲間になる」とい意味を含む。「味方」の「かた」と同じ。
二、 三線小ぬ弦に 恋の歌かけて 肩抱ちゃいともて 思い寄る二才小 うり振たるあば小 今の世になれば 恋の枯れ草に 歌声だけ残て
さんしんぐゎーぬ ちるーに くいぬうたかきてぃ かただちゃいとぅむてぃ うみゆゆるにせーぐゎー うりふたるあばーぐゎー
saNshiN gwaa nu chiruu ni kui nu 'uta kakiti katadachai tumuti 'umi yuyuru niseegwaa 'uri hutaru 'abaagwaa
◯三線の弦に恋のウタをのせて 肩を抱こうと思って愛を寄せる青年 それを振った姉さん
語句・ちるー 弦。元は植物の「ツル」から。・にせーぐゎー「にせー」は青年、の意。南九州地方の方言「にせ」と共通。・あばーぐゎー 姉さん。「姉。ねえさん。農村で用いる語。」
三、 マガイ小の遊び アカバンタ遊び 手さじ小や肩に ひっかけてからに ちやねることなたが 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
まがいぐゎーぬあしび あかばんたあしび てぃーさじぐゎーや かたに ひっかきてぃからに ちゃねるくとぅなたが
magaigwaa nu 'ashibi 'akabaNta 'ashibi tiisaji ya kata ni hikkakiti karani chaaneeru kutu nata ga
◯マガイ小での遊び、そしてアカバンタでの遊び 手ぬぐいを肩にかけてどんなことになったやら
語句・まがいぐゎー アカバンタの北西に位置する海岸に近い場所を指す。地名では仲伊保。つまりアカバンタとマガイ小と二ヶ所が大きなモーアシビの場所だった。・ちゃーねーる (ちゃー)どんな(ねーる)ように。
四、 アカバンタひらん マガイ小ぬあとぅん 毛遊びぬ花や 松んかりはてぃてぃ みるかたやねさみ 今の世になれば 恋の枯れ草に歌声だけ残て
(「マガイ小ぬあとぅん」の所は「マガイ小ぬ原(はる)ん」とした「松田弘一作品集もある。」)
あかばんたひらん まがいぐぁーぬあとぅん もーあしびぬ はなや まちんかりはてぃてぃ みるかたやねさみ
'akabaNta hiraN magai gwaa nu 'atuN mooashibi nu hana ya machiN karihatiti mirukata ja neesami
◯アカバンタの坂もマガイ小の跡も モーアシビの花(女性)も松(男性)も枯れ果てて みる所もないのだ
語句・ひら 坂。古事記でも「比良」という。・さみ 「…なのだぞ。…なんだよ。」【沖辞】。ねー(ない)さみ(のだよ)。
【歌碑にある琉歌より】
アカバンタ坂や手登根の腰当て 花も咲き美らしゃ島も清らしゃ
あかばんたひらや てぃどぅくんぬ くさでぃ はなんさちじゅらさ しまんちゅらさ
'akabaNta hira ya tidukuN nu kusadi hana N sachijurasa shima N churasa
◯アカバンタの坂は手登根の後ろにある聖地 花も咲いて美しい 村も清らかだ
語句・くさでぃ 当て字は「腰当て」とあるように、「くし」は背中や腰を指している。後ろ側という意味でも使われる。沖縄では昔から「◯◯やくさでぃ たぶくめーなち」と言い、村の後ろ側に高い丘や山があることで豊かな水が得られて、その前にある田んぼでは豊作となる、という考えがある。理にも叶っている。その聖地を守るように御嶽が麓に置かれていたりする。高台はハンタと呼ばれ、若者たちのモーアシビの舞台ともなった。つまり「くさでぃ」は聖地とも言い換えられる。
参考「正調琉球民謡 滝原康盛 作詞作曲集」
愛しい人への言えないけれど強い思いを綴った新民謡。
1971年に作詞作曲とある。
上原正吉さんの女性的な澄んだ歌声がよくマッチしている人気曲のひとつ。
下にYouTubeを貼り付けてあります。]]>あ行たる一2013-04-12T15:21:23+09:00永良部子守唄
https://taru.ti-da.net/e4482252.html
永良部子守唄
えらぶくゎむいうた
erabu kwamui 'uta
〇沖永良部島の子守唄
語句・くゎむい 子守。<くゎ 沖縄語では「っくゎ」(qkwa)+むい 守り。
一、眠ぶりぶりにぶり 誰が泣きでぃ言ちよ わが守らばにぶり ヨーヒヨ童
にぶりぶりにぶり たがなきでぃいちよ わがむらば にぶり よーひよわらび
◯眠り眠りしながら誰が泣けといったか 私が守るので眠りなさい「ヨーヒヨ」(不詳)子ども
語句・にぶりぶりにぶり 繰り返しによる韻を踏んだ表現だろう。
二、泣くなくな童 誰が泣きでぃ言ちよ 泣かなしゅてぃふでぃり 花ぬ童
なくな くなわらび たがなきでぃいちよ なかなしゅてぃ ふでぃり はなぬわらび
nakuna kuna warabi ta ga naki di ichi yo nakana shuti hudiri hana nu warabi
◯泣くな泣くな赤ん坊よ 誰が泣けといったか? 泣かないで育ってくれ 花のような子どもよ
三、うらがいちゃ泣ちゃんて うら親ぬ聞ちゅみ わぬどぅ親なとぅてぃ うらむ守ゆる
うらがいちゃなちゃんて うらうやぬ ちちゅみ わぬどぅ うやなとぅてぃ うらむむゆる
ura ga icha nachaNte ura uya nu chichmi wanu du uya natuti ura mu muyuru
◯お前が如何に泣いても お前の親は聞くまい だから私が親になってお前の守りをする
語句・うら沖永良部方言で「お前」。・いちゃ 如何に。ウチナーグチと同じ。
四、石ぬ上に土置いてぃ 土ぬ上に花植いてぃ うぬ花ぬ咲かば 我子にくりや
いしぬうぃにみちゃういてぃ みちゃぬうぃにはなういてぃ うぬはなぬさかば わくゎにくりや
ishi nu ui ni micha uiti micha nu ui ni hana uiti unu hana nu sakaba wa kwa ni kuriya
◯石の上に土を置いて 土の上に花を植えて その花が咲けば、私の子にくれよ
語句・みちゃ土。 ウチナーグチでは「んちゃ」。
五、おいしゃ鼠美おいしゃ 石垣ぬ穴から動くなよ 石垣ぬ穴から出行くとぅわ 猫々に喰わゆんど
おいしゃ おいしゃ ちゃおいしゃ いしぬごーから うんくなよ いしぬごーから うんくとぅわ みゃあみゃあに くゎゆんど
oisha oisha cha oisha ishi nu goo kara uNkuna yo ishi nu goo kara uNkutu wa myaamyaa ni kwayuN doo
◯ネズミ、ネズミ、美しいネズミ 石垣の穴から動くなよ 石垣の穴から動くと猫に食べられるよ
語句・おいしゃ 猫。沖永良部方言。・わ ば。仮定法。「〜すれば」。ウチナーグチと同じ。
沖永良部民謡の「永良部子守唄」をとりあげた。
この歌は地元ではもちろん、ネーネーズや地元出身の歌手大山百合香さんなどが歌ったものがある。また内地の唄者にも人気がある。
曲は沖縄音階で作られている。
<![CDATA[永良部子守唄
えらぶくゎむいうた
erabu kwamui 'uta
〇沖永良部島の子守唄
語句・くゎむい 子守。<くゎ 沖縄語では「っくゎ」(qkwa)+むい 守り。
二、泣くなくな童 誰が泣きでぃ言ちよ 泣かなしゅてぃふでぃり 花ぬ童
なくな くなわらび たがなきでぃいちよ なかなしゅてぃ ふでぃり はなぬわらび
nakuna kuna warabi ta ga naki di ichi yo nakana shuti hudiri hana nu warabi
◯泣くな泣くな赤ん坊よ 誰が泣けといったか? 泣かないで育ってくれ 花のような子どもよ
三、うらがいちゃ泣ちゃんて うら親ぬ聞ちゅみ わぬどぅ親なとぅてぃ うらむ守ゆる
うらがいちゃなちゃんて うらうやぬ ちちゅみ わぬどぅ うやなとぅてぃ うらむむゆる
ura ga icha nachaNte ura uya nu chichmi wanu du uya natuti ura mu muyuru
◯お前が如何に泣いても お前の親は聞くまい だから私が親になってお前の守りをする
語句・うら沖永良部方言で「お前」。・いちゃ 如何に。ウチナーグチと同じ。
四、石ぬ上に土置いてぃ 土ぬ上に花植いてぃ うぬ花ぬ咲かば 我子にくりや
いしぬうぃにみちゃういてぃ みちゃぬうぃにはなういてぃ うぬはなぬさかば わくゎにくりや
ishi nu ui ni micha uiti micha nu ui ni hana uiti unu hana nu sakaba wa kwa ni kuriya
◯石の上に土を置いて 土の上に花を植えて その花が咲けば、私の子にくれよ
語句・みちゃ土。 ウチナーグチでは「んちゃ」。
五、おいしゃ鼠美おいしゃ 石垣ぬ穴から動くなよ 石垣ぬ穴から出行くとぅわ 猫々に喰わゆんど
おいしゃ おいしゃ ちゃおいしゃ いしぬごーから うんくなよ いしぬごーから うんくとぅわ みゃあみゃあに くゎゆんど
oisha oisha cha oisha ishi nu goo kara uNkuna yo ishi nu goo kara uNkutu wa myaamyaa ni kwayuN doo
◯ネズミ、ネズミ、美しいネズミ 石垣の穴から動くなよ 石垣の穴から動くと猫に食べられるよ
語句・おいしゃ 猫。沖永良部方言。・わ ば。仮定法。「〜すれば」。ウチナーグチと同じ。
]]>あ行たる一2013-03-13T22:29:45+09:00上の山節
https://taru.ti-da.net/e3624960.html
上の山節(一名 桑むい節)
うぃーぬやまぶし(くゎーむいぶし)
'wii nu yam bushi (kwaa mui bushi)
〇上の山の唄(別名 桑を採る唄)
久米島民謡
一、(女)桑むいになじき 山登てぃうらば 里や草苅いになじき 忍でぃいもり ツォンツォンヤーツォン 山んじ里前に真心語らば骨なてぃ骨なてぃ いちゃならわんまま
くゎーむいになじき やまぬぶてぃうらば さとぅやくさかいになじき しぬでぃいもり(つぉん つぉん やーつぉん)やまんじさとぅめにまぐくるかたらばふになてぃくちなてぃ いちゃならわんまま
kwaa mui ni najiki yama nubuti uraba satu ya kusakai ni najiki shinudi 'imoori (tsuoN tsuoN yaa tsuoN)yama 'Nji satumee ni magukuru kataraba huni nati kuchi nati 'ichanarawaN mama
〇私は桑の葉採りのふりをして山に登っているから 愛しい貴方は草刈りのふりをして忍んで来てください (囃子言葉以下省略)山であなたに真心を伝えれば骨になり遺骨になっても(死んでも)どうなっても一緒よ
語句・くゎーむい 桑(の実または葉。ここでは実とした。)もぎ。<くゎー 桑+むい<むゆん 実などをもぐ。 ・なじき「ふり、そぶり〔表向きよそおうこと〕、口実」【琉球語辞典】。・んじ で。場所を表す。・くち 遺骨。 「ふに」は「ほね」から、「くち」は「こつ」からの変化(三母音化)したもの。・いちゃらならわん どうなっても。<いちゃら<いちゃる いかなる。 +や は。融合したもの。 + <ならわん<ば+も。 ・まま 「一緒」【琉辞】。
二、(男)草苅いになじき 山登てぃいちゃい 無蔵とぅ恋ぬ奥山に思い語ら ツォンツォンヤーツォン山うてぃ染みなち 比翼ぬ鳥なてぃ 紺地ぬ色なさ
くさかいになじき やまぬぶてぃいちゃい んぞとぅくいぬうくやまに うむいかたら やまうてぃすみなち ひゆくぬとぅいなてぃ くんじぬいるなさ
kusakai ni najiki yama nubuti 'ichai Nzo tu kui nu 'ukuyama ni 'umui katara yama uti suminachi hiyuku nu tui nati kuNji nu 'iru nasa
〇草刈りのふりして山に登ってきたよ お前と恋の奥山で恋を語ろう 山で愛を深め比翼のオシドリのように仲良く 紺地の色のように濃く染めあおう
語句・ひゆくぬとぅい 中国の伝説上の鳥で 「雌雄それぞれの目と翼が一つずつで 常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。
三、(女)蚕糸(かいくいとぅ)ひかち 七ゆみにかきてぃ イヤヨあけず羽ぬ御衣にしゃびら ツォンツォンヤーツォン 深山にかくりてぃ 忍ぶ恋路ぬ 他所目に知りらば 闇路ぬ恋船 うち乗りてぃいちゃい 後生ぬ港に いちゃならわんまま 思切り第一
かいくいとぅひかち ななゆみにかきてぃ いやよ あけずばぬんしゅにしゃびら みやまにかくりてぃ しぬぶくいじぬ ゆすみにしりらば やみじぬくいぶに うちぬりてぃいちゃい ぐそーぬんなとぅに いちゃならわんまま うみちりでーいち
kaiku 'itu hikachi nanayumi ni kakiti 'iyayo 'akezuba nu Nshu ni syabira miyama ni kakuriti shinubu kuiji nu yusumi ni shiriraba yamiji nu kuibuni 'uchi nuriti 'ichai gusoo nu Nnatu ni 'ichanara waN mama 'umichiri deeichi
〇蚕から絹糸を引いて七読みほどの細かい目の上等の織物を織って(イヤヨ 囃子言葉)トンボの羽のように薄くて美しい着物にしましょう 深い山に隠れて忍ぶ恋路を他人に知られたら 闇夜の恋舟に乗って行こう あの世の港に どうなっても一緒だから 死ぬ覚悟です
語句・ななゆみ きめの細かい織り方。 干瀬節を参照。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・あけずば とんぼの羽。文語。薄くて美しい御衣の例え。「あけじ」「あーけーず」「あーけーじゅ」とも。
四、(男)羽御衣や無蔵が染みあぎてぃからや イヤヨいひん片時ん離りぐりしゃツォンツォンヤーツォン 三月遊びん うり着ち遊ぶさ 秋なてぃ真中ぬ月見ん 又くり夕暮時分の 親にんかくりてぃ 忍でぃちゅーくとぅ 山うてぃ待っちょり (女)言ちゃんどーや 変わんなよーや 待ちかんてーどん しみんなよーや
はにんしゅやんぞがすみあぎてぃからや いやよ いひんかたとぅちんはなりぐりしゃ さんぐゎちあしびん うりちちあしぶさ あちなてぃむなかぬちちみんまたくり ゆまんぐぃじぶのーうやにんかくりてぃ しぬでぃちゅーくとぅやまうてぃまっちょーり いちゃんどーや かわんなよーや まちかんてーどんしみんなよーや
hani Nshu ya Nzo ga sumiagiti kara ya ih(w)iN katatuchiN hanarigurisha saNgwachi 'ashibiN uri chichi 'ashibusa 'achi nati munaka nu chichi miN mata kuri yumaNgwi jibunoo 'uya niN kakuriti shinudi chuu kutu yama uti machoori 'ichaN doo ya kawaNna yoo ya machikaNteedoN shimiNna yoo ya
〇(男)美しい着物を愛しいお前が染めあげてくれたので すこしも片時も離れずらいよ 三月遊びもそれを着て遊ぶよ 秋になって十五夜の月を見てまた来れば夕暮れ時には親に隠れて忍んで来るから山で待ってくれよ(女)言ったわね それなら心変わりしないでね 待ちかねるなんてさせないでね
<![CDATA[上の山節(一名 桑むい節)
うぃーぬやまぶし(くゎーむいぶし)
'wii nu yam bushi (kwaa mui bushi)
〇上の山の唄(別名 桑を採る唄)
久米島民謡
一、(女)桑むいになじき 山登てぃうらば 里や草苅いになじき 忍でぃいもり ツォンツォンヤーツォン 山んじ里前に真心語らば骨なてぃ骨なてぃ いちゃならわんまま
くゎーむいになじき やまぬぶてぃうらば さとぅやくさかいになじき しぬでぃいもり(つぉん つぉん やーつぉん)やまんじさとぅめにまぐくるかたらばふになてぃくちなてぃ いちゃならわんまま
kwaa mui ni najiki yama nubuti uraba satu ya kusakai ni najiki shinudi 'imoori (tsuoN tsuoN yaa tsuoN)yama 'Nji satumee ni magukuru kataraba huni nati kuchi nati 'ichanarawaN mama
〇私は桑の葉採りのふりをして山に登っているから 愛しい貴方は草刈りのふりをして忍んで来てください (囃子言葉以下省略)山であなたに真心を伝えれば骨になり遺骨になっても(死んでも)どうなっても一緒よ
語句・くゎーむい 桑(の実または葉。ここでは実とした。)もぎ。<くゎー 桑+むい<むゆん 実などをもぐ。 ・なじき「ふり、そぶり〔表向きよそおうこと〕、口実」【琉球語辞典】。・んじ で。場所を表す。・くち 遺骨。 「ふに」は「ほね」から、「くち」は「こつ」からの変化(三母音化)したもの。・いちゃらならわん どうなっても。<いちゃら<いちゃる いかなる。 +や は。融合したもの。 + <ならわん<ば+も。 ・まま 「一緒」【琉辞】。
二、(男)草苅いになじき 山登てぃいちゃい 無蔵とぅ恋ぬ奥山に思い語ら ツォンツォンヤーツォン山うてぃ染みなち 比翼ぬ鳥なてぃ 紺地ぬ色なさ
くさかいになじき やまぬぶてぃいちゃい んぞとぅくいぬうくやまに うむいかたら やまうてぃすみなち ひゆくぬとぅいなてぃ くんじぬいるなさ
kusakai ni najiki yama nubuti 'ichai Nzo tu kui nu 'ukuyama ni 'umui katara yama uti suminachi hiyuku nu tui nati kuNji nu 'iru nasa
〇草刈りのふりして山に登ってきたよ お前と恋の奥山で恋を語ろう 山で愛を深め比翼のオシドリのように仲良く 紺地の色のように濃く染めあおう
語句・ひゆくぬとぅい 中国の伝説上の鳥で 「雌雄それぞれの目と翼が一つずつで 常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。
三、(女)蚕糸(かいくいとぅ)ひかち 七ゆみにかきてぃ イヤヨあけず羽ぬ御衣にしゃびら ツォンツォンヤーツォン 深山にかくりてぃ 忍ぶ恋路ぬ 他所目に知りらば 闇路ぬ恋船 うち乗りてぃいちゃい 後生ぬ港に いちゃならわんまま 思切り第一
かいくいとぅひかち ななゆみにかきてぃ いやよ あけずばぬんしゅにしゃびら みやまにかくりてぃ しぬぶくいじぬ ゆすみにしりらば やみじぬくいぶに うちぬりてぃいちゃい ぐそーぬんなとぅに いちゃならわんまま うみちりでーいち
kaiku 'itu hikachi nanayumi ni kakiti 'iyayo 'akezuba nu Nshu ni syabira miyama ni kakuriti shinubu kuiji nu yusumi ni shiriraba yamiji nu kuibuni 'uchi nuriti 'ichai gusoo nu Nnatu ni 'ichanara waN mama 'umichiri deeichi
〇蚕から絹糸を引いて七読みほどの細かい目の上等の織物を織って(イヤヨ 囃子言葉)トンボの羽のように薄くて美しい着物にしましょう 深い山に隠れて忍ぶ恋路を他人に知られたら 闇夜の恋舟に乗って行こう あの世の港に どうなっても一緒だから 死ぬ覚悟です
語句・ななゆみ きめの細かい織り方。 干瀬節を参照。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・あけずば とんぼの羽。文語。薄くて美しい御衣の例え。「あけじ」「あーけーず」「あーけーじゅ」とも。
四、(男)羽御衣や無蔵が染みあぎてぃからや イヤヨいひん片時ん離りぐりしゃツォンツォンヤーツォン 三月遊びん うり着ち遊ぶさ 秋なてぃ真中ぬ月見ん 又くり夕暮時分の 親にんかくりてぃ 忍でぃちゅーくとぅ 山うてぃ待っちょり (女)言ちゃんどーや 変わんなよーや 待ちかんてーどん しみんなよーや
はにんしゅやんぞがすみあぎてぃからや いやよ いひんかたとぅちんはなりぐりしゃ さんぐゎちあしびん うりちちあしぶさ あちなてぃむなかぬちちみんまたくり ゆまんぐぃじぶのーうやにんかくりてぃ しぬでぃちゅーくとぅやまうてぃまっちょーり いちゃんどーや かわんなよーや まちかんてーどんしみんなよーや
hani Nshu ya Nzo ga sumiagiti kara ya ih(w)iN katatuchiN hanarigurisha saNgwachi 'ashibiN uri chichi 'ashibusa 'achi nati munaka nu chichi miN mata kuri yumaNgwi jibunoo 'uya niN kakuriti shinudi chuu kutu yama uti machoori 'ichaN doo ya kawaNna yoo ya machikaNteedoN shimiNna yoo ya
〇(男)美しい着物を愛しいお前が染めあげてくれたので すこしも片時も離れずらいよ 三月遊びもそれを着て遊ぶよ 秋になって十五夜の月を見てまた来れば夕暮れ時には親に隠れて忍んで来るから山で待ってくれよ(女)言ったわね それなら心変わりしないでね 待ちかねるなんてさせないでね
]]>あ行沖縄本島たる一2012-12-16T11:40:34+09:00いぬひな節
https://taru.ti-da.net/e3576098.html
いぬひな節
いぬひなぶし
'inuhina bushi
〇いぬひな(久米島の地名)の歌
語句・いぬひな 「字具志川の原名」(「島うた紀行」)
一、いぬひなぬはんた鷲ぬ舞いどぅくる 里が舞いどぅくる 玉津真胸
いぬひなぬはんたわしぬまいどぅくる さとぅがまいどぅくる たまちまむに
'inuhina nu haNta washi nu maidukuru satu ga maidukuru tamachi mamuni
〇いぬひなの崖は鷲が舞う所 貴方が舞う所は玉津(人名)の胸
語句・はんた 「端[はし];崖(のふち)」【琉球語辞典】。・まむに 「胸」は「んに」であるが、ここでは「むに」。「ま」は強調の意だろう。
二、池ぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじゅらが一本 久葉ぬ三本
いちぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじらがちゅむとぅ くばぬみむとぅ
'ichi nu 'ibiganashi daNju tuyumariru yuyujura ga chu mutu kuba nu mimutu
〇愛しい池のイベよ 断然よく知られている クロツグが一本 久葉が三本
語句・いび 池の名前。・がなし<かなし 愛しい。「首里天がなし」など尊敬する者、愛する者へにつける。・だんじゅ「げにこそ、いかにも、なるほど」【琉辞】。・とぅゆまりる <とぅゆまりゆん 「世の評判になる」【琉辞】。<とぅゆぬん 「音に聞える」【琉辞】。・ゆゆじゅら クロツグ。沖縄方言で「マーニ」。
三、久葉ぬ若くばがみけに 浮上がりば 肝ぬふり者や我無蔵とぅ思てぃ
くばぬわかくばがみけに うちゃがりば ちむぬふりむんや わんぞとぅむてぃ
kuba nu waka kuba ga mike ni 'uchagariba chimu nu hurimuN ya wa Nzo tu muti
〇久葉の若い久葉が「みけ」(不詳)に浮き上がれば 恋に気がふれたような者は自分の恋人かと思って
語句・みけ 「島うた紀行」では「不詳。三回の意か」とある。・ふりむん 「(何かに心奪われた粋狂な)馬鹿(者)」【琉辞】。
久米島の歌を続けている。
「いぬひな節」は久米島の字具志川の原名(いぬひな)で生まれたといわれている。
音源は「久米島の歌全集(古謡から新作まで)」(マルフク)。
<![CDATA[いぬひな節
いぬひなぶし
'inuhina bushi
〇いぬひな(久米島の地名)の歌
語句・いぬひな 「字具志川の原名」(「島うた紀行」)
一、いぬひなぬはんた鷲ぬ舞いどぅくる 里が舞いどぅくる 玉津真胸
いぬひなぬはんたわしぬまいどぅくる さとぅがまいどぅくる たまちまむに
'inuhina nu haNta washi nu maidukuru satu ga maidukuru tamachi mamuni
〇いぬひなの崖は鷲が舞う所 貴方が舞う所は玉津(人名)の胸
語句・はんた 「端[はし];崖(のふち)」【琉球語辞典】。・まむに 「胸」は「んに」であるが、ここでは「むに」。「ま」は強調の意だろう。
二、池ぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじゅらが一本 久葉ぬ三本
いちぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじらがちゅむとぅ くばぬみむとぅ
'ichi nu 'ibiganashi daNju tuyumariru yuyujura ga chu mutu kuba nu mimutu
〇愛しい池のイベよ 断然よく知られている クロツグが一本 久葉が三本
語句・いび 池の名前。・がなし<かなし 愛しい。「首里天がなし」など尊敬する者、愛する者へにつける。・だんじゅ「げにこそ、いかにも、なるほど」【琉辞】。・とぅゆまりる <とぅゆまりゆん 「世の評判になる」【琉辞】。<とぅゆぬん 「音に聞える」【琉辞】。・ゆゆじゅら クロツグ。沖縄方言で「マーニ」。
三、久葉ぬ若くばがみけに 浮上がりば 肝ぬふり者や我無蔵とぅ思てぃ
くばぬわかくばがみけに うちゃがりば ちむぬふりむんや わんぞとぅむてぃ
kuba nu waka kuba ga mike ni 'uchagariba chimu nu hurimuN ya wa Nzo tu muti
〇久葉の若い久葉が「みけ」(不詳)に浮き上がれば 恋に気がふれたような者は自分の恋人かと思って
語句・みけ 「島うた紀行」では「不詳。三回の意か」とある。・ふりむん 「(何かに心奪われた粋狂な)馬鹿(者)」【琉辞】。
久米島の歌を続けている。
「いぬひな節」は久米島の字具志川の原名(いぬひな)で生まれたといわれている。
音源は「久米島の歌全集(古謡から新作まで)」(マルフク)。
]]>あ行たる一2012-10-20T09:33:15+09:00想いションガネー
https://taru.ti-da.net/e3457161.html
想いションガネー
うむいしょんがねー
'umi shoNganee
〇想い「ションガネー」(歌の名前)
語句・しょんがねー 「与那国ションガネー」、「遊びションガネー」を参照。
作詞・作曲 前川守賢 歌 饒辺勝子
一、かんしうむいぬすんくまれ 想いぬたきん語らんむん 我が落てぃ着ちゅみ 胸内や 逢ちゃてぃ晴りらなくぬ想い ※しゅらよー想いションガネー
かんしうむいぬすんくまれ うむいぬたきんかたらんむん わがうてぃちちゅみ んにうちや いちゃてぃはりらなくぬうむい しゅらよーうむいしょんがねー
kaNshi 'umui nu suNkumaree 'umui nu takiN kataraNmuN waga 'utichichumi Nni'uchi ya 'ichati katarana kunu 'umui shurayoo 'umi shoNkanee
〇こんな思いを胸に込めてるなら 思いのたけを語りたいもの 私落ち着けるかしら?胸の内をあの人に会って晴らしたいなこの思い 愛しい人よ!貴方を想ってションガネー
語句・かんし こんな。・すんくまれ 込めるなら。秘めるなら。<すん 強調か?+くまれー<くまゆん 籠る。・しゅらよー いとしい人よ! 囃子言葉でもある。
二、一足ん早みてぃ逢ちゃらなや あぬ森越てぃ行ちどぅんしぇー うんじゅが居める島やしが 思いるぐとぉ逢ちゃららん ※(くりかえしー以下省略)
ちゅひさんはやみてぃいちゃらなや あぬむいくぃてぃいちどぅんしぇー うんじゃがいめるしまやしが うむいるぐといちゃららん
chuhwisaN hayamiti 'icharana ya 'anu mui kwiti 'ichiduNshee 'unju ga 'imeeru shima yashiga 'umuirugutoo 'ichararaN
〇一足でも早く会いたいよ あの山越えて行けば貴方がいる村だけど 思うようには会えないの
語句・ちゅひさ <ちゅ 一つ+ひさ 足。 ・むい 山。沖縄ではあまり高い山がないため山や丘を「森」(むい)ということが多い。盛り上がった所、の意味。 ・うむいるぐと <うむい 思い。+る<どぅ こそ。+ぐとー<ぐとぅ+や から。(「や」は強調) → 思うようには。
三、ぬがよ淋しさしじららん ぬがよ凪々肝凪りてぃ忍び忍どぉてぃ里御側 闇路通わす恋無情 ※(くりかえし)
ぬがよ さびしさしじららん ぬがよ とぅりどぅり ちむどぅりてぃ しぬびしぬびどーてぃ さとぅうすば やみじかゆわす くいむじょー
nu ga yo sabishisa shijiraraN nu ga yo turiduri chimuduriti shinubi shinubidooti satu 'usuba yamiji kayuwasu kui mujoo
〇どうして寂しさ耐えられない どうして凪のように心なごんで 忍んで忍んで貴方のお側へ闇路を通わす恋の無情さよ
語句・ぬがよ どうして?。 ・しじららん 耐えられない。<しじゆん。耐える。 ・とぅりどぅり 凪(なぎ)。海上の風がやむ時。畳語(じょうご、語句を繰り返すこと。日々、とか
時々とか。)で、凪のたびに、くらいの意味。・とぅりてぃ 「凪」の当て字があるが心なごむの意味。<とぅりゆん 「凪。(心が)なごむ。」【琉辞】。
四、顔や笑らてぃん雨嵐 我胴にふぃしふぃし吹く風や行く先知らん舟心 着く方求みてぃ漕ぐばかい ※(2回くりかえし)
かうやわらてぃんあみあらし わどぅにふぃしふぃしふくかじや いくさちしらんふにぐくる ちくかたむとぅみてぃくぐばかい
kau ya waratiN 'ami'arashi wadu ni hwishihwishi huku kaji ya 'ikusachi shiraN huni gukuru chiku kata mutumiti kugu bakai
〇顔は笑っていても雨嵐のようにわが身にひしひしと吹く風で まるで私は行く先知らない船のよう 着く所を探して漕ぐばかり
語句・・わどぅ わが身。<わー 私。+ どぅー(胴) 体。・ぐくる <くくる。琉歌では「・・のように」「たとえると」の意味でつかわれることが多い。 ここでは「船のよう」。
<![CDATA[想いションガネー
うむいしょんがねー
'umi shoNganee
〇想い「ションガネー」(歌の名前)
語句・しょんがねー 「与那国ションガネー」、「遊びションガネー」を参照。
三、ぬがよ淋しさしじららん ぬがよ凪々肝凪りてぃ忍び忍どぉてぃ里御側 闇路通わす恋無情 ※(くりかえし)
ぬがよ さびしさしじららん ぬがよ とぅりどぅり ちむどぅりてぃ しぬびしぬびどーてぃ さとぅうすば やみじかゆわす くいむじょー
nu ga yo sabishisa shijiraraN nu ga yo turiduri chimuduriti shinubi shinubidooti satu 'usuba yamiji kayuwasu kui mujoo
〇どうして寂しさ耐えられない どうして凪のように心なごんで 忍んで忍んで貴方のお側へ闇路を通わす恋の無情さよ
語句・ぬがよ どうして?。 ・しじららん 耐えられない。<しじゆん。耐える。 ・とぅりどぅり 凪(なぎ)。海上の風がやむ時。畳語(じょうご、語句を繰り返すこと。日々、とか
時々とか。)で、凪のたびに、くらいの意味。・とぅりてぃ 「凪」の当て字があるが心なごむの意味。<とぅりゆん 「凪。(心が)なごむ。」【琉辞】。
四、顔や笑らてぃん雨嵐 我胴にふぃしふぃし吹く風や行く先知らん舟心 着く方求みてぃ漕ぐばかい ※(2回くりかえし)
かうやわらてぃんあみあらし わどぅにふぃしふぃしふくかじや いくさちしらんふにぐくる ちくかたむとぅみてぃくぐばかい
kau ya waratiN 'ami'arashi wadu ni hwishihwishi huku kaji ya 'ikusachi shiraN huni gukuru chiku kata mutumiti kugu bakai
〇顔は笑っていても雨嵐のようにわが身にひしひしと吹く風で まるで私は行く先知らない船のよう 着く所を探して漕ぐばかり
語句・・わどぅ わが身。<わー 私。+ どぅー(胴) 体。・ぐくる <くくる。琉歌では「・・のように」「たとえると」の意味でつかわれることが多い。 ここでは「船のよう」。
]]>あ行たる一2012-06-10T14:07:32+09:00石くびり
https://taru.ti-da.net/e2709263.html
石くびり
いしくびり
'ishi kubiri
〇石の小坂
語句・くびり <小坂(ひら)
作詞 大浜方叶 作曲 石原節子
一、恋路連りなさやままならん世間に 無蔵が云言葉の肝にかかてぃ 肝にかかてぃ
くいじちりなさや ままならんしけに んぞがいくとぅばぬちむにかかてぃ(ちむにかかてぃ)
kuiji chirinasa ya mamanaraN shike ni Nzo ga 'ikutuba nu chimu ni kakati chimu ni kakati(繰り返し以下省略)
〇恋の道はつれない 思うようにならないこの世 貴女の言葉が心に残って
二、忘らていやしが 肝に思染みてぃ 思切りんならん 我肝病むさ
わしらていやしが ちむにうみすみてぃ うみちりんならん わちむやむさ
washiratei yashi ga chimu ni 'umi sumiti 'umichiriN naraN wa chimu yamu sa
〇忘れようとか思うが心に思い染めてしまってあきらめることができない 私の心病むようだよ
語句・てい 「てぃやい」ともいう。文語では「てぃやり」。「・・といって」「とか」「・・と」・うみちり あきらめる。<思い+切る。
三、無蔵が顔見りば 恋しさや勝てぃ 焦がりゆる肝や 誰に呉ゆが
んぞがかうみりば くいしさやまさてぃ くがりゆるちむや たるにくぃゆが
Nzo ga kau miriba kuishisa ya masati kugariyuru chimu ya taru ni kwiyuga
〇貴女の顔見ると恋しさが強くなって焦がれる心は誰にうちあけたらいいのか
語句・かう 顔。ちなみに「口語はcira;敬語はmjunciなど」【琉辞】。・くぃゆが 直訳では「あげるか」「やるか」。ちなみにウチナーグチでは「やる」「もらう」の区別なく「くぃゆん」を使うので、どちらかは文脈から判断する。ここでは「焦がれる心誰にうちあけるか」とした。
四、村ぬ石小坂 我一人どぅ行じゃる 互にかながなとぅ登てぃみぶしゃ
むらぬいしくびり わんちゅいどぅんじゃる たげにかながなとぅ ぬぶてぃみぶしゃ
mura nu 'ishikubiri waN chui du 'Njaru tsgee nikanaganatu nubuti mibusha
〇村の石の小坂 私一人だけで行く お互い仲良く登ってみたいものだ
語句・んじゃる <いちゅん 'ichuN 行く の 連体形。「どぅ」の係り結びで連体形になっている。「どぅ」は「だけ」と訳すとフィットする場合が多い。・かながなとぅ 「仲良く、睦まじく」【琉辞】。<かながなーとぅ と会話では使う。
この歌を作曲し自ら歌われた石原節子さんは「夫婦船」「ちぶみ」などを唄って沖縄では人気歌者の一人だったが2008年に亡くなられた。
この「石くびり」は上のCDに音源がある。これも大ヒットし人気はいまだに強い。
「石くびり」は「石の小坂」の意味。
「坂」は「ひら」「ふぃら」。日本の古語でもある。
連濁で「こ+ひら」は「こびら」となり、さらにウチナーグチの三母音化の法則で「くびら」。
kobira→kubira→kubiri
末尾の「ら」が「り」になったのは「訛り」だろう。
「伊野波ぬ石くびり無蔵連りてぃ登る なふぃん石くびり 遠さはあらな」
という古い歌もあるが、これをモチーフにしているのかどうかは不明。
いずれにしてもいまだに唄われる人気の高い歌の一つ。
<![CDATA[石くびり
いしくびり
'ishi kubiri
〇石の小坂
語句・くびり <小坂(ひら)
作詞 大浜方叶 作曲 石原節子
一、恋路連りなさやままならん世間に 無蔵が云言葉の肝にかかてぃ 肝にかかてぃ
くいじちりなさや ままならんしけに んぞがいくとぅばぬちむにかかてぃ(ちむにかかてぃ)
kuiji chirinasa ya mamanaraN shike ni Nzo ga 'ikutuba nu chimu ni kakati chimu ni kakati(繰り返し以下省略)
〇恋の道はつれない 思うようにならないこの世 貴女の言葉が心に残って
二、忘らていやしが 肝に思染みてぃ 思切りんならん 我肝病むさ
わしらていやしが ちむにうみすみてぃ うみちりんならん わちむやむさ
washiratei yashi ga chimu ni 'umi sumiti 'umichiriN naraN wa chimu yamu sa
〇忘れようとか思うが心に思い染めてしまってあきらめることができない 私の心病むようだよ
語句・てい 「てぃやい」ともいう。文語では「てぃやり」。「・・といって」「とか」「・・と」・うみちり あきらめる。<思い+切る。
三、無蔵が顔見りば 恋しさや勝てぃ 焦がりゆる肝や 誰に呉ゆが
んぞがかうみりば くいしさやまさてぃ くがりゆるちむや たるにくぃゆが
Nzo ga kau miriba kuishisa ya masati kugariyuru chimu ya taru ni kwiyuga
〇貴女の顔見ると恋しさが強くなって焦がれる心は誰にうちあけたらいいのか
語句・かう 顔。ちなみに「口語はcira;敬語はmjunciなど」【琉辞】。・くぃゆが 直訳では「あげるか」「やるか」。ちなみにウチナーグチでは「やる」「もらう」の区別なく「くぃゆん」を使うので、どちらかは文脈から判断する。ここでは「焦がれる心誰にうちあけるか」とした。
四、村ぬ石小坂 我一人どぅ行じゃる 互にかながなとぅ登てぃみぶしゃ
むらぬいしくびり わんちゅいどぅんじゃる たげにかながなとぅ ぬぶてぃみぶしゃ
mura nu 'ishikubiri waN chui du 'Njaru tsgee nikanaganatu nubuti mibusha
〇村の石の小坂 私一人だけで行く お互い仲良く登ってみたいものだ
語句・んじゃる <いちゅん 'ichuN 行く の 連体形。「どぅ」の係り結びで連体形になっている。「どぅ」は「だけ」と訳すとフィットする場合が多い。・かながなとぅ 「仲良く、睦まじく」【琉辞】。<かながなーとぅ と会話では使う。