そういう書き込みを頂きました、と言っても非公開でしょうからね。今、購読している新聞でも掲載してもらえないでしょうか、という涙の出そうにありがたいお話しであります。と言っても僕は単に書いているだけですし、共同通信と地方紙の関係、契約とかがどういう形なのかは知りようがないんです。
でも、そういう声が新聞社を動かすということは「80年代ノート」の時にもあったんです。読者の要望が多くて掲載することになったという話を共同通信から聴きました。こういう時代ですからね。コンプライアンスも含めてユーザーの声が一番強いです。
「80年代ノート」の時に一番最後に掲載が決まったのは東京新聞だったんですが、やはりそういう経緯があったようです。と言ってどんな部署に言えばいいとか、そういう仕組みは分かりません。そもそも会社組織というもの自体に無縁なフリーランス人生であります(笑)。
というようなことを緊急連絡(笑)。相変わらず夜になると咳がでる。今日もライブの後にトークイベントをというお話があったのですが、事情を話してお休みさせて頂きました。ほんとに心苦しいです。そんなこんなで「声」の曲。浜田さんの「旅するソングライター」。来週、NHKホールです。じゃ、お休みなさい。
FM NACK5「J-POP TALKIN’」のインタビュー。1月29日に16枚目のアルバム「TIME」を発売するHYのhideさん。新里英之さん。この番組では毎回アルバムごとに登場して頂ける一組ですね。以前はメンバー全員という時期もありましたが、最近はそういう稼働ではなくなったようです。
彼らを取り巻く状況はここ数年で一変しましたからね。去年は「紅白」にも出場しました。「紅組」に加わっているロックバンドというのも数少ないです。最近、彼らを知った人たちの中にはキーボードの仲宗根さんのバンドと思ってる人も多いようです。
東屋慶名の高校の友人が作ったバンド。それぞれが中学時代からの知り合いでもある。ビートルズのリバプール、GLAYの函館、BUMP OF CHICKENの佐倉に匹敵するというか、固有のローカリテイという意味では誰よりも強い絆で結ばれている。ほんとに仲の良いバンドです。
デビュー当時はミクスチャーロックのバンド、と言われてました。リンケんパークの武道館のオープニングを務めたこともありました。でも、今はそういう肩書は不要なメジャー感の持ち主でしょう。インタビューは前回のアルバム「Kafuu」以来、あの時はコロナでリモートでした。
対面は5年ぶりかな。彼がスタジオに入ってきた時に以前と雰囲気が違うことに驚かされました。何て言えばいいのかな。健康的になった、メジャーになった、表情が豊かになった。メイクしてるのかと思うくらいに顔色もいい。”スター”な感じがしたんです。それを伝えたら喜んでましたけどね。
彼はソロ活動をしたり、舞台で演技もしてる。そういう色んなことが全部自信になってる。結成25周年。当時は高校生だったわけですからね。売れるとこう変わるんだということを目の当たりにしました。でも、バンドが大きくなっても音楽が変わらない。これも彼ららしい感じですね。
沖縄の一番いいところを体現している。青い空と海があればそれだけで幸せになれるという音楽。沖縄でなければ生まれない多幸感。それがこれだけキャリアを重ねて全く揺るがない。「TIME」は、そういうアルバムでした。海を背にして防波堤に座ったアーテイスト写真が全てを物語ってました。
沖縄、行きたいなあ、と思いつつ何年経ったんだろう。3月に彼らの主催する野外イベント「SKYフェス」ああるんですが、今年は行ってみようかなあと思ったりしてます。というわけでオンエアはアルバム発売日の1月29日と2月5日。曲ですね。「SKYフェス」のテーマ、「SKY」を。じゃ、お休みなさい。
宣伝モード全開(笑)。共同通信で連載している「90年代ノート」が自分で言うのも気が引けますが、好評なんだそうです。年末にまた新しい掲載紙が増えたという連絡がありました。嬉しい限りです。去年単行本になった「80年代音楽ノート」の続編。90年代の10年を一年10回というペースで辿ってます。
共同通信というのは普通の新聞社のように自前の紙面を持っているわけじゃなくて全国の地方紙に記事を配信する会社。「80年代ノート」の時は20紙近くが掲載して頂けたようですが「90年代ノート」もそういう規模になっているようです。
ただ、掲載開始がまちまちなので基本は今年の春からだったのですが、ようやく腰を挙げられたという新聞もあるので最近始まりました、という例もあるわけです。でも、読まれてこその物書きでもあるわけで、自分の役割みたいなことを再認識させてくれます。
今、書いているのは93年。何を書いたのかな。森田童子さんの「僕たちの失敗」、氷室京介さんの「Memories of Blue」、ZARDの「揺れる想い」、THE BOOM「島唄」、森高千里さん「渡良瀬橋とハエ男」、スタレビの「木蘭の涙」という感じかな。どれも家にあったジャケットを使ってます。
8センチシングルね。去年、トランクルームをチェックしたら8センチシングルが段ボールで10箱ぶんくらいあったんです。その中にあったものですね。別段、整理していたわけじゃなくて横着でそのままになってただけ。瓢箪から駒という感じで役に立ってます。
90年代、ミリオンセラーも多かったですし、ともかくヒットしたシングルやアルバムに追いつかない。これも売れました、あれもミリオンでしたという総花的に終わってしまう。手元にこれが残っていたということが一つの必然性になる。そんな話になればいいなと思いながら書いてます。
でもね、忘れてるんですよ(笑)。手帳もある年とない年とあるし、当時書いた記事も行方不明なものが圧倒的。それでも自分で見たライブとかインタビューしたことのある人を優先して書いている「私的ノート」です。これが最後の連載かな、と思いながらですね。
ようやく原稿モードになってるんですが、参ったなと思ってるのがキーボードを叩く指が心もとない。打ち損ねの連続。一つの単語を一回で打てたことがない。年のせいとしか言いようがない。
よれるな頑張れ、自分の指(笑)。というわけで、次回の「90年代ノート」。フミヤさんの「True Love」になると思います。短冊シングルがありました。じゃ、お休みなさい。
あっという間の三が日でした。遅ればせながら今年もよろしくお願いします。年末と同じいつものスタバ。昼間通りかかった時は席がないどころかテイクアウトの長蛇の列。食事時だからかな、今はそういう感じじゃないです。平日は仕事終わりの人達で混み始める時間ですけど、まだ仕事は始まってないのかな。
僕は今日が仕事始め。大宮のNACK5で「J-POP TALKIN’」の高橋優さんの完パケ。無事終わりました。大晦日の時に書いた喉の違和感があの後一気に激しくなって夜、咳で眠れないというところまで行ったので大丈夫かなと気が気じゃなかったんですが、どうにかこうにか乗り切りました。
予想外の年明けになったのは、家人がコロナになったんです。ひょっとして同じ時に感染して僕は発熱まで至らなかったということなのかもしれませんが、家庭内隔離という三が日になってます。いつ何が起こるか分からない。新年早々に思い知らされてます。一年間健康で暮らすことがいかに重要なことか。今年の最大のテーマがそれですね。書初めをするとしたら「健康第一」です。
書初めをするとしたら、ってそんなことしたことあるのか(笑)。あったとしても小学校か中学校くらいでしょう。習字をちゃんとやっておけば字ももう少しきれいに書けるんでしょうけど。退職後にペン習字を習い始めるという方も多いようですけど、そんな殊勝なジジイじゃありません(笑)。
ジジイ、といえば、「紅白」面白かったんですね、ってどういう展開だ(笑)。少なくともこの10数年で一番充実していた気がしました。何年か忘れましたけど、桑田さんとユーミンがコラボした時も面白かったですが、全体の作りとしてはあの時を凌いでたでしょう。
何か好感持てたかというと「音楽」をちゃんと扱おうとしていた。もちろん曲のサイズがテレビ仕様で短かったりということはありましたけど「聴いた」という手ごたえはありましたからね。普段テレビを見ない人間には誰だか分からないような番宣のゲストに時間を割くという作り方じゃなかったです。
レコ大も時代が変わったと思い知らされる作り方でしたけど、あれは主流がZ世代になったんだなあ、という僕らにすれば淡々としたちょっぴり寂しいものでした。紅白はこういう人たちが時代を作ってきたんだと思わせてくれる頼もしいものでした。
たとえば、GLAYやBzにTHE ALFEE、玉置さんに米津さん、最後を締めくくったMISIAと一緒に矢野顕子さんが出ていたのは驚きました。そこにCrrepy NatやMrs.GREEN Appleも加わる。新しい時代を担ってきた人と今後を担う人。大物を揃えました、という顔ぶれ先行になっていなかった。
紅白を見ながら拍手したのはきっと初めてでしょう。いい大晦日でした。で、年があけていきなり天候が激変したという三が日でありました。で、今年をどんな風に過ごすか。まずは健康第一(笑)。去年の秋以降からそういうモードになっていてブログを書く頻度が激変してしまったわけはあります。
今年はもう少しまめに書かないとなあ、と思うんです。フェイスブックやツイッター、今はXか。僕はだらだら書く方ですし、写真をアップしましたということじゃ済まない。やっぱりブログ派なんですね。物書きというのは何か書いてるから物書きなわけですし。今年はもうちょっと多く書きます。
そういう時間があるような生活にする。今年漠然と思ってるのはそれかもしれませんね。もうやることはやったかな、みたいな気もしてますし。去年、11月に玉置さんのガーデンシアターを見たんですが、あのことも書けなかったなと紅白を見ていて思いました。見たライブは書こう、と自分に言ってます(笑)。
というわけで今年もよろしくお願いします。たまには覗いてみてください。曲ですね。「悲しみにさよなら」。玉置さんの歌で。作詞・松井五郎さん。山内惠介さんの「紅の蝶」や去年の「こころ万華鏡」も五郎さん。これぞ松井五郎。「もう一人の安全地帯」の43年後か。頑張ってるなあと思いました。じゃ、また明日。
いつものスタバ。今。17時15分。さっき通りかかった時には人で溢れてましたけど、今は多少の空席在り。ラッキーでした。2024年、終わりですね。昨日はレコ大、今日は紅白。こんな一年の終わりは初めてかもしれないです。レコ大が関係なくなったことも大きいかな。昨日は丸々お茶の間鑑賞でした。
レコ大の内容に関しては色々思う所がありましたけど今年のシーンが今までと違ったということは出てましたね。少なくとも受賞曲の紹介が再生回数で一貫していた。何億回が当たり前になった。もう僕らの物差しは通用しない。去年からそういう感じがしてたのですが、それが決定的になった。それだけは実感できました。
で、今日は紅白。これも見てしまうでしょうし、見ながらここを書くという感じにはならなでしょうし。終わったら時間も遅い。家にいてもカミさんの邪魔になるだけですから脱出してきました。世の多くの旦那様と同じようにです。この間「生前贈与」だなとと大見えを切ったCDの整理はあのまま。まだ半分も行ってない。
一昨日、朝起きたら喉が痛い。唾を飲もうとすると何かが邪魔してるみたいな違和感がある。何年もそのままになっていた段ボールを開けて首を突っ込んだりしていてハウスダストまみれになったようでアレルギー反応が出たんでしょう。熱がないから風邪じゃない。かなり焦りました。
昨日の夜は咳が激しくて寝付けなかったり。病院が開いてなくて以前もらった薬をひっくり返して自己診断。多少は良くなってる感じ、という大晦日。今年はどんな年だったか、振り返ってみようかなと思ったりしてます。何で駅前のスタバかというと、今年、1月に越したからですね。
駅から歩くと17,8分の戸建てから駅前のマンション。生活一変です。何よりも、朝、ボーっと起きて来て階段から落ちる心配がない。ライブが終わってバスの時間を気にして寒い中を歩く必要がない。乗換案内などでの所要時間に数分足せば家からの時間になる。感覚としてはホテルの喫茶店にいるみたいな感じです。
先を急ごう(笑)。引っ越しで始まった駅前元年。2月にFM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」でPANTAさんの追悼をやったのも僕らの時代の終わりを感じさせました。そういう機会も色々ありました。6月の新宿のロフトプラスワンでロフトの席亭、平野悠さんとのトークイベントも忘れられません。
彼は2歳上で同じ大学。ずっと先輩だと思ってたら二浪で同学年だった。しかも学生運動に深くかかわっていた。僕みたいに周辺ででちょろちょろという甘っちょろい代物じゃなかった。同じデモに参加していて彼は逮捕されて僕は逃げられたということが判明したり。
そんな話をできる人はいなかったですからね、しようとも思わなかった。でも、そういうことを残すのも僕らの役割かなあという気分もあったんです。やっとこういう話が出来たというイベントでした。彼は「1976年の新宿ロフト」という本で「僕は80年代音楽ノート」を出すというタイミングでした。
仕事で言うと今年の一番の出来事はあの本でしょうね。ホーム社の編集の河井さんは元パチパチの編集部。去年、何十年ぶりかにばったり会ったのが藤井徹貫の遺体にさよならを言いにいく日だった。偶然です。徹貫が引き合わせてくれたとしか思えませんでした。
あの本の出版記念イベントが作家の重松清さんとの対談だったことも今年嬉しかったの一つですね。何と17年ぶり。20年位前か。彼が僕の書いたものを読まれていたと知った時に「報われた」と思ったことは忘れません。本についての的確な感想も頂けました。
手帳を見ながらだらだら書いてます。冗長になることをお許しください。7月で忘れられないのは京都ロームシアターと東京のオーチャードホールでの「加藤和彦トリビュートコンサート」のナレーションを依頼されたことでしょうね。参加したミュージシャン、スタッフ、お客さんの気持ちと自分の気持ちを書きました。
原稿ではシンコーミュージックの「B・PASS/ALL AREA」での浜田さんとみゆきさんそれぞれのライブレポートですね。あんなに長い原稿を書かせてくれる雑誌は他にありません。短いものでは共同通信の「90年代ノート」が始まったことですね。昨日も36回の原稿、スタレビ「木蘭の涙」を書きました。
ラジオの話もしないとね。FM NACK5「J-POP TALKIN’」は面白かったです。8月の「THE ALFEE」皮きりの周年アーテイストが続々出て頂けた。50周年のアルフイー、45周年のChageさん、30周年のGLAY、35周年のBEGINと真心ブラザーズ、10周年のGLIM SPANKY、55周年のCHABOさん。
今の新しい流れを追うというよりも自分が関わった人たちのことを残しておきたい。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の9月、「大貫妙子とSKYE」もそういう特集でした。で、何と言っても最大の出来事が「拓郎さん登場」でしょうね。アルバム「Radioの夢」のプロモーションでした。
エイベックスの担当の竹林さんから「タケの番組はどうなんだ」と拓郎さんが言ってるんです、と聴いた時には「どういう風の吹きまわしですか」と聞き返しましたからね。もちろん涙が出るほどうれしかったです。それも伝えました。で、11月6日、拓郎さんに会うことになったわけです。
最後に話したのが2013年。11年ぶり。「ALL AREA」の小田さんのツアーレポートもちゃんと書けたなと思った仕事です。やっぱり色んなことがありました。元気でいればこそ、ということをより感じられた一年でした。浜田さんのファンクラブ会報誌を編集していた古矢徹さんがなくなったのを知ったのが10月でした。
浜田さんのツアーの初日、高崎で見た点滴を打ちながら取材する姿が最後。「シンプジャーナル」も遠くなりました。ともかく元気でいましょう。忘れてました。岩波書店のウエブ「たねをまく」で始まった連載「ジブリと音楽」はアニメに対しての意識を根底から変えました。今年はアニメ元年でもありました。
というようなことを思いながらそろそろ19時。帰って紅白を見ようと思います。帰ると言っても信号渡ればすぐです(笑)。2024年、後、5時間。曲ですね。THE YELLOW MONKEYの「復活の日」。吉井さんは癌から復活しました。来年、復活の年にしましょう!皆様、良いお年を!