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アファナシエフのハイドン

 以前のブログ記事「パンダと無意識」 で、ピアニストのアファナシエフについて「ハイドンをやりそうな感じはないので、あまり関心が持てない」と書いたのだが、そのアファナシエフがハイドンを録音したというので、手のひらを早速ひるがえして買ってみた。 「テスタメント」(遺言)と題されたそのボックスセットは、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ビゼー・フランク・ドビュッシー、プロコフィエフにそれぞれ一枚づつ捧げたボックスセットで、国内盤で高価である。私はふだんはなるべく安い輸入盤を買うようにしているが、このセットは日本発なので、日本盤を買うしかない。否定的なことを書いた罪亡ぼし的な意味もこめて、値段には目をつぶって買った。
 アファナシエフと言えばスローテンポがトレードマークであり、ハイドンではどうなるかと期待していたが、収録された三曲(ホーボーケン番号で二〇番、二三番、四四番)の中、際立って遅かったのは二〇番の第一楽章のみで、後は遅めではあるが予想ほどではなかった。そして軽くて明るいタッチのおかげで、停滞感がないのはさすがだと思った。録音は跫音が少し濁る代りに弱音が情報量豊かに入っていて、ハイドンには適していた。繰り返しをすべて行っても装飾などは入れず、基本的に楽譜に忠実なのも良かった。
 アファナシエフは、もはや「巨匠」ピアニストという存在がアナクロ以外の何ものでもなくなった現代において、なおも「巨匠」として振る舞おうとし、そして幸運にも日本でスポンサーを見つけることができた人と言える。ボックスセットのライナーノートに収録されたアファナシエフ自身のエッセイは、まさに化石みたいなロマン主義的感想文で、虚仮威し感満載の吉増剛造の詩も相俟って、滑稽ですらあるのだが、それとは無関係に、音楽は純粋無垢な素直さで心を打つ。特に二〇番の第一楽章は、一度はこういうゆっくりしたテンポで聞いてみたいと思っていたので、非常に満足した。グールドはハイドンの四八番の第一楽章を、音楽を解体するような遅さで弾いたが、アファナシエフの場合は音楽は遅くてもしっかりとその構築性を保ち続けている。それが限界だと言う向きもあるかもしれないが、これはこれで良いものである。深さを拒絶した表層の戯れとして美しい二三番のアダージョ、すすり泣きをこらえながら一人で帰るような四四番の第一楽章、虚無に向けてゆったりと舞って見せる第二楽章も絶品だ。アファナシエフにとってハイドンは、ベートーヴェンやシューベルトほど重要な作曲家ではないだろうが、それでもあと一枚、四六番変イ長調、四九番変ホ長調、五二番変ホ長調、そしてヘ短調の変奏曲を入れたCDを聴いてみたい。特に五二番の第一楽章を、二〇番のように遅いテンポで、休符に意味と無意味を込めてブルックナーのように弾いたら、さぞ素晴らしいだろうと想像しただけでわくわくする。ハイドン以外ではシューマンが良かった。特に作品111の終楽章の弱音部の口ごもるような感じが味わい深い。
 そう言えばアファナシエフはマーラーの10番は第一楽章だけで十分だと吉増剛造との対談で言っていたが、そのマーラーの10番全曲版の室内オーケストラ版(ミケーレ・カステレッティによる補完編曲版)のCD新譜(ヨン・ストゥールゴールズ指揮ラップランド室内管弦楽団)が出た。オリジナルなき編曲とも言えるが、クック版が白く単色的な幽玄の響きなのに対して、室内オーケストラ版は、もっと色彩的でマーラーらしい耽美が濃くなったように感じられる。クラスター和音にそれほど迫力はないが、私の好きな最終楽章の後半部分、クック版では弦楽合奏で重厚に主題が再現される部分が、室内オーケストラ版ではピアノの上昇音階が加わって違う味わいを見せているのが感動的だった。私は、ハイドン以外で特に好きな音楽がマーラーの10番とビーバーのロザリオのソナタなのだが(どちらもとても「厨二病」的な格好良さを持つ)、両者は多彩な編曲可能性を潜在的に持ちながら、また十分にその可能性が極められていない憾みがある。とりわけマーラーは、未完の作品を完成させるという観念に縛られないで自由な発想で編曲したらもっと面白い演奏ができるのではないか。
 カステレッティは、シェーンベルクによるマーラーの第4交響曲の編曲を参考にしたというが、おとといそのシェーンベルクの「グレの歌」をカンブルラン指揮の読響で聴いた。爛熟の極みと言えるオーケストレーションと第三部の合唱に圧倒された一方、物語の内容の男性中心主義にはちょっと引くものを感じた。マーラーの10番は、妻に裏切られても何もできない夫の絶望の叫びのような身も蓋もない弱さが魅力だが、「グレの歌」は浮気相手を妻に殺された夫のヒステリーが中心で、妻は言葉を与えられず、夫の身勝手なエゴイズムだけがむき出しに表現主義的に吐き出される。語弊を恐れずに言えば、シェーンベルクはマーラーよりずっとマッチョな作曲家に感じられる。。
(3月25日付記)この記事について、「大杉重男さんのアファナシエフのハイドンについてのブログを読み、そういえば、ザラフィアンツもハイドンの同曲を録音していて、少し聴きなおした。ザラフィアンツの方が遅い部分もあり、アファナシエフのように軽みがない、深い音色でこれはこれで類例のない演奏」(まさかな)という反応があったのを目にして、ザラフィアンツのハイドンの20番、44番のCDを取り寄せて聴いてみたが、確かにその通りだと思った。繰り返しはないが、ザラフィアンツは更に遅く、深くて、音も良く、アファナシエフより私の好みだった。良いCDを教えてもらうと、ブログをやって良かった気になる。
プロフィール

大杉重男

Author:大杉重男
批評家。著書に『小説家の起源-徳田秋声論』『アンチ漱石-固有名批判』。新刊『日本人の条件―東アジア的専制主義批判』(2024年10月31日刊 書肆子午線)http://shoshi-shigosen.co.jp/books/cat/criticism/。

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