山本七平botまとめ/「日本軍は去った。しかし商業軍国主義者は残った。」~”反省の押し売り”をする事大主義者たち~
- yamamoto7hei
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1】もし人が、一つの主義を権威として他を律しながら、その主義をもって自己を律しないならば、それはその主義を裏切り、同時にその主義で律した者を裏切る二重の裏切者すなわち偽善者である。スジガネ氏の言葉を借りれば「商業左翼のヘーコラ主義者」でもあろう。<『ある異常体験者の偏見』
2012-06-09 10:56:492】自らを律するのは実は悪しき意味の商業主義で #毛沢東 の思想は「売るにとどめる」商品にすぎないから、どんなに先鋭であり、日本共産党が「冗談じゃない」と拒否した(?)ほど実情を無視した行き方であっても平気である。
2012-06-09 11:26:573】始めからその思想で自己を律する気は毛頭ないから全く平然とそれを売る。しかし「売って」「利潤をあげる」という行為を肯定すればその内容が否定されるから「売っているのではない」という「虚構の主義者的姿勢」をとり、批判を許さぬ権威として振舞い、徹底した高圧的態度で(続
2012-06-09 11:57:114】続>世を断罪するという形にならざるをえない。これと非常に似た事を私は軍隊時代に強く感じた。新井宝雄氏は一律に軍国主義で片づけるが、あの時代に日本に横行していたのは、前述のように今の「商業左翼」同様の「商業軍国主義」であった。
2012-06-09 12:26:485】商業左翼も、商業毛沢東主義者も、商業軍国主義者も、共に、その本質は悪しき意味の「商業主義」即ち「売る事」が至上命令であっても、前述の図式通りに、自らが売っている思想で自分を律し、それを自らの行動または生き方の基本にする気は始めからあるわけがないから(続
2012-06-09 12:56:576】続>自己の生き方とは全く無関係に、ただ売る為だけに、どんな先鋭な事でも平気で全く無責任にいえるわけである。自分がその「主義を生きる」気がはじめからないなら、誰でも、どんな過激な事でもいえる。
2012-06-09 13:26:497】そしてこういう人達が、自己のこの弱点を突かれまいと、本能的といえる一種の先制防御で必ず口にする言葉が「お前は反省がない」といった決め付けである。これは軍人的断言法の直接話法のうちの「沈黙の話法」ともいうべき、非常に興味深い言い方であって(続
2012-06-09 13:56:598】続>こういう言葉はI社長のような人の口から絶対に出てこない。また自らの主義をもって自らを律している者が、主義の違う人間に向ってこの言葉を口にする事も絶対にありえない。
2012-06-09 14:26:509】「人間は各人が自らの内に自分の尺度をもつ尊厳なる人間」だから「各人がそれぞれ違う尺度の共通の項を求める為、話し合いと討論が必要である」などと言っていては、日本軍は成り立たないし、全体主義も成立しないし、商業毛沢東主義も成り立たない。
2012-06-09 14:56:5810】従ってまずこの点を打破し、ある一つの基準を絶対の権威として、全ての人間はそれに基づいてのみ判断を下す事が許され、そしてこの基準への反論もしくは疑問の表明は一切許さない、という態勢を樹立する必要があり、その第一歩はその基準に基づく一方的な「反省の強要」という形で行われる。
2012-06-09 15:26:4711】いうまでもなくこれは、自己の絶対化と討論の拒否である。そしてこの自己絶対化は、まず自己の掲げる(もしくは「売る「思想」乃至は「個人」を絶対化し、それへの批判を許さないことによって自己を絶対化し、自己の基準を一方的に相手に強要するために行われる。
2012-06-09 15:57:0012】反省の強要または自己批判の強要――これは同じ事と思うが、――は、いわば「拷問による自白」や「詐術もしくは誘導による自白」と同じで、その言葉自体が内に含む矛盾からは意味をなしていない。
2012-06-09 16:27:0013】言うまでもない事だが、同一主義者集団またはそれに類するものの内部なら「反省をしろ」「自己批判をしろ」という言葉は、ある程度は成り立ちうる。この場合は、あくまでも「同一主義に基づく共通の尺度を相互にもっている」事が前提である。
2012-06-09 16:58:1414】ところが「商業軍国主義者」にはこの見境が全くなかった。この点共産主義で自らを律する本物の共産主義者は主義の違う者、例えば私に対して絶対に「反省しろ」とはいわないが、主義を売ってもその主義で自らを律する事はしない商業左翼~略~は平気で「反省しろ」というのとよく似た開係にある。
2012-06-09 17:27:2515】彼らは、日本軍という非常に特異な集団がその秩序維持の為、恐らく自然発生的に生み出されて来たと思う「軍人的断言法」を遠慮会釈なく「商売」に悪用し、全日本人に「反省」を押し売りして、その判断を規制していったのである。
2012-06-09 17:59:2416】私が常に不思議に思う事は、戦前の「恥を知れ、反省しろ」であれ、新井宝雄氏の「反省が見られない」であれ、 #本多勝一 氏の「恥としなければならない」であれ、軍隊の「キサマラ、反省がタリン」であれ、「恥を知れ、処決せよ」であれ(続
2012-06-09 18:26:5217】続>絶えずこの言葉を口にする人達自身が「自らを律しそれを基準にして生きている主義」は、一体全体、何という主義だったのだろうかという疑問である。
2012-06-09 18:56:5118】三十数年といえば短い期間である。その間に「軍部以上の軍国主義者」になったかと思えば「 #マッカーサー 以上のアメリカ型民主主義者」になり、あれよあれよと思う間に「日共も拒否する #文化大革命 の大礼賛者」になってしまう。そしてその度に「反省の押し売り」をする。
2012-06-09 19:26:4619】この人々に共通する「自らを律している主義」は一体全体何であろうか。その人達は常にこれを明らかにしない。だが私の少年時代から今まで、たえず居丈高に全ての人々に向って「反省」を強要してきたその人達の考え方の基準を探ると、一つの明確な線が出てくるのである。
2012-06-09 19:58:0520】それは「戦勝者、もしくは戦勝者と見なされた者、あるいは権力闘争の勝利者、もしくは勝利者と見なされた者を絶対の権威とし、その言葉を絶対化して、それを各人がもつべき全人に共通した当然の基準として、それに基づいて一方的に他を断罪して反省を強要する」という事であろう。
2012-06-09 20:26:5521】日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落したとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し~略~……等々々。
2012-06-09 20:58:2022】常に「勝った者、または勝ったと見なされた者」を絶対化しつづけて来た――という点では、まことに一貫しているといえる。
2012-06-09 21:27:5423】「天皇の戦争責任の追及」というが本当に「戦争責任」の追及なのか。戦争責任という以上それは勝敗には関係はない。勝った場合でも責任を追及するのか。本当にそれが出来るのか。勝者を絶対視しその立場に立って敗者を糾弾するのなら、これは「敗者の責任追及」であっても戦争責任の追及ではない
2012-06-09 21:57:5024】それでは軍法会議と同じ事になってしまう。~略~(註:不敬事件の際の)内村鑑三が対決したのは「勝利した、否少なくとも大勝利を博した」と自ら信じ、それを絶対視している勝者と対決したのであっても、勝者の側に立って敗者を糾弾したのではない。私はこの二つははっきり別だと思っている。
2012-06-09 22:26:5425】そして今でも「時の勝者」と対決し、その者の戦争責任を追及したら、当時と全く変らぬ「国賊」「非国民」「不敬漢」に等しい罵声が、勝者を絶対視する商業軍国主義者の口から一斉に発せられると思っている。
2012-06-09 22:57:12