グローバルヒストリーのなかの近代歴史学

平成26-28年度立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR共同プロジェクト研究)

近代日本の偽史言説レジュメ(第2部)

第2部:「歴史」の創造

 

 

馬部隆弘

偽文書「椿井文書」が受容される理由

 椿井文書とは、山城国相楽郡椿井村(現京都府木津川市)出身の椿井政隆(1770~1837年)が、依頼者の求めに応じて偽作したもので、中世の年号が記された文書を江戸時代に写したという体裁をとることが多い。そのため、見た目には新しいが内容は中世のものだと信じ込まれてしまうようである。彼の存在は研究者の間でもあまり認知されていないため、正しい中世史料として世に出回っているものも少なくない。

 椿井文書は、近畿一円に数百点もの数が分布しているというだけでなく、現在進行形で活用されているという点で他に類をみない存在といえる。本報告では、まず椿井文書の作成手法や伝播の仕方を紹介することで、いかがわしいにもかかわらず受け入れられてしまう理由を明らかにする。そのうえで、椿井文書の内容がさも史実かの如く定着していく過程や、そこへの歴史学の関与の仕方など、椿井文書受容の問題について幅広く論じたい。

  

石川巧

戦時下のプロパガンダ

―小谷部全一郎『成吉思汗は義経なり』を読む―

 大正8年に日本陸軍の通訳官として満洲・シベリアに赴任した小谷部全一郎は、『成吉思汗ハ源義経也』(原題『満蒙踏破・義経復興記』を完成させ、倫理学者・杉浦重剛の支援を受けて『成吉思汗は源義経也』(大正13年11月、冨山房)を出版する。同書は世間の評判をよび再版を重ねるが、国史学、東洋史学、考古学、民俗学、国文学、国語学、言語学の領域から集った正統の学者たちは、『成吉思汗は源義経に非ず』(大正14年5月、国史講習会編)を緊急出版してそれを厳しく批判する。小谷部全一郎による再反論『成吉思汗は源義経也 著述の動機と再論』(大正14年、冨山房)なども出版され、激烈な「義経=成吉思汗論争」へと発展する。

 また、同書は大東亜戦争のまっただなかに興亜国民版(『成吉思汗は義経なり』昭和14年6月、厚生閣)として増補出版され、戦時中のプロパガンダとして活用される。そこでは、成吉思汗と源義経を同一化する試みを通じて、満洲国建国の正当性、および、日本民族が盟主となって東アジアを欧米諸国の支配から解放しようとする大東亜共栄圏の思想が、歴史的必然として語られるのである。

 ただし、発表者の関心は、興亜国民版『成吉思汗は義経なり』に記された内容にあるわけではないし、この奇書をプロパガンダとして活用した戦時中の大政翼賛体制を安直に批判しようと思っているわけでもない。問題は、人々の口承、遺跡、言語の痕跡などを採取しながら民間伝承の重要性を訴えていく小谷部全一郎の記述が、それを学問的知見から論破しようとするアカデミズムの言説を呑み込むように増殖し、研究者の批判にも屈しない強度を獲得していく過程にある。坂口安吾が「風博士」(「青い馬」昭和6年6月)に戯画化したように、あるいは、のちに松本清張が数々の反アカデミズム小説でこき下ろしたように、その領域の学者や専門家たちが主張する「真実」は、ときとして、自らが批判する対象をより強固なものに仕立てていく逆説性をはらんでいるのである。今回の発表では、そうした観点から興亜国民版『成吉思汗は義経なり』という書物を読み直し、偽史はなぜ大衆を惹きつけるのかを検討したい。

 

長谷川亮一

「日本古代史」を語るということ

――「皇国史観」と「偽史」のはざま――

 近代天皇制国家は、その正統性の根拠を『日本書紀』の建国神話に求めており、それゆえ、国史教科書における古代史=建国神話叙述は重視されることになった。そのため戦後、「皇国史観」の克服が叫ばれる過程で、古代史叙述の書き直しが重視されることになる。しかし、そもそも日本古代史を重視する、という発想自体が、日本が古代以来、その基本的な性格を変えずに一貫して存続してきた、というイメージを存続させることにつながっているのではないか。

 そもそも、「正史」は国家自身を自己正当化する役割を持つものであり、しばしば歴史の歪曲を引き起こす。したがって、「正史」は「偽史」の対概念ではなく、むしろ「正史」それ自体に「偽史」としての性質が含まれている。また「偽史」の側は、常に自らが「正史」にとってかわろうとする性質を持つ。

 本報告では、十五年戦争期のいわゆる「皇国史観」の「偽史」性を前提として、戦中期から戦後にかけての古代史叙述を対象に、「歴史を書き替えようとする欲望」という観点からの考察を試みたい。

 

 

枚方の歴史

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「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちくま新書)

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「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策

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