平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

仕事に忙殺されないために。

仕事というのはこれほどまでに増え続けるものなのかと途方に暮れている。

 

いまから17年前の大学教員になったころは、さてなにをしようかと思案する時間が結構あった。会議も授業もなくまるっとフリーな時間があって、まだ締切が先な原稿に何を書こうかと遠目で思案したり、専門書ではなく個人的に興味や関心のある分野の本を(僕の場合はおもにノンフィクションや小説なのだが)読み耽っていたものだ。ブログで駄文をしたためたり、思考が煮詰まってとにかく文字から離れようと大学近くの神社までモレスキンのメモ帳をポケットに入れて散歩したりもしていた。春の陽気に包まれながら鳥の囀りに耳を向けつつ歩くその時間は、とても贅沢だった。当て所なくぶらぶらと歩いていると、不意にアイデアが湧いてきたりする。ゼミでのディスカッションテーマが浮かび、その参考となりそうな昔読んだ本の一節を思い出すこともあったし、これまでの人生で起きた出来事が突拍子もなく思い出されて、感情がかき乱されることもあった。単なる気晴らしのはずの散歩がのちの生産的な仕事へとつながる不思議を感じていた。より高く跳ぶために必要なタメというか助走が散歩だったんだよなと、いま慌ただしい日々を送る中であらためて実感している。

 

マルチタスクが僕はとてもとても苦手である。ひとつのことだけにしか集中できないし、成果も上げられないという言い訳をするつもりはないが、あれもこれもどれもそれも同時にこなさなければならない情況が、私にとってはとてもストレスフルである。せめて2つ3つの仕事なら並行して走らせられるにしても、それ以上となればもうわけがわからなくなる。

 

いや、わけはわかっている。仕事の手順も、完了するまでのおおよその時間だってわかるから、それなりにこなせているとは思う。だが当人としてはほとんど充実感が得られない。まさしく「こなせた」という手応えだけで、次の展開が開けるような達成感というか生きていく上で必要不可欠なやりがいは、ほとんど感じられない。それに、体裁だけ整えることへの抵抗というものが僕のなかに確固としてあって、やるからには新しい気づきや学びを得たいという欲求が拭い難くある。ひとつの仕事を終えたあとに一通りそれを振り返り、「もっとこうすべきだった」とか「ここはうまくいった」とかを整理する時間がなければ、あらたな気づきや学びを得ることは難しい。だから、ひとつの仕事を終えてまたすぐ次の仕事にマインドチェンジをする際には、振り返りを疎かにせざるを得ないやましさがついてまわる。

 

そういう意味で気持ちの切り替えは早くなったし、上手くなったとも思う。でもこのままで果たしていいのかという不安はやっぱり拭えず、だからこうして久しぶりにブログを書くことでなんとか振り返ろうとしている、のだと思う。

 

つまりのところ、僕はいま愚痴っている。日々を過ごす中でどこか片付かない気持ちを、こうしてダラダラ書くことによって整理しようと試みている。幸いなことに、これだけ忙しくても読書だけは続けられているから(研究室に閉じこもり不在を装って時間を無理から作っている)、おそらくインプットは十分にできている。ただ、情報として入力し続けているだけではやはり物足りず、それらを繋ぎ合わせてアウトプットしてはじめて学んだといえるわけで(つまりは松岡正剛のいう[編集]だ)、読んだ本をちょっとした感想を添えてSNSで紹介するくらいでは到底物足りない。

とにかく時間が欲しい。研究に費やせるまとまった時間が、つまりは垂直方向に思考を掘り下げられる、伸び伸びと四肢を広げて頭を働かすことのできるそれを喉から手が出るほどに欲している。この欲求が満たされないことからくるモヤモヤが、いまの僕を覆っている。

全部投げ出してやろうかと思うもそれができないのが正直なところで、だからこれは愚痴でしかない。でも、それでも中長期的な視点に立って自らの生き方を見つめ直し、この先の人生を愉快にするためには、ここで愚痴っている内容は自覚しておかねばならないとは思う。理由がはっきりしないモヤモヤは外に吐き出すことで客観化できるからだ。

 

ええ加減にしてくれよという魂の叫び、つまりこのからだからのシグナルは、そのつどキャッチして、そしてリリースしなければならない。さもなければいずれ感受性は衰えてゆく。この危機感を持ちながら、数多ある仕事をひとつひとつこなしていこうと思う。

年が明け、2024年になった。

年明け早々にひどい風邪を引いて、3日間を布団の上で過ごした。妻もまた同様で、ふたりして1日のほとんどをからだを横たえての生活だったから、背中と腰がバキバキになった。幸いなことに妻の実家に帰省中だったので娘を義母に任せることができて、昨日あたりからどうにかこうにか快方に向かってホッとしている。今日は、明日からの授業再開に向けて研究室でゆっくり仕事をしているところだ。

本日やるべき仕事に目処が立ったタイミングで、久しぶりにブログでも書こうという気になった。前回アップした記事の日付が2022年10月。1年以上も書いてなかったことに、さすがに驚く。連載原稿などフォーマルな文章は書いていたものの、思いつくままのカジュアルな文章をここまで放置したのは、たぶん初めて。ここんところずっと煮詰まり感を引きずっていた原因の一つは、やはりブログの放置にあったんだなあとあらためて。

「自分の考えを整理する」には、こうして書きながらに行わねばならぬ。そう、はるか昔に気づいたにもかかわらず、忙しさにかまけてつい等閑にしてしまっていた。スポーツを通して社会を観察することが半ば習慣化するなかで、その都度、感じ、考えたことは、プレジデントオンラインや京都新聞【現代のことば】で書き続けてきたから、それでよしとしていたのだと思う。だが、何度もここで書いたように、思いつくままカジュアルにことばを連ねるという作業は、思考の根っこに水をやるようなもの。自分がいまなにを感じ、考えているのかは、実際にことばにする作業を通じて、初めてかたちになるわけで、その意味で僕はこの1年ものあいだは「考えてこなかった」といっていい。たとえるなら、試合ばかりをしてきて、肝心の練習、しかも基礎的な練習をサボっていたといえる。そりゃ、煮詰まり感も出るよなって話である。

 

テクストの題材も、もっと個人的で取るに足らない些細な出来事にまで範囲を広げておかないと、社会の動向に沿ったものばかりに目を向けていては、自分を見失うのは言わずもがなだ。社会が求めるものばかりに気が向けば自ずと「自分」はすり減ってゆく。具体的にいえば、感受性がどんどん鈍麻する。他の人は知らんけど、オレはこう思うんですわと、感受したばかりのカオス的な感懐をどうにかこうにかことばにする営みは、僕にとってはやはり必要なんですな、これが。

試合だと対戦相手に応じた戦い方を選択しなければならず、そのプロセスでつい自分のプレースタイルを見失う。だから、独り練習において得意なプレーを繰り返したりしながら「このからだ」と向き合っておかないといけない。関西弁が混じったり、急に「ですます調」になったり、制約がほとんどない状態で伸びやかに書いておかないと、いつのまにか書くことが楽しくなくなる。知らず知らずのうちにそうなりつつあったのが、ここ1年ほどだったのかもしれない。

「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」と詩人の茨木のり子はいうが、まさに僕はばかものだった。僕にとってはブログが自分の感受性を守るための一つの方法で、思考の痕跡を残すことに意味を見出しながら今年はもっとブログを書いていこうと思う。何度も何度もそう思い返してはここに書き殴っていながら、つい忙しさを言い訳に、いつのまにか更新が滞るのがいつものパターン。せやから、またそうなることもありうるかもしれないけれども、そんなことにはめげずにまたここで書こうという意気込みを年始早々に表明しておく。あくまでも自分のため、自分の感受性を守るために、このブログはあるのだと言い聞かせつつ、2024年はゆるりと始動することにする。

 

それにしても「意志」というものは、どれほども頼りにならないもんだな。

 

 

 

 

 

 

 

平尾誠二さんの命日に。

非常勤先の神戸女学院大学での講義を終えてすぐ、まだガラケーだった携帯電話を開くと知人から着信が残されていた。教室を出て掛け直すと、平尾誠二さんが亡くなったと告げられた。突然の訃報に理解が追いつかず、抜け殻のようになって門戸厄神駅まで歩いた。西宮北口駅で神戸方面の電車に乗り換え、現実感が乏しいままにただただ車窓を眺めていた。六甲駅を過ぎたあたりで突然込み上げてきた。泣いているのが周囲にバレないように俯いた。

 

あれからちょうど6年が経った今日も、神戸女学院大学で講義をした。あの日と教室は違うし交通手段も自動車にしたけれど、同じ講義を同じ時間帯に行った。講義を終えて、ふとあのときの気持ちがよみがえった。

ほとんど変わり映えのしない日常が続いたこの6年間は平尾さん不在の世界だった。ただ、その現実がいまもまだうまく飲み込めずにいる。肉体としての平尾さんは消滅したけれど僕の胸の内には確実に平尾さんはいて、その存在感は時間が経つにつれて増しているような気がする。いないけど、いる。この感じがずっとあって、その実感は着実に色濃くなっている。

死者として僕のなかに存在する。それが悲しいのかどうなのかがよくわからなくなってきた。この場合、平尾さんならどう考えるだろう。そう心のなかで問いかけることもよくある。カカカカと笑うあの顔がいつまでも脳裏から離れない。いるのかいないのか、いないのかどうなのか、それが曖昧になればなるほどその存在が際立ってくる。家族や親族でもないのにここまでの気持ちになった人は、いまだかつていない。

死というのは不思議だ。不可解だ。これもまた平尾さんが教えてくれているのだとすれば、この先もずっと「ここ」にいるのだろうと思う。


フォーマルとカジュアルの使い分け、書くことの楽しみを確認する場として。

いつしか喫茶店で原稿を書くようになった。いまも自宅近くの純喫茶でカタカタとキーボードを叩いている。隣の席では小洒落た服を着た妙齢の主婦二人が世間話に花を咲かせている。聞き耳を立てても微妙にその声が聞こえない距離なので、さほど気にはならない。まだ煙草が吸える希少価値の高い純喫茶が家から車で5分の距離にあるのは幸せだ。

と、その2人は会計を済ませて出ていった。これで周りには誰もおらず、店内には僕の他に一組のお客さんがいるのみ。いつも混み合うから、ノイズが少ないいまのこの快適さは貴重である。

いま僕は3つの連載を抱えている。ミシマ社が運営するサイト『みんなのミシマガジン』、京都新聞の『現代のことば』、プレジデントオンラインである。それぞれに書く内容は違うが、テーマが決まっているためその枠内に収まるよう試行錯誤をしている。何度も推敲しながらだんだんテクストとしての完成を目指す。

京都新聞はそのときどきの社会状況を鑑みながら、その一本で完結させる。プレジデントオンラインも基本はそう。これに対してミシマガジンは前回の内容を受けて書いている。「スポーツのこれから」という大きなテーマで未来像を描くのが目的だから当然だ。もちろん書籍化も視野に入れている。いずれにしても、それぞれの原稿はきちんとかたちにしなければならない。畢竟、フォーマルな文体になる。

それに対してこのブログで書くテクストは違う。人様の目に触れるわけだから最低限の体裁を整えなければならないが、そこさえ気をつけていれば自由に書いていい。詩的でも論文調でも、なんでもいい。

先の3つの連載がフォーマルだとすればブログはカジュアルだ。夏ならキャップを被って短パンにT−シャツな文体で思うがままに書ける。この気楽さがいまはとても心地がよい。だからやるべき仕事から一旦離れてこうして無為な時間を過ごしている。ここ最近はスーツやジャケパンばかりでいささか肩が凝っていたのだろうと思う。

とにかく書くというのは楽しい。たとえ書くことがほとんどないと思える日でも、ブログならなぜだか書ける。こうして書くことの楽しみを思い出す場として、このブログも大切にしようと思う。

スポーツに暴力は必要ない。

digital.asahi.com

この事件を受けて以下の内容をTwitterでつぶやいた。

なんのために部活動があり、スポーツをするのか。この問いと日々じっくり向き合っている指導者は暴力を振るわない。裏を返せば、暴力を振るう人はこの問いを考える習慣を持っていない。彼らは目先の事態に短絡的に対処しているだけで思考停止に陥っている。体罰と暴力の違いすらわかっていない。

何度注意をしてもいきなり車道に飛び出す幼児や、衝動的に刃物を振り回す児童生徒に、その危険性を教えるべくやむにやまれず手が出る体罰には、まだ一考の余地がある。だが暴力にはない。問答無用に悪である。忘れ物程度で顎が外れるほど強く殴るのは、控えめに言っても『異常』である。

2012年に桜の宮高校バスケットボール部で顧問からの暴力を苦に生徒が自死する事件が起きた。あれから10年が経ってもまだ運動部活動での暴力事件は後を絶たない。僕が勤める大学にも、高校時代に指導者から暴力を振るわれた経験のある学生がいまだにいる。学生から直接聞いたり、ニュースで事件を知るたびに激しい憤りが湧く。軽々しく暴力を振るうような指導者はすべからく子供の前からいなくなって欲しいと願う。

それと同時に、こうした暴力指導者が後を絶たないのは構造的な問題があるのだとも思っている。「スポーツには厳しさが必要なんだからある程度は仕方ないんじゃない」という世間の声がそれだ。「そもそもスポーツには暴力がつきものでしょう」なんていう時代遅れの考えすら、まだ社会には根強い。「コーチが児童や生徒を叩くのは指導の一環であり、愛情があれば許されるのでは」。そんな生易しい理解もまだなくなってはいない。

スポーツに暴力は必要ない。これは僕のスポーツ経験を賭けて断言できる。

暴力を排除するためには不断の努力が必要だ。わずかな心の隙間に忍び込んでくる暴力への渇望をたえず跳ね除けなければならない。おそらくこれはすべてのハラスメントにも当てははまるだろう。権力の名の下に他者を服従させたいという欲望は、生き物である人間ならば誰しもが持っていると思うからだ。

バケモノであるこの暴力性を飼いならす。それが「おとな」だ。年齢を重ねただけでどれほども成熟を果たしていない者は、たとえ老人であっても「こども」でしかない。

40代のいい大人が顎が外れるほどの強さで10代の高校生をどつくなど、どんな言い訳も許されない。これは「体罰」ではなく「暴力」であって、だからこそ傷害事件である。容疑者とその関係者のあいだで「(発覚したのは)運が悪かっただけ」などと傷を舐め合うことは、断じて許してはならない。



授業の目的はなにかを学び、身につけること。

いつのまにか雲が覆った空を眺めながら書き始める。

先ほどまで学生たちの模擬実技を指導する授業をしていた。3人ないし4人グループが25分間の持ち時間でアクティビティを行うのだが、初回だから失敗だらけになるだろうと思っていた。声は小さく説明は不十分、間の悪さに中だるみする。例年は大体こんな感じだったのが今日は違った。アルバイトで小学生にスポーツ指導をしてたり学童でのサポート経験があったりと、人前に立って話し慣れている学生たちが多く、実に見事な模擬実技だった。

とはいえ、すべての学生が秀でていたわけではなく、なかには緊張のあまり早口の説明になったり、語尾がフェードアウトして内容が聞き取りづらい学生もみられた。でもいまはそれでいい。むしろそれが普通だ。そうした学生たちをこの後の授業で育てるのが僕の役目である。

授業の目的とは単位を集めることではなく、なにかを学び、身につけることだ。これって当たり前に当たり前なんだけど、教職関連を含めてカリキュラムにがんじがらめになった学生たちを見てると、一つ一つの授業をこなしているかのように映る。だから敢えてここを強調しておかないと、せっかくの学びが「単位のお買い物」になって、実りある時間になるはずの授業がやり過ごすだけの苦行になる。

靄でかすみがちな本来の目的を思い出すためにも、教える側の僕がここをきちんと踏まえておかなければならない。教育という営みの本質を念頭におきながら、また明日からの授業に臨みたい。

さてと、そろそろラグビー部の練習だ。右ふくらはぎの痛みも落ち着いていることだし、6割くらいで一緒に走るとしようか。

残すところ今年もあと3ヶ月になりました。

どうやら研究室の椅子が壊れたようだ。レバーを引いて高さを調節しても、いざ座ればもっとも低い位置にまで下がる。ちょうど乳首の位置にデスクがくるから、ノートに書くのもパソコンのキーボード打つのも難儀する。冬用のひざ掛けを折り曲げてお尻に敷いてなんとかごまかしてはいるものの、このままでは不快なことこの上ない。修理に出すのか新調するのかどうしようか。窓の外の、カクテルのような夕焼けに浮かぶ月を眺めながら迷っている。

秋学期が始まって1週間が経った。明日からは10月である。あと3ヶ月ほどで2022年も終わりだ。やる気を根こそぎ奪う夏の猛暑もいつしか落ち着き、辺りには秋の気配が漂っている。虫の鳴き声も窓越しにかすかに聞こえてくる。オンラインでの編集者との打ち合わせ、2つのゼミに会議と、今日すべき仕事を終えて、いま一息ついている。

新型コロナウイルスの感染拡大でゼミが研究室で行えなくなってから、もう2年が経った。密を避けるための大学からのお達しで、いまはグラウンドを挟んだ向こう側の建物の演習室でゼミを行っている。学生が立ち入らなくなった研究室は本や資料で散らかりまくり。デスク周りもパソコン前のわずかなスペースを除いて本が積み上がっている。研究室らしいといえばそうかもしれないが、もうちょっと整理整頓しなければどこか落ち着かない。でも片付ける気力がどうしても湧かない。どうしたものか。

ま、おいおいやるとしよう。雑念とする空間は落ち着かないにしても、堆く積み上がる本に囲まれるのは悪くない。いつでも手に取れるところに読了した本やこれから読もうとする本があると、なぜだか安心感する。本棚に収めてしまうのではなく手元に置いておくことの効用って、あるような気がする。たぶんだけど。

さて、帰るとするか。