新人事制度 大阪での報告①~③
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先月出たばかりの『ジョブ型雇用社会とは何か』(濱口桂一郎著 岩波新書)は教えられるところが多い本ではある。なかでも、日本版「同一労働同一賃金」を実現しようとした労働法学者・水町勇一郎氏(東大教授)の真意は何であったかへの洞察には「あっ、そうだったのか」と思った。 日本の正規雇用の賃金は、他のおそらく全ての国と違って、仕事に値札が付いているのではなく人に付いている。仕事に値札が付いているのであれば、誰が就いていようが、その仕事をやる人には同じ賃金が払われる。だから同一労働同一賃金は自然だ。もっとも全く同額の賃金ということではなく、熟練度によっていくらかの幅はあるが、原理として同一労働同一賃金である。 ところが、人に値札が付いているのであれば、同じ仕事をやっているからといって同じ賃金とは限らない。勤続年数や扶養家族の数や、あるいは使用者の覚えめでたさ、会社への忠誠度合いで賃金が違ってくる。 人に値札が付いているというのは正規雇用での話だが、このように正規雇用同士が同じ仕事をやっていても人により賃金は違う。まして非典型労働者(いわゆる非正規雇用)は、人に値札が付いているのでも仕事に付いているのでもない。あらかたはその地域の最低賃金をクリアしていればいいというところで賃金が決まっている。これでは正規・非正規の同一労働同一賃金など実現するはずがない。 同一労働同一賃金に進むためには、全ての労働者の賃金を人ではなく仕事に値札を付ける賃金=仕事基準の賃金にしなければならない。 濱口桂一郎氏の洞察によれば、水町教授はそのこと(現状では日本では同一労働同一賃金は実現しないこと)を百も承知で、しかし政府が同一労働同一賃金を謳うのを衝いて、その名の下に、せめて非正規雇用労働者の賃金を正規雇用の職能給(人に値札の付いた賃金制度である)に統一しようとしたのではないか。同一賃金は実現できなくとも、正規と非正規を同一の基準では処遇せよ、と。 2016年12月に発表されたガイドライン案を承けて2020年4月から施行された同一労働同一賃金法は、正規も非正規も同じ賃金制度の下にあることを前提にして「不合理な格差」に規制をかけてはいる。しかし、正規と非正規が同じ賃金制度の下にある企業など日本にほとんど無いのだ。法が施行されてからも、同じ賃金制度の下に置こうという動きはいっこうに見えない。いっぽう、同法には、濱口が指摘するように、賃金決定のルールが違えば格差は見逃される(注)が付いている。水町の秘められた意図はこうして空振りに終わった。 同一労働同一賃金政府ガイドラインについては、酔流亭はこれはいかがわしいと思いながらも、このガイドライン作成に尽力した水町の非典型労働者の待遇改善に向けた思いは、対談などでの彼の発言を見るにつけ疑うことはできないと感じていた。このあたりのモヤモヤした気持ちは、たとえば『伝送便』誌2018年6月号冒頭記事で同一労働同一賃金に触れた中で吐露されている。 それだけに濱口桂一郎のこの問題について推測を含めた洞察は、水町への敬意と友情も感じられて腑に落ちるものである。 ただ『ジョブ型雇用社会とは何か』という本全体については、冒頭に書いたように勉強になったけれど、違和感もまた残る。労働運動に対する著者の突き放したような冷ややかな視線だ。なるほど日本の労働組合運動は、それが生み出された労働社会の歪みを反映しておおいに歪んでいる。いい加減にせい、こいつら、とEU諸国の労働社会と運動を熟知する著者が吐き捨てたくなるのもわからぬではない。しかし、その歪みを糺すのは職場から労働運動を強めていくこと以外には無いのではなかろうか。
by suiryutei
| 2021-10-15 07:00
| ニュース・評論
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