「高円寺メシ」から見えてくる、人情とカオスの街・高円寺

著: zukkini 

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東京都杉並区、JR中央線にある「高円寺」。この名前を聞いてどんな街を連想するだろう。学生の街、バンドマンの街、古着の街、それとも阿波おどりの街だろうか。

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そこで普通に暮らす人、ゆかりのある文化人、色んな人の色んな「高円寺論」があるが、それも人それぞれである。昔から住む人も、最近上京して住みはじめた人も、外国人も、大人も子どもも、貧乏人も金持ちも、みんなそこに馴染んでいて、何となく暮らしている「人種のるつぼ」のような街。それが高円寺ではないだろうか。

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僕は学生時代の大半を高円寺で過ごした。また、社会人になっても中央線沿線からは離れず、中野、阿佐ヶ谷、武蔵小金井と住まいを変え、高円寺から微妙に距離を置きながらも、ずっとかかわり続けてきた。

僕にとっての高円寺は2つの時代がある。学生時代の貧乏生活の中で必死で生きていた暗黒の時代と、社会人になり、財布と心に余裕が出た中で気付いた新たな魅力に引き込まれていった時代だ。

高円寺に住む人それぞれ、感じる魅力や関わり方は違うだろうが、僕の場合、高円寺を語る上でなによりもはずせないのは「食」であり、個性的な定食屋と飲み屋である。今回は、高円寺でお世話になったさまざまな飲食店でのエピソードを通じて、この街のおおらかさ、自由な雰囲気を感じて貰えれば幸いである。

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学生時代はとにかく貧乏だった。貧乏な理由はアルバイトをしていなかったからで、アルバイトをしなかった理由は面接にことごとく落ち続けたからである。では、面接に落ち続けたのは……といわゆる「なぜなぜ分析」をしていくと最終的には「僕がだめ人間だったからです」ということになり、もはや触れたくない部分なのだが、とにかく僕は貧乏であった。

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そんな貧乏学生に、高円寺はとても優しかった。

僕がこの街に住んだのは寮を出て一人暮らしをしようとした際、たまたま同郷の友人が住んでいたからで何も予備知識はなかった。あまりにも面接に落ちるので、アルバイト無しで4年間過ごすことも覚悟し、家は駅前の風呂無し格安物件を選んだ。すると、必然的に定食屋や飲み屋まで歩いて5分圏内の誘惑の多いエリアに身をおくこととなり、結果的に学生時代は高円寺の「安い、多い、高カロリー」な定食屋シーンにどっぷりと浸かることになったのである。僕の学生時代は常に「高円寺メシ」と共にあったと言っても過言ではないだろう。

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印象的だったお店は沢山あるが、結局定期的に通うお店は決まっていた。

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高円寺の定食価格の相場は500円だと思っている。きちんとした統計などには基づかない完全な肌感覚なのだけど、ほぼこの値段で大盛りの定食が食べられる。

かつて高円寺には今はなき牛丼チェーン「牛丼太郎」があった。(個人的には当時、高円寺への外食チェーンの進出を低価格バリアでガードしていたのは牛丼太郎だったのではないかと今でも思っている)

牛丼太郎の高円寺店は、駅前の狭小なスペースにカウンターだけを用意した立ち食い形式だった。客の大半は男で、歳も職業も異なる彼らが肩をぶつけ合い、出された牛丼をかき込む様は、さながらブロイラーのようだった。客同士の距離が近すぎて、余所見をすれば自分の牛丼を見失うとまで言われた、牛丼太郎。味が薄くて、時々他のお店の牛丼を食べると、スキヤキを食べている様な感動が味わえた愛すべき牛丼太郎!

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デフレだなんだと騒いでいた10数年前。「牛丼1杯ついに250円、国内最安値!」とニュースになったものだが、牛丼太郎は最初から余裕の200円で提供しており「俺が食ってるのは一体何なんだ」と泣きながら立って食べたのを覚えている。

この牛丼太郎に牽引されるように、高円寺メシは全般的に低価格だったので、定食に500円以上払うのは酔ったときか、純然たる「自分へのご褒美」であり、場面に応じて定食を使い分けるというのが高円寺民の常識だったように思う。500円を超える定食にはキラリと光る何かがある。いや、「あるべき」だとみんな思っていたのではないか。

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例えば今も現役の名店「たぶち」の牛丼&カレーW盛り合わせは650円。バイト代が入ったその晩に食べておきたい納得のボリューム。そして肉の量!今では完食する自信がない、驚きの量だ。

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一方で、何かのきっかけで急に気まぐれに健康に気をつけてしまうのが、無計画な独身者の性。これじゃいかんと体を想って入った「ふるさと」のうす味定食はいつも僕たちを優しく迎えてくれた。色んなニーズを受け止めてくれる。それが高円寺の定食屋の魅力である。

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個性溢れる高円寺名物の定食屋にも触れておかねばならない。

数年前、ファンに惜しまれつつ引退していったのが「団らん」だ。駅前に陣取るカウンターだけの定食屋だった。この団らんこそが「安い、多い、高カロリー」を体現するザ・高円寺メシと言える名店。僕のお気に入りだった。

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この店を真剣に語るには一記事設けないと足りないくらいだが、その魅力を端的に言うと店主の人柄とサービスの良さであり、さらに少し細かく言うとお酒を頼んだときに付いてくるお通しのチョイスである。ビールのお通しに大量のオレオは序の口で、何と言っても圧巻なのが、ビールのつまみにコーヒーが渡されたときだ。

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人類初の試みである、「ビールのつまみにコーヒー」を出された決定的瞬間を捉えたのがこちらだが、まさか!と思いつつも言われるがままコーヒーをアテに飲んだビール。つまみはせめて固体であって欲しいと改めて強く願った夜であった。

そんな団らんには他所で出禁になった年配の常連が集まっていたのだが、そんな彼らが団らんすらも出禁になる、彼らの「高円寺最期の瞬間」を何度か目撃しており、このようにして高円寺の定食屋は人生についても色々と学ばせてくれたものであった。

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団らんに限らず、人生を常識にとらわれずに自由に生きる方法を学んだのも高円寺の定食屋だった。

今も高円寺南口でひっそり営業する「アドリア」だが、実際に調理しているのは歩いて30秒、すぐ近くにある東急ストアである。東急ストアがアドリアの定食を調理する。どういうことか分からないだろうが、そういうことである。

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例えば僕はあるときアジフライ定食をオーダーした。するといかにもつくりますよというコック帽の出で立ちで、店主は無言で外に出て行き、帰って来るや手に持っていた「東急ストア」と書かれたビニール袋からサトウのご飯と惣菜コーナーで買ってきたアジフライを取り出した。「チン!」と言う威勢のよい音と共にコック帽の店主がアジフライ定食を出してくれた。サトウのご飯はほぐれておらず角が残っていた。僕はそれを無言で食べた。

皆さんの言いたいのはよく分かるが、我々は「こうであるべきだ」と言うつまらない常識にとらわれ過ぎているのではないだろうか。取りあえず、そういうことなのである。

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どう見ても開いていなさそうなお店を見つけ、中に入るとおばあさんが寝ていたので「やってますか?」と尋ねたら「やる!」と叫んで店が復活した瞬間に立ち会ったこともあった。高円寺で最も開いていなそうなお店「ふるさと」である。やっている、やっていないではなく「やる!」という姿勢。この世はやる気が全てなのだ。高円寺には学びが多い。

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そんな「ふるさと」は現在もバリバリ営業中。高円寺の深すぎる魅力はこの店を一目見れば分かってもらえるはずだ。

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高円寺の飯屋は、早朝から結構お店が開いているのはご存知だろうか。

朝まで開いているのでもなく、24時間営業でもなく、朝から開いている。近くを通る環状七号線にタクシー会社が多く、夜勤明けドライバーからの需要があるのではと睨んでいるが、真実は分からない。色んな人が住んでいるから色んなニーズが存在する。合理性や利便性から見ると淘汰されそうなマイノリティでも何となく受け入れてくれるのが、僕らの高円寺。ありがたい街だ。

高円寺に24時間営業の新しいモツ焼き屋が出来たが、オープンして3日で潰れてしまったというエピソードがある。後日飲み屋のカウンターでその店の話題を聞いた知人によると24時間営業なのに店主1人で営業していたことが分かった。つまり3日目に店主が眠くなり、力尽きそのまま閉店となったらしいのだ。僕の考える高円寺は、こういう愛すべき人間らしさ、情けなさがある街で、僕は高円寺に集まるこういうダメな所が大好きなのである。

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かつては有名外食チェーンが出店しても1年ほどで撤退を余儀なくされるほど、高円寺の地元定食屋の力は強固なものだった。

そんな定食屋も、店主の高齢化や住人のライフスタイルの変化に伴って、最近は徐々にその力も失われつつある様に思う。店舗は減り、跡地にはすぐに新しいお店が出来ていく。それは服屋であったり、カフェであったり。人気店には行列は出来るが、暇そうな喫茶店では店主が自分用のコーヒーを淹れている。

高円寺には形はなく、常に変化していくものであると思っている。僕のお気に入りの定食屋がなくなっても、それも高円寺である。色んな人がやって来ては、自然と高円寺に混ざっていく。高円寺に埋没するその心地よさを、この街に身を投じて感じてみてほしいものである。

 

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著者:zukkini

zukkini

1982年、佐賀県唐津市生まれ。「ハイエナズクラブ」を運営し、仕事の傍ら「オモコロ」、「ジモコロ」などのWebメディアで活動するサラリーマンライター。他人が素通りする残飯、死肉の様なネタを主に記事にするので、インターネット界のダイオウグソクムシと呼ばれています。

ブログ:[・x・ぼくののうみそ]Twitter:@bokunonoumiso