2018年10月04日
写真の今日までそして明日から
世の中にはたくさんの写真があふれています
写真に携わる人間として、たくさんの写真が生まれていくという事はとても嬉しいことです
写真がこの世に発明された当時、写真を移すという行為は最先端の技術者であり芸術家でした。その頃、写真を移せる人は一握りの特別な存在だったのです
それから、カメラが徐々に一般の人にいきわたるようになり、それでもきれいな写真をとるということは特別な技術が必要だった時代、高価なカメラやレンズ、高価なフィルムと高価な現像代など何かとお金がかかり、そのうえピント合わせや露出の設定など技術も必要でした
今では機材の進化が撮影者の費用や技術の壁が低くなり
スマートフォンで撮影した写真はすぐに結果が見られるので取り直しも思いのまま、フィルム代などの費用もかかりませんので気軽にシャッターを押すことができます、しかも出来上がった写真はアルバムに整理する必要もなくスマートフォンの中に保存されています
過去の価値観を捨て切れないまま、めまぐるしい変化に戸惑っている僕は、写真の未来の新しい形を楽しみにしているのです
未だ見ぬ新たな写真の可能性に期待します
そして、その新しい可能性を受け入れることのできる自分でありたいと思います

写真に携わる人間として、たくさんの写真が生まれていくという事はとても嬉しいことです
写真がこの世に発明された当時、写真を移すという行為は最先端の技術者であり芸術家でした。その頃、写真を移せる人は一握りの特別な存在だったのです
それから、カメラが徐々に一般の人にいきわたるようになり、それでもきれいな写真をとるということは特別な技術が必要だった時代、高価なカメラやレンズ、高価なフィルムと高価な現像代など何かとお金がかかり、そのうえピント合わせや露出の設定など技術も必要でした
今では機材の進化が撮影者の費用や技術の壁が低くなり
スマートフォンで撮影した写真はすぐに結果が見られるので取り直しも思いのまま、フィルム代などの費用もかかりませんので気軽にシャッターを押すことができます、しかも出来上がった写真はアルバムに整理する必要もなくスマートフォンの中に保存されています
過去の価値観を捨て切れないまま、めまぐるしい変化に戸惑っている僕は、写真の未来の新しい形を楽しみにしているのです
未だ見ぬ新たな写真の可能性に期待します
そして、その新しい可能性を受け入れることのできる自分でありたいと思います

Posted by pasha at 23:00│Comments(0)
│写真についてのよもやまな話