YAPC::ASIAをふりかえる #yapcasia
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先週の土曜、YAPC::ASIA TOKYO 2013が終わった。
スタッフとしては3年、仕事として間接的に関わっていたのが2年と結構長い。
lestrratさんと941さんの卒業が発表されて「本当にお疲れ様でした!ありがとう!」という気持ちでいっぱいなのですが,なんとなく自分も来年(もしあったとしても)関われるかどうかわからないので、総まとめしてみようと思った次第。
推敲する時間がなくて公開をためらったのですが「ブログなんて書きなぐりでいいんですよ」と何回か言われたので公開してみます。
*以下、長文注意
◆2008::MobaSiF
この年の9月、現CTOの川崎さんと今は外で活躍している能登さんが「MobaSiF」をOSSにするとYAPCで発表するにあたり、プレスリリースを書くことになった。
このとき初めて「やぷしー」というものがあることを知った。記念日。
これは今まで軽く100本以上書いてきたリリースの中でも最高難度だった。いまだに塗り替えられていない。なんてったって、PerlのPの字も知らない人がこれを書いたと思うとどうでしょう。まあいま見てもよくわかんないんですけど。
*ちなみに「::」とかもふいんきで使ってるけどいみわかってない
◆2009::JPAの発足
当時広報部に所属していて、入社したばかりのZIGOROuさんと初めて話したのがJPAの会見についてだったと記憶してる。
当時はさっぱりこの辺のことが分かっていなくて「広報部は立ち会えないのでおまかせします!」と回答したような。その結果がこの記事ですね。
*レアなスーツ姿の写真&lestrratさんの変わってなさハンパないw
このしばらくあと、ソーシャルゲーム開発(プランナとして)でMobaSiFに関わることになるとは露にも思わなかった。詳しくは書かないけど「◯◯ってモジュール使って〜」とか知ったかぶって周囲のエンジニアと会話してた日々でした。
◆2010::ノベルティ配り係
なんだかんだで微妙に関わってたYAPC。この年についに東工大に足を踏み入れた。
(当時居た人で覚えてる人いるかもしれないですが、モバコインがもらえるカード配ってました)
スポンサー企業だったけど、ノベルティの準備が事前の封入作業に間に合わなくて手持ちで会場入りして自分の手で配った。この時lestrratさんと941さんを肉眼で確認。
lestrratさんはTシャツ売るのに忙しそうにしてたので、てっきり売る担当の係の人だと勘違いしてた(ごめんなさい)
当時は「非エンジニアがいてもぜんぜん面白く無い場所だー」と思い込んでましたね。
実際にトークはほとんど見てなくて、疲れたら講堂の椅子に座ってだらだら休んでた。
しかし、その認識はあるLTを見て一瞬でくつがえることとなる・・・。
予約語とかサブルーチンとかよくわかってません!でも、プレゼンテーションスタイルと、こういった思いつきを実現してしまうというエンジニアのスキルに驚き、興奮し、笑った。
この瞬間「YAPC ≒ 技術をもった変な人達がきゃっきゃしている楽しい場所」という構図ができあがったのです・・・。そしてそれは今も変わってない。
◆2011::理事ヘルプ
この年からZIGOROu氏の上司への根回し等々が功を奏し(それなんて孔明)、本格的にお手伝いを開始。
懇親会担当で焼きそばと唐揚げと瓶ビールの量とかどうするかという主に茶色系の問題解決にいそしんでました。
この年、ノベルティつめつめ作業における「ZIGOROuメソッド」を初体験した。
そういえば、nekokak理事がうちに入社したのもこの年でしたね。
面接の時間がとうちの会議室で開催されるJPA理事会の時間とかぶって裏口から入れるように手配したのとかなつかしいw。
◆2012::コアスタッフ
あれは2012年初頭のことじゃった・・・。
なんとなく今年もYAPC手伝いするんだろうなーと思ってスタッフのIRCを眺めてたら、会場選びに関してlestrratさんが「東大の弥生講堂でやりたい」と書いてるのが
目に飛び込んできた。と同時に「利用規約に”農学生命科学研究科の教授会構成員の紹介が必要です”って書いてある・・・」とも書いてあった。
「ふーん」と思いつつ何か引っ掛かりがあったのでネットで検索してみたら、件の農学生命科学研究科とやらにうちの兄ちゃんが勤めてた。あまりのミラクルに吹いたのを鮮明におぼえている。
キャパシティやらなんやらで、結果的には弥生講堂は使わずに伊藤国際学術研究センターを使うことになったが、そんな経緯もあってこの年は会場手配+懇親会担当のコアスタッフとしてお手伝いすることになった。
適宜兄ちゃんとメールしつつ(結果としてはYAPC当日も含めて、手続き関係で一度も兄ちゃんとリアルに会うことはなかったw)会場の係の人と交渉したり手続きしたり
何度も会場に足を運んで調整した。あとYAPCのブログも書いた。
公的機関の設備を借りることの難しさだったり、懇親会やってたらこの建物の名前にもある伊藤さんが来る!とか言われて(´Д`;≡;´Д`)アワアワしたり(結局いらっしゃらなかった)
あとこの年はスポンサーとしてパンフレットに広告を出したのですが「今年しかできないな」と思って某プロ野球チームのユニフォームをうちのエンジニアさんたちに着せて
キャッキャしてたら想定外のところでしっぺ返し食らいそうになってdkdkしたのもいい思い出。身をもってプロ野球ファンの方々の想いを大事にしなければいけないことを学びました(真剣)。
◆2013::当日お手伝い
そして今年。自分の担当領域がちょこっと変わったことも変わったこともあって、去年みたいな関わり方はあまりできず。
スポンサーまわりも別メンバーに託したので、やったことといえばスポンサーメニューの案だしと当日お手伝いくらい。3年めともなると顔見知りの方も増えてきて、だいぶリラックスした雰囲気で参加できた。
今年は過去最大規模というのもあって、前夜祭前のノベルティつめつめで体力の8割くらいを消耗してしまい、その後2日間はちょっとだらだらになってしまった。ごめんなさい。
今年のハイライトはみんなで必死に詰めてるときにnekokak理事(その時は工場長と称していた)がスタッフに向かって「心なんて捨てちまえ!」的なことを言った瞬間でしょうか。
さて、すでに御存知の通り現体制でのYAPC運営はいったん終了で、来年以降はどうなるかわからない、と。
一抹の寂しさを感じつつも、YAPCは年に一回の「お祭り」なわけで、日々盛んに活動している各コミュニティが一同に介する日というわけで
コミュニティの火が消えなければきっと、なにかしらの形でまたみなさんの前に浮上してくることでしょう。
非エンジニアの自分が言うのもなんですが、Perlコミュニティはお祭りがないから衰退するなんてことはないと思ってます。
lestrratさん941さんが引用できるような印象的な一文を盛りこもうと思ったけど無理だった。
まあくだらない小話だと思って読み飛ばして下さい・・・
以上、終了!
さてこのブログどうすっかな。がんばって更新してみっかな。
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