空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで見落とされがちな奇跡をX100Fとクラシッククロームで綴る日記。

なにが撮れるか、よりも、なにが見えるか。あるいは受容すること、今というこの時に尽くすこと。


※撮影:2022年12月。職場付近、諏訪湖、自宅。  
 カメラ:X100F/クラシッククローム。

ここ最近は、今年度末に向けての仕事やPTA活動が大詰めを迎えていてとても忙しい
日々なんですが、物理的に忙しいというだけではなく、能力的にも上限を振り切る
ような、限界を試されているような。
そんな中で、自分の力不足を痛感しています。

それ自体は以前から自覚があることで、それを分かった上で、できることを今までも
頑張ってきてはいるんですが、また久しぶりにここを突き付けられる場面になって。
何か元があるものを磨き上げる、今この場にふさわしいように決めて、整えて実行、
あるいは段取りして人に動いてもらう、というようなことは割と得意だったり、
頑張り方が分かっていて、努力で乗り切ってこれました。

反面、新しいものをつくる、新しい動き方を決める、段取りする、新しい企画をする
ということが、分かってはいたんですが、これほどまでにできないとは・・・という
無力感が半端ない。
本当に自分はこれらのこと、いわゆるオリジナリティ、生み出すこと、ということが
できないなぁと。

仕事もPTAも、そして言ってみれば、趣味も全部そうなんですよね。
(しかも困ったことに、僕の中ではオリジナルであること、生み出すこと、
 オリジナリティというものに憧れが根強くあるんですよね)
それでもう、実際困ったり、滞ったり、イライラしたり。
単にできない、だけじゃなく、憧れがあるばっかりにできないことで気持ちが揺れる
という。

でもできないものはできない。それはしょうがないんですよね。
当たり前ですけど。いくら瓶をひっくり返しても空のとこからは何も出てこない。

久しぶりにあがいた挙句、ようやくまたこの理解に達して、できる範囲でやります、
あるいは、助けてください、もしくは、諦めます、ということを内外に宣言して
そう宣言することで、実務だけでなく、気持ちもすっきりしました。
できないことを受け入れたことで。

そう、やれないことはやれない、やれる人に頑張ってもらう、そして自分は
自分にできることで頑張る。
そしてそれは、逆に状況というものを拒絶せず、えり好みせず、まずはただただ
許容し、受け入れ、その中でできることをやっていくということ。

お分かりの通り、僕は常にこういった迷いと悟りをいったりきたりしています。
いつか悟りの境地に達した落ち着いた大人になれるかな、と思ったりもしますが、
どうやらこの先もずっと迷いと悟りをいったりきたりっぽいです。

写真についてもそうで、いい感じで無心に夢中に撮れてるときもあれば、
思い悩んでいるときもあったり。
(写真ブログなんでね。写真についても語らないと!!)

ここのところ写真についての思うこと・・・丁寧に撮ること、を書いてきましたが、
いい写真を撮る、あるいは・・・ええい、言ってしまえ、自分だけのオリジナルな
写真を撮りたい!!というところが目的になるとおかしなことになって、
逆に、逆に?、目的が先になって写真を撮る段階で、いい写真を撮れそうな瞬間を
えり好みしたり、撮った後のことにばかり意識が行ってしまったり。
そうすると自分の場合は、自分の無力さを痛感する一方になっちゃうんですよね。
つまらない写真はやだな、とか。
(念のため書きますが、こういう、目的を持って写真を撮っている人に対しての
 意見でも異論でもないです。あくまで自分の場合は、ですので)

そうではなくて、今目の前の、いいな、と思う光景を写しとること。
それがきれいだと思うから、写しとりたいと思うから写しとる。そいてその光景を
残すこと。気づかなければ消えてしまう儚い瞬間を残すこと。
そのために、そのときの美しさと自分の気持ちをより的確に残したいから、
目の前のもの、こと、とき、に丁寧に向き合う。受け入れる。
それが結果としていい写真になるかもしれないし、まぁ普通の写真になるかも
しれないけど。
目の前の光景を愛おしいと感じること、そしてその愛おしさを大切にすること。
そんな心持ちで、目に映るものを受け入れていきたいな、と思いました。