書評 「タイムカプセルの開き方」

 

本書は種生物学会シリーズの最新刊で,テーマは博物館標本を用いたリサーチになる.ある程度古いものもふくめてDNAの解読がかなり安価に行えるようになったことで,博物館標本はその遺伝情報が重要なリサーチ資源となっている.2000年代の後半にはMuseomics*1という言葉も生まれているそうだ.本書ではその最新のリサーチ例がいくつか紹介されるとともに,その解析手法や技術がかなり詳しく解説されている.ここでは具体的なリサーチ内容を中心に紹介しておこう.
 

第1部 標本から過去を知り,未来を予測する

 

第1章 標本のDNA情報からひもとく絶滅危惧チョウ類の栄枯盛衰と保全 中濱直之

 
第1章のテーマは絶滅危惧チョウ類をめぐるリサーチ.著者の研究者としてのスタートを語る自伝的エピソードが語られたあとコヒョウモンモドキとミヤマシロチョウのリサーチが解説される.

  • コヒョウモンモドキはここ数十年で激減している草原性のチョウになる.保全遺伝学的な研究も少ないということでリサーチ対象に選んだ.
  • 40人近い愛好家,博物館9館,昆虫館,大学,研究所から2000個体に近いサンプルを提供してもらい,現存生息域からも苦労してサンプルを集めた.チョウの標本は翅が重要視されており,重要視されていない脚の部分のサンプルの提供を依頼した.採集したチョウは後翅のうち2~3平方ミリ程度を切り取ってリリースした*2.
  • マイクロサテライト解析を行った結果,30年前の標本のPCRは成功することが多く,40年前では失敗することが多かった.また年間平均気温のデータを入手し,コヒョウモンモドキの生息地である草原面積についても国土地理院の空中写真からデータ化した.
  • 統計解析の結果,年平均気温は遺伝的多様性や有効集団サイズに有意な影響を与えていなかったが,草原面積は,遺伝的多様性,有効集団サイズと正の相関関係にあった.また遺伝的多様性は40年前の草原面積を説明変数とするともっとも予測力の高いモデルを構築できた.(このような時間ズレは「絶滅の負債」と呼ばれるよく知られた現象になる).
  • 保全遺伝学的に遺伝構造を解析すると,1985年から2015年の30年間で大きく遺伝的分化が進行していることがわかった.生息地の孤立と遺伝的浮動が進行したためと思われる.
  • コヒョウモンモドキは縄文時代から近代までは草原面積の拡大や維持により個体数を増やしたが,現代の草原面積の急減とともに個体数を大きく減らしたことになる.

 

  • ミヤマシロチョウは亜高山帯の草原や疎林に生息するシロチョウの仲間.国内では数ヶ所の生息地(飛騨山脈,美ケ原,浅間山系,八ケ岳山系,赤石山脈)が知られていたが,現在では飛騨山脈と美ケ原では見られなくなっている.(さらに2017年以降姿がみられなくなった)八ケ岳への再導入プロジェクトに先駆けて遺伝構造を調べてほしいという依頼があり,リサーチすることにした.
  • 1970年代以降天然記念物指定されており,新しい標本が少なくサンプル集めには苦労したが,いくつかの団体,博物館の協力を得てサンプルが得られた,
  • マイクロサテライト設計が不要で多くのSNP情報が得られるMIG-seq法により解析した(より長いDNA断片が必要なため2010年代以降のものしか成功しなかった).
  • 解析結果,互いに交流がないと思われる山系ごとのサンプルにほとんど遺伝的分化が見られなかった.ミヤマシロチョウはおよそ8万年前に日本に入ってきたが,その際にかなり厳しいボトルネックを経ているのではないかと考えられる.これにより美ケ原への再導入に赤石山脈や浅間山系の個体を使っても深刻な遺伝的撹乱は生じないと結論づけた*3.

 
最後に博物館標本の絶滅危惧種保全にかかる役割として,過去からの遺伝構造を明らかにし,その環境要因を分析できること,空間的遺伝構造を撹乱しない再導入源の探索や保全単位の設定に役立つこと,近交弱勢の生じるメカニズムやゲノム基盤にも迫れることだとまとめられている.
 

第2章 博物館標本から希少種の過去を探る 表渓太

 
第2章のテーマは絶滅危惧鳥類をめぐるリサーチ.絶滅危惧種の遺伝的分析においては個体数減少以前と以後を比べることが望ましく,そこに博物館標本の重要性があるという指摘がまずあり,そこからシマフクロウとタンチョウのリサーチが紹介される.

  • 北海道のシマフクロウは固有亜種になり,かつては北海道全域に分布していたが,現在は個体数を大きく減らして東部に局所的に生育している*4.
  • シマフクロウの保全遺伝学的リサーチを始めると,予備実験の段階で(核のマイクロサテライト変異の少なさやミトコンドリアの変異の少なさにより)その遺伝的多様性の低さが明らかになった.
  • 生態学的リサーチからは,従来生涯一夫一妻といわれていたが,つがいが入れ替わっている例が複数あり,他ペアのナワバリへの侵入も頻繁に観察された.
  • 遺伝的集団構造を分析すると地域間にかなりはっきりとした差があることがわかった.これが本来のものか最近の生息地域減少によるものかにより,保全的に個体の移動を促す介入を行うべきかどうかが変わってくる.そこで博物館標本に着目した.
  • (大きく個体数が減少した)1980年以前の35標本でミトコンドリアゲノムの制御領域を読むことができ,これに近年のサンプルの結果を加えて遺伝構造動態を解析した.これによりハプロタイプの構成が大きく変化していることが判明した.古い年代ではハプロタイプそれぞれの分布が広く,地域内で複数のタイプが混在していた.これは広い地域で遺伝子流動があったことを示唆する.それが生息地分断と個体数減少によるボトルネック効果で地域間で大きく分化したと考えられる.
  • またロシア亜種のサンプルと比較分析したところ両亜種の間には別種としてもいいほどの遺伝的な差があることが明らかになった.これは中国産のトキと日本産のトキの間に遺伝的な差がなかったこととは大きく異なる.

 

  • タンチョウは明治中期まで北海道各地に広く分布していたが,乱獲と生息地破壊により急減し,一時絶滅したと考えられていた.大正末期に釧路湿原に十数羽生息していることが発見され,1952年に特別天然記念物指定を受け,冬場の給餌が行われるようになり,1984年からは環境庁の保護事業が開始され,これにより個体数は増加し,2021年度には1800羽が確認されている.
  • この極端な個体数の増減により遺伝的多様性がどうなっているを調べると,ミトコンドリアのハプロタイプには3タイプしかなく,そのうち1タイプが9割を占めていた.これはボトルネック効果により遺伝的多様性がきわめて低くなっていることを示している.
  • 個体数激減以前の遺伝的多様性を調べるには博物館標本が重要だが,激減したのがシマフクロウよりかなり古く,有用な標本を集めるのが困難な状況だ.さらにDNAの劣化も懸念材料となる.

 

第3章 昆虫の標本DNAによる分子系統解析 長太伸章

 
第3章のテーマは昆虫の標本DNA解析.標本DNAのリサーチは哺乳類や鳥類が先行し,昆虫については少ないことに触れたあと,様々な課題(DNA劣化,利用可能な組織量が小さいこと,不適切な抽出法の可能性)が解説される.そこからアブラゼミ族の分子系統リサーチが紹介される.

  • 日本にはセミが35種生息し,身近な昆虫であるが,ほとんどの種ではその寿命すらよくわかっていない.その中のアブラゼミ(本州,九州,四国,朝鮮半島に分布)とリュウキュウアブラゼミ(沖縄群島と奄美群島に分布)の遺伝構造について調べることにした.
  • アブラゼミ族には4属が含まれ,東アジアを中心にインドまで分布する.アブラゼミ族全体の系統を調べるには外群もふくめ海外産のセミのサンプルが必要だが,費用や生物多様性条約に関する相手国の同意の手続きを考えると新たな採集には困難が伴う.そこで合法的に採集された博物館や個人蔵の標本を用いることとした(古いもので50年前のもの,20年前のものを用いた).(このあと,DNA抽出,ライブラリ作成,NGSを利用した系統解析手法などについて解説がある)
  • 得られた配列から最尤法により系統樹が構築できた.アブラゼミ族全体は単系統で,アブラゼミとリュウキュウアブラゼミが最近縁種であることが明らかになった.

 

第4章 古代DNAで探る縄文時代の鯨類の遺伝的多様性 岸田拓士

 
第4章のテーマはクジラの古代DNA.
冒頭で古代DNA研究史が簡単に語られ,著者が2016年開館の「ふじのくに地球環境史ミュージアム」に古代DNA抽出専用クリーンルームを設置した経緯が書かれている.そこから近代以前の日本の沿岸クジラ類の多様性を探るリサーチが紹介される.

  • 横浜市にある称名寺貝塚は4〜5000年前ごろの縄文時代のもので,一度も海没しておらず,モリやヤスなどの骨角器とともに大量のイルカ類の骨が出土する.同形のものが多く出土する遊離歯をサンプルとして古代DNAを抽出した(技術的な詳細が語られてる).
  • 合計13個体のDNA抽出を試み,11個体で成功した(カマイルカ6個体,ミナミハンドウイルカ2個体,ハンドウイルカ2個体,オキゴンドウ1個体)*5.カマイルカのハプロタイプは5タイプ得られ,当時の東京湾のカマイルカの遺伝的多様性は現在よりはるかに高かったことがうかがえる.

最後に古代DNA研究の課題として,埋蔵文化財の(DNAが失われにくい)保管方法の開発と普及を挙げ,クリーンルームなどのハードルは高いが,法医学への応用も見据えて研究環境の整備が望まれると締めくくっている.
 

第5章 博物館に収蔵されている植物標本のDNAバーコーディングへの活用 遠山弘法

 
第5章のテーマは植物標本とバーコーディング
冒頭でDNAバーコーディングの簡単な説明*6があり,博物館標本を活用することによりDNAバーコードライブラリをさらに充実させることができると指摘され,DNAが劣化している場合の手法(ミニバーコードの利用,葉緑体ゲノム全体を領域化など)が解説される.
ここから東南アジアの植物標本の事情とバーコーディングを用いた種同定に置ける現状と問題点,DNAバーコーディングを用いた新種記載の事例(3事例)が紹介されている.新種記載はなかなか思い切った試みだが,伝統的な記載には時間がかかりすぎ,目の前の絶滅スピードを考えるとこれしかないという思いが伝わってくる.
 
第1部にはこの他2つのコラムが収録されており.海藻類のタイプ標本の遺伝子解析事例,昆虫のDNAバーコーディングの現状が紹介されている.
 

第2部 HOW TO: 標本から情報をとり出す方法

 
第2部には研究者のための解析手法の紹介記事が集められている.
総説の後,サンガーシーケンス,マイクロサテライト,MIG-seq,ターゲットキャプチャー法,少数個体の全ゲノム解析による集団解析がそれぞれ解説されている.続いてDNA長期保存のための昆虫標本制作法,植物標本の非破壊的DNA抽出法,標本のMuseomics的利用と博物館との連携が取り扱われている.また同位体分析,データベース,Museomics時代の博物館の役割に関してはコラムとして収録されている.
第2部の各寄稿はきわめて実務的で具体的な手順や様々なノウハウが丁寧に説明されている.
 
以上が本書の内容になる.前半では絶滅危惧種の保全のための遺伝構造解析,系統樹推定に用いるサンプル,先史時代の生態系の復元など,博物館標本の意義のわかるリサーチが紹介されている.後半は詳しい手法や技術が解説されており,研究者向けの側面の強い書物ではあるが,(前半部分だけでも)一般読者にも興味深い一冊になっていると思う.
 

*1:「博物館学」とでも訳せそうだが,本書では「ミュゼオミクス」としている

*2:この程度であれば繁殖や生存に影響がないことが先行研究でわかっているそうだ

*3:とはいえ,八ケ岳ではシカの食害や植生遷移が深刻で,まず生息環境の整備が必要だとコメントされている

*4:激減の様子やその要因(サケマスの遡上減少と大きな樹洞のある営巣木の伐採による減少)が説明されている

*5:この成功率の高さはむしろ例外で,縄文時代の遺跡のDNA抽出成功率は通常はるかに低く,まったくDNAが得られない遺跡も多いそうだ

*6:植物では葉緑体領域のrcbLとmatKが標準バーコード領域として推奨されており,2022年時点でそれぞれ29万件,24万件が登録されている.またここで,種同定の有用さについての代表的なリサーチも紹介されている.たとえばパナマのバロコロラド島の熱帯植物についてバーコード利用により98%の種について正しく同定できたことを示すリサーチがあるそうだ.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その106

 
ターチンによる歴史の科学.第3部の理論編,本章ではアサビーヤが社会資本として捉えることが可能であることを説く.そしてターチンお気に入りの歴史事例,イタリアの南北格差を社会資本,アサビーヤから解説した.ここでターチンはアサビーヤの変化速度を少し議論している.
 

第13章 歴史の中のボウリング仲間:社会資本の減衰を測定する その3

 

  • イタリア南部の道徳観念のない極端な家族主義を理解しようとする時,エドワード・バンフィールドはその明示的なコントラスト対象として1950年代のアメリカ中西部の小さな町の生き生きとした市民文化を描いている.バンフィールドの観察はアレクシス・トクビルのそれと注目すべき呼応をみせる.トクビルは若い頃アメリカに渡る前にナポリとシシリーを旅行したことがあり,イタリア南部の不信頼,不誠実な文化をエッセイで描いている.この地域がずっと変わらずにアサビーヤを欠如させていることには驚かされる.

 

 
残念ながらトクビルのエッセイの出典は書かれていない.代表的な著作は以下になる. 
  • アメリカ中西部もイタリア南部も200年前から同じようなアサビーヤ状況を保っている.アメリカ中西部は200年前から豊かなアサビーヤと国や地方の社会的資本を持ち,イタリア南部はそれを完全に欠いていた.どちらもそこから産業化,近代化の波を受けた.経済的社会的変化は巨大だった.しかしある種の基礎的な部分,社会的団結と協力行動能力において,どちらの社会もあまり変わっていない.アサビーヤが不変であるわけではないが,それはゆっくりとしか変化しないのだ.

 

  • パットナムは南北イタリアの格差の起源を北にコムーネと呼ばれる自治都市が生まれ,南でノルマンの征服が生じた11世紀とした.北イタリアではより民主的な政体がフィレンツェ,ベネチア,ボローニャ,ミラノに生まれ,市民精神を育んだ.(パットナムによれば)南では権威主義的政府の継続が社会資本を蝕んだ.

 

 
  • しかしながら真の南北格差の起源はそれよりさらに千年前のローマ時代に遡る.第11章で見たようにアサビーヤのブラックホールはローマのコア地域(イタリア半島とシシリー)に生じたが,(ガリアと接し続けた)ポー平原には生じなかったのだ.そして西ローマ帝国の崩壊後も北イタリアは高いアサビーヤを持つゲルマン諸民族が流入し続けた.そこは真のメタエスニック辺境ではなかったので大帝国を作るのに必要な高いアサビーヤは生まれなかったが中規模の自立した国家を産みだすことができた.それは7世紀にロンバルディア王国を生み,中世にフィレンツェやベネチアなどの都市国家を生み出した.
  • しかし南イタリアにはそのような中規模のアサビーヤも生じなかった.ローマ帝国崩壊以降どのような国家建設の試みもなかったのだ.南イタリアを征服したノルマンには征服者であったときには高いアサビーヤがあったが,地域に同化するにつれてアサビーヤは失われた.

 
この主張はここまで何度もなされている.しかし南イタリアやシシリーは中世を通じてイスラム文化圏と接しており,シシリーなどは侵攻を受けてイスラム圏になっていたこともある.南イタリアにおいてもイスラムの海賊の襲撃を何度も受けており,なぜそれがアサビーヤを育まなかったのかという疑問が残る.ここはターチンの主張に説得力がないところだという印象だ.私としてはパットナムの11世紀起源説(これは自治都市国家と権威主義的征服国家の制度的な違いに起因すると解釈できるだろう)の方がはるかにすっきりくる.
 

  • ロンバルディアとカラブリアの文化的違いの起源が2000年前に遡るというのは驚くべきことだ.しかし私たちはアサビーヤがゆっくり動くことを知っている.帝国を可能にする高いアサビーヤを育むには最低2〜300年間メタエスニックフロンティアに面することが必要であるようだ.世界的な帝国はしばしば1000年を超えて続く.だからアサビーヤの減衰は非常にゆっくり進むのだ.フロンティアに面していなければアサビーヤのブラックホールは何百年も,時に1千年を越えて続きうるのだ.

 
ともあれ,これがターチンの議論ということになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その105

 
ターチンによる歴史の科学.第3部の理論編,本章ではアサビーヤが社会資本として捉えることが可能であることを説く.そしてターチンお気に入りの歴史事例,イタリアの南北格差が議論されている.まずパットナムがイタリアにおける社会資本に南北格差があることを指摘したこと,それ以前に人類学者のバンフィールドも同じような指摘をしていたことが紹介された.
 

第13章 歴史の中のボウリング仲間:社会資本の減衰を測定する その2

 

  • パットナムたちはバンフィールドの観察を支持し,さらに拡張させた.イタリアの南北の違いは個人間の信頼と団結心のところにあるのだ.北イタリアでは人々はよりネットワーク化されている.彼等は家族だけでなく,合唱団,ハイキングクラブ,読書会などの会合に参加している.公的な物事への関心も南北で異なっている.地域政府の効率は社会変数の束の1部であり,その根っこに社会資本,アサビーヤの違いがあるのだ.
  • つまり,統治効率はアサビーヤの原因ではなく結果ということになる.社会資本という用語は,それがなにかブロック,モルタル,工場の機械設備のようなものに聞こえるが,少なくともアサビーヤに関していえば,それは非常に人間的な要素になる.

 
ここからアサビーヤ,社会資本の代償がどのような現象を生み出すのかが語られる.まずは有名なマフィアだ.
 

  • 南イタリアのおけるその他の社会現象はどうか.この地域の犯罪組織はマーロン・ブランドより前からある.シシリアのマフィア,ナポリのカモッラ,カラブリアのンドランゲタ(Ndrangheta)などの犯罪組織はメッゾジオルノ中にあるが,北部に似たような組織はない.これらの犯罪組織はどこから来て,なぜ栄えているのか? 社会学者たちはマフィアは信頼の欠如に対する社会の反応として生まれたと主張している.公的な信頼のないところでは,保護に対する需要が高まる.マフィアは,非常に非効率とは言え,保護を供給するプライベートセクターなのだ.

 
マフィアなどの犯罪組織のあり方は名誉の文化を論じる際にもよく取り上げられる.そういう文脈では,法執行の制度がないとこのような自力救済型の組織や文化が発生すると説かれる.ターチンは制度ではなく,まずアサビーヤや一般的信頼の問題だと主張していることになる.
このあたりはかなり議論の余地があるところだろう.同じ法制度の元にあって南部では一般的信頼の不足により法や契約の執行が公的になされないのならターチンの主張にも説得力がある.しかし本当はどうだったのだろうか.建て前は同じ法と制度がありながら,地元のボスの影響力が強いために,それが骨抜きにされているみたいなことがあってもおかしくはない.そうだとすればそれも一種の文化によるものかもしれないが,アサビーヤとはまた少し異なるかもしれない.あるいはアサビーヤがないためにボスの影響力が強くなるという議論もありうるのかもしれない.なかなか難しいところだ.
 

  • 今日のイタリア経済の南北格差は衝撃的だ.南部は田舎で貧しく,北部は都会で産業化され富裕だ.多くの経済統計は国別比較になっているので,人々はイタリアの北部がいかに豊かかを見逃しがちだ.イタリア経済は国全体ではヨーロッパの中位にあるが,ロンバルディアやエミリアロマーニャなどの北部地域の豊かさはヨーロッパのトップクラスにある.貧しい南部が統計順位を押し下げているのだ.しかし100年前には南北の経済格差はほとんどなかった.
  • ここで注目すべきは,100年前にはすでに北部にアサビーヤの基盤があったことだ.イタリア統一から1920年にかけて,南北に経済格差はなかったが,パットナムの社会資本指標(社会の相互扶助,協同組合や政党の強さなど)において南北には大きな格差があった.南北の経済格差が生じるのは1920年以降のことだ.この観察は社会資本の南北差は,経済格差の結果ではなく原因であることを示唆している.北部はより社会資本に富んでいたから経済的に発展したのだ.

 

  • ではどのように社会資本が経済資本に変換されるのか.フランシス・フクヤマは著書「Trust」の中で,社会的信頼こそが経済成長の鍵になる要因だと主張している.

 

 
  • 経済成長における大規模企業の重要さは明らかだ.しかしその運営は難しい.大規模企業はそれ自体一種の特殊な社会であり,効率良い運営には信頼と規律が必要で,各構成員の利己心と強制だけによってマネジメントすることは難しい.フクヤマは米日独伊中のビジネス,文化,社会資本を調べ,アメリカや日本のような信頼の高い社会だけが大規模企業を運営できるような文化基礎を持っていることを示した.大きな会社が上手く運営されるには従業員に高い一般的信頼が必要なのだ.企業は企業間では自由市場で競争しているが,内部的には団結の力で動いている.これは経済科学における最大の秘密だ.
  • 活力ある発展可能な社会を作れないなら,悪漢たちを集めて良い会社を作ることはできない.アサビーヤは現代のマルチナショナル企業においても,17世紀のバージニアや14世紀の北アフリカと同じように重要なのだ.今日の南イタリアでは大きな企業はうまくいかない.なぜなら経営者は従業員が機会あれば簡単に裏切ることを確信しているからだ.そのような大規模経営の試みにどんな意味があるだろうか.そして契約執行にマフィアの力が必要で,それは不完全でコストが高い.マフィア自体もメンバー間の不信頼に困っている.だからナポリ湾にはしばしば死体が沈められているのだ.

 

  • 北イタリアでははるかにビジネスは上手く組織できる.しかし北イタリアであってもアメリカのような大規模社会への信頼がなく中規模社会への信頼に止まっている.そしてほとんどの北イタリアの成功企業は中小規模のファミリー企業に端を発している.典型的にはミラノやボローニャのファミリーが所有する100人規模の企業から成功が生まれているのだ.彼らはファッションや精密機械の様々なニッチで大成功しているが,サイズのアドバンテージを持たないために,ある種の世界マーケットには進出できない.大きなサイズに成長できないのは中規模グループ内でしか協力できないためだ.これがイタリアで歴史的に中規模以上の国家が成立しなかった理由だろうか.

 
イタリアに製造業の世界的大企業があまり見られないのは確かだ.フィアットはかなり気を吐いていたが,2021年にステランティスグループの傘下となった.製造業以外では保険や金融やエネルギーの部門ではそれなりに大きな企業はあるようだが,いずれも国内向けで国際的企業とは言い難いかもしれない.ターチンは北イタリアの企業や国家の中規模性についてここからより大きな議論に結びつけていく.

数学セミナー 2025年3月号 特集「生物の営みと数理:フィッシャーが拓いた地平」

 
 
数学セミナーの2025年3月号ではフィッシャーが特集されている.私は数学徒ではないし,もちろん数学セミナーを毎号購読しているわけではないが,フィッシャー特集と聞いて入手してみた.

フィッシャーは統計学において傑出した業績を上げているが,進化生物学にとっても重要な学者だ.まずダーウィンの自然淘汰とメンデルの遺伝法則を統合*1した「進化の現代的総合」の数理的基礎を作った3人組み(フィッシャー,ホールデン,ライト)の1人として有名であり,個別の議論としては一般的な頻度依存淘汰理論をはるかに先駆けて性比が1:1になることを頻度依存淘汰の数理モデルを用いて説明したこと,これも性淘汰が進化生物学に一般的に受け入れられるよりはるかに先駆けて,メスの選り好み型性淘汰のランナウェイモデルを提唱したことが思い浮かぶ.そしていろいろ学んでいくとフィッシャーの「自然淘汰の遺伝学的理論」が難攻不落の要塞のようにどーんとそびえ立っているようだということがわかってくるということになる.

さらに私にとってフィッシャーは(私の知的ヒーローである)ハミルトンが深く尊敬していた学者という意味でも軽々しく扱えない人物だ.ハミルトンのフィッシャーに寄せる思いは2000年に出版されたフィッシャーの「自然淘汰の遺伝学的理論」完全版の裏表紙に書かれた推薦文によく示されている.
 

数理生物学者フィッシャーが拓いた地平 辻和希

 
冒頭は行動生態学者辻和希による総説.
まずフィッシャーが扱った分野が広範にわたっていることが紹介され,特に数理化がマクロ生物学周りで始まったことについて集団思考(population thinking)が重要だったことが指摘される(特に個体群を認識するためには抽象化が必要だった).そこから本特集の全体像が紹介されている.
 
そして(本紙の依頼内容を当初「性比研究の統計学を使った実証を解説してほしい」というものと誤解して準備していたので,せっかく書いた原稿のうち本特集各寄稿と重ならない部分を残しておきたいということで)フィッシャーによる性比のデータ解析の解説がある.

  • フィッシャーは多くの生物の性比が1:1であるのは頻度依存的な自然淘汰が働いた結果だと考え,理論的な枠組みを提示した.この理論が予測するのは母集団(population)の状態であり,統計学はサンプルから母集団の状態を探る方法論ということになる.

 
ここから実際の生物の性比を調べて検定を行う過程が説明される.具体例が面白い.

  • 1:1性比から逸脱しているように見える生物としてオオガラゴがある.クラークはこれを局所資源競争から説明しようとした.
  • 論文発表時点(1978)の世界の博物館の標本記録では,オスメスの標本数は16個体,10個体だった.クラークが得た野外で誕生して性別判定できたデータはオスメス13個体,4個体だった.クラークは帰無仮説を1:1性比(確率1:1で二項分布するモデル)とおき検定した.帰無仮説のもと17個体中でメスが4個体以下になる確率は0.02452,(オスが4個体以下になる場合も合わせた)両側検定でp値は0.04904となった.これによりクラークは帰無仮説を棄却し,局所資源競争により性比が偏っていると主張した.(このあと区間推定についても解説がある)

 
オオガラゴの局所資源競争の話は面白い.なおここではこの検定がフィッシャー流なのか,ネイマン-ピアソン流なのか明示していないが,帰無仮説のみを両側検定しているのでフィッシャー流の有意検定ということになるだろう.フィッシャー特集なのだから,このあたりも解説していれば面白かっただろう.
 

フィッシャー方程式 大槻久

 
まずフィッシャー方程式(フィッシャー - KPP方程式)が提示される.ただし tは時刻 xは位置 u(t,x)は個体群密度 r, Kは内的自然増加率と環境収容力,Dは拡散係数を表す.
 
\frac{\partial }{\partial t}u(t,x)=ru(1-\frac{u}{K})+D\frac{\partial^2}{\partial x^2} u(t,x)
 
 
そしてこの方程式は内的増加と環境収容を扱ったロジスティック方程式と移動分散を示す拡散方程式を統合したものであることが解説されている.
 
ロジスティック方程式

\frac{d}{dt}u(t)=ru(t)(1-\frac{u(t)}{K})

 
拡散方程式
\frac{\partial}{\partial t} u(t,x)=D\frac{\partial^2}{\partial x^2}u(t,x)
 
このような統合の結果,対象が増殖しながら拡散していく状態が表現されることになる.ここでそもそもフィッシャーがこの方程式を導出したのは,個体群密度ではなく遺伝子が頻度を上げながら空間的に拡散していく様子を捉えたかったためであることが解説されている.
またこの方程式の性質として,環境収容力がありながら増殖すると分布の形状が変化せずに等速で広がっていく等速進行波解が現れることが説明されている*2.さらに等速進行波解の進行速度の下限,境界条件がある場合などの様々な拡張が可能であり,現在でもこの方程式の価値が色あせていないことなどが解説されている.
 

フィッシャーのランナウェイと配偶者選択の進化 巌佐庸

 
巌佐庸によるランナウェイ淘汰の解説.
性淘汰の学説史,性差の存在,メスの選り好み型性淘汰をどう説明するかという問題があることがまず前振り的に解説され,そこからフィッシャーの議論が説明される.巌佐はフィッシャーの議論は興味深かったが,当時多くの生物学者はそれに納得せず,これを説得力を持って示したのはランデによる数理モデルであると指摘し,それを解説する.

ランデのモデルはオスの装飾形質をx,メスの選り好み形質をy,遺伝相加分散をG,2つの性質の遺伝共分散をB,適応度をWとする,xについての淘汰勾配βは以下の形で表すことが出来る
 
\beta=\frac{\partial}{\partial x}logW(x)
 
ここでx, yの同時進化は以下の形で表される
 
\binom{\Delta\bar{x}}{\Delta\bar{y}}=\frac{1}{2}\begin{pmatrix}G_{x}&B\\B&G_{y}\\\end{pmatrix}\cdot\binom{\beta _{x}}{\beta _{y}}
 
xを作るためのコストc(生存率がe^-2cx)などのいくつかの仮定をおき,これを解いていくと,と2つの形質の集団平均値は次の形に従う.
 
\Delta\bar{x}=\frac{1}{2}G_{x}(a\bar{y}-2c\bar{x})
\Delta\bar{y}=\frac{1}{2}B(a\bar{y}-2c\bar{x})
 
これはオスの装飾形質xはメスの好みにより大きくなり,コストによって抑えられ,以下の線で止まる.これがフィッシャーの議論のランデ的表現ということになる.
 
a\bar{y}=2c\bar{x}
 
巌佐は,これについて,フィッシャーの議論では息子が高い交尾成功率を持つことで母親の選好遺伝子が広がり配偶者選択が強まるということになるが,量的遺伝学的には直接淘汰を受けないyがオスのxとの間の遺伝相関によって間接的な淘汰を受けて増大していくものとして表現されると解説している.
 
ここからはフィッシャー以後の理論の進展が解説されている.

  • 以上の議論ではメスの選好にコストがかからないことが仮定されていた.仮に選択にわずかでもコストがかかるとすると,まず両形質が大きくなる方向に進化しても,その後均衡解線上を原点に向かって進み,xは生存率最大の点(つまり装飾がなくなる点)まで縮小し,yはゼロ(メスの選好なし)が平衡となる(つまり装飾は進化しない).
  • さらにランダムな突然変異が生ずるとして,その突然変異がオスの装飾が壊れる方向に偏っているとすると上記平衡点の手前で停止する(つまりごく小さな性淘汰形質は残りうる)
  • また突然変異に偏りがない場合も,オスの装飾コストに非線形性がある場合などの特殊な状況では,装飾が消滅せずに振動したり,カオス系の挙動が生まれる可能性がある.

 
なお巌佐はフィッシャーのランナウェイモデルだけでなく,ハンディキャップモデルについても簡単に触れている.オスの元気の良さvを組み込んだx, y, vの3変数の量的遺伝学モデル(巌佐,ポミヤンコフスキー 1991)によれば,メスの好む性質(装飾)がxだけでなくvにも依存する場合にメスの配偶者選択性が進化する,そしてオスがvを反映させた装飾を作る理由を調べるとvの大きさがコスト負担力と相関する場合にそうなる(ポミヤンコフスキー,巌佐 1993)と説明している.
 
巌佐の説明はフィッシャーモデルについては見事なものだが,ハンディキャップモデルの説明には不満がある.巌佐が前段で説明しているのは自身とポミヤンコフスキーによる1991年の量的遺伝モデルの結論で,これはオスの装飾形質sが,xとvの両方に依存して定まるという条件で装飾が進化することが示されている.そしてこのモデルではメスの選好性がxにのみ依存する場合には装飾が進化しないことが示唆される.
この結論は,装飾を決める遺伝子が元気の良さを決める遺伝子と独立の場合{多くの場合そうであろう),装飾が騙しが不可能なインデックス的性質を持つか,メスの選好性が(直接観測できないはずの)vにも依存している(観測できるというのはある意味装飾形質がインデックスになっているという状況)必要があるように解釈されやすい(装飾の進化にはx,vの連鎖不平衡やインデックスを必要とするように解釈されやすい).しかし仮に騙しが有利になるなら,(連鎖不平衡でもインデックスでもない)元気の良さと独立に装飾を大きくする遺伝子がすぐに広まるだろう.だから真の問題はオスが正直になる方が進化的に有利なことを示すことにある(そもそもハンディキャップは正直な信号の進化の問題).だから,1991年のモデルでは問題を説明しきれていない.
そして1993年に(この論文については私は不勉強で理解不足だが),それだけではなく,オスが(騙しを行わず)装飾をvに依存して示す理由を説明したということになる.

だが,1990年の時点でアラン・グラフェンは遺伝子xがvの条件依存的に装飾の大きさx(v)を決め,メスがx(v)を観察して配偶者選択する数理モデルを発表している.そしてこのモデルでオスの正直な信号としての装飾とメスの装飾への選好が進化するのは,オスにとってメスに好まれることによる適応度上昇分と装飾にコストがかかることによる適応度減少分の比がオスの質が高いほど大きい場合であると示されている.つまり質の高いオスの方が広告効果/コストが高ければ(質が高いほどコスト負担力があれば),オスにとっても正直な広告を行う方が有利になり,正直な装飾形質が進化できるということになる.
そして多くの行動生態学者がハンディキャップモデルを受け入れたのは,そもそも正直な信号がなぜ進化するのかを見事に説明したグラフェンのモデルが1990年の時点で提示されたためだ.だから本稿においてもグラフェンモデルにも言及するのがフェアな態度ではないかと思う.
 
なぜか日本の数理生物学者は選り好み型性淘汰のハンディキャップモデルを説明する時にグラフェンモデルを無視する(本寄稿はその典型だが,粕谷・工藤編「交尾行動の新しい理解」,山内著「進化生態学入門」などもそうだ).これは全く理解に苦しむ態度だし,本当に残念だ.
 

フィッシャーの進化遺伝学 入谷亮介

 
フィッシャーの業績のうち,総合説確立において重要であった量的遺伝形質の進化遺伝学における平均効果の理論と繁殖価の理論を解説するもの.
 
<フィッシャーの平均効果>
アリルAの「平均効果」は「あるアリルAを持つ個体の形質値の集団平均値からの逸脱度」を表すもので,「集団中から無作為抽出された個体のアリルの1つ(Aである場合も含む)をAに置き換えた場合の個体の形質値の平均変化量」であること,ここから置換効果,適応度,平均過剰(注目アリルの適応度への増減効果)を示し,離散時間におけるアリル頻度の動態方程式を導出する.(q(t)は時刻tにおけるアリル頻度,EW|1は集団平均適応度,EW|1は少なくとも1つアリルA1を持つ個体の平均適応度)これは適応進化の普遍的表現であり,プライス方程式,レプリケータ方程式,適応動態理論,学習理論など幅広いモデルに出現する表式だと解説されている.
 
q_{1}(t +1)-q_{1}(t)=q_{1}(t)(E_{W|1}-E_{w})
 
さらに以下のことが解説される.

  • フィッシャーは遺伝子型,形質値を説明変数,適応度の応答変数とする線形回忌モデルによって,相加性と非相加性を分離した.
  • さらに因果分析理論の基礎も築いた.アリルの置き換えによる適応度の置換効果は,反事実的にアリルを置き換えた処理(介入)の適応度の平均変化量(潜在結果)と考えることができ,適切な仮定のもとでの因果推論理論の平均因果効果と一致する.
  • このような平均効果の因果推論への拡張は包括適応度理論にも意義深い洞察を与える.包括適応度理論は血縁度という個体間の類似指標を用いた回帰式で表されるので,それは因果ではない(相関に過ぎない)という批判を受けてきた.しかし包括適応度理論を集団などの複数の階層に適用し,平均効果を集団の平均形質値の平均変化量に対して拡張するとハミルトン則も因果関係として解釈できる.

 
<フィッシャーの繁殖価理論>
集団内に何らかのクラス構造(環境条件,年齢,など)があり,クラス間で適応度に差がある場合について適応動態を記述が可能かという問題を解決するのが繁殖価理論になる.
(フィッシャーは離散・連続の年齢クラスを検討しているが)ここでは離散クラスの場合について解説がある.生物の生活環の各ステージを個別クラスとすると,クラス集合(たとえば(卵,幼体,成体))と有向グラフ(たとえば(卵→幼体,幼体→成体,成体→卵))を考えることができ,クラスごとの個体数ベクトルが時間1単位でどう移り変わるかを示す次世代行列を求めることができる.そしてここから人口学の基本定理式が導かれることを示し,個体繁殖価,集団の平均効果,平均過剰がどう表されるかについて解説されている.
 
最後に現代から見たフィッシャーについてコメントされている.

  • フィッシャーによる進化・遺伝・統計科学の厳密で有機的な体系化,その科学者としての全体像はもっと評価されてよいと思う.
  • フィッシャーによる進化遺伝学の諸概念は,フィッシャーの優生学への傾倒と深く関連しているが,しかし得られた理論自体はあくまで生物の適応進化に対する概念だ.現在フィッシャーはその優生学思想から,賞や建物から名前が消されつつある.しかし優生学という「負」の遺産は,科学を受け継いだ科学者が責任を持って返済を続けていくべきで,単に覆い隠すのはその責任の放棄に思われる.
  • フィッシャーはもう一つ「喫煙と肺ガンの因果関係」に対して真っ向から反論したことでも知られる.当時は相関のみが示されていて因果については明らかではなかったからだ.ただしフィッシャーには2つの利益相反があったこと(タバコ業界のキャンペーンに加担していた広告会社から小額の賃金対価を得ていたこと,フィッシャー自身愛煙家だったこと)も事実だ.
  • 本稿執筆のためにフィッシャーについての様々な文献や動画に目を通した.それを通じてフィッシャーのような幅広い科学活動を目指したいという気持ちは強まるばかりであった.

 
フィッシャーの輝かしい業績だけでなく晩節を汚したとされる優生学への傾倒や喫煙と肺ガンの因果関係の否定まで扱ったうえで,その業績をたたえる寄稿であり,著者の思いがよく伝わってくる.
実はハミルトンも自伝のエッセイにおいて,マイルドな優生学的主張*3や喫煙の健康への悪影響への懐疑*4を表明していたりする.おそらくフィッシャーへの傾倒が影響しているのだろう.そして,科学者の価値観的政治的発言については,まず発言の正確な中身と発言当時の状況をよく踏まえるべきこと*5,仮にその上で問題があっても科学者の業績とその価値観については分離して評価すべきであろうとあらためて思う次第だ.
 

フィッシャーの原理と性比の進化 安倍淳

 
本稿のテーマはフィッシャーによる1:1性比の進化の議論.
現代における性比の進化の説明は,親による性比の調節行動の進化として進化ゲーム理論が適用される分野になるが,フィッシャーは進化ゲーム理論確立前に同様な議論を行っていたことを指摘してから,フィッシャーの議論が詳しく解説される(フィッシャーの用いた数理的な説明は補足にまとめられている).そしてこれは進化が集団全体や種の利益でなく個体利益最大化に向かって進むことが含意されていること,ここで1:1とされるのは子孫個体数ではなく,親の投資量であること,フィッシャー性比は配偶システムや出生後の死亡率により影響を受けないことが解説される.
続いてフィッシャー性比が成り立たない場合(フィッシャーの議論の仮定が満たされない場合)についての解説がある.フィッシャーの議論は集団中の個体は分散し,血縁個体同士が遭遇しないことが前提になっていること,そうでない場合として局所配偶競争や局所資源競争があることが解説される.また性転換する生物についての考え方も簡単に触れられている.
 

フィッシャーの自然選択の基本定理とその一般化 足立景亮

 
フィッシャーの自然淘汰の基本定理を導出してみせ,そこから基本定理とフィッシャー情報量との関係,基本定理の一般化,変化速度の速度限界不等式の導出,フィッシャーの基本定理は速度限界不等式の特殊な場合(自然淘汰のみを考慮した場合)であること,限界不等式を用いた分析の具体例などが解説されている.
この寄稿のテーマはなかなか興味深いものだが,本稿は本特集の中でもとりわけ数理的に難解なものになっており,私としては最初の定理の導出のところからついていけなかった.自らの不精進を恥じる次第だ.
 
以上が本特集の内容になる.数理生物学に興味のある人にはとても刺激的な特集だと思う.
 
 

補足 フィッシャーの自然淘汰の基本定理について

 
足立稿を理解できなかったこともあり,私なりにちょっと調べたことも覚え書きしておこう.
 

  • まずこの基本定理はフィッシャーの「自然淘汰の遺伝学的理論」に記述があるが,そこでは数式は示されておらず,以下のような記述になっている.
  • The rate of increase in fitness of any organism at any time is equal to its genetic variance in fitness at that time."
  • ある生物(それがいかなる生物であっても)のある時点(それがいかなる時点であっても)の適応度の増加率はその時点の適応度の遺伝分散に等しい

 

  • いかにもフィッシャーらしい簡潔で難解な言い回しだ.この記述は「だったら生物の適応度は常に上昇し続けることになるではないか,無意味だ」と当時の集団遺伝学者たちに誤解され,あまり真剣に取り上げられなかったらしい.
  • 足立稿による数式は以下の通り(適応度をs,その平均をバー,標準偏差をΔsで表示)

 
\frac{d}{dt}\bar{s}=(\Delta s)^{2}
 

  • 足立稿の導出は難解で私の手には負えないが,これはプライス方程式から導出することができる(これはプライスによる1970年の論文で示されたもので,フィッシャーが以上の文言で本当は何を意味していたかが説明されている.ここではフランクによる解説をもとにする)

プライスの論文
https://www.zoology.ubc.ca/let/pdfs/Price_1972_FisherMadeClear.pdfhttps://www.zoology.ubc.ca/let/pdfs/Price_1972_FisherMadeClear.pdf

 

 

  • プライス方程式は以下の通り(適応度がw,何らかの表現形質がz,平均がバー,重みづけ平均がE( ),分散がVar( ),共分散がCov( )で示される).*6

\overline{w}\Delta\overline{z}=Cov(w,z)+E(w\Delta z)
 

  • ここで何らかの形質zに適応度wそのものを代入すると以下の式になる

 
\overline{w}\Delta\overline{w}=Var(w)+E(w\Delta w)
 

  • すると適応度の変化(自然淘汰の速度)は\overline{w}\Delta\overline{w}で示され,それは,適応度の分散とE(w\Delta w)で決まることになる.ここでE(w\Delta w)は環境によって生じた適応度の変化だと解釈することができ,遺伝要因にかかる自然淘汰の進化速度は適応度の分散で決まることになる.
  • なおここで適応度が安定する平衡状態を考えると(フィッシャーはこれを念頭に置いていた),平衡条件はVar(w)=E(w\Delta w)=0となる.

 

  • しかしこの時点での適応度分散は表現型としての適応度分散であり,フィッシャーのいう「遺伝分散」ではない.
  • ここで適応度の遺伝要因をgとおき,プライス方程式に代入すると以下の式が得られる(βは偏回帰計数)


\overline{w}\Delta\overline{g}=Cov(w,g)+E(w\Delta g)=\beta _{wg}Var(g)+E(w\Delta g)
 

  • 適応度wは遺伝要因gと残差δに分けることができ,δは適応度と回帰しないので\beta _{wg}は1となる.またVar(g)は適応度の遺伝分散となる.
  • フィッシャーは各変数の平均効果の合計が一定の場合の適応度変化に興味を持っていた.gの平均効果の合計を一定にすればE(w\Delta g)=0となる.
  • これにより

 
\overline{w}\Delta\overline{g}=Cov(w,g)+E(w\Delta g)=\beta _{wg}Var(g)+E(w\Delta g)=Var(g)
 

  • 残る変化は適応度の遺伝分散Var(g)のみになる.ここで適応度の偏変化を\Delta _{f}\bar{w}とおくと以下の式が得られる*7.これがフィッシャーの基本定理の意味となる.

  
\Delta _{f}\bar{w}=Cov(w,g)/\bar{w}=Var(g)/\bar{w}
 
フランクの解説本


 

補足2 「自然淘汰の遺伝学的理論」

 
フィッシャーの代表的著書.後半は優生学がテーマになっているので,近時あまり取り上げられることはないが,非常に深い内容の書物であるようだ.これは2000年に出された完全版.

これはハミルトンによる裏表紙にある推薦文になる.

本書は,私が学生の時に,ケンブリッジ生活の残りすべてと同じ重さを持つ本だった.そして読めば読むほど自分の学問的水準の低さを教えてくれる本だった.ほとんどの章は1章を読むのに数週間を必要とし,中には数ヶ月必要なものもあった.例えばフィッシャーの「博愛」についての文章は当時読んでいたカフカの本よりも私を落ち込ませるものだったし,「文明」についての理論は私を熱狂させた.いくつかのトピックについては「恐怖」としか表現できないものであったし,今の私にとってもそうだ.それは私のそれまでの考えを深く変えるものだった.フィッシャーのアイデアと理論は,その後の分子的な発見によってもほとんど修正を受けず,広がり続ける道の基礎になり続けていて,その上でダーウィニズムは人の思想への侵入を続けている.
本書は,私の考えでは,進化理論にとってダーウィンの「種の起源」(と「由来」による補完)の次に重要であり,今世紀最高の本の1つである.そしてこの完全版の出版は意義ある出来事だ.フィッシャー後期の1958年のドーバー版による改変はむしろ理解に混乱をもたらしているところがあり,この完全版によっていくつかの謎は解決されるだろう.
1958年と異なり,今では自然淘汰は私達の知性的人生の一部となり,すべての生物学のコースに含まれるトピックになっている.とはいえ,私が人生を卒業するときまでに,私は本書に含まれる真実をすべて理解できるだろうか,そして優をもらえるだろうか? たぶんできないだろう.確かに私達のうちの幾人かはいくつかの点でフィッシャーを超えた,しかしながら多くの点でこの明晰で大胆な男は,なお私達のはるか先にいるのだ.

W. D. Hamilton


 


 

*1:ダーウィンの種の起源出版が1859年,メンデルの法則の再発見が1900年で,20世紀初頭にはメンデルの法則と自然淘汰は相いれないと考えられていたが,1930年ごろにそうでないことが一般に認められるようになった.数理的には多遺伝子座による量的遺伝の理論により両者が統合可能であることを示したことが大きい

*2:なおこの等速性はxが一次元である場合が図示されているが,2次元,3次元でどうなるのかは示されていない.直感的には減速しながら広がりそうなところだが,数学的には高次元空間でも等速になるのだろう.

*3:現代医療の進展に伴い,医療なしに生きられないような表現型を持つ遺伝子が遺伝子プールに広がっていくことを強く懸念し,そのような遺伝的疾患について検査によるスクリーニングと中絶を勧めている

*4:ホモ・エレクトゥス以降,焚き火の周りで過ごしていた人類が煙に対して脆弱であるとは信じにくいとしてフィッシャーを擁護した.ハミルトン自身は非喫煙者だった

*5:優生学的主張については,まず事実として提唱された手法が遺伝子プールの改善に本当に結びつくのかという問題と価値観の問題に分けるべきだし.価値観の問題についても強制的避妊など全く擁護できない主張から,啓蒙と自発的スクリーニングなどマイルドな主張まで様々で,すべて同一に論じるべきではないだろう.また1930~40年代には優生学的思想はむしろ社会の大勢であったということも発言背景として勘案してよいと思う

*6:フランクは前段でプライスの方程式を導出してみせている.ここでは導出の証明があるという前提で話を進める.

*7:この部分は難解で私の理解は不十分だ

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その104

 
ターチンによる歴史の科学.第3部の理論編,前章ではトルストイの試みを紹介した上で,歴史科学に個人要素はランダム摂動要因としてしか入れ込めないこと,少なくとも軍事的には戦闘の帰趨を決めるソフト要因が計測できそうなことが示された.そして本章では,軍事だけに限られない一般的な社会の成功のソフト要因を探ることになる.
 

第13章 歴史の中のボウリング仲間:社会資本の減衰を測定する その1

 
そしてここでも南北イタリアの差が取り上げられている.本書でこの現象が取り上げられるのは3回目だ.つまりこの現象はアサビーヤの重要性に関してターチンのお気に入りの例であり,彼の主張の良い裏付けだ*1と考えられているからだろう.
 

  • 1993年にロバート・パットナムは「民主主義をうまく回す:現代イタリアの市民伝統」という本を書き,「社会資本」という概念を提示した.彼は「社会資本」を「信頼,規範,ネットワークなどの社会組織の特徴であり,コーディネートされた行動を起こすことにより社会の効率性を改善するもの」と説明している.それは非軍事的な側面を強調したアサビーヤだといえる.私は多くの学者や一般読者と同じくパットナムの業績を絶賛するが,ここでは(「社会資本」という語ではなく)同じアプローチについてより早くから考察していたハルドゥーンの「アサビーヤ」という語を用いたい.

 

 
  • イタリアは1970年代に政治制度を改変した.中央政府から地方に大きく権限を委譲したのだ.これはパットナムのような政治学者たちに地域の政治文化が統治効率にどう影響を与えるかについての自然実験の観察の場を与えた.同じ構造と予算規模を持つ地方政府がピエモンテからカラブリアまでのイタリアのあらゆる地域に設置されたのだ.政治学者はそれから20年で何が生じたかを観察できた.何か地域間で差異が生じたならそれはその地方文化に帰することができるはずだ.

 

  • 自然実験の観察において統治効率はどう測定できるだろうか.アサビーヤ(あるいは社会資本)が鍵になるはずだ.しかしながら集合的行動は複雑で多元的であり,単純な測定は難しい.しかしパットナムはかなりうまい方法を見つけた.
  • パットナムと共同研究者たちは統治効率を(行政機関の反応性,予算の適正執行率などの)12要素からなるものとし,提供された公共サービス量(デイケアセンターの数など)からそれを測定した.そしてこれら12要素が強い相関をもって社会生活の基本的側面を表していることを発見した.つまり12要素を単一の指標にして統治効率を測れるということだ.そしてその指標は時間的に安定していた.地域間の相対ランクは観察期間を通じてほとんど変化がなかった.
  • パットナムたちが分析した結果にはイタリアの統治効率には注目すべき強い南北の傾きがあることが示されていた.ポー平原地域(エミリア=ロマーニャ,ロンバルディア)は統治効率ランキングで一貫して上位であり,南部地域(カンパーニャ,カラブリア,シシリア)は一貫して下位だった.

 

  • パットナムのこの分析よりはるか以前から人類学者は南イタリア(イタリア人たちはこの地域をメッゾジオルノ(mezzogiorno)と呼ぶ)に何か問題があることに気づいていた.人類学者のエドワード・バンフィールド*2は「The Moral Basis of the Backward Society」の中で南イタリア社会の極端な微小粒子化を報告している.そこでは協力はほとんど家族間に限られていたのだ.いとこのような血縁,時に大人になった兄弟の間でもその関係には信頼と協力が欠けており,コミュニティレベルの協力はほぼ不可能だった.このような社会をバンフィールドは「無道徳家族主義:amoral familism」と呼び,その基本的な考え方を以下のように形容している「自分の核家族の物質的短期的利益を最大化させよ,他者も同じようにやっていると考えよ」.これはまさに(私が第1部で示したような)「悪漢の哲学」だ.メッゾジオルノの社会が上手く機能しないのも無理はない.それを社会と呼ぶことすらミスリーディングだ.それは核家族の集合に過ぎない.

 

 
自然実験の話は面白い.歴史の自然実験に関連して面白かったのはダイアモンドとロビンソンが編者となっているアンソロジー「歴史は実験できるのか」だ.南北イタリアに関しては取り上げられていなかった.全体的な印象は,歴史の軌跡に関しては,社会資本的要因だけでなく,法や権力構造などの制度的な要因も非常に重要そうだというものだ.
 
「歴史は実験できるか」 私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180616/1529109960
 
原書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101228/1293536050
Natural Experiments of History

Natural Experiments of History

  • Belknap Press of Harvard University Press
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*1:3回も同じ例を取り上げているというのは,逆に考えると,その他にはあまり良い例がないというような印象も与えてしまうだろう.叙述戦略としては(もしあるなら)次々に別の例を出した方が有効ではとも思う

*2:ターチンはバンフィールドをanthropologistとしているが,一般的には割れ窓理論で有名な政治学者だとされているようã