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2007年 05月 03日
「お客さん、寄っていきなせえ」とおかっぱ頭に着物姿の少女が、釣り人の男に声をかける。男は、どこかこの辺にいい釣場はないかと彼女に聞く。
「私は知りません。われシンデンのマサジに会わなんだか」と少女は答える。 やがて、わたしたちはこの少女の名前が、キクチサヨコだと軍隊の帽子を被ったシンデンのマサジという少年の口から知ることになる。 つげ義春の名作マンガ『紅い花』である。 私はその頃、東松原にある珈琲屋でつげ義春のマンガばかりを読みふけっていた。浪人をしていた74年の話だ。というのも、同郷の友人がこの東松原に住んでいて、彼は親戚の家に間借りしていたので、彼と落ち合う時はいつもこの店と決まっていて、彼はいつも一時間以上かならず遅刻してくるので、私は中に置かれていたつげ義春のマンガのほとんどを、ここでじゅうぶんに読むことができたのである。 いまでは、この珈琲屋の場所も名前もすっかり忘れてしまったが、となりに明大前という駅があり、暗めの店内は当時の学生気分を感じさせた。 いつも流れていた音楽は、これもいかにもその当時の雰囲気といえる浅川マキだった。だから、私はその後もつげ義春のマンガを読むと、『夜が明けたら』や『赤い橋』、『ちっちゃな時から』や『かもめ』そして彼女ならではのカバー曲『朝日のあたる家』や『ガソリンアレイ』がかならず頭のどこかで響いているような気がする。 私は、何年かに一度どうもつげ義春をむしょうに読んでみたいという気持ちにおそわれる。つげのマンガとはなぜかそのような魅力を持っていて、私以外にも、多くの人たちがそうした思いを抱えているような気がする。 NHKでは、佐々木昭一郎が『夢の島少女』(1974年)という傑作を仕上げた後の76年に、この『紅い花』のドラマ化に挑んだ。 いま読み返してみても、キクチサヨコとシンデンのマサジのどこの方言ともしれないユニークな言葉のやりとりや、つげ作品の醍醐味、絶妙な風景描写のリリシズムにドキッとさせられる。 今度は、例の東鳴子温泉の近くにある潟沼という湖に行き、そこでつげの『沼』という作品を思いだし、また読みたいと思ってしまったのだけれど、なぜわたしたちは、ときどき思いだしたようにつげ義春の作品世界に惹かれてしまうのだろうか?(写真左は『沼』ラストカット) この前表題作『紅い花』を含むつげ義春の作品集を読み直し、その余韻に浸りながら、あとがきに代わる糸井重里のエッセイ『無力を感じる力』を読んで、はたと思い当たったのだ。 糸井は冒頭に「“お前が思っているほど、お前はたいしたやつじゃない”」と振ったうえで、この言葉の意味をたぐっていく。 すこし長いが引用する。 「(前略)いまあらためてつげ義春を読むなどということは、もしかすると、幸福のためにはしてはならないことなのかもしれない。 自分を“いっぱしのなにか”だと思っている若者や、仲間うちではダントツの才能を誇っている誰かが、つげ義春一発でバタバタ倒れていくようすが目に見えるようである。 倒れてほしいのだ。バタバタと倒れて、そして起きあがってくる姿を、私は見たいのである。ちょうどいい幸福、軽い名誉、弱々しい敬意やほどほどの嫉妬の視線などを、みんな犬にでもくれてやって、“とぼとぼ”とひとりで歩きはじめてくれることを、昔の若者である私は願っているのである。 誰よりも、つげ義春を動かし、彼にここに収録されているような密度の濃い作品を書かせた理由こそ、“お前が思っているほど、お前はたいしたやつじゃない”というコトバだったのだろうから、世界はまったく皮肉にできていて愉快なものだ。」 ほんとうに、つげ作品が好きでしようがないに違いない糸井重里の、これからの若い読者と当時の読者へのエールにも思えるこの冴えた文章に、私はしばらく、つげのマンガの最後のコマに押し寄せる静寂のように、唸ってしまったのである。
by tsukimoto_natsumi
| 2007-05-03 19:39
| マンガ
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