2科目めは文化財学購読Ⅰを選んだ。
 テキストは沢田正昭著『文化財保存科学ノート』(近未来社)である。
 1科目めの平安文学論とは違い、ソルティには未知の分野なので興味深い、と同時に手強さを覚悟した。
 が、面白さが勝った。

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 文化財というのは1950年制定「文化財保護法」で定義されている以下のモノをいう。
  1. 有形文化財・・・・建造物、絵画、彫刻、工芸品、古文書など
  2. 無形文化財・・・・音楽、演劇、工芸技術など
  3. 民俗文化財・・・・衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗慣習および民俗芸能など
  4. 記念物・・・・遺跡、名勝、天然記念物(動植物、地質鉱物)など
  5. 文化的景観・・・・棚田や里山など「日本の原風景」と呼ばれるような景観
  6. 伝統的建造物群・・・・宿場町、城下町などの町並み、集落など
 たとえば、清水寺や鳥獣戯画や鎌倉大仏は有形文化財、書道や華道や人間国宝は無形文化財、青森のねぶたや長良川の鵜飼や壬生狂言民俗文化財、三内丸山遺跡や白神山地やトキは記念物、遠野(岩手)や大谷石採石場(栃木)や阿蘇の草原は文化的景観、角館(秋田)や川越(埼玉)や吉良川(高知)伝統的建造物群である。

鳥獣戯画
鳥獣戯画
(京都栂尾の高山寺にある)

 これら文化財を保存修復するにあたっては、伝統的な技術や材料が使われるのが本来ではあるが、技術を継承する職人がいなくなったり、昔ながらの材料が得られなくなったりしている現状がある。
 そこで、文化財の調査や修復のために、科学技術や現代科学材料などを用いた自然科学的手法を応用する研究分野が誕生した。
 それが文化財保存科学である。

 たとえば、現在、名古屋城の木造天守閣の復元事業が進められているが、徳川家康が1612年に完成させた時とまったく同じ材料と工法によって築城するのはもはや無理であるし、安全性も効率性も悪い。
 建築スピードを高めながらも、耐震・耐火面を強化し、できるだけ長く保存されることを期するならば、どうしたって現代科学を応用した材料選定や建築技法が必要である。
 さらには、観光資源としての活用を考えるならばバリアフリー対策が必須で、そこに先般からのエレベーター取り付けの議論が生じている。(河村たかしの市長続投を選択した名古屋市民がソルティには理解できない)
 ただ単に、何百年伝えられた設計図をもとに、建てられた当時の姿に復元すればよいというものではない。
 文化財の保存管理は、その保存と活用とのバランスが大事である。 
 保存科学が斟酌すべきテーマの広さと複雑さが分かる。

名古屋城

 今回初めて知って、「そうだったのか~!」と思わず膝をたたいたのは、日本における保存科学の誕生は、1934年より始まった法隆寺伽藍の「昭和の大修理」がきっかけとなったというエピソード。
 このとき金堂壁画の剥落を修復するにあたって、伝統的な材料や技法とともに、合成樹脂の利用が提案された。
 伝統技術組と科学導入組の議論が白熱する中、1949年1月、金堂は火災に遭い、壁画の大部分が消失してしまった!
 これをきっかけとして、翌1950年に「文化財保護法」が制定され、文化財という言葉が公式に用いられるようになった。
 1952年には東京国立文化財研究所に保存科学部が設置された。これが保存科学(Conservation Science)という言葉が日本で使われた最初である。
 つまり、「文化財」という概念の誕生と「保存科学」の登場は同時であり、法隆寺金堂壁画の保存修復に端を発するのである。
 1300年の時を超えて作用する聖徳太子の偉大なる念力を感じた次第である。

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法隆寺金堂と五重塔


P.S. 法隆寺金堂の火災の翌年1950年7月に金閣寺が炎上した。立て続けの国宝の破壊に世間がどれだけ騒いだことか! 再建された金閣寺は「文化財保護法」による国宝指定を受けていない。