『さよならジュピター』は、「週刊サンケイ」の一九八〇年五月二九日号から一九八二年一月七日・十四日合併号に連載された、太陽系にマイクロブラックホールが迫ってくるという、未曽有の危機を描いたSF作品です。
連載期間は一年半以上、原稿用紙千四百枚を超える大長編となり、一九八三年の「星雲賞」長編部門を受賞しています。
宇宙的な規模のクライシスに人類が立ち向かうといった、オーソドックスなストーリーですが、その歴史は、テレビアニメの企画から始り、特撮映画企画としてのシナリオ第一稿、小説としての本作、そして小説完成後の再シナリオ化を経ての映画製作と、小松左京の数ある作品の中でも、非常にユニークな変遷を経ています。
<アニメ企画「さよならジュピター」>
「さよならジュピター」の原点は、テレビの立体アニメ企画でした。
このアニメに関して小松左京は、最初に出版された「さよならジュピター」の単行本上巻の解説で次のように語っています。
一九七六年に、私はあるアニメ製作会社から、3Dのテレビ・アニメ技術を使った、宇宙SFものの原案をもとめられた。その時、「木星太陽化計画」という、ある科学者のファンタスティックなアイデアを骨子として、プロットをこしらえ、「さよならジュピター」の題名を用意したが、私の構想が、あまり大げさすぎたのにおそれをなしたのか、このアニ
メ化は流れてしまった。――しかし、その後、私の頭の中で、この原案のイメージは次第にふくらんで行き、一応の起承転結もついていた。
『さよならジュピター(上)』解説(サンケイ出版一九八二年)より
この立体アニメ作品は、東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)の要請で企画されたもので、当時の最新技術を取り入れ、専用メガネなしでもぼやけることなく見えるというものでした。
企画だけで終わったSF立体アニメですが、メカデザインをスタジオぬえに、男性キャラクターをモンキー・パンチ先生に、そして女性キャラを萩尾望都先生にお願いする予定だったと、小松左京は家族に語っています(モンキー・パンチ先生が小松左京と最初にあったのは、この企画会議の場であり、その時のエピソードを小松左京の「三本腕の男」(角川文庫)の解説に詳しく書かれています)