日本は昔の中国のようになってきた
2009年 05月 16日
福岡の交通事故の高裁判決には、ネット上など巷の無責任な匿名野次馬からは絶大な支持があり、法曹の専門家からは批判や疑問が多い。
これは、法律の基本に少しでも理解があるかどうかの違いだ。
この判決を支持している人たちは、違法かつ悪質で被害も大きいから重罪なので厳罰にするのは当然だと言っている。これは、何もわかっていない勘違いによる愚かな意見だ。なぜなら、そんなことは当たり前で、この判決を批判している人たちも、それは最初から否定していない。
では、何を批判しているかというと、違法であり悪質であれば重罪なので厳罰にするべきというのは法律でそう決まっていて、だから、そう法律で決められているとおりにしなければならないのに、その判決は法律で決められたとおりではない、ということだ。そういう批判だ。
つまり、通常に法律をあてはめて罰を受けさせ、それとは別に、被害が大きければ、それだけ大きな賠償をするものだ。そのうえで、やはり規定のとおりでは罰が軽すぎるなら、法律を改正するべきだ。
ところが、その筋を通さずに、無知蒙昧な大衆を扇動しながら裁き、強引に結論誘導するのでは、社会の秩序を本当の意味で保つことができなくなり、後に禍根を残すだけである。
これで失敗したのが、文革時代の中国だ。一部の識者が小難しい理屈をこねているようにするよりも、一般大衆の庶民的感覚によるほうが民主的だということになった。それで人民裁判と称して、市民の見識ではなく烏合の衆による集団つるし上げが横行したのだった。
もちろん、そんなこと今では中国も否定してる。厳罰主義で死刑が多すぎると国際的に批判されているとはいえ、それとこれとは別だからだ。犯罪に厳しく刑罰を重くするとしても、それなら法律の規定をそうするべきであって、法を曲げることではない。そんなことをして一般の感覚に合わせたというのでは、もはや司法ではない。
この判決を絶賛している人たちは、可能なら『戦国自衛隊』のようにタイムスリップして60年代の中国へ行き紅衛兵にでもなったほうがいい。
追記 ここまでしておいて,そこの警官が飲酒運転ひき逃げ事件を起こし、上記の3児死亡事故から三周年の日に逮捕である。刑罰を厳しくしても,集団で吊るし上げしても、一時的な怒りの発揮にはなるが解決はできないということだ。
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これは、法律の基本に少しでも理解があるかどうかの違いだ。
この判決を支持している人たちは、違法かつ悪質で被害も大きいから重罪なので厳罰にするのは当然だと言っている。これは、何もわかっていない勘違いによる愚かな意見だ。なぜなら、そんなことは当たり前で、この判決を批判している人たちも、それは最初から否定していない。
では、何を批判しているかというと、違法であり悪質であれば重罪なので厳罰にするべきというのは法律でそう決まっていて、だから、そう法律で決められているとおりにしなければならないのに、その判決は法律で決められたとおりではない、ということだ。そういう批判だ。
つまり、通常に法律をあてはめて罰を受けさせ、それとは別に、被害が大きければ、それだけ大きな賠償をするものだ。そのうえで、やはり規定のとおりでは罰が軽すぎるなら、法律を改正するべきだ。
ところが、その筋を通さずに、無知蒙昧な大衆を扇動しながら裁き、強引に結論誘導するのでは、社会の秩序を本当の意味で保つことができなくなり、後に禍根を残すだけである。
これで失敗したのが、文革時代の中国だ。一部の識者が小難しい理屈をこねているようにするよりも、一般大衆の庶民的感覚によるほうが民主的だということになった。それで人民裁判と称して、市民の見識ではなく烏合の衆による集団つるし上げが横行したのだった。
もちろん、そんなこと今では中国も否定してる。厳罰主義で死刑が多すぎると国際的に批判されているとはいえ、それとこれとは別だからだ。犯罪に厳しく刑罰を重くするとしても、それなら法律の規定をそうするべきであって、法を曲げることではない。そんなことをして一般の感覚に合わせたというのでは、もはや司法ではない。
この判決を絶賛している人たちは、可能なら『戦国自衛隊』のようにタイムスリップして60年代の中国へ行き紅衛兵にでもなったほうがいい。
追記 ここまでしておいて,そこの警官が飲酒運転ひき逃げ事件を起こし、上記の3児死亡事故から三周年の日に逮捕である。刑罰を厳しくしても,集団で吊るし上げしても、一時的な怒りの発揮にはなるが解決はできないということだ。
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by ruhiginoue
| 2009-05-16 10:02
| 司法