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江中直紀さんが逝去なされたといふ。二月八日のことらしい。作品社のツイートで知つた。誤報であればどれだけいいだらうと思ふ。
早稲田の二年先輩で、私が修士課程に入学したとき、同じ指導教授、根津憲三先生の研究室で博士課程に入られた江中さんは、すぐに仏政府留学生としてフランスに行かれた。仏文学、日本文学両面での活躍は皆様ご存じであらう。私と同期の芳川泰久、渡部直己と並んで、平岡篤頼研究室(根津先生は一年で定年。江中さんは平岡研究室、私は岩瀬孝先生の研究室に引き取られたのだつた)の三羽烏といはれた。とくに、江中さんは、「彼を専任にしないなら自分は辞めます」とまで平岡先生に云はしめた、といふ噂が流れたほどの逸材だつた。 根津先生定年の際の食事会の折り、会場となつた高田馬場のフランス料理店に、プルースト Contre Sainte-Beuveの原書だけを手にして颯爽とあらはれた江中さんの姿は今でもありありと目に浮かぶ。「電車の中で読んできたんだ」と江中さんは云ひ、修士一年の私はプルーストを辞書なしですいすいと読む江中さんにある種の畏れを抱いたほどだつた。 のちになつて、江中さんが早稲田文学編集人をなさつてゐたころ、原稿のことで一度か二度電話を頂いたことがある。まだまだお元気でご活躍すると思つてゐただけに、滅多にお会ひする方ではなかつたにしても、私の悲しみは深い。謹んでご冥福をお祈りする次第である。 追記 ひとつ補記を載せておきたい。根津先生の会の江中さんの印象がすこぶる強かつたせゐで、根津研究室といふ気がしてならないのだが、もしかすると、江中さんは新庄嘉章先生の研究室だつたかもしれない。ちやうど、1975年3月で、新庄先生、根津先生、平岡昇先生が定年退職なさつて、三つの研究室の学生は「遺産分配」と称して、新しい先生のもとに移つたのだつた。
by romitak
| 2011-03-03 13:13
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