長谷川白紙が語る「身体と声」をめぐる実験、THE FIRST TAKE、ソニックマニアと未来の話

 
「発声者を想像上で仮構する」プロセス

—今作の制作時に、長谷川さんが声について可能性を感じたアーティストや作品は何かあったのでしょうか。

長谷川:元々持っていた声質を変調させて美的な観点で打ち出すという意味でいうと、それこそソフィーやその周辺のアーティストは大きいです。一方で、もう少し巨視的な話になってしまうんですけど、私は今回ジョディ・ローズという歌手に影響を受けました。『Twenty-Four Italian Songs And Arias』というアルバムはイタリア歌曲を歌っているんですが、――言葉を選ぶのが難しいのですが――いわゆる西洋的な歌唱法の観点からすると、そこまでウェルメイドなものではないと思うんですね。どちらかというと、もっと個人の色が出ている作品です。ピッチはなかなか安定していないし、子音の発声がかなり強いし、リズムのとり方も独特だし、つまり西洋音楽の教育課程においては正しく直されてしまうような歌なんです。ただ私はこれを聴いた時に、すごく良い歌だと思った。と同時に、このジョディ・ローズが何者なのかということを音を聴いただけで想像している自分に気づいたんです。どういう経緯でイタリア歌曲を収録しようと思ったのか、隣に腰かけている人は誰だろうか、といったことについて想像してしまう。それを否定してしまうのは、作用として無理があるんじゃないかとまで思った。

それこそソフィーの歌を聴いていても、よく知らない時期は、本当にこういう声なのか/電子的に変調された声なのかというのがよく分からず、どちらが「身体」なのかということを想像している自分を否定できない。そういったことが、今作における着想の元になっています。



—確かに、何か引っかかる声や特徴的な声だからこそ、想起できる身体というのはありますね。

長谷川:valkneeさんの声も、すごくリファレンスになっています。私はよくvalkneeさんの声真似みたいなことをしているんですけど(笑)。「SUPER KAWAII OSHI」をあの声で歌えるようにがんばっていた。

—いい話ですね(笑)。

長谷川:ああいった過剰な——と言うとvalkneeさんに失礼かもしれませんが——フォルマントをシフトしたような発声が、趣味的なレベルですきなんです。だから、アマレイとかもめちゃくちゃすきなんです。

—あぁ、すごく分かります。

長谷川:今話していて思ったんですけど、声真似って、私の喉の根源的な動力になっている気がしますね。私は料理を作りながら岡村靖幸さんの声真似もやったりするんですよ。そういった声を、例えば「恐怖の星」といった曲でも使っている気がします。




—長谷川さんは、オートチューンについてはどのように使っていますか?

長谷川:オートチューンって、少しでも十二平均律的なものがあったらそれを完全に補正してしまう設定にできるツールですよね。そうすると、補正していない段階だと息音のノイズが強すぎて歌なんだかリーディングなんだか分からないような歌い方であっても、オートチューンが入ることで、十二平均律的なものが強制的に元の位置に戻されて途端に「音楽」的な表現になるんです。それが私にとっては興味深く、救いのようなものでもある。私は、囁き声や息音を多く含む声をノイズ的な——つまりジェンダーの判別ができなくなっていくための――情報として認識しているんですけど、その特徴を失うことがないままソフト的な補正によって再び音楽の流儀に戻し直すことができるというのがすごく興味深いんです。自分にとって無理のある発声というのもオートチューンで直すことができて、それも最近よく使っています。

—楽曲構造という観点で、今回最も達成感を感じたところはどこでしょうか。というのも、長谷川さんの作品に対して時に「破綻すれすれである」と言われることがありますが、あまりそうだとは思わなくて、どちらかというと綺麗に構築されているという印象なんです。ただ、密度が高いので、それをカオティックで破綻すれすれのように感じるというのも分からなくはないのですが。

長谷川:構築的だと感じたり破綻すれすれだと感じたりすることについては、恐らく『魔法学校』という作品がアルバムというフォーマットについて自己言及的な構造を持っているからだと思います。私は『魔法学校』を制作するにあたって、そもそもアルバムって何なんだろうという疑問があったんですよ。アルバムというものの利点を語る時に、曲順であるとか、シングルカットされた曲が別の曲のように聴こえるだとか、そういったことがいつも取沙汰されるわけですけど、本当にそれしかないのだろうかと考えていて。つまり、よく構築されているアルバムと、ただのプレイリストを明確に分けているものは何なのかということです。『魔法学校』は、そこに対する観点を準備する必要があると思いました。あのアルバムが、複製芸術として声を聴いていく中で「発声者を想像上で仮構する」というプロセスに言及する作品だとしたら、それはまさしくアルバムで聴かないと成立しない作品になっていると思う。こちらの指定した順番で聴いていかないと、成立しないんです。私が構造面で手ごたえを感じているのは、まさにそこですね。仮に逆から聴いたりシャッフルして聴いたりすると、全く意味が分からないものになり得ると思う。そしてそれは、印象を分ける原因にもなっていると考えます。



「低音」に対する向き合い方の変化

—今回マスタリングエンジニアに、ランディ・メリルをはじめとして複数人のクレジットが並んでいます。これらの人選は、どのような狙いがあったのでしょうか。

長谷川:それぞれシングルカットをした際に、その曲に合うと思い依頼したマスタリングエンジニアがそのままアルバムでもクレジットに載っています。とは言え、シングルによってマスタリングエンジニアを変えるというのは、恐らくそこまで一般的なことではないですよね。ディスコグラフィの品質を均一化する必要があるという考えの方が多数派だと思うので。ただ、私の感覚としては、12曲入りのアルバムで12人のエンジニアがいても驚かない。それは私が、音楽産業にあまり明るくないからだという気もしますけど。

—ILLICIT TSUBOIさんのミックスや「口の花火」のサム・ウィルクスのベース演奏などは、低音に対する補強にも繋がっているように感じて印象的でした。以前から長谷川さんは低音について特別な想いを抱いている旨を発言されてきましたが、今作においてはいかがでしょうか。

長谷川:まずサム・ウィルクスにベースを依頼したのは、この楽曲におけるベースというものの役割を捉えた時にサムが最も適任だったからで、低音の補強という意図ではなかったように思いますね。あとTSUBOIさんは、むしろ私の暴れまわる低音を今回は抑えていただいたような印象です。いや、TSUBOIさんがこれを読んだら「めっちゃ足してるよ」って言うかもしれないですけど(笑)。

—へぇ、そうなんですか!

長谷川:言及していただいた通り、私は低音というものが苦手だった時期がありました。というか、権威的な象徴として怒りすら覚えていたこともあった。でも、最近自分にとってうまい低音の作り方やキックという音の面白さに気づいて、かなりハマってしまったんです。『魔法学校』を聴き直すと、低音にハマってしまったことで、訳も分からずとんでもないロウを出している部分が多い。反動的なところがかなりあったと思います。プラレールを買い与えられて日夜それで遊ぶ子どものように、今回私はずっと低音で遊んでいましたね。



—今回TSUBOIさんとは、実際に低音というものに対して話し合うこともあったんですか?

長谷川:話をしたというのはそこまでなかったんですが、じっさいにTSUBOIさんの返答を受け取ったり、上がってくるミキシングの結果物を聴いたりする中で、私は低音を出しすぎなんだなということに気づくことが多くありました。というか、埋めすぎと言った方が正確かもしれないですね。

—何があって、そこまで低音への思いというのが変化していったんでしょう。

長谷川:それこそソフィーは、キックのデザインがめちゃくちゃ独特ですよね。そういったところは影響を受けていると思います。

—そういった変化を経て、長谷川さんの中では今でも低音に対して権威性を感じるといった思想は変わらないでしょうか。

長谷川:(2023年の本誌インタビューで)過去に私が言っていた「低音の権威性」ということについて、二、三の修正が必要かもしれません。私は、低音域のリズムパターンがそのジャンルの特長を決定すると言及していた記憶があるんですが、それはやや早とちりに近い解釈だったと思っています。じっさいには、その音楽が聴かれる環境で、各音域帯がどの程度分離して聴こえるかということがものすごく重要なことだったと今は分かった。つまり、低音域だけに着目して、そこにジャンルの特徴量が多く含まれていると論じるのは間違いだったなと思います。さらに加えるなら、私の耳のチューニングの話も必要です。私は音を、分化して聴くことが物凄く苦手なんです。あるドラムパターンを聴いた時に、キック/スネア/キック/スネアというふうではなく、低い音と高い音の連続したうねりのように聴こえるというのが特性なんです。低音部のトランジェントをあまり認識できない。過去の私は、そこを無視したままに語ってしまっていたんですよ。自分の耳の特徴をあまり仔細に捉えないまま、低音の権威性という、さも論じやすそうなところに向かってしまった。だから、いま読むと恥ずかしい(笑)。示唆はあるとは思うんですけどね。

—なるほど、ご自身の聴取スタイルの特性をより客観的に見極められるようになったということですね。

長谷川:そうです。今では、そういった以前の発言についても「言ってるな~」くらいに思って自己批判しています(笑)。

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