ロキシー・ミュージックからソロキャリアまで、ブライアン・フェリーの音楽人生が語られた超貴重ロングインタビュー!

ロキシー・ミュージックからソロキャリアまで、ブライアン・フェリーの音楽人生が語られた超貴重ロングインタビュー!

デヴィッド・ボウイは亡くなってしまったから、もう僕にとってどうしてももう一度インタビューしておきたい人はブライアン・フェリーだけだ……と最近なんとなく思っていたところにボックスセット『レトロスペクティブ:Selected Recordings 1973-2023』のリリースタイミングでのインタビューの打診が! もちろん即刻セッティングして、40分じっくり話を訊くことができた。1987年以来の37年ぶりのインタビューだから訊きたいことがありすぎて、ついつい思い入れの巨大な塊のような質問をぶつけてフェリー氏に見事にかわされるというありがちな展開になってしまった。

私「ロキシー・ミュージックはデビューアルバムからラストアルバム『アヴァロン』までの流れで見事にバンドとしての物語が表現されています。まるであらかじめデザインされていたかのようですね」

フェリー氏「アッハッハッハッ! いやいや、何もかもは、偶然の産物だよ! ハハハッ」

……もう、インタビューの最初から最後までクラクラしっぱなしだった。
ロキシー・ミュージックは実験的なアートロックから始まり、グラマラスな70年代ロック、ニューウェイブ的なモダンポップ、そしてアーバンなダンスロック、そして最後にはブラックミュージックのしなやかさと白人音楽の絵画的美しさが溶け合って洗練を極めたようなラストアルバム『AVALON』にたどり着いて解散した。一つのバンドが音楽的進化を最後まで全うして、見事に最高傑作を残してその物語を終えた最も美しい、稀有な存在がロキシー・ミュージックである。

初期にはブライアン・イーノも擁した強者バンド:ロキシー・ミュージックを率いて、さらにソロとしてもロキシー・ミュージック以上の人気を博し、いまだに現役でライブも制作も行っているブライアン・フェリー。ルックスもファッションもいまだに隙がないくらいにクールそのものだ。

そんなフェリー氏だからさぞかし理知的に論理的にキャリアを進めてきたのだろうと思われがちではあるのだが、実は昔からフェリーさんは天然かつ職人気質な人で、そこは同じアーティスティックなカリスマであるデヴィッド・ボウイとは根本的にタイプが異なる。でもそこがフェリーさんの魅力で、そんな魅力がたっぷり味わえるインタビューになったと思います!(インタビュアー:山崎洋一郎、rockin’on 2024年12月号掲載) 


●こんにちは。お元気でしょうか?

「ああ、快調だ。君は?」

●元気です。本日はお時間をいただき、本当にありがとうございます。新曲“Star“は素晴らしいですね。

「ああ、それは良かった! ありがとう」

●ブライアン・フェリーの音楽芸術の2024年最新形が見事に結晶した曲だと思います。

「それはそれは、ありがとう! あの曲はまあ……本来は、50年の歴史をまとめたこのレトロスペクティブのボックスセットを出すことになり、過去を振り返ったわけだね。収録曲は81曲、と。で、実際、最後の最後で(苦笑)ハッハッハァッ! ギリギリの段階で、『ちょっと待った』と。というのも私の手元には来年リリース予定の新作音源、この、友人のアメリア(・バラット)とおこなったコラボレーション作品が揃っていてね。というわけで、そのうちの1曲をこのボックスセットに収録しようじゃないかと。だから、『未来を垣間見せてくれるもの』とでもいうかな(笑)」

●映画の予告編のようなものですね。

「そうだね、その通り! あれは楽しかったし、人々も大いに気に入ってくれ、自分としても非常に嬉しいんだ。というのも、私たちはたくさんの素材に過去2年ほど取り組んできたわけだし……とにかく自分のファンたちに対して、『何も私は怠けてぶらぶらしていたわけじゃありません』と示したかったんだ(笑)。音楽に取り組んで、忙しくしていたんだよ! というわけであの曲のミュージックビデオもここ、この私のスタジオで、レコードを一緒に制作したエンジニアと私とで作ったし、だから、そうだね……あのすべてがとても自然にひとつにまとまった。というわけで、その出来映えには非常に満足している。

それに、あの曲はそれ以外の(ボックスセット収録の)何もかもと実に上手くフィットしているから、そこも嬉しい。実に見映えも良い内容なんだよ。昔の写真がふんだんに使われているし、それらを通じて私の過去の異なる様々な時期を描き出している。私たちはこのボックスにCDを5枚収めることにしたけれども、時系列に沿うのではなく、それらを一種のカテゴリーごとに分類してね。ディスク1は『ヒット曲集』のようなもの――つまりよく知られたポピュラーな、人々も知っているであろう曲(笑)を一堂に集めてある。そしてディスク2は、私自身の楽曲、自作曲からのセレクション。ディスク3は、私が様々な段階でやってきた、他の人々の楽曲を解釈したカバー曲集。ディスク4はある意味、ジャズに挑戦した冒険の数々だね(笑)。そしてディスク5は他よりももっとレアな楽曲集で、未発表曲も3曲含まれる。大抵の人々は恐らく耳にしたことのないであろう、そういうレアな曲を集めてある。

だから、このボックスのコンパイルの仕方はかなり興味深いものだったということだし、実際、やっていてとても楽しかったよ(笑)。それにもちろん、新しいトラックも入っている。あれは、来年どこかの時点で出るアルバムへと続いていくわけで」

●あなたのソロキャリアを網羅した5枚組CD作品『レトロスペクティブ』を今リリースしようと思った理由と経緯を教えて下さい。

「(苦笑)。いやぁ、何もかもが、ほら……やはり、パンデミックのあれこれで遅れたわけで。私たちは『こういう作品を作ろうじゃないか』と、もう何年も話してきたんだよ。これは作らなくちゃいけない、時機が訪れたら作ろう……そう話しているうちに、気がつけばいつの間にか(ソロデビュー)50周年になっていた。『ああ! もう50年か。じゃあ、今やっておいた方がいいな……』ということになったんだ(苦笑)」

●(笑)。

「(笑)。うん。で、確か2年前だったかな、私はロキシー・ミュージックのための、一種の『50周年お祝いツアー』みたいなものもやったわけで。だから……そうやって、ロキシー向けのアニバーサリーもやったんだから、じゃあ今度は、ソロレコーディング音源のコンピレーションを作り、祝賀しようじゃないか、と思った。ツアーの形ではないけれども、ソロ音源の中でもベストな曲の多くを、どこかひとつの場所に、一カ所に収めようとしたわけだ(笑)」

●ロキシー・ミュージックはデビューからラストの『アヴァロン』までのアルバムの流れで見事にバンドとしての誕生から到達点までの進化の物語が表現されています。しかも10年の間、ひとつのディケイドの中でそれを完璧にやっていて、まるであらかじめデザインされていたかのようです。

「アッハッハッハッ! いやいや、ああして起こった何もかもは、偶然の産物だよ! ハハハッ」

●(笑)。ですので、お訊きしたいのですが、ソロにおいてもあなたはエンディングの作品までもうイメージしていたりするのでしょうか。もちろん、あなた個人の最後、という意味ではありませんが、「ブライアン・フェリーの物語曲線」のフィナーレはこうしよう、と考えることはありますか?

「うーん、まあ、それを『デザインする』とまではいかないけれども……ただまあ、物事がどう展開するかは分からないし、不思議なものでね。だから、いったん物事が起こると、『なるほど、こういうことだったのか』と納得がいくようになるというか、『そうか! こういうことになったのは、たぶんこのせいだったんだろう』云々と思える。けれどもその当時の私は、自分の人生において一定の決定を下す、あるいは結論に至ることへと私を導く、そうした運命や宿命のことは何も知らなかったわけだし。

ただ、ロキシーに関して言えば、とにかく私は、どのアルバムも――良い作品にしたかったね(笑)。かつ、アルバム1枚1枚を、それぞれ前作から少しだけ違いのあるものにしたかった。それに、私たちはグレイトな面々にも恵まれていた。ブライアン・イーノがいた第一期はファンタスティックだったし、私たちはもっと実験的なことをやっていた。続いて一種の中間期のようなものがあり、思うにあのとき、私たちは自分たちの立ち位置を固めたんじゃないかな?

そしてまあ、自分たちのレパートリーを、異なるやり方でひたすら広げていったわけだね。優秀な若いプレイヤーであるエディ・ジョブソンを迎え入れたし、彼はバイオリン奏者だから私たちにはストリングスが使えるようになった。また、彼は際立った、巧妙なキーボードプレイ等々もこなしてくれた。それでもバンドのメインのピアノ奏者、およびソングライターは常に私だったわけだし、つまりあの頃は――荒削りな『意志』の数々、その興味深い組み合わせだった、ということだね。ハハハッ! そして……みんな、ずば抜けて才能に恵まれた連中だった。ほら、(フィル・)マンザネラに、(アンディ・)マッケイに、それにドラマーのポール・トンプスンも実に優れたプレイヤーだった。だから誰もがグレイトだった、と(笑)。

そんなわけで、私も『これ(ロキシー)をやるのは本当に楽しい』と思っていたけれども、自分のやりたかったのは……そうだね、自分のソロレコードをちょっとやってみたいと思ったんだ。というか、当初の時点では1枚だけのつもりだったんだよ。だから、『ああ、ソロレコードを1枚やってみよう』と。つまり、バンドで作るものとは違って、他の人々の書いた曲の中から自分が選んだ楽曲で実験し、どうなるか見てみよう、と。それを通じて、私自身のアレンジャー/レコード制作者/シンガーとしての仕事を続けていこうとしたんだ。つまり、ソングライターとしての、曲を書く任務から逃れてね。で、あれは実際、やってみたところ私にとってかなりリフレッシュされる体験だったんだ。そしてやがてそれが、バンドとは別個の、もうひとつのキャリアへと変化していったという。

というわけで、そうだね、ロキシー・ミュージックではなく、『ブライアン・フェリーのキャリア』というものになっていった。そして数年の間、私はそのふたつを並行させていたわけだが……次第にそのうちのひとつだけをやりたい、と感じるようになったんだ、『自分という人間はこれなんです』とね(笑)。大まかなストーリーとしては、そういうところだよ」
rockin'on 編集部日記の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする