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スコットランドとウェールズの独立運動とナショナリズム

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スコットランドとウェールズのナショナリズムはいつから火を吹いたか  

ご存知の通り、イギリスとは正式名称「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」で、グレートブリテンとは「イングランド王国(ウェールズ含む)とスコットランド王国」の連合王国です。

ウェールズは13世紀末に早くもイングランド王国の支配下に入り、スコットランドは17世にイングランドと同君連合王国となっています。

両国はまごうことなき「イギリス」ですが、サッカーは主要3カ国と北アイルランドが独自にチームを立てていますし、それぞれ同時に議会も持っており、緩い独自性を保有し続けています。

ですが、2014年に行われたスコットランドが分離独立の可否を問う投票が行われるなど、イギリスの分解の動きが加速し始めていますのはご存知の通り。

今回は独自性を志向するウェールズとスコットランドのナショナリズムの歴史をまとめていきます。

 

 

1. ナショナリズムの二重意識

スコットランドもウェールズも、それぞれイングランドに併合されるまでは苛烈な抵抗を見せ、13世紀のスコットランド王ロバート1世のように、寡兵ながらイングランドを散々に打ち負かす例もありました。

ところがいざ統合がなされてみると、スコットランドで1715年と1745年に2回反乱が起こったきりで、分裂の危機を迎えるような大きな反乱行動は起こらなかったそうです。

連合王国イギリスでは、スコットランド人もウェールズ人も王国の中枢で重要な役割を果たしたし、ウェールズの長弓隊、スコットランド精鋭部隊ハイランダーズはイギリス軍には欠かせない戦力でした。

ただし両地域のナショナリズムまで統合されたかというとそうではなく、スコットランドでは独自の司法制度や教会が残っていたし、ウェールズではウェールズ語が使われ、自分たちとイングランドとを区別し続けました。

つまり両国の人々は「自分たちはイギリス人だけど、同時にスコットランド人である」「ウェールズ人である」という意識を持つに至ったのでした。

 

 

2. 帝国主義の発展とイギリス人意識

スコットランド人とウェールズ人が自分たちを「イギリス人」と認識し続けたのは、ひとえに「帝国主義の隆盛による経済利益」のためでした。

ぶっちゃけていうと、「儲かるから」です。 

19世紀末にイギリスはスペインを追い落として覇権国に成り上り、世界中に植民地のネットワークを広げて富の収奪のためのシステムを作り上げ、莫大な富をブリテン島に送り込みました。

その過程で両国が果たした役割は非常に大きく、スコットランドではグラスゴーの機械工業・造船業、ウェールズでは石炭業・鉄鋼業が推進役となりました。

例えばグラスゴーのクライド地区は1871年には、イギリスで生産される船舶の48%を生産していたし、ウェールズの石炭生産量は第一次世界大戦前には世界の1/3を占めていたほど。

 

金儲け野郎スコットランド人

帝国主義の時代、本土から外国や植民地への投資が移住が活発に行われましたが、その先頭を担っていたのがスコットランド。

1884年時点で、対外投資会社の3/4はスコットランドの会社であったと推定され、また1880年には約22万人、1900年代には25万人が外国や植民地に渡ったそうです。

スコットランド人は「めざとい金儲け野郎」と認識され「金の儲かりそうなところで、スコットランド人が赴かぬところはない」と言われたほど。

 

イギリス帝国主義の拡大で両国は長きにわたり好景気を謳歌し、経済的利益を享受していたわけです。

 

 

3. 帝国のためのナショナリズム

 帝国主義の発達でイギリス人でいることの恩恵を充分受けていたものの、帝国主義は世界各地の民族のナショナリズムの高揚の時代。スコットランドとウェールズもそれを受けて漠然と持っていたナショナリズムがより体系化されて出てくることになります。

 

20世紀前半のナショナリズム

まずスコットランドでは、19世紀末からスコットランド自治協会(Scottosh Home Rule Association)がスコットランドの自治を要求するようになりました。

一方ウェールズでは、教育の場でのウェールズ語の利用要求、ウェールズ文化の保護、イギリス国教会のウェールズでの廃止など、文化的なナショナリズムが中心となりました。

 

ですが「完全なる独立」は求めておらず、あくまで「イングランドとの統合を前提としたナショナリズム」であり、「イギリス帝国という枠組みの中でこそ意味を持つ」とされました。

ウェールズ出身で、20世紀前半のイギリスを代表する政治家であるロイド・ジョージは、1891年の議会演説において、以下のような趣旨の発言をしています。

我々はナショナリストであるゆえに帝国主義者である。…小さなウェールズがもたらす成功、繁栄、幸福が合わさることによって、ウェールズがその一部である偉大な帝国はさらに栄光を増す

両国の自治や文化的ナショナリズムは帝国の結束を揺るがすものでは決してなく、「イギリス帝国のさらなる発展のため」であるというのが20世紀初頭の支配的な考えであったわけです。

 

 

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4. 帝国の没落と経済的不公平さ

第一次世界大戦以降、イギリスの国力は産業構造の変動と絡んで急速に転落していきます。

それまでイギリスは植民地諸国から原材料を仕入れ、それを元に軽工業、鉄鋼業、造船業、綿工業などを外国や植民地諸国に輸出するという輸出志向型の産業に支えられてきました。ところが、ドイツや日本といった新興工業国の台頭などで従来型産業は頭打ちになったため、イギリスは主力産業を化学工業や電気製品などの国内市場志向型に切り替えていきました。

イングランドは新産業で活気に満ちていたもの、スコットランド・ウェールズといった従来型産業で食っていた地域はどんどん活力を失っていく。

実際に、1930年代半ばの南ウェールズの炭鉱地帯の失業率は30〜40%にもなったし、1936年のスコットランド・グラスゴーの失業率は、イングランド・バーミンガムの4倍以上にもなったそうです。

 

ナショナリスト政党の台頭

経済的危機を受け、両国では大きく2つの運動が起きます。

一つは急進的社会主義運動。もう一つはナショナリスト政党の誕生です。

(前者は今回のテーマではないので省きます)

 

スコットランドでは1934年に、2つのナショナリスト政党が合併して「スコットランド国民党(Scottish Natinal Party)が誕生。「スコットランドの独立」を求め、外交・国防なども全てスコットランド人の権限とすることを主張しました。

独立を掲げているものの、あくまで「王冠の元での独立」であり、行政の諸々はイングランドと協議会を持つ、などイギリスとの強い連携が前提でした。

ウェールズでも1925年に「ウェールズ国民党(Plaid Cymru)が成立し「自治領としての地位」を掲げますが、あくまで国王や帝国の権威の傘の下というのが条件でした。

そして当時のナショナリスト政党の支持者は主にインテリや学生で、労働者は社会主義や労働運動を支持する傾向が強く、国政で大きな力を持つものでもありませんでした。

 

第二次世界大戦中は軍需産業が活況で両国の工業地域は再び活性化しますが、大戦が終わると再び不況になってしまった。

そんな中で1960年代にナショナリスト政党の支持が急拡大し始め、スコットランド国民党は1967年の地方選挙で大躍進(前回選挙の4倍以上の18.4%)し、ウェールズ国民党も1966年の補欠選挙で指導者のエヴェンズが当選。

この大躍進の裏にあるのは、「自分たちがイングランドに比べて恵まれない状況下にある」という不公平感であり、経済的恩恵を受けないばかりか「中央であるイングランドに隷属している」という意識を生み出していきました。

もっというと、1961年にイギリスはEEC(ヨーロッパ経済共同体)に加盟申請しており、自分たちはもはや覇権国ではなく、「ヨーロッパの国の一部」であると認識させられたこと、そして自分たちの国の舵取りを「中央」の人間に任せてもいいのかという自問自答が、両国でナショナリスト政党が台頭した理由であると思われます。

 

 

5. イギリスのEC加入にどう両地域は反応したか

現在のEUの前身であるEC(欧州諸共同体) にイギリスは1973年に加入しますが、「ヨーロッパの一部の国の周縁国」となることに対して、ナショナリストたちはどのように反応したのか。

スコットランド国民党もウェールズ国民党も、「統合ヨーロッパの中で、我々を自立した地域として位置付けられる」とみなしました。

これまでの分離独立運動は「イングランドとの経済的結びつきを破壊しようとしている」という批判が根強かった。

だが統合ヨーロッパの一部になってしまえば、イングランドだろうが、フランスだろうが、ドイツだろうが平等で、分離主義などとという批判は当たらなくなる。すなはち、「ECに加入し、後にイングランドと同等の代表権を得ることで、経済的にも自立することができるのである」という論理です。

 

この論理を裏付けるものとして、「我々の国はイングランドと統合する以前も、他の欧州地域に開かれており、交流が盛んであった」という主張もなされます。

ウェールズ国民党のS.ルイスの著作。

ウェールズ人は、ブリテンの中でローマ帝国の一部であった唯一の民族であり、幼い時代に西欧のミルクから乳離れし、血管に西欧の地を持つ唯一の民族である。ウェールズはヨーロッパの家族の一員であるがゆえに、ヨーロッパを理解することができる

まあ、分からなくはないんですが、じゃあ実際に何の産業で経済的自立をするんだよ、っていう本質的なところがないと納得しづらいですが…。

 

 

まとめ・イギリスのEU離脱と独立運動

2014年に9月に行われたスコットランド独立投票も、経済的自立をどうやって行っていくかが焦点の一つでした。

独立賛成派は、「北海油田があるから大丈夫!」だそうです。本当かよ!?

www.nhk.or.jp

若者の多くは賛成票を投じたようですが、分離独立により年金制度の行方に不安を感じた高齢者が反対に傾き、分離独立はなくなりました。

そしてご存知の通り、イギリスはEUからの離脱の可否を問う国民投票を2016年6月23日に控えています。

理由や背景を説明すると長くなるので省きますが、簡単に言うと

「お前たちEUのメンバーと同じ条件でリスクは取りたくないんだよね。だけど、自由貿易とか美味しいとこだけは頂くぜ。それが嫌ならオレ辞めてやっから」

です。

このイギリスのEU離脱の動きに対して、スコットランドとウェールズのナショナリスト党は一貫して反対の立場を取っています。

その理由は先ほど述べたように、独立後のスコットランドとウェールズは、欧州の一国として生きるより他はないからです。

もしイギリスがEUを離脱してしまうと、スコットランドとウェールズは強力な引き締めと中央統制を受けるに違いなく、分離独立がますます非現実的になってしまいます。

ナショナリストたちはEUの分離独立を絶対に阻止して、来るべき分離独立に望みをつなぎたいところです。

イギリスの政治は今後も目が離せそうにありません。

 

 

 参考文献

シリーズ世界史への問い9 世界の構造化

第6章 イギリス近代国家とスコットランド、ウェールズ 木畑洋一

世界の構造化 (シリーズ 世界史への問い 9)

世界の構造化 (シリーズ 世界史への問い 9)

 

 

 

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