「旅する遺伝子」のように「旅した日本人」:大和民族にはヨセフとアセナテ(イシス)の遺伝子があるのか?
(あ)さて、ここではしばしばシッチン博士のニビルの話をメモしてきた。中でも私個人が特に興味を感じているものは、シッチンのニビルの神々による人類創成の歴史と実際の遺伝子進化の歴史との符合である。
はたして、シッチン説は現代の遺伝子進化を解明する遺伝子配列解読によって正当化されるのかどうか?
ということである。そこで、だいぶ前にこんな話をメモしていた。
人類の「Y染色体」ハプログループ分布と「シッチンの人類創世説」に矛盾があるか?
(Y染色体の世界分布)
実はつい最近知ったことだが、上のY染色体の世界分布地図を「初めて」作った人がスペンサー・ウェルズという生物学者であることを知ったのである。その人が以下の本を書いていることを知ったのである。そこでこの本をアマゾンで買って読んでいたのである。
旅する遺伝子
はたしてシッチンの人類創成説と人類進化の遺伝子マップが矛盾するか否か?
答えはノー、矛盾しない。そういうことである。今のところ、特に矛盾するところが全くないのである。驚き、桃の木、サンショの木である。
これを自分で確かめるには、この本は読んでもらえばすむことだからここではスキップする。しかし、結論だけはメモしておくと、
(1)人類のY染色体の最古の起源を示す男性は、アフリカ南部に住む「サン族」(ブッシュマン)であり、約10万年前に登場。ハプログループAである。(オバマの先祖ですナ。よく似ている。)
(2)その次が、アフリカの東部、中部そして南部にかけて住む「ハザ族」
や「ピグミー族」に共通するハプログループBである。約6万年前に登場。
(3)その次が西アフリカから広がった「バンツー語族」
である。これが象牙海岸からアメリカに連れて行かれた黒人の祖先である。ハプログループCである。約5万年前に登場。
問題はその後である。
(4)そこから、YAP遺伝子を持つハプログループDとEが登場する。約5万年前である。
(5)一方のミトコンドリア・イブは、約17万年前に誕生した。
(6)最初のY遺伝子の誕生と最初のミトコンドリア・イブの誕生のずれがある。
以上を図示している人がいるので、それをメモするとこんな感じ。
Y染色体亜型の分岐時期と世界的拡散
この最後のズレこそ、シッチン博士の人類創成説は特に不思議がないのである。なぜなら、ニビルの神々は、ニビルの王子エンキの精子と地球の類人猿の卵子を使って人類創成したからである。それも約20万年前だとシッチンは説いた。
(い)さて、なぜYAP遺伝子が大事かというと、今現在これを持っているのが、日本人とチベット人だけだからである。
これが私個人にとっての長らくの謎であった。
Dグループは西アフリカ起源のアフリカ人の一部の先祖が持っていたY遺伝子である。それが遠い極東の地の日本人男性とチベット人男性だけが持っていたのである。これは理解し難いのである。
ところが、最近、いわゆる「古代イスラエルの失われた10支族」の研究に戻って、私が持っていた本を読み直すと、実に興味深いことが書かれていたのである。今回はそれメモしておこう。
まず、明治初期に西洋人はたびたび日本に訪れた。中でもカナダのノーマン・マクレオドは西洋や東欧に住んだことがあり、東欧のユダヤ人の顔つきや風習をよく知っていた。そのマクレオドが日本でいろいろ旅をして書いたのが、有名なこの本である。
ノーマン・マクレオド
邪馬台国論争:いにしえの昔から日本男子と日本女性はカッコ良かったんだヨ!
実はこの本にはマクレオドが書いた後に、付録として、同じカナダ人で同じようなことに興味を持ったエドワード・オドルムという学者の1932年バンクーバー・ホテルでの講演「日本人とはだれか?」が翻訳されているのである。これが実に興味深いのである。
これもその本を読んでもらうとして、その講演の中に今ではキリスト教徒もユダヤ教徒もモルモン教徒もあまり知らないかもしれない、というようなことがかなり述べられたのである。
面白いことは、20世紀初頭に西洋社会では「失われた10支族発見競争」が行われていたらしいのである。それで、カナダのマクレオドやオドルム博士たちもそういう観点で日本人を眺めていたらしいのである。そういうことがこの講演で彷彿されるのである。
特にオドルム博士は中東や西洋もアジアも旅したらしく、日本国内も自分ほど旅した人間はいないだろうというほどに旅をした。そして集めた日本の産業品や工具や農具や絵などあらゆるものを買い集めてカナダの博物館に展示したらしい。そういう人であった。
そのオドルム博士は、西アジアから中国そして日本に至る道に「サカ」のつく地名が多いということを発見したのである。「サカ」というのはSKであり、大阪のOsakaのサカである。これが「スキタイ」がかつて「サカ」と呼ばれた名残から来ているというのである。つまりスラブ系民族のスキタイのことである。
そしてスキタイがなぜサカと呼ばれたかというと、それは「サカ」は「イサクの息子」という意味だからだというのである。
また、この人は、日本へ来た10支族は「ガド族、ルベン族、マナセ族の半分」だろうと考えた。ちなみに、「ヨセフの子」が「マナセ」と「エフライム」である。
問題はここからである。面白いのはここからである。
じゃ、ヨセフの妻、マナセとエフライムの母はだれだったのか?
ということである。
聖書によると、どうやら、その答えが出ているらしい。
ヨセフはエジプトにいた時、エジプトの「オンの司祭ポティ・フェラの娘アセナテ」と結婚したという。エジプトのオンは当時「太陽崇拝」の宗教のメッカだった。その司祭の娘がアセナテだった。その後、アイデルバーグは、アセナテこそ「天照大御神」ではないかという。
驚くべきことは、このアセナテは黒人だった。黒褐色の肌の色を持つエジプト人だったのである。
1.ヨセフのエジプト名
このアセナテこそ、その後エジプトの「イシス」となり、イルミナティーが崇拝する
「万物を見通す目」の「目」の持ち主になっていったのである。
このアセナテの息子が、マナセとエフライムであった。だから、両者ともに、黒人と白人が結婚して生まれたような、「褐色がかった肌」だっただろう。そして、日本人がこのマナセやエフライムの子孫だとすれば、日本人がアジア人の中ではちょっと肌が茶色がかっている理由が分かると、オドルム博士は考えたのである。(ちなみに、他の東洋人、極東アジア系は黄色いかもっと色白だと見ているらしい。)
とまあ、こういうことがこの講演では述べられたのである。上では私が脚色して加えている。
しかしながら、これでは、ミトコンドリア・イブの方が、アセナテ、イシスであったということになるだけで、男性の方のY遺伝子のルーツがわからない。
オドルム博士は当然のようにヨセフは白人のヨーロッパ人と考えたが、今では、古代のイスラエル人はセム系だということがわかっている。このセム、ハム、ヤペテの区分で言えば、最初のA、B、C〜Jまでがハム、次のK〜Oまでがセム、P、Q、Rがヤペテと呼べるかもしれない。が、あまりうまくマッチしない。(いつもハムとヤペテがどっちかで間違うナア。)
民族の起源
アセナテが女王だったとすれば、そのおつきの家来もいたわけだから、アフリカ由来のYAP遺伝子D系統が残ったとすれば、そういう女王の一団が持ってきたという可能性が高い。おそらく、エフライムやマナセにはそういう系統が伝達されたに違いない。
というわけで、西洋のユダヤ人も褐色の肌を持つものが多いという。同様に日本人にも褐色の肌を持つものが多い。このルーツは、ヨセフの息子である半分のマナセとエフライムが西洋に渡り、半分のマナセがルベン、ガドといっしょに日本まで至った。これがオドルム説である。
YAP遺伝子が黒褐色の肌を持つアセナテ(イシス)のエジプト由来だったとすると、日本人はヨセフに宿ったシュメールの神々の遺伝子+エジプトの女王の遺伝子が伝達されているのかもしれないというわけですナ。
メソポタミア、エジプト、インド、中国の4大文明を引き継ぎ、さらに近代の西洋文明も引き継いだ。まさに世界の文明を引き継いだのが日本人ということのようですナ。
by kikidoblog | 2014-01-28 16:17 | 失われた10支族