岡潔の「男と女のハ・ナ・シ」:生まれる子がその親を選ぶのだ!
次の手は百年の後か夏木立 −− 岡潔
みなさん、こんにちは。
さて、最近は、例の拙著「ニコラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ」の上下も無事出版にまでこぎ着け完了したので、上巻の最後の節に書いた内容
「生命体こそ、究極のフリーエネルギーの原理である!──生命現象と物理学をつなぐヒント」
の部分をきちんとした英語論文にまとめつつある最中である。
本にも書いたように、これがこの10年で私がずっと探索してきた物理学である。つまり、「生命の物理学的基礎」と私が銘打ってチャレンジしてきたものである。すでに2年前までにはほぼ大筋はできていたのだが、これから論文にしようかという矢先に「311東日本大震災」という人災が生じたのであった。それで2年をテスラ研究及び関連研究に没頭したのである。そんなわけで、やっと本筋に端緒がついたのである。
そんな感じで論文を作っている最中は、時々合間に岡潔先生の本を読む。最近、例の「岡潔思想研究会」
の横山賢二氏からもらった数学者岡潔思想研究会
日本民族の危機という本を読んでいる。これは、岡潔博士の生前のエッセイを再録してまとめた比較的新しい本である。
さて、この中に岡潔博士の思想のエッセンス(真髄)がまさに「散りばめられている」のである。だから、どこから読んでも構わない。それで、私は適当に後ろから読んでいる。
そこで、非常に興味深い内容で、特にあまり普通の人が興味を持たないだろうというような部分だけ、ここにメモしておこう。
ところで、最近ブロガーと名乗って、他人の著書を「抜粋」と称して、毎日「1節つずつ」写しとり、それを連日続けていって、結局は他人の本や著書をまるまる全部「拝借」してしまうという人が後を絶たない。一番有名なわかりやすい例は「MU(ムー)のブログ」や「zeraniumのブログ」というものだろう。またブログ対象の場合には、「大摩邇(おおまに)」がそういうものだろう。
本というものは(あるいは、ブログ上の記事は)、どんなものであれ、著者自身による非常に長い研究調査や執筆の苦悩などを経て、編集者や出版社の編集作業などの地道な作業を通じて時間を掛けて作られるものである。私の本の場合では、実際の作業で半年、それまでのリサーチ等を含めれば2年以上の歳月を経ている。記述というものはそういうものである。それを人気のある本だからという理由で、そういうものを勝手に自分のブログに掲載して、自分のブログの人気点数を稼ぐというやり方はいただけない。
欧米では、こういうのは「プレイジャリズム(無断登用)」という作為的な犯罪行為と見なされているのである。いわゆる「引用」とは異なるのである。出展を明記すればそれよいというものでもない。著者や出版社の許可無く、「全文をパクる」というのはお止めになったほうがいいだろう。
そこには、何がしかの自分の主張なり、意見なり、自分の視点なりの何かを付け加えて、人の記述を自分なりに咀嚼した形で引用されなくてはならないのである。
とまあ、何でも「味噌糞」になるのが韓国系の人間の脳みそである。放射脳である。
さて、上の本の話に戻ると、その本の最終章は「教育の原理」というものである。さらに、この章の最終節17はタイトルはないが、強いてつければ、「男と女の問題」となるだろうか。そういう男女の性の問題や恋愛の問題やその行動形態を扱っている。
これが実に興味深いことが書かれているのである。あまり現代の日本人でこういうことをいう人はいない。この章は1968年12月作である。これは、当時の
坂田道太文部大臣に岡潔博士から「日本の教育の危機」打開策として進呈されたものである。今読んでもまったく色褪せることがない。
要するに、この章「教育の原理」は、1968年当時の学園紛争の時代、こんな大学教育や義務教育をやっていたら日本は滅んでしまうという危機感を感じた岡潔博士が、その解決策を自分自身の過去の人生体験を分析して、その結果を教育の原理という理論の形にまとめ直したものである。そうやってだれでも分かるように解説しなおして、それを坂田文部大臣宛に送りつけたものである。
最初の方で、戦後の学制と戦前の学制の違いを分析し、それぞれの一長一短を分析する。そこから始まって、人間の脳と心と体の成長がどのようなものかを分析する。その際に、西洋人(外人)と日本人の脳や心の発達の違いや特徴を分析する。それを西洋文化と日本文化とを絡めて分析する。まずは、受胎時期、赤子の時代の話から始まって、幼少期、小学校、中学校、高校そして大学時代へと教育のあり方が分析されるのである。
そうやって、一番最後、今度は子供が成人して大人になり、性に目覚め、配偶者を見つけて、今度はセックスして子供を生むという段階に至る。この最後の男女の問題が議論されるのが最終節の17である。
(あ)まず、男女がいつ男女になるのか? それはおそらく「生後16ヶ月目」だ。
この時期から、男の子と女の子の遊び方に明確な違いが現れるようになる。男は思うままに駆けまわりたくなる。女は自分の情の中に閉じこもりたくなる。
そういうことが紹介される。この生後16ヶ月目を経て、人は明確に自分が男か女かを自覚するようになる。そういう岡潔博士の自分自身の息子や娘や他人の子供たちの観察研究からの結論が紹介されるのである。
(い)このことから、男女の人生目標のあり方や男女の教育法は同じであるべきではない。
という考えを披露する。男女に男女平等にしてまったく同じようにしても効果は出ない。そういう主張である。男子と女子の人生目標もそれぞれに異なるべきだし、男女共学は間違いだ。男女別学にすべきであるという主張を行う。女性の教育は「女性の真の幸福」を目指すべきである。
これについては、長らく偽ユダヤ人のジョン・デューイの教育思想にハマり、男女共学思想に基づいた教育がアメリカで行われてきたが、これがさまざまな弊害を生んだことから、本家のアメリカでも男女別学、男女別授業をとるようになった学校も多く出てきている。最初はいわゆる「制服」は全体教育や独裁教育の象徴のように見なされていたが、最近では世界中で日本型の「制服教育」が採られるようになってきている。
こういう点からみても岡潔博士の先見の明がすばらしい。
私自身が教えた経験からしても、男女共学、男女同クラス方式だと、年頃になると、女性は、特に女性として自然な発育をする正常な女性に限って、恥ずかしがったり、遠慮するようになって、男児の前ではがむしゃらに勉強するということをしなくなる。ところが、女同士であれば、日本の宝塚歌劇団のように、お互いに切磋琢磨して非常に高い技量を身につけるようになるのである。
だから、男女共学は「男にとっては集中力を妨げ、女にとっては努力をくじく」結果になるのである。
おそらく、偽ユダヤ人の
ジョン・デューイはそういうことをよく知っていたのだろう。ようするに、アメリカ人をバカにするための教育を行ったのである。欧州貴族の回し者だったんでしょうナア。
岡潔博士は生涯にかけてデューイの思想に毒されるな。奴は間違っていると主張したのであった。「あれは動物の思想だ」と言ったのである。
(う)当時の日本現状を語る。
ここが実に面白い。おそらく歴史的意義すら出ているのである。
当時の日本は1968年の学園紛争の時代であった。いまのミンス党の仙谷由人が東大の安田講堂の天辺から火炎瓶を投げつけ、ミンス党の菅直人など、たくさんの在日が背乗りして日本人学生に成りすまし、東工大の学園紛争に火をつけて回ったのである。そんな時代である。(火をつけて荒らしまわる、というのが、朝鮮人の専売特許の性質である。今では周知の「火病」というものですナ。)
当時、岡潔博士は奈良女で教えていた。ところが、そんな学園紛争の時代に、奈良女の女学生たちが少なからず、京都大学の左翼の学生たちにトラップされていた。そして、共産主義思想を植え付けられて帰ってくる。そんな状況であったらしい。
岡潔博士はそれを坂田文部大臣にも知って欲しいと考えたのである。岡潔は、こう書いている。
大体、共産主義は、「歌って踊って恋をして」といって、大衆、特に学生をひきつけたのであった。現状はそれを遥かに超えたものらしい。詳しく聞いたが、書くにしのびない。
私は、この女子大生の実情を、親達に知らせなければならないと思っている。又、日本におけるこの共産主義の実情を、一億国民に知らされなければならないと思っている。口では何といっても、実体は野獣よりも悪いのである。一番恐ろしいのは、こんなことをしていると、どんな子が生まれてくるのだろうかということである。
こう書いている。
今では、当時の学園紛争を指揮した学生は、実際は共産主義思想を日本に持ち込もうとした北朝鮮系の在日朝鮮人であったことが分かっている。現在は、それが在日韓国人国籍になっている。在日韓国人であろうが、在日北朝鮮人であろうが、日本を共産化という形で、日本を支配しようとしたということである。たまたま当時はソ連が存在して、中国が共産化したから、その尻馬に乗って、日本を共産化したかったにすぎない。
この点、アメリカにおける、ベトナム反戦に起因した学園紛争とは、日本の学園紛争はまったく異なるものであったのである。アメリカの場合は、真にベトナム反戦機運から、公民権運動、人種差別撤廃、女性差別撤廃という形の学園紛争だったのだが、日本の場合は、在日韓国人が日本社会に基盤を作るための騒乱に利用したのである。あまりこのことは知られていない。
また、のちのち、アメリカのフェミニズム運動は、女性からも税金をとれるようにするためにロックフェラー家が仕組んだものだということが分かっている。アメリカ型の「主婦」をなくし、子供は学校にあずけて、妻も夫も働いて、共に偽ユダヤ人のために税金を支払なさい。こういう風潮を作るために、アメリカの学園紛争は演出されたのである。いまでいう、「偽旗作戦」であったにすぎないということが分かっている。
この結果、アメリカの主婦が消滅し、いまでは夫婦共稼ぎでも普通の家庭を営めない、悲惨なアメリカに変わったのである。すべてはNWOシオニストの計画に沿った動きの一貫であった。
大きな流れで言えば、日本の学園紛争もそういうものであった。しかし、紛争を起こしている偽ユダヤ系の学生、アメリカではボブ・デュランなどがそうだが、全部フォークシンガーは偽ユダヤ人だったのである。同様に、日本のフォークシンガーはほとんどが在日韓国人だったというわけである。
偽ユダヤシオニストが、アメリカの保守層である、知的白人紳士層の撲滅を謀ったのである。同様に、日本では、在日が日本の保守層である、知的な日本人エリート層の撲滅を謀ったのである。
ところが、その日本人の方が、実は偽ユダヤの先祖に近いということになってしまったのである。それが「古代イスラエルの失われた10支族」の問題というわけである。だから、彼ら偽ユダヤにしてみると、実に深刻かつ奇妙な思いにとらわれているわけである。今まで敵だと見ていたほうが味方であって、味方だと思っていた在日や中韓の方が敵だったわけである。相当に混乱しているはずである。
さて、大分脇にそれたが、岡潔は当時の共産主義左翼の学生たちの男女関係が「野獣よりもひどい」「ひどすぎて、書くにしのびない」と評したのである。これは推して知るべしである。
要するに、在日左翼の京大学生(おそらく自称京大学生)たちが、奈良女の才媛たちを「歌って踊って恋をして」と口説いて誘い、今で言う「アブノーマルセックスの酒池肉林の世界」をやっておったということである。セックス三昧に明け暮れ、娼婦のような生活をさせていたということである。
これを今現在まったく同じように行っているのが、バーニングなどの、いわゆる「芸能プロダクション」である。未成年タレントをレッスンと称して借金させ、そのリボ払いのために、体を成金に売る。プロダクションは成金からもタレントからも身銭を稼ぐ。要するに、朝鮮人の「女衒(ぜげん)」である。
まあ、学園紛争であろうが、共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが、こういう連中にとっては何でもいいのである。「釣り」の「餌」や「道具」にすぎない。要は、「女の下半身」にしか興味がないのである。性(さが)というものですナ。要するに、遺伝子の問題なのである。
(え)問題はその後である、と岡潔は言う。つまり、「いったいどんな子供が生まれてくるのか?」というのである。人間の男女の愛のかけらもなく、獣のようなセックスに明け暮れて、生まれてきた子供はどんな生命体になるのか?という疑問である。
ここで、岡潔は仏教の考え方を披露する。
私達は仏教のいうところを信じざるを得ない。そうすると人は不死である。そうすると、どうして親子の関係が決まるのだろう。仏教は子が親を選ぶのだと教えている。性の合ったところへ行って生まれるのだというのである。最も強く影響するのは最後の刹那、即ち性交の時であって、自分と性のあったような交わり方をするところへ行って生まれるのだというのである。そうすると、性交は出来るだけ気品高くして貰わなければ、国は誠に困る。一口でいえば、心が肉体を支配して、そこに至るようにすべきである。こういっている。
さらに、こうも言っている。
今日本の男女関係は非常に乱れている。あんなにひどいのは共産主義の連中だけだが、性交を享受のためのものと思っている者の数は非常に多いと思う。今、生後八ヶ月で立つ児の数が非常に多いと聞いているのであるが、正常ならば立つのは十五ヶ月目である。牛や馬の仔は生まれて間もなく立つ。これは生まれてくる子が牛や馬に非常に似てきたということである。
私はこの事実に戦慄を感じている。こんな子については、内面的発達の季節からして全くわからない。教育で精一杯出来ることは、将来の害をできるだけ少なくすることだけだろう。
男女関係が余り乱れてくると、それだけ国は滅びるだろうということを、一億国民、とくに為政者は、ぜひ知ってほしい。これは船の底に穴があいたようなものである。
この男女問題は、今の教育が如何に間違っているかをよく示している。
そして岡潔はそうなってしまった原因は、次のようなものだろうと締めくくっているのである。
こんなことになるのは、第一に意欲が下劣なためである。これは頭頂葉の発育不良による。第二は本能を抑止する力が弱いのである。これは前頭葉の発育不足による。学問を側頭葉に詰め込んでも、少しも効かないことがわかったであろう。。。。
こうして、人間的な情緒や情感は「頭頂葉」に宿り、理性は「前頭葉」に宿り、知識は「側頭葉」に宿るという、岡潔の思想を文部大臣に告げたのであった。
1968年12月19日のことである。
結局、そうやって左翼が生んだ子供が今の野党のような連中だったということのようですナ。
いや〜〜、岡潔恐るべし。50年近く前にはもうそういうことを言っていたわけである。
ところで、私が妙に腑に落ちないのは、岡潔が述べた仏教の思想と、昨今のスピリチュアリズムの思想が妙に一致しているということである。大霊界の思想は、基本は古来の仏教思想である。それをカルトが奪った。どうも西洋人の仮面をかぶった仏教カルトがスピリチュアルを演出しているような気がするわけである。これについては今後調べていくほかはないでしょうナア。
by kikidoblog | 2013-12-26 11:26 | 岡潔・数学・情緒