なでしこジャパンW杯初優勝おめでとう1:「なでしこの先人たち」「サッカーは文化だ」
「ドイツ人にゲルマン魂があるように、君たちにも大和魂がある」
−−デットマール・クラマー
みなさん、こんにちは。
風雲急を告げてしまったこの日本。この世界。いまここ阿南は台風6号による風雲暴風雨のまっただ中である。
さて、昨日は女子サッカーワールドカップ・ドイツ大会で見事に日本女子が初優勝。このニュースが全世界を駆け巡った。勝利の美酒に酔いしれた人々が多かったにちがいない。サッカーなど全く経験もなく、今もすることもない、にわかサッカー通の人々もサッカーの醍醐味というものを少しは理解できたかもしれませんナ。
普通のニュースや特集はテレビマスゴミの格好の題材なのだろうからそっちで見てもらえば良いだろう。ここでは、あまり普通の人、ド素人が取り上げないような話題だけをメモしておこうと思う。
(あ)「サッカーは少年を大人に、大人を紳士に変えるスポーツだ」という名言は、今の日本サッカーやJリーグの創始者たちの青春時代に日本サッカーの現代的基礎を作り上げた、旧西ドイツのデットマール・クラマーコーチの言葉である。正確には、下のおまけにあるように、
私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。というものである。今回の女子サッカーを見て分かるように、今では全世界でサッカーは男女を問わず大人気のスポーツなのである。したがって、今ならクラマーさんもこう言うにちがいない。
私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年少女を大人に育て、大人を紳士淑女に育て上げるスポーツだからだ。
(い)実は日本サッカーの歴史は本当ははるかに古く、それ自体非常に興味深いものがある。実際には、イギリス海軍が日本にやって来た明治初期の時代1873年(明治3年)にすでに日本にはサッカーが伝わっている。英軍で海軍兵学校の講師だったダグラス少佐という人物が暇を見てはサッカーをしていた。それに好奇心で寄ってきた学生たちに広まったのが最初だという。当時の日本人には英国式蹴鞠と見えたという。
サッカーは、1863年10月26日イギリスのフリーメーソンズ・タヴァーンというパブでイギリス式のサッカーのルールが誕生したと言われているが、そのわずか10年後に日本へ伝来したのである。それから48年後1921年大正10年に「大日本蹴球協会」が誕生した。これが今の日本サッカー協会の前進である。
そして、日本で最初にサッカー部を作ったのは、東京帝大(東大の前進)や東京高等師範学校(筑波大の前進)であったという。明治の師範学校体育の格好の球技種目としてサッカーが行われたのである。もちろん当時はサッカーという英語ではなく、蹴球と呼ばれていた。しかし、大阪ではすでに1918年に大阪サッカー倶楽部というものが出来ていたという。
今現在サッカーが最もさかんな地域がなぜそうかといえば、東京、横浜、神戸、大阪、広島などには英海軍が寄港し、当時のプレーヤーや指導者が英兵だったからである。日英同盟のおかげである。米軍兵が野球をもたらしたように、英軍兵がサッカーをもたらしたのである。そしてそれが伝わった師範学校(旧制高校や旧帝国大学)のあった地域が今のサッカーどころなのである。
これが今の女子サッカーの大半が神戸や東京やと横浜のクラブにいるという歴史につながっているということなのである。単にスポンサー企業や会社のあるなしというような、そういう見かけ以上のものがあるのである。
(う)第二次世界大戦後、日本はサッカー不毛の地、不毛の時代になった。それは、日英同盟後、日本が徐々に英米に敵対する時代に日本がサッカー不毛の48年を経たように、再び戦後の動乱と経済破綻で低迷時代になる。そこへ東京オリンピックの時代を通じて、再びサッカー熱が高まり、ついにメキシコオリンピックで初の3位という歴史的偉業を達成したわけである。この時代にやって来て、伝説の基礎を作ってくれたのがデットマール・クラマーさん
だったのである。
Mexico Part1
(え)まあ、簡単に日本のサッカーの歴史を振り返ったが、もし日本が日英同盟を続け、英米と反目することなく進んでいたら、日本サッカーはどうなっていたか?というのは実に興味深い視点である。おそらく、今のブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンのように、かなり早い時期サッカーの強豪国になっていたかもしれない。しかし、一方で、英米や欧州の白人によるアジアの植民地支配は終わらず、今のような世界大会というものは出来なかったかもしれない。いずれの意味においても、日本は世界史においてかなり重要な役割を担ったことだけはまちがいないのである。
こういう深い歴史があってこそ、今回の「なでしこジャパン」のワールドカップ初優勝という偉業につながったと見るべきなのである。「サッカーは文化だ」というのは私がいつも我が家の息子たちに言っていることである。この意味は、サッカーが成長し、うまくなる、強くなるには、1世代、2世代、3世代とかかり、実に時間がかかるということである。「ローマは一日にしてならず」。同様に「なでしこは一日にしてならず」なのである。
おまけ:
日本サッカーの歴史
私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。
選手一人一人の個性を知らずして、どうしてよい指導ができるんだ。コーチは常に選手と共にあるべきだ
タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である
試合で勝った者には友人が集まってくる。新しい友人もできる。本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう
ドイツ人にゲルマン魂があるように、君たちにも大和魂がある
人間は暗い気持ちの時は耳を塞いでしまう。そんな時には、どんな名言も届かない。しかし心を開いている時なら、苦言でも受け入れることが出来る
「Es ist der Geist, der sieht. 物を見るのは精神であり
Es ist der Geist, der hort. 物を聞くのは精神である
Das Auge an sich ist blind. 眼そのものは盲目であり
Das Ohr an sich ist taub. 耳それ自体は聞こえない」
デットマール・クラマー
日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉
by Kikidoblog | 2011-07-19 12:34 | なでしこジャパン