まじめな質問です。
現在、18歳未満の児童と呼ばれる男女の裸などの児童ポルノは、その表現が禁止され所持も禁止されています。しかし、日本は、憲法で「すべての表現の自由」を認めています。
「児童ポルノは、表現の自由で認められるべきであり、禁止すべきではない」に対する『反駁』ができる人は反駁してください。感情論は排除してください。
●想定される反駁例
・児童ポルノの表現禁止は、児童の権利保護のためやむを得ない。すなわち、あらゆる表現の自由の保障のもとであっても、児童ポルノの禁止は「公共の福祉」の点から正当化される。(隠れた前提の立証が不十分。誤謬。ある主張がされれば簡単に崩れる)
・国際社会で児童ポルノを禁止しているのだから日本も禁止して当然である。(根拠のない主張。衆人に訴える論証。誤謬)
匿名の質問に、匿名で回答しても、いずれも自己同一性が存在しない。
https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7&ao=a
…… 昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の 出来心 どうせおいらは
裏切者よ 野暮な大小 落し差し。── 西條 八十・詞/松平 信博・曲
《侍ニッポン 193102‥ ビクター》徳山 璉・唱
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-001984
https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=5a29vADMe1w
── 伊藤 大輔・監督《侍ニッポン 19310320 前篇 0415 後篇 日活》
── 郡司 次郎正・原作《侍ニッポン 193105‥ 大衆文学》尖端社
http://www.liveinpeace925.com/pamphlet/leaf_kenpo_daiji_q3.htm
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/6353.pdf
人権は絶対無制限だなどとは一度も発言していません。そんな事は知っています。
ていうか、なぜ質問とはまったく関係ない論点の話を広げるのか理解に苦しみます。
あなたはもう回答しないでください。ていうか、回答を削除してくれませんかね……回答になってないし論点ずれてるし、正直言って上の人と同じ荒らし回答かと思ったほどです。
個別のコメントを削除したのはいいとして、どうせ削除するなら、回答そのものも削除してください。
大人が自分の意志に基づいてポルノに出演する分には本人の性的な自己決定権である(もちろん、出演強要とか盗撮はダメ)。
しかしながら例として言うならば、小さい子どもだったら『性行為をすること』の意味も分かっていないだろうから、13歳未満との性行為・類似行為はそれ自体が禁止されている。
それと同様に、子どもには『ポルノの被写体となること』がどのような影響を及ぼすのかなどについて十分な知識や判断力が備わっていないと考えられ、そのような子どもを被写体・モデルとしたポルノを作成するのは自由ではなく、子どもの無知につけこむ卑劣な行為であり、子ども本人への人権侵害である。
よって、児童ポルノを作る自由は公共の福祉に基づき規制される。
ちなみに俺は、回答の中身への反論はしないし、質問文を含め自分の主張が正しいものかどうか、どういう論理で正しいのかも含め、質問された回答がたとえ誤謬だったり憲法学からどう考えても間違いだったりしても、回答した者にわざわざ時間と労力をかけて理解させたり憲法や論理学の解説をしたりはしないので、回答が正しい論理か否かなどは、ご自分で検証などをおこなってください。
しかし、この回答を読んだ人が、それが正しいと誤解する可能性もある。
質問した者として、そうしたものには一応の訂正を加える必要はあると感じるので、一応付け加えます。
この回答は、想定される反駁例のカッコ書きに書いたように、誤謬です。
ま、よくいるよ。君みたいに表現の自由の全能性を信じちゃう人。
憲法に「どんなものであっても表現の自由が認められますよ」みたいなことが書いてあるので(正確な条文は自分で確認してね)、これを真っ当に信じてしまう。で、ネットでちょろっと「〇〇の誤謬」みたいなのを調べて、人の意見に対してラベルを貼っていく。ちょっと前だとヴィーガンって人達がそれに該当してました。知ってる?
まぁそれはともかく、君の成長のためのヒントをいくらか述べておこう。
まず、憲法は全く厳密じゃない。たしかに「表現の自由」は保障されているらしいが、肝心の「表現」というものが何であるのかは書かれていない。前提に訴えるにしても、表現という言葉は幅が広すぎる。捉えようによっては、差別なんかも保障されるべき表現の一種だろう。しかし、時代の潮流がそれを許すとは思えないし、実際憲法でも許されていない感じはする(ヘイトスピーチを禁止する法律も整備されつつあるしね)。
さて、疑問に思わないだろうか。憲法というのはなぜこんなにも雑なのだろうか、と。国の最高法規を名乗るなら、もうちょっとキッチリ書いてくれよ、と。こういう差別はダメです、保障されるべき表現には含めません、と明記さえしてくれれば、こんな面倒な問題が生まれることもないのにね、と。
実は、憲法に厳密さが無いのにはちゃんとした理由がある。憲法はさっきも言ったけど国の最高法規たる「大事な文章」だ。当然、作るときにはそれなりの労力を要するし、数年ごとに刷新するものではない(していた国もあったけどね)。時代はたしかに変わるけれども、憲法はある程度「時を越えて受け継がれなくちゃいけない」んだ。これに気付くと、憲法が雑な理由も自ずと見えてくる。時代は変わるし、人の価値観だって変わる。そんな中で、厳密で多義的な解釈の余地のない、起草時点の正しさだけを書き記した憲法は生きていけるだろうか?
私がかつて話を聞いた法哲学の先生は、憲法は「開かれた柔構造」を持っていると仰った。これは、時代に応じて異なる憲法解釈を許容する構造のことだ。憲法解釈のズレ、というとみんな悪いイメージを抱きがちだが、あながちそうでもないのだろう。私は法哲学の専門ではないので、先生の言葉の真意は分からないけれどね。
そんなわけで、憲法は割と雑な文章で書かれている。9条の例を挙げると、自衛隊が9条に悖るか否か、未だに決着がついていない。しかし先の考察は、「そのような状態もあり得る」という見地を与えてくれる。ということは、児童ポルノについても同じことが言えて、かつて表現の自由として保障されていたモノであったとしても、時代によっては違憲とされることもあるし、それに伴って法律が作られて罰則が与えられることもある。そしてまた時代が変わったら、そのような法律は違憲だとして無効化されるかもしれない。
このように解釈の幅を持つ憲法だからこそ、たとえ「全部保障するよ」と書かれてあったとしても、その全部には但し書きが付いたり、実は全部じゃなかったりするんだよ。
※この回答に対してはコメントしないでね。いや、するなら勝手にしても良いけど、返信は期待しないでね。忙しいわけじゃないんだけど、あんまり気乗りしないから。逃げてるみたいでゴメンよ。
私の回答に一生懸命になってくれるのは良いとして、やっぱり君は人を馬鹿にしたいだけだったんだね……ちょっと残念かも。
今後のために言っておくけど、ただの荒らしだと思ったなら(私にそのつもりはないのだけれど)返信せずに通報するだけにした方がいいよ。ある程度読んで返信までするなんて、「本物の」荒らしの格好の餌になっちゃうからね。あと、そんな荒らしまがいの野郎と”同じ土俵”に立って罵詈雑言ぶつけるのもどうかと思う……
内容については特に言うことはないかな。君は憲法を学んでいるそうだから(これは一旦信じる)、多分君の方が賢明なのだろう。君の言う通りだと思うよ。
※乗り気じゃないとか言っておきながら返信したのは、君のその懸命さにいくらか応じなければならないという義務を感じたから。必要なら削除は運営さんにしてもらってね。
なにこれ、質問を終了させても続くの。迷惑極まりないんだけど!返信は期待しないでと言いながら返信されたの初めてかもしれない。
他にも質問したり回答したりしてるんで、その通知に混ざって通知が来るんで、やめてもらえませんかね?荒らし君。「やっぱり、君は人を~」と言ってるが、質問文のどこにも「質問者が人を馬鹿にしたいだけ」と思わせるような文章はないはずだが……
すごいなその超能力。まったく当たってはいないけど。
まあでもわかるよ、まったく質問の趣旨を理解できずに回答してしまって、間違いを指摘され、自分の回答も見事に論破されてしまい、何か言い返したいけど、どうやらこの人は頭がよく、とても勝てそうにない、という思考が働いた。
だから、「今後のために言っておくけど、荒らしの相手はしない方がいいよ」や「乗り気じゃなかったけど君の懸命さに応じてあげたんだ」のような論点をずらした苦し紛れの発言をすることで、自分自身を慰めながら、対外的に、これを読んでいる人達に、自分がバカにされないように「君のために回答した」という優しさのようなものを見せつつも、必死に自分を防御するアピールをしているわけだ。
でも、そういう発言をした時点で、もはや「私が間違っていました。ちゃんと回答しなくてごめんなさい」と自白しながら白旗を振っているのと同じだよ。
でも、うん、わかるよ。君みたいな人の精神構造はよく理解している。俺の論理的な指摘を(なぜか)懸命と認識し、それに応じなければと義務を感じるのも君の勝手だから好きにすればよい。君の心の動きまでは知ったことではないからね。
しかし、いちいちコメントするなよ!(笑)
最初に書いたけど、通知が来てうっとうしい。質問した俺としては、君はただの荒らしと認識し、参考になる回答も今後は付かないだろうと考えて、もうこの質問は終了させたんだよ。質問が終了したのを見てそのくらい理解できないものだろうか。
それにしても、まさか質問終了後もコメントを続ける事ができるとは思わなかったが「人を馬鹿にしたいので以下の質問に回答してください」などと質問をしてはいないのに、どういう思考を経て「やっぱり君は人を馬鹿にしたいだけだったんだね」という発想に至ったのか。この文章は、質問をした時点で「人を馬鹿にしたくて質問をしている」と認識していたことになるが……(笑)
こういう人って被害妄想が本当に激しいよな。
さて、この質問の通知だけこないようにできないものか……
これは中学の時の先生の説明です。
これは中学の時の担任の話しです☺間違えかもしれないけど好きな話しです☺憲法とは国民の権利を権力者から守るもので守るのは権力者の方である。
表現の自由は例えば権力者が守らないと独裁政治になる危険もありますよね。
放送の認可を考えたらわかるのでは
ないでしょか?
ですから表現の自由を考えた場合大多数の国民や政治家もよくないと判断した場合には法律により規制の対象となります。
だから国民は選挙に行き政治家もにちゃんと見ていることを教えおかしな法律を作らないように眼を光らさないといけない。
との説明でした。
私はこの話しが心に残っています。
大多数の国民や政治家が「シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)の建設は良くない」と考えたらシナゴーグの建設を禁止できるのでしょうか? まるでナチスドイツですね。
あなたの回答の趣旨をまとめると以下のとおりかと思います。
憲法は国民の権利を権力者から守るものである。
表現の自由は、独裁政治を防ぐためなどの理由で保障しているように、憲法を守るのは権力者である。
だから、大多数の国民や(大多数によって選挙によって選ばれた)政治家が、その表現がよくないと判断した場合は、法律によって規制される。
(ここからは回答者の回答の趣旨を想像した俺の補足)
つまり、大多数の国民や政治家によって児童ポルノは禁止されたのだから、別におかしいことではない。
児童ポルノは民主的な立法によって規制されたものだから、一切の表現の自由を保障している憲法の適用は受けず、その表現は認められない。禁止された現状のままでよい。
ということを言いたいのだと思います。
中学の時と発言してるので、勝手に高校生くらいだと想像してコメントしますが、回答としては(俺の想像による補足をおこなえば)他の回答者よりははるかにまともな回答になっています。
しかし、質問にある「想定される反駁例」の1つ目に類似しているし、2つ目にも共通する点があるように思います。
回答の中身に対して個別に反論はしないので、回答の中身が正しいかどうかなどは自分で検証してもらうとして、内容の前後で矛盾が生じていることを指摘したいと思います。
①憲法は、権力が暴走しないように等の抑止力として権力者(国家)をしばるもの。
→近代立憲主義の思想から考え、あなたのこの意見は俺と同じ理解である。
②大多数の国民や政治家が立法したら規制が可能である。
→現在の日本法のシステムでは「規制が可能」は正しい。どんなに人権を侵害する法律であっても、立法そのものは国会で可能であり、施行日以降は最高裁で無効判決がされるまでは、その法律は国民に効力を持つこととなる。しかし、あなたはこれに続けて「だから、その規制も許されるんだ」と言いたいのだと思います。
そこで考えてみると、大多数の国民(の意見)や政治家というのは、国民の支持を受けて民主的に選ばれた者達であっても、たとえば、国会議員や内閣総理大臣のような公務員の地位になれば、「権力者」となる。(大多数の意見というのも、民主政治のもとでは「権力」となるし、少数の者にとっては好ましくない権力の行使にもなる)
それなのに、「大多数の国民による支持」や「政治家が判断した」という理由で、憲法の保障が及ばないとすると、「国民の人権を守るために、権力者をしばる法」という、あなたが①で述べた根本的な憲法の存在意義に矛盾する。権力者に守らせるはずなのに、国民の多数決を得た場合などには、それを無視して規制することを許してしまえることになる。
たとえば、選挙で多数の票を獲得した者達であれば、「どんな法律でも」立法して規制してよいことになる。
つまり、あなたの言いたいことは想像によって補い理解できますが、回答の中身は、前後で矛盾し分裂しています。
とはいえ、回答としては言いたいことはわかるので、想定される反駁例の1つ目と同じと捉えておきます。
Yahoo!知恵袋はバカが多い。はてなは、特にブログなどは教養のある者が多かったり意外に有識者がいたりするので、はてな質問の方が参考になるんじゃないかと聞いて、一応利用して質問してみた。
求めてもいないのに勝手に憲法の解説を始めたり、法の支配と法治国家を勘違いした回答がついたり、匿名質問は自己同一性がないとかいう意味不明な回答がついたりと、まー!Yahoo!知恵袋と同レベルにひどいことがわかった。
ベストアンサーを決めずに回答を終了した。(これができてよかった。誰か選ばなければいけなかったとしたら誰にするか困っただろう)
どうしても憲法の講義を展開したい不届き者が多いようだ。
君たちは、おそらく、頭を使っていたのは大学受験くらいまでで、大学卒業後は学問や教養に触れることなく年月を経て、もはや学問や教養などすっかり忘れてしまい、論理的思考など働かせることなどなく、飲酒などによって、ただただ脳機能を低下させ老化させているだけであろう『老害予備軍』になっている人が多いだろう。今まで出会ってきた者達とここの回答の質を踏まえた上での、あくまで想像である。
そんな君たちとはまるで違い、日々、すばらしいと言わざるをえないほどの知的好奇心から、さまざまなものに興味・関心を持ち、深く探求する精神を忘れず、いろいろなことを極めようとし、その中で当然、憲法学や論理学、修辞学も学び続け、努力し、読書や研究を重ねるなどして鍛え、研ぎ澄ませ、知能レベルが極めて高く、人類でいちばん心のやさしいこの俺が一応コメントしてやろう。(笑)
>>匿名回答1号
荒らすんじゃねえボケカス!匿名質問なんだから自己同一性なんぞいらんわ死ねゴルァ!
>>匿名回答2号
コメントだけ消してリンクだけ残してあるから何言ってたか忘れたが、そんなことはひとことも言ってない!
だいたいリンク先のこの記事は誰が書いたんだ。
>>匿名回答4号
児童ポルノは「すべて性行為(セックス)の表現」であるという前提の立証が不十分。
「~そのような子どもを被写体・モデルとしたポルノを作成するのは自由ではなく」の論理が明確ではない。「折り紙を作るのは自由ではなく」とさりげなく言っているのと同じくらい不自然。
「児童ポルノを作る自由は公共の福祉に基づき規制される」児童ポルノと法律で定めた表現物が、「すべて自分以外の他者によって作られたものである」ことの立証が不十分。
性行為(セックス)と、ただの裸を映したものとでは、まるで違う。ただ水着を着て映った映像と実際に海で泳ぐ映像が違うという例えならばわかるだろうか。
「子どもは無知である」(ここでは18歳未満とする)ことの立証が不十分。
脳科学や、主にアドラーなどの心理学では、一般的に10歳前後で精神は固定されるというものもある。
日本法、特に刑法では、責任能力は12歳前後とされているようである。
縄文時代、平安時代などは、12~14歳前後で結婚したり成人をむかえたりしていたが、この時代の18歳未満の「子ども達」は、みな人権が侵害されていたことになる。また、「子ども(児童)」という定義は法律によって年齢が上下するものであり、抽象的であり、「無知」や「精神の成熟」を考える上では科学的な基準ではない。
>>匿名回答5号
偉そうに回答している割に、論理力が乏しく内容もめちゃくちゃ。この者は、そういう上から目線の回答をすることで、回答する立場という「教えてあげる立場」と錯覚しやすい状況も相まってか、おそらく、自分はこの者よりは優れている、回答をしてあげる自分はこの者より教養がある、などと自分に言い聞かせたり暗示をかけたりしていると思われる。一種の認知のゆがみがあるのだろう。無駄に偉そうな口調がそれを物語っている。自分に自信がない現れとも取れる。自信があり教養や論理力がある者は、論点に対して明快な回答を返す。
>>匿名回答6号
高校生であるならば、視点は良いと思った、
しかし、国民を従わせる法律と、国家を従わせる憲法とでは、効力をおよぼす相手(名宛人)が違う。
多数決によって民主的に立法された法律であっても、憲法に違反していれば、その法律は無効である。
憲法で保障された人権に違反して立法することは、たとえ、大多数の支持を受けても行ってはならない。これが(近代の立憲的意味の憲法による)立憲主義である。
【俺の意見】
表現の自由に、公共の福祉なんてものを介入させたら、多数者が反対すれば、その表現を禁止することが可能になり、表現の自由を保障したそもそもの意義に相反する。
回答の中にあったもののうち「他人を撮影することは、公共の福祉に反して表現の自由が規制される」というものがあったが、他人を撮影するという行為などは、表現の自由ではなく、その者の幸福追求の権利等に反するものであり、表現の自由が論点となるものではない。そもそも、(撮影された者の)意思の合致がない。
他者を撮影することを持ち出すのであれば「他者が、自分に撮影を頼んだ場合、その者は自己を表現する自由として自分を撮影をしてもらう権利がある」という形となり、否定するのであれば、「(そのような場合でも、他人を)撮影する権利などない」となる。
多数の者の力や支持をもってしても人権が脅かされないように、定めたものが憲法である。
人権を考えるとき、憲法は、文化、文明、時代、宗教、社会的事情、科学技術などの影響を受けることは、ゆるされない。
文化や宗教、時代が変われば、とたんに保障されなくなったり自由や権利が縮小してしまったりするのでは、せっかく成文にしてまで憲法で人権を保障している意義がない。
プライバシーの権利が回答に出されたので、これを例とするならば、プライバシーの権利は近年言われ始めたものであるが、たとえば、誰かがタイムマシンを発明して、縄文時代に行って、そこで生活している人たちを勝手に撮影したとなれば、その撮影された縄文人は「プライバシー権を侵害された」といえる。
縄文時代であっても、カメラやスマホなどの技術がないだけで、人権や自由というものは、人間である以上、当然誰もが生まれながらにして持っているからである。
このように、人権というのは、文化、文明、時代、社会的事情などと関係なく存在しているものであり、憲法はそれを保障しているものである。
こう考えてみれば、表現の自由に「公共の福祉」を介入させることや、多数の意見・支持による規制を許す、ことの重大な問題が見えてくるはずだ。
「縄文時代の子どもは、他の人に裸を見せてもよい。しかし、現代では、子どもが他の人に裸を見せることは許されない」という論理が整合することは、100%ありえない。
縄文時代の子どもには、自分の裸を他者に見せたり表現したりする自由があったのに、現代の子どもには、それがないというのは、おかしな論理である。
児童ポルノの禁止というのは、児童の人権を守るという大人からの一方的で表面的な正義が目立つ。主張する者が多いことで、さらにそれを支持する者も加わることで、より大きな支持を得ている状態である。しかし、こう主張する多くの者が、大人の側から、しかも都合が悪い状態(他者に無理やり撮影される等)のみに基づいたものであり、子どもからの視点で人権を主張しているわけではない。
そう主張する大人たちは、実は、子ども達に「お前たちには、自分の裸を他者に見せる自由や権利などない!(18歳になるまで)裸は誰にも見せるな!」と言っているのと同じであることを理解する必要がある。
親や家族になら見せても良い、更衣室で同性になら見せてもよい、17歳まではダメだけど18歳になったらとたんに見せてもよくなる、というような論理も整合しないことは明らか。
それと、多くの者に目立つのが、まず先に証明しなければならないことをこっそりと前提に盛り込んで話を進める者が、かなり多いこと。
「自己決定権は児童にはない~だから公共の福祉によって規制できる」等の論証は、まず先に、自己決定権が児童にないことを証明してからでなければ、その論証は誤りである(場合が多い)。(児童にも自己決定権はあると言っておく)
本件、質問の回答はどれも回答にすらなっていなかった。
日本人の8~9割がバカだと思っているが、やはり、多くの者には最低限の論理力すらないように思う。
>>匿名回答1号
荒らすんじゃねえボケカス!匿名質問なんだから自己同一性なんぞ
いらんわ死ねゴルァ!
http://q.hatena.ne.jp/1556788999#qc8814(20190505 20:26:01)