心の中で思ったなら
これから僕は○○をする。僕は○○になりたい。という言葉にさほど意味も価値もないなと思っています。
敬愛するジョジョの奇妙な冒険 Parte5 黄金の風にて、プロシュートは弟のセッコにこう言います…
「ブッ殺した」なら使ってもいいッ!
過激な言葉でここだけ切り取ると誤って解釈されそうですが、実際に何かを成し遂げる人間というのは…
心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっている
わけです。少なくとも最低でもスデに行動は始められている。
有言を実行しないとメンツを失うマフィアの世界だけでなく、今我々がいるこの世界がまさに組織と個を切り離して、個人単位で評価していきませんか? っていう厳しいルールに変わろうとしている。ようやく、ちょびっとだけ。
これはねー、わりと怖いことだと思うんだよなぁ。だって、明日すべての会社が、君たち自分自身でどうにか出来るだろうから残業しなくていいし、残業代出さないぜ! 副業はOK!! ってなったら困る人一杯いると思うよ収入的に。
残業代なくなって、会社自体も縮小して、収入が減ったらどうするか? って部分に超センスが問われちゃう。
さらに言えば、応援される応援する事にもセンスが問われちゃう。
どういうコトかというと、応援される側は最低限、既にゲームを始めておく必要があるわけで。
いつかスキルが付いたら、では遅い。
今はスキルが足りない、けどやる! くらいでどっこいどっこい。
もっと言えば、スタート地点に立つだけでは俄然ダメ。始められたゲームの渦中にいなければならないのです。
ゲームが始まる前のスタンドに観客はいません。ゲームがないならチケットも売れません。
めいいっぱい戦うプレーヤーに、あともう一歩、いや二歩ほど本人以外の何かの力が必要だと判断するから、観客は声がかれるまで叫ぶんだよね。
昨日は負けたけど、次は勝って欲しいからより大きな声を出すんだ僕は。
応援して!っていいフィルターだ。何か目的を持って行動してないと言えないもん。これから何かをする人じゃなく、すでに何かをしている人じゃないと応援のしようがない。海外でのんびり仕事したいんで応援してください!って言っても、いやしたら? で終わる。応援してもらえる人にならないとだ。
— シンタロヲフレッシュ (@shintarowfresh) March 25, 2016
酒の席で友達に夢を語り、意見のフィードバックをもらうのは存分にアリ(仲が良いほど辛く評価してくれるだろうし)だけども、ネットや公の場で俺は○○したいんやと言うときはプロシュート兄貴のフィルターを自分にかけている私です。
痩せたい ← MUIMI
痩せた ← なら言っていいッ!
順番は、走り(動き)出す→応援してもらう。言いたいことはこんなところです。
ニュートラルとエモの狭間より。
文:シンタロヲフレッシュ