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囚人のジレンマという著名な実験があって、その中で最強と言われるしっぺ返し戦術というモノがある。
協調か裏切りかを選ぶゲームで、最初は常に協調を選ぶのだが、相手が裏切った瞬間からその後は常に裏切り続けるという戦術だ。普通に誰もがずるいことを考えずに協調し続けていればみんな幸せになるのだが、誰かが一度でも裏切った瞬間から、その者に対して常にダメージを与え続ける行動をし続ける。 もう本当にオン・オフの二種類しかなく、一度オフになったら永久にオンになることはない。 わたしも結構ネット生活は長いのだが、ネットで生存する最良の戦術はこのしっぺ返し戦術であるように思える。もちろん誤解はあるので、オフに切り替える瞬間を図るのは慎重にやるのだが、そのオフに切り替える瞬間に最大限のダメージを与えるように計算する。 わたしはネットでなにをやるにしてもしっぺ返しでダメージを与える方法を担保せずに何かをすることはない。 陰険と言うよりも、用心深いと言うよりも、そうしないと生存できないと、単純に思っているだけなのだ。 しっぺ返し戦術とは基本的には、無制限の協調戦術であると言える。 普通なら、常識的には、よほどのことがなければ、まともな世界なら。 しかし、残念なことに、このしっぺ返しを発動させてしまう人に出くわす。 慎重に、一週間とか一ヶ月とか一年とかかけて状況を見るのだけど、それでも巧妙に裏切っていることに気付いて、わたしはしっぺ返しを発動させる。 瞬間的にダメージを最大化させるが、それでその存在が死んでしまうこともある。 世の中、しっぺ返しを食らわずに裏切り続けることが出来るとでも思っているのだろうか? 本来なら許されるべき事ではない。 パソコン通信時代、わたしも行儀の悪いことをして、しっぺ返しを食らった。 それ以降、裏切り行動が得にならないことを学び、同時にしっぺ返し戦術を覚えた。 基本的に、裏切りがない限り、その場は協調行動以外の行動はない。 だから非常に生産的なのだが、ときたま常識がない行動をする人に出くわすことがあり、そこにいる全員がしっぺ返しを発動する。これは結構壮観で、瞬間的にぼこぼこにされているように見える。しかし、実際にはしっぺ返しの発動時期が人によって異なるため、即座にしっぺ返しをする者もあれば、それはまだはやいだろうと宥める人もいて、全体がもみくちゃになってその裏切った人物が今後どのような行動を取るかを見極めるように動いていく。 もし、全員から見捨てられれば、最終的には誰からも相手にされなくなり、常に苦痛を受けるようにされるのだが、そこまで至る人物はまれである、というかわたしは見たことがない。 たいていは、どこかから協調関係を結ぶようになるか、去っていくかである。 もし、それを怖いというのであれば助言がある。 裏切りさえしなければいいのだ。 もう一言踏み込めば、裏切り続けなければいいのだ。 もう一言いうか。 どうしたらお互い助け合えるのだろうかを、考え合えばいいのだ。 たぶん2000年ぐらいからだと思うが、ネット上で、どんなに裏切ってもしっぺ返しを受けることはない、という、スイーティーな風潮を持つ人々が現れ始めた。 わたしはサービスを提供する側だったので、目を光らせることが職務になったのだが、コミュニティに1000人もいれば、悪い人は必ず1人はいる。職務上、それに対応しなければならなかったが、この際、重要だったのは確実にしっぺ返しが届くようにしておくことだった。 インターネットというのは、基本的にはしっぺ返しが効果的に効く仕組みでない。 なので、ネットのオプティミストには、軽蔑の念を送る以外にないのだが(まあようは、スパマーを許すネットでどうすんの? という話だ)、どうも最近、その病的な思考が現実社会の勘違いになりつつあるのがちょっと怖い。 裏切れば必ずしっぺ返しを発動される。 そのしっぺ返しは、発動した個人の意志なので、それをおかしいというのはおかしい。 しっぺ返しは主観で発動され、客観ではない。 一度発動されれば、二度と協調にはならない。 それは、個々で見れば、とても正しいこと。 生存行為である。 しっぺ返しをあたかも操作可能な世論であるかのように扱って、それは公正ではないという論理に持っていくのはおかしい。 それは裏切られたという感情を生み出した代償なのです。 ライブドア事件は、たぶんそういう事件だった。 期待が大きかった分、裏切った代償が大きかった。 法の話は、しっぺ返しから見るとたぶんうまくいく。 そして、どうすればしっぺ返しの応酬になる非生産的な社会から逃れられるかということを考えると上手くいく。 ネットで行動しようとすると、どうしても、裏切り逃げを捕捉できず損を見るだけのように思えて、創作的な行動がとれないことを歯がゆく思う。 物語解析系では核心部分がどうしても語れないし、実験も、しっぺ返しを担保するまでは行うことが出来ない(これは今日やっとその方法を思いついた。正直、げんなりする)。わたしはネットのプロだったので、それが出来るのだが、普通の一般的な創作者たちはどうなのだろうと思う。 わたしは昔書いた小説をWebに出すことは決してないし、多くの事件を見ていて、非常に暗い気持ちになるする。 どれほどの価値が失われただろう。 どれほどの信頼が失われ続け、致命的な流血が続いていくのだろう。 急速的に連結していく世界は加速度的に、本質的な価値は失われている気がする。 それはたぶん現実世界の文化的にも、致命的なダメージを与え続けている。 どうしたらいいんだろか。 悲観的ではなく、とてつもなく前向きにそう思い、しっぺ返しを軽視する人々に、軽蔑を送る。 現実を見つめよう。 そして実効を考えよう。 ニコニコ動画の事件を見ていて、発動されたしっぺ返しをよく見つめる。 協調する見込みがないことに対して、遮断をすることは非常に正しい行為である。 そのつけは、たぶんトラフィック回線料で払うのだろう。 著作権はどう始末をつけるのだろうと、人ごとなので、ぼんやり思う。 その協調を失ったことに対して、敵対心を持っているような発言を見て、ちょっと深刻になる。 この人たちは、一生協調することを覚えることはないのだろうか、と。 しっぺ返し戦術がどうやら正しいらしい、この宇宙で。 PCT(特許協力条約)を読めば=TRIPs協定を読めば=WTOの精神を読めば=GATTの条文を読めば、これはすべて分かる。 つまり、国際的な経済の関係は、すべてこの法体系にある。 経済をやるなら、最低限読んでいてほしい。 この枠組みが、制裁規定、つまり、しっぺ返しの規定がすべてであることを理解すれば、たぶんとてつもなく理解が早い。 そういうことをいっている人を一人も見ないので、悲しくなるのだが、これが、世界秩序の聖典である。 世界の秘密のほとんどすべてである。 条文自体は一冊の文庫本以下の文章量。 マスタコード中のマスターコードである。 半年あれば、全部理解できる。 あとはおまけで、たとえば、プリンタードライバーみたいなものだ。 これを考えた、アメリカ人はノーベル賞では足りないぐらい、神に近い、賞賛と名誉を受けていい。 わたしは尊敬する お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 25, 2007 01:06:56 AM
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