ドミニク・フェルナンデス 「トルストイとともに」 " Avec Tolstoï " de Dominique Fernandez |
昨日も朝の内は雨混じり。まだ疲れが残っているのか、ゆっくりしながらサンディエゴの様子を思い出していた。メモを残しておかないと、どこかに飛んでいくことははっきりしている。以前は関係するところだけ処理した後はなるがままにしていたが、今はすべてに注意が行くようになっているので残したメモを大切に扱うようになっている。
午後からは昨年終わったインプラントの状況を見てもらいに行く。都合よく(?)サンディエゴで詰め物が取れたようなのでそれも一緒に治してもらうことに。インプラントは順調で、若干の調整をして終わり。しかし、詰め物が取れたと思っていたところは、一緒に歯も欠けているという。栄養も関係するのか聞いてみたが、こういうことは起こるようだ。衰えは歯からだろうか。一応すっきりして、周辺を散策。外に出ている店で果物などを仕入れ、いつものようにリブレリーへ。入ってすぐのところで若き日の精悍なトルストイを見つける。以前に科学者メチニコフとの対比で彼に触れたことがあり(2008年4月29日)、それ以来興味ある存在になっている。
" Avec Tolstoï " de Dominique Fernandez
著者は2007年にアカデミー・フランセーズに選ばれたドミニク・フェルナンデスさんで、「トルストイとともに」 は出たばかり。最初の方はトルストイの人生が語られていてなかなか面白い。場所を変えて読むことにした。
トルストイの人生には大きな葛藤があった。それは世間的な成功、結婚生活の束縛、、、など外の世界の出来事と彼が真に求めていた内なる世界の完成との間のもの、あるいはそうであることとこうありたいと思うこととの間にあるもので、最後まで解決できなかったのかもしれない。ただ、フェルナンデスさんは彼の人生を4期に分けているが、3期までは彼は充分に(遊びに、軍隊に、女性に)生きた。そして、第4期が50歳を迎えた時に訪れる。最終段階において、彼は自らの内的生活を完成すべく禁欲生活に入って行く。それが完成を見るまでは死にきれなかったのかもしれない。
彼の皮膚には刺さった棘があった。それは生後18ヶ月での母の死でも、9歳の時の父の死でもなく、彼に48年添い遂げ13人の子供を産んだ彼の妻ソフィーであった。その関係は愛憎の振り子が次第に大きくなり、最後は暴力的にまでなった。トルストイは彼女の中に、彼が最も嫌うもの、すなわち、金への執着と異常な性欲を見ていた。ただ、この本の著者は、彼が自らの芸術活動への意欲を高めるために必要だった内的葛藤のために意識的に作り上げた像ではないかと考えている。いずれにせよ、彼は最後まで妻に悩まされることになる。心の中では、いつかは世俗の束縛を離れて、自由に自らの内的な道を追求したいと考えていたが、それが実現したのが82歳の時。10月の夜、トルストイは遂に決断する。トルストイ信者にとっての聖地にもなっていたヤースナヤ・ポリャーナにある彼の家を密かに出る。近くの駅まで御者に送ってもらい、南に汽車で向かう。しかし、凍りつく車内で病に倒れ、アスターポヴォの小さな駅で下車。帰らぬ人となる。最後の最後で、彼の環境や富、文学的成功が齎したすべてのしがらみ、そして偽善から解放されたことになる。
それからよく出る話だが、ドストエフスキーとの対比でトルストイの作品の特徴が論じられている。フェルナンデスさんは冒頭のナボコフの引用からもわかるようにトルストイ派だが、若い時にはドストエフスキーにいかれていたようだ。ナボコフはこう言っている。
「トルストイはロシアの最も偉大な長編並びに短編小説家である。プーシキンやレールモントフなどを除き、次のように賞を与えることができるだろう。一位、トルストイ、二位、ゴーゴリ、三位、チェーホフ、四位、ツルゲーネフ。しかし、私には生徒の答案を採点するような印象が少しあり、ドストエフスキーやサルトィコフが彼らの惨めな成績の説明を求めて私の部屋の前で待っているのは間違いないと思う」 (ウラジミール・ナボコフ、1985年)
« Tolstoï est le plus grand des romanciers et nouvellistes russes. En écartant Pouchkine et Lermontov, ses précurseurs, on pourrait distribuer les prix de la façon suivante : premier, Tolstoï ; duexième, Gogol ; troisième, Tchekhov ; quatrième, Tourguéniev. Mais j'ai un peu l'impression de corriger des copies d'élèves, et je suis sûr que Dostoïevski et Saltykov m'attendent à la porte de mon bureau pour me demander des explications sur leurs piètres résultats. »
Vladimir Nabokov (1985)
若者は極限しか描かないドストエフスキーを好むだろう。そこには中庸はない。愚者、てんかん患者、取り憑かれた者、犯罪者などが登場する。ドストエフスキーは生活で見られる普通のものを犠牲にして、神秘的な昂揚感や愚行の発作へと筆を向ける。叫び、動き、大仰な身振りをし、暴れまわる。ニーチェ、ゴッホ、イプセン、ランボーの仲間なのだ。
これに対して、トルストイは中庸を愛してはいないが、受け入れる。彼は当事者ではなく、むしろ年齢や環境、歴史や運命の犠牲者を描く。そこにあるもの、それだけを描く。そして、そのお話はどこからともなく始まり、どこへ向かうともなく終わる。時間を取り、のんびりしながら、決まった方向を向くのではなくあちこち眺めながら、鼻先に風を受けながら遊歩するのだ。ドストエフスキーがギリシャ悲劇のように強い陰影を持っているのに対して、トルストイはオデッセイの世界である。どれかが他を圧倒することなく、すべてに同じ意味がある。全体が力を持ってくるのだ。ドストエフスキーが思想の人だったとすれば、トルストイは観察する人と言えるかもしれない。
この両者の対比は、パスカルとモンテーニュ、ラシーヌとコルネイユ、ダンテとペトラルカ、クローデルとジードなどにも見ることができるだろう。また都会と田舎の対比もあり得るかもしれない。ドストエフスキーが精神の人、誇りと高慢に満ちた精神の人で自然から遠ざかったのに対し、トルストイは自然の人、ヤースナヤ・ポリャーナに根を下ろし、人間の性質を深く見つめた。精神を突き詰めると命を縮めるのに対し、自然は健康を保証し威厳に満ちた老人を作り出す。
20代のフェルナンデスさんは 「くたばれトルストイ、ドストエフスキー万歳」 (À bas Tolstoï, vive Dostoïevski !) を叫び、30代には 「ドストエフスキーの後では、トルストイはもはや時代遅れだ」 と宣言する。文学の世界に時代遅れなどないことにも気付かず、愚かであったと振り返っている。
普段は読んでいるうちに眠くなるのだが、結局夜の9時過ぎまでトルストイの世界を味わっていた。サンディエゴの気分転換のせいなのか、この本のせいなのかはわからない。旅行から帰って初めてのカフェだったためだろうか、こういう気分で本を読んだり、ぼんやりできる空間は今のところはパリにしかないのではないか、という不思議な思いが浮かんでいた。面白いお話が詰まっていそうなこの本の続きは、時間ができてからになりそうだ。